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今日の人38.川口明美さん パート.2 [2012年05月21日(Mon)]
(パート.1から続きます)

20歳就職、21歳結婚、22歳長男出産、23歳長女出産、24歳で右卵巣嚢腫摘出手術、25歳の時に離婚。
あまりにめまぐるしく時間が過ぎた20代前半でした。でも、25歳になって、子ども二人を抱えたシングルマザーになった川口さんは、とにかく働かなくてはなりませんでした。
住友生命で保険外交の仕事をし、20代で所長にまでなりましたが、残念ながら家庭との両立に悩み、その職を離れることになりました。
 
その後は、朝夕に幼稚園バスに乗って送迎の仕事、日中は保険の手続きに8番ラーメンのアルバイト、夜はモップの交換業務、一日にいくつもの仕事を掛け持ちしました。ほとんど寝られない日もありましたが、寝なくてもいいと思っていました。きっと常に心が張りつめていて、寝られなかったのかもしれません。
そういう生活を続けていた時、幼稚園バスに乗っていた仲良しの5歳の男の子が病気で亡くなるという事態に遭遇しました。やり切れませんでした。川口さんは体調の不調もあり転職を考えました。

そんなとき縁あってユニクロ砺波店のオープニングスタッフとして採用されました。準社員として入社、そしてその後正社員となり充実した7年間を過ごしました。  
その間に出会ったのがNPO法人Bamboo saves the earth(当時は任意団体)の渋谷さんでした。そこで、ボランティア活動の魅力にどっぷりはまってしまった川口さん。県のボランティア支援センターへ行き、フードバンクのボランティアをしたいと言ったところ、富山にフードバンク活動はありません、と言われます。

「じゃあ、私がやります!」こうして、川口さんはフードバンクとやまを起ち上げてしまったのでした。最初はフードバンクとやまの活動をやりながら、ユニクロでも働いていました。その後、子宮筋腫の手術を受けることになり、手術後も仕事にすぐ復帰したのですが、なかなかスッキリしない腹痛に不安になったのと、フードバンク活動との両立に限界を感じ、ユニクロを退社。その後は住友生命の仕事に戻り、フードバンクとやまの活動を続けています。
 
そして、先般、フードバンクとやまの新しい拠点となる場所が富山市に見つかりました。ちょうど事務所と倉庫が県内のあちらこちらに点在するデメリットに悩んでいたところでした。いろんな条件を満たすその場所に巡り合えたのは本当にラッキーでした。
「そういえば・・・」川口さんは、フードバンクとやまが婦中町の倉庫に出会えた時のことを懐かしそうに話してくれました。

・・・その日のことは、今でも昨日のことのように覚えています、朝活@富山に参加していた時、その日初めて参加されていたマンテンホテルの大谷さんという方に「マンテンホテルは建てるのにいくらかかるのですか?」いきなりこんな訳の分からない質問をしました。そんな唐突な質問にも、大谷さんはとても真面目に答えてくれました。そして「どうしてそんな質問をするのですか?」とお尋ねになったので、「すんごい金額を聞いておけば、きっとフードバンクとやまの事務所兼倉庫を建てれるような気がしたので・・・・倉庫が無くて困っているんです」とわくわくパワー全開で答えた川口さん。
すると、その話を斜め向かいで聞いていた同じく初参加だった稲荷さんとおっしゃる方が「あ、うちでよければ使ってください」と言ってくださり、ありがたいことに自宅の一室を借りることになったのです。

大谷さんとの会話がきっかけで、婦中に倉庫が見つかったこと、それは本当に引き寄せとしか思えない出来事でした。
「そして今回も、とてもいい事務所兼倉庫が見つりました。新しいその場所は車でほんの10分足らずの場所に葬儀場があります。・・・約半年前に不慮の事故で亡くなった大谷さんの葬儀があった場所です。私が大谷さんに宣言した『事務所兼倉庫を建てたいんです!』という言葉にストイックに挑戦しているか、ずっと見守られている気がするんです・・・」と川口さん。
「不安もあるけれど、ラッキーなことが次から次へと起こる。なんだか見守られているようにしか思えない。ありがたいです、現場や裏方を支えてくれる仲間と、今も心の中で生き続けて励ましてくださる方々、本当に多くの方に支えられていると感じます、しあわせです。」
きっとこの想いが、川口さんが睡眠時間をギリギリまで削ってでも、フードバンク活動に心血を注がれている源になっているのだろう、と胸が熱くなりました。

このフードバンク活動が私の代で終わっちゃうのは「もったいない!」ワクワクドキドキを引き継いでくれるフードバンクとやまの後継者を育てていくこと、そして自分自身も仲間と共に成長すること、それが川口さんの今の夢です。
川口さんからは、実はシングルマザーがなぜ、元気か、というマル秘情報も入手しました。でも、そのお話はまたみなさんにお会いした時に・・・
歳も近い川口さん、これからも一緒にがんばっていきましょう。たまには、女同士のマル秘トークで盛り上がるのもいいかもねるんるん

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今年3月に開催されたフードバンクとやま活動研修会
川口さんと素敵な仲間たち
今日の人38.川口明美さん パート.1 [2012年05月20日(Sun)]
 今日の人はフードバンクとやま代表の川口明美さんです。フードバンク活動とは、まだ食べられる食品や農作物がさまざまな理由で捨てられるのを無償で引き取り、無償で福祉施設や福祉団体に届けることにより有効に活用してもらう活動です。福祉団体だけではなく、県内の避難被災者に食料品を提供したり、また東北まで物資を送ったりと、さまざまに活動していらっしゃいます。
 
 川口さんは、射水市(旧大門町)生まれ。小学校は1クラスだけの学校だったので、幼稚園から小学校まではずっと同じクラスメートと過ごしました。おてんばだったのか、気がつけば男の子と遊んでいることが多かったとか。特に4つ下の弟さんは、何かと潤滑油的な役割を果たしてくれて、いつも川口さんを応援してくれました。なぜか年下の男の子と気が合うと川口さん。確かに今も川口さんの周りには若いイケメン集団が!「しっかりしているんだけど、突っ走りそうで、放っておけないタイプ」との噂も耳にしました。

 中学校に入ると、いきなり9クラスのマンモス校になり、たった1年でクラス替えだと知りショックで泣いていたそうです。「せっかく仲良くなれたころにお別れというのがつらかった」という、とっても可愛い中学生の川口さんだったのでした。部活は卓球部で副主将も務めましたが、夏のランニングの時はこっそり水泳部に遊びに行き、水泳部と一緒にプールで泳ぎ、ランニングの終わるころに卓球部に戻るというおちゃめな一面も。マンガやアニメや芸能人には興味がなく、唯一好きだったアニメはガンダム、映画はスターウォーズ。私は絶対ハン・ソロ派なんですが、川口さんはルーク派だったそうです。

 高校に入っても卓球を続け、充実した高校生活を送っていた2年生の秋、いつものように自転車をこいでいた川口さんの背後から、飲酒運転の車が突っ込んできました。その後のことは覚えていません。

 ピッ、ピッ、ピッと鳴る心電計の音と、看護婦さんの声で意識が戻ってきました。
「ひどいね」「交通事故やと・・・・・」
『いったい、誰のことを言っているの・・・?』
それが自分のことだと気が付いたのは、直後のことだったのか、相当時間がたってからのことだったのか、はっきりしません。
自転車も車も大破するような大事故でした。

 川口さんは脳挫傷で、大きな病院に移され、手術もその後何度かしなければなりませんでした。それなのに、加害者は毎日ニヤニヤ笑いながら、病院にやってきて、事故の様子をつぶさに語っていきます。もう、この状況に耐えられない。一刻も早く病院を出たい、そう思った川口さんは、早々に退院し、加害者は驚くほど軽い罪で済んだのでした。

こんな事故を起こしておいて、まだ平気で運転しているなんておかしい・・・その当時の飲酒運転の罪の軽さにショックを受け、そして、事故後のPTSDに苦しむ日々。

・・・あの後、卓球の大会に出るはずだったのに。勉強もやる気になってきて、進学のことも真剣に考え始めて、一日が48時間あったらいいな、と思うくらい充実していたのに、事故のあと、なんにもやる気が出なくなってしまった・・・。

 でも、周りにつらいと言えなかった川口さん。事故の後遺症で左手が痺れ、50分間ずっと教室で座って授業を受けていられなくて、保健室に駆け込んでいました。それでも、その保健室で過ごす時間に保健便りを書くなどして、少しずつ少しずつ川口さんらしさを取り戻していきました。ほとんどの友達の前では強がっていましたが、その時、唯一弱音を吐ける男友達がいました。何時間も電話で話したり、一緒に伏木のケンカ山のお祭りに行ったり・・・。その人がいてくれたおかげで、きっととても救われたのでしょう。
 
 事故ですっかり人間不信に陥っていた川口さんは、大人を相手にする仕事はしたくない、子ども相手の仕事をしよう、と短大で幼児教育を専攻します。そして、卒業後は保育園に就職しましたが、保育園では当然ながら、保護者とのかかわりがとても大切になってきます。それがとても重荷になり、1年弱で保育園の仕事はやめ結婚しました。

パート.2に続きます!

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着物がお似合いの川口さん