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今日の人35.永吉隼人さん [2012年03月28日(Wed)]
 今日の人は、富山の朝を盛り上げる人と言えばこの方、朝活ネットワーク富山の主宰者、永吉隼人さんです。
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 端整なお顔立ちと柔らかい物腰にファンも多く、すっかり富山の朝の顔となった永吉さんですが、実は富山のご出身ではありません。
 
 生まれ故郷の鹿児島で3歳までを過ごし、その後は静岡熱海で小学校、中学校、高校時代を過ごします。決して活動的なタイプではなく、むしろおとなしい子ども時代でした。妹がいたからか、アニメもロボットものよりも女の子向けのアニメを一緒に見ていました。典型的に“いい子”だったので、親に反抗した記憶もほとんどありません。真面目で教科書に書いてあることは完璧に覚えるタイプでしたが、応用問題は苦手でした。そして、将来は、パイロットになりたい、とかプロ野球選手になりたい、とかそういった夢はあまりない子ども時代でした。
高校の時はもともとは理系だったのですが、理系の就職先は自分がやりたいこととは違うような気がしたので、理系から文系に鞍替えします。でも、やはり得意なのは数学だったので、文系でも受験科目に数学があって、かつ静岡から近いところ、という条件に合ったのが富山大学経済学部だったのでした。え?富山と静岡って遠いでしょ?ってみなさん思われますよね。そうなんです。でも高校生の永吉さんは地図の直線上の距離だけ見て、なんだ、静岡と富山近いじゃん、って思ってしまったのでした。そして、いざ受験で富山に来たときになんだ、この遠さは!と愕然としましたが、後の祭り。
 大学に入ってからは少林寺拳法部に籍を置きます。他にもアルバイトにも精を出して、ミスドと秋吉の二か所でバイトに明け暮れる日々。ミスドにいたっては、社員のシフトに組み込まれるほどの働きぶりでした。永吉さんが大学4年のときになると、新人に教えるまでになっていました。そこに夏休みと冬休みの長期の休みで帰省した時だけバイトしに来ていた東京の女子大に通う女の子が来ました。その子の教育係も永吉さんでした。永吉さんが卒業する3月、バイト先で送別会が開かれました。永吉さんは静岡の焼津市に就職が決まっていましたが、その女の子は「写真を送りたいから住所を教えてほしい」と言いました。永吉さんは教えてあげました。そして彼女は自分自身も静岡まで遊びに来たのです。それはもちろん、永吉さんに会うためでした。こうして彼女との遠距離恋愛が始まります。1年目は東京と静岡、彼女が大学を卒業して富山に戻った2年目は富山と静岡を行ったり来たり。そうして、永吉さんは彼女のご両親に挨拶に行き、3年目は静岡で二人一緒に暮らし始めました。もうお分かりですね。そう、彼女は今、永吉さんの奥様です。
 
 奥様との暮らしのことも考え、永吉さんは富山の会社に転職することを決めます。転職して最初の頃は覚えることも多いし、フレッシュだし、とても楽しかった。でも、会社に慣れてきたころ、どうにも引っかかることが出てきました。みんなと飲みに行っても、一軒目は居酒屋でみんな愚痴を言い合い、二軒目はスナックで、どうでもいい会話をし、三軒目はラーメンでしめるというパターン。そこに何のワクワクも感じなかった。会話の中にマイナスの話があまりにも多い。自分はこんなことでいいのか?お酒なしに会話ができてプラスのコミュニケーションができるところはないのだろうか?でも、富山には普通のサラリーマン向けの異業種交流会もない。
もやもやしている時に新聞で「めざせ!早朝の達人」という見出しで早朝勉強会のことが書かれているのを見つけました。ああ、これいいなぁ、でも富山は地方だから、こんな早朝勉強会なんてないのか…この時の永吉さんはまさか自分が富山で朝活を主宰することになろうとは夢にも思っていなかったのでした。

 その記事のことも忘れそうになっていたころ、知り合ったのが久保大憲さん平木柳太郎さんでした。久保さんとは富山市青年元気塾つながりで懇意になり、平木さんから誘われた普通のサラリーマンでも気軽に参加できる異業種交流会に参加して、こんなにおもしろい世界があるんだなと実感。そこで永吉さんの中の何かにスイッチが入ってしまったのかもしれません。
 それまで、ミクシィのアカウントは持っていたけど、全く使っていない状態だったのですが、片っ端から異業種交流会のコミュニティに参加し始めます。そんな中、「金沢で朝活やります」という投稿を見つけます。朝活…?以前読んだ早朝勉強会の記事が鮮やかに蘇ってきた瞬間でした。
 
 金沢の朝活に駆けつけた永吉さん。どんな人が主催しているのかと思ったら、まだ26歳の方でした。「朝活、富山にないんですよ」と言ったら、「ミクシィでイベントたててやったらどうですか?」と言われます。そうだ、やる人がいないんだったら、僕がやればいいんだ!
 
 こうしてミクシィで呼びかけたところ、1回目に9人の人が集まり、フリートークで朝活が始まりました。開催日時は毎週水曜の7時〜8時と決めて、フリートークが5回続き、6回目からはテーマを決めてやるようにしました。
 そのうち参加してみたいけど、平日だと参加できないという声が出始め、日曜にも開催することになりました。
 最初は永吉さんが仕事に役立つようなテーマを選んでそれについて話すという形式をとっていましたが、それだけだとマンネリになる部分もあり、進行を参加者にお願いするようにしました。すると、活動がとても活性化するようになりました。そして、参加者から「朝活に出会って毎日の生活が変わった」という声がいくつも聞かれるようになり、この活動をやりはじめて本当によかったと実感する場面がたくさん出始めるようになりました。今では、参加者から「ここにこんなおもしろい人がいるよ」と講師をしてくれる人を紹介されることも増え、新しい参加者もどんどん増えています。
 
永吉さんのコンセプトは朝活は普通のOLや会社員が参加できる場でありたいということ。一部の経営者しか集まれないような場ではなく、誰でも気軽に集える場であり続けたいということです。
中には「3カ月くらいブログを読んでいて来ました!」という方もいます。参加しはじめの頃は自己紹介すら苦手そうにしていた人が、朝活へ何度か参加するうちに堂々とプレゼンできるようになる場面もいくつも見られるようになり、そういう場面に出会う度に、永吉さんは大きな喜びと感動に包まれるのです。
 
 今、朝活ネットワーク富山は毎週水曜の朝6:45〜8:00と日曜(月2回)8:00〜10:00に開催されています。場所は富山市内のカフェやセミナールーム等。
 興味のある方はぜひ朝活ネットワーク富山のブログをのぞいてみてくださいね。
 
 永吉さんには自分の中でルールがあります。まず、大事なのは家族。だから、ウイークデーは週3回は家族と過ごす日、週末も土日のうちどちらかは家族と一緒の日、という風に決めています。これだけたくさんの人を朝活に引き込みつつ、家族との時間をきっちり大事にする永吉さんだからこそ、ご家族は一番の応援団でいてくれるのでしょうね。
 
 永吉さんはとにかくずっと朝活を継続していこうと強く決意しています。そして、来たる5月26日には朝活200回記念として、白駒妃登美さんと美崎栄一郎さんの講演会も予定しています。これからも朝活ネットワーク富山から、どんどん富山が元気になっていくにちがいありません。いつまでもさわやかに富山の朝を盛り上げ続けてくださいね。
今日の人34.石川真一さん [2012年03月14日(Wed)]
今日の人は一昨年11月にNPO法人ロシナンテを起ち上げ、昨年1月中旬に氷見市内の民家を借りて、障害者の自立訓練の支援事業を始めた石川真一さんです。
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石川さんは小学生の頃から野球漬けの野球少年でした。勉強そっちのけで野球に明け暮れる日々。家庭科でエプロンを作るという課題が出た時は、型紙に沿って切った生地をセロテープでくっつけて出す、という悪ガキぶりを発揮していました。しかし、その時の先生は、怒りもせずに石川さんたちがセロテープでくっつけた生地をそっと縫っておいてくれたのです。
「先生は何も言わずに自分たちのためにエプロンを縫ってくれた。」それに感激した石川さんは将来は学校の先生になろう!と考えました。しかし、勉強せずに野球に明け暮れる日々は相変わらずでした。

中学、高校もその調子で、授業中は寝てばかりいたので、先生もあきれて石川さんを当てずに飛ばしてしまうこともしょっちゅう。その頃になると、子どもの頃に先生になろうと考えていたことなど忘れて、高校を卒業すれば働けばいいやくらいに思っていました。青春時代真っ盛り、人間がきらいで尾崎豊やブルーハーツばかり聞いていました。そんな石川さんを見かねて野球部の監督は「お前のようにゆがんだ奴は福祉の世界に行って人間について学んでみたらどうだ?」と言ってくれました。
…素直にそう思ったわけではありません。ただ、高校を卒業してすぐに働くより、4年間遊んでからの方がいいかな、と思ったので大学に入りました。でも、なんだかんだ言いつつ、福祉大学に入ったのですから、監督の想いはしっかり石川さんの心に届いていたのでしょう。
 大学に入ってからも、それまで同様野球部に入ろうかと思いましたが、大学野球は強い選手がたくさんいることもあって、その道はあっさりあきらめました。代わりに入ったのはボランティアサークルです。高齢者、障がい者、養護施設の子ども、それぞれへのボランティアをしましたが、石川さんがいちばん心に残ったのは、養護施設の子ども達へのボランティアでした。
養護施設の子どもが親になると、またその子が養護施設に入る、そんなチェーンをどうやったらとめられるのだろう、そんなことも考え始めるようになりました。大学の勉強自体はあまりせず、バイトに明け暮れ、それ以外はパチンコやスロットばかりして過ごしていましたが、その子ども達へのボランティアだけは4年間続けました。
 
そうして、4年間を過ごし、就職するにあたって富山に帰ってくることにしました。たまたまその時、知的障がい者の入所通所施設いみず苑が開設される時で、採用試験を受けたら受かってしまったのでした。
 
働き始めて思ったことは、「障がい者はなんで俺の言うことをちゃんと聞いてくれないんだ!」ということでした。実は大学のボランティアサークルで障がい者施設へ継続してボランティアに行かなかったのも、そういう思いが強かったからなのです。   
でも、大学のときの石川さんから変化したのは、それで嫌だと思うのではなく、むしろその想いを原動力にしたということでした。あれだけ勉強が嫌いだったのに、休日を月の真ん中に集めて、強度行動障害の勉強会にも積極的に参加し始めました。そして、自分でも驚くほど、真剣に勉強するようになっていました。
 
ある時、施設の利用者のお父さんから言われます。「石川さん、うちの子にいったいどんな方法を使ったんですか?」その子はずっと指をかむ癖があって、指に噛みだこがついていました。石川さんが、その指の噛みだこを消してしまったので、びっくりしたお父さんがそういったのです。
石川さんは、その人が問題行動を起こしそうなときに一緒に何かすることで、問題行動が減るということを発見します。無理やりやめさせようとするのではなく、指を噛みそうなときに一緒に楽しいことをやる。そうすることによって、いつの間にか 噛みだこが消えていたのでした。

こうして一歩ずつ前に進むことに喜びを感じるようになっていった石川さん。そんな中、全国の取り組みにばかり目を向けていたけれど、実は富山にも全国と同じような、いや全国に先駆けた取り組みをしている人もいるということを知りました。こんな身近にこんな素晴らしい人たちがいるのを知らなかったなんて、自分たちは横のつながりが乏しいのではないか。そして、なにより障害者の特性に応じた選択肢が少ない富山の現状をなんとかしたい。それに、福祉に志を持った次の世代が育ってほしい。そういう想いを抱いた仲間が集まって作ったのが、「元気出そうぜ!富山福祉ネットワーク」でした。
愛知県半田市のNPOふわりの戸枝陽基理事長、名古屋市のNPO起業支援ネットの鈴木直也副代表理事を講師として、2010年5月からキャリアアップ研修会も毎月開催しています。今はこのネットワークの仲間は石川さんにとってなくてはならない存在です。そして、富山の福祉に新しい風を入れるべく、この福祉ネットワークの中から起業していく若者も現れ始めました。石川さん自身も起業した一人です。

施設の利用者は今までは地域の中というよりは、地域の外の施設の中に隔離されて過ごしていることが多かった。でも、このままではいけない。99人が地域で過ごせなくても、誰か1人が地域で過ごせるようになれば起業する意味がある!そう思ったからです。

石川さんの起ち上げたロシナンテは障がいを持っている人が常に支えられる立場にいるのではなく、障がい者も地域の人を支える立場にもなる、そんなWin Winの関係を目指しています。
ロシナンテのある氷見は高齢者の多い地域です。買い物や通院をしたくても、車がなくてできないお年寄りも多い。いちいちタクシーを使っていたのでは、交通費がバカになりません。一方ロシナンテの利用者さんの中にはドライブが大好き、人と話すのが大好きという人がいます。両者をマッチングさせれば、お年寄りは足ができる、ロシナンテの利用者さんは、自分の得意なことで役に立てる。
他にも地区社協の一員として、安心生活創造事業にも携わっています。氷見のまちなかサロンは金曜はボランティアが少ない。そこで、その日に、ロシナンテの利用者とスタッフが一緒にお店番をするのです。その利用者さんはおしゃべりが大好きで、お客さんが帰るときに「おばちゃん、また来てね!」とニコニコしながら声をかけています。そうすると、地域の人たちの見方が変わってきます。障がい者施設の利用者という見方ではなく、ロシナンテの○○ちゃん、ときちんと名前で呼ばれるようになる。そう、地域の人に名前で呼ばれる関係になること、これも石川さんが目指していることです。
また利用者さんの中にとてもうるさい子がいました。すると地域の人から、「防犯の服を着て歩けばいいんじゃない?」と言われます。その子が防犯の服を着て町中を歩けば、防犯の啓発効果が抜群!
こうして、障がい者が地域の中に自然に溶け込んでいって、その地域の文化になじんでいけば、Win Winの関係になることは決して夢物語ではない!石川さんはそう信じています。

こんな熱い想いを持った石川さん、3〜4年後にはお店を出したいという夢も持っています。コンセプトは「はじめてのおつかい」
障がい者はそれぞれの得意分野が活かせることで活躍できて、お店にはいっつも近所のおじいちゃんやおばあちゃんが集まっている。そして、子どもたちもおつかいをしにお店にやってくる。お店で買いものするじゃなくて、子どもたち、お年寄り、障がい者が一緒に笑顔になれる、そんな街の憩いのお店。
石川さんならきっとできる!そして、障がい者が地域の外ではなく、地域の中に溶け込んで活躍できる、そんなダイバーシティな世の中を、もちろん私たちダイバーシティとやまも一緒に作っていきたいと思っています。
早くロシナンテのお店に行って買いものがしたいですね(^_-)-☆氷見だけじゃなくて、富山にも高岡にも射水にも県内各地にそんなお店ができる日もきっとそう遠くない日に来るでしょう。特別じゃない、当たり前に障がい者も、外国人も地域の中で暮らしている街。障がい者も、外国人もお年寄りも、ちゃんと力を出せる街。それが、今の日本が元気になれる街づくりの形だと、私も信じています。


次項有お知らせ!!
3月17日(土)石川さんが代表を務める「元気出そうぜ!富山福祉ネットワーク」主催の福祉フォーラムin TOYAMAが開催されます!むそうの戸枝さんを始め、福祉の分野で全国で活躍していらっしゃる方が富山に集結!めったにない機会をぜひお見逃しなく!

今日の人33.坂本茂樹さん パート.2 [2012年03月04日(Sun)]
(パート.1から続きます)

 このようにしてしげっちゃんは、何か子どもたちのためになることを猛烈にしたくてうずうずするのですが、奥さんは安定したサラリーマンを望み、脱サラには反対。
仲良かった夫婦は喧嘩をするようになります。

それでも彼はあきらめませんでした。
「そうだ、おにぎり屋がいい!」
彼の夢はどんどん膨らんでいったのです。
彼の憧れている料理で、出来そうだったのがおにぎりでした。
料理は義母が作っていたのですが、義父が唯一作ってくれたのが塩おにぎり。でもそのおにぎりは本当にうまかった。
心が荒れている子どもたちに心のこもったおにぎりを食べさせたい。どうしてもおにぎり屋をやりたい。しかし、そのことで奥さんとの間に決定的に溝ができました。
色々努力をしましたが溝は埋まらず奥さんとは離婚。でも、おにぎり屋をやりたいとの強い思いは変わりませんでした。

「ミルキークイーンの水加減は難しい。それならばコシヒカリとブレンドすればいいのではないか?
美味しい米と美味しい米をブレンドすれば、さらに美味しい米が生まれるのでは?」
それを思いつき、独学で配合比率を勉強します。

購入先も探していました。
ネット運営していた「金沢の美味しいものマップ」の常連さんから和多農産(わだのうさん)を紹介していただき、アポなしで訪問。
「私はおにぎり屋をやる予定の者です。それも、コシヒカリとミルキークイーンのブレンド米で」
と話を切り出し、配合比率を伝えると、なんと和多さんが考えている比率と全く同じだったのです!
まさにその通りだ、自分たちの意見と同じだ、と意気投合。しげっちゃんがこのブレンド米を使っておにぎり屋を始めることを許可してくれました。
(その数年後、和多農産は「第35回 日本農業賞 大賞」や「第45回 農林水産祭 天皇杯」を受賞し、個人では「黄綬褒章」を受章します)

 美味しいおにぎり屋を求めて全国を旅もしました。
美味しいと評判を聞くと、北海道から沖縄まで行きました。でも、なかなか納得できるおにぎりに出会えません。
そんなとき、別れた奥さんから連絡が来たのです。
「東京で凄く美味しいおにぎり屋を見つけた」
その店「ぼんご」でおにぎりを一口食べた瞬間、「こんな凄いおにぎりを初めて食べた。負けた」と感じ、彼はご主人を「お師匠」と呼ぶようになったのです。
別れた奥さんのまさかの協力もあり、色んな御縁が重なり合って、おにぎり屋「ちょいむす」が誕生しました。
天候や湿度によって水加減を一合単位で変えたり、お客さんの汗の量やテイクアウトでの食べる時間によって塩加減を変えたりして、
「心のこもった美味しい食べ物」を意識しました。
こんなうまいおにぎりを食べたのは初めてだ!という声も聞かれるようになりました。
今でも「幻のおにぎり」と検索すると、彼のおにぎりについて語ってくれているブログが見つかるのです。

しかし、資金繰りに苦しみ、開業して1年半で店を閉めることになります。
諦めたわけではありません。
2年後にショッピングセンターができるから、そこにお店を出してとの話がきていたので、赤字が膨らんでいる店を一旦閉め、そちらに店を移そうと思っていたのです。
しかし、店を閉めた直後、ショッピングセンター候補地だった市が、市町村合併により別の市と一緒になり、ショッピングセンター建設の案は立ち消えになってしまいます。
涙をのむ思いではありましたが、おにぎり屋の再開を断念し、再びコンピューター関連の会社で働き始めました。

 その会社で働き始めてびっくりしたしげっちゃん。うつ病の社員があまりにも多い!うつ病とまでいかなくても、予備軍と言える人はたくさんいました。これはなんとかしなければ!だけど自分だって自分のことが好きではないのです。
悩んでいたしげっちゃんは心理学を学び、てんつくマン中村文昭さんの話に心を打たれていきます。
そんな時に出会ったのが、福井の小学校の先生、岩堀美雪さんによるパーソナルポートフォリオでした。パーソナルポートフォリオ略してパソリオに参加することで、「自分大好き人間」に変わっていくことを実感し、ボランティアで友達に教室を行ったり会社の内定者に対してやり始めます。
パソリオは、受講した人には大好評だったものの、経営陣からは「あいつはおかしなことをやっている」とボコボコにされます。
経営陣は、うつ病になった人を立ち直らせることを考えてはおらず、うつ病で休職したらやめさせればいい、そう考えていました。
上司や本社の人とやりあっても、味方は若い人のみ。
リーマンショックも重なり、ますます社員は使い捨て状態となり、彼自身も係長から主任、さらには平社員にまで降格されます。
このことがきっかけとなり、このままこの会社にとどまるより、たとえ収入が減ってもパソリオを広める道を選ぼう。しげっちゃんは決断します。

しかし、何よりその決断をさせてくれたのは息子さんでした。一人息子はしげっちゃんが離婚した直後の小学5年生の夏休みから5年間に及ぶ間、ずっと引きこもりを続けていました。
自分のことが大っ嫌いな頃のしげっちゃんは、怒鳴ってばかりいました。
「さびしいのは分かる。だけど、親としてここまでしてやっているのに、学校に行かないなんて、息子のほうが悪い!」
そう思っていたのです。

でもパソリオを始めて、自分のことが大好きになったことで、息子に対して文句を言うことなど何ひとつないのだとの思いになります。
「一番辛いのは息子なんだ」と気付いたからです。

すると、今までどんなに恫喝しても部屋から出てこなかった息子が引きこもりをやめ、しげっちゃんに心のうちを話し始めるようになりました。
「ああ、子どもに言ってわからせることなど何一つないのだ。ただ、行動を見せるだけでよいのだ。」

 このことが脱サラしてほんわか寺子屋を開く一番大きな原動力になりました。目の前で悩んでいた人が、パソリオによってどんどん自分が好きになって笑顔に変わっていく様子を見られることが、今のしげっちゃんにとって何よりの喜びです。

 今の子どもたちは、無気力無感動だと言われるが、それはちがう。子どもたちの周りに熱い大人がいないからなのだ。子どもたちのために大人を輝かせたい、そのために自分はほんわか寺子屋をやり続けるのだ、としげっちゃん。

 大人だって子どもと同じように心の中に無邪気なものを持っている。それを心の奥底の箱に入れて、ふたを閉めたことさえ忘れている人もいる。ふたを開けようとすることに抵抗する人も少なくない。でも、そんな人たちに言いたい。子どもたちが大人になった時に輝けるのは、目の前にいるあなたが輝いているからなんだよ。あなたが心からの笑顔で笑ってくれないと、子どもたちも本当の笑顔にはなれないんだよ。

 子どもの笑顔が何よりも好きなしげっちゃん。これからも、ほんわか寺子屋でたくさんの笑顔を生み出していってくださいね。
 そしていつか、しげっちゃんのにぎった幻のおにぎりが食べられる日が来ることを、心から願っています。

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パソリオはこんな感じで作ります♪

今日の人33.坂本茂樹さん パート.1 [2012年03月01日(Thu)]
今日の人は、しげっちゃんこと坂本茂樹さんです。
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しげっちゃんは金沢でほんわか寺子屋を主宰されています。

 「ほんわか寺子屋って何?」という方。
自分のことが大嫌いな人でも、自分のことが大好きになれる!ところなのですが、ひと言ではとても言い表せないので、しげっちゃんのホームページをぜひご覧ください。

 しげっちゃんは昭和38年、高度経済成長期のど真ん中に生まれました。
実父は小学生の時から働いていた苦労人で、実母は18歳の時に嫁いできてやはり大変な苦労をしました。
母の仕事も忙しかったため、しげっちゃんは実母の実家に預けられて育ちます。それが坂本家でした。
坂本家の兄夫婦には子どもがなく、「ぜひ養子に欲しい」と言われます。
両親にとって初めての子供であるので、2年間断り続けていたのですが、しげっちゃんが4歳のとき、自らが「ぼく、坂本家に行きたい」と言ったため、養子縁組が決まりました。
実父はかなりショックを受けたそうです。

 こうして5歳の時に、坂本家に養子に入ったしげっちゃん。
近所の子どもたちから「坂本んちのもらわれっ子」と言われることになり、
幼心に「生みの親にも育ての親にもとにかく迷惑をかけてはいけない」と思い、
ずっといい子を演じ続けます。

そんな糸がプツッと切れたのが高校生の時でした。
いい子を演じるのが嫌になったうえに父親との確執も出来、家族の関係は最悪。
外に出たくてたまらなかったので、大学は地元ではなく富山県を選びます。
念願の一人暮らしを始めたものの、心は荒れたままでした。

3回生になった頃パチンコにはまり、大学にも行かなくなりました。自分のことをますます嫌いになったそうです。でも、自分ではどうしようもありませんでした。
その後好きな人が現れ、今度は恋に夢中になります。その人が奥さんになるわけですが、彼女は大学だけはどうしても卒業してくれ、と言い、リミットぎりぎりの8年で卒業しました。4年も留年したものの、時はまだバブルのまっただ中。就職口はちゃんとありました。大手のIT企業に入社し、結婚。しかし、激務で体を壊し、相変わらず自分のことは嫌いなままでした。

 ある時、石川県の農業システムについて担当し、担当者からミルキークィーンというお米を紹介されます。
「この米はとってもうまい。でも水加減が難しいんです。
市場が求めるのは、美味しい米より、扱いやすい米なので、この米は古米をおいしくする添加米として使っています。」
と言われビックリします。

 …それは、なにかおかしい。本当に美味しい米が美味しいまま売れないなんて!
そんな世の中の不条理を感じ始めたしげっちゃん。

そんな時代に起こったのが酒鬼薔薇(さかきばら)事件でした。
その後高速バスジャック事件も起こり、少年による凶悪犯罪が続発。
だけどまだその頃は「嫌な世の中になったなぁ」と他人事のように思ってました。

当時の夢は「お父さん、お母さんが心やわらげる木のおもちゃ屋さん」だったそうです。
それを近所の小学生に話したところ、
「僕も遊んでみたい」と言われたのです。
「大人向けにしようと思っていたんだよ。 子供たちはゲームがあるからね」と言うと、
「俺たちはゲームしか知らないんだよ。 他に遊ぶ選択肢が無いからやっているんだ。
だけど、木のおもちゃで遊ぶことが出来るのならやってみたい」
と言われ、はっとしたのです。
「凶悪な犯罪を犯す少年たちは、大人が生み出したモンスターなのではないか?」
そんなことを漠然と考えたのです。

「子供たちが元々凶悪だったわけではない。 凶悪にならざるを得ない環境だったのではないか? ほかに選択肢が無かったのでは?」
彼はその原因の一つが「食べ物」と考えます。
しげっちゃん自身、反発し、ぐれかかったことはあったけど、とことん落ちなかったのは心のこもったものを食べてきたからに違いない。

人を傷つけたり殺すような悪いことをする人って、お店で美味しいものを食べることがあっても、母親の愛情のこもった美味しい料理を食べていないのではないか?

ここから
「心のこもった美味しい食べる子供に、悪いことをする子はいない」
という信念を持ちました。

(パート.2に続きます猫