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今日の人24.谷川博之さん [2011年12月27日(Tue)]
 今日の人は、自分はスーパーサブに徹したい、といつも本気で誰かをサポートしている谷川博之さんです。ドリームプランプレゼンテーション富山の支援会にも皆出席!どんなに夜遅くなっても朝は必ず5時代には起きる、自分を決して甘やかさない人です。
 谷川さんは「らんらんるー」というコミュニティを立ち上げていて、今130人位のメンバーがいます。そこでは毎週金曜日の夜に集まっていろいろな活動をしています。「らんらんるー」のルールは人の悪口やマイナスのことを言わないこと。そして後から来た人が主役になれるような会話作りを心がけています。何か集まりがある時、後から入ってきた人はよく話題についていけなくてさびしい思いをすることがありますが、そういうことがないように後から来た人が楽しめる場作りを考えていらっしゃるのですね。谷川さんの周りにいつも人が集まってくるのは、常に相手のことを真剣に考えて動いているので、そんな姿に魅かれるのだと思います。若いメンバーの悩み相談や恋愛相談に乗ることもしょっちゅう。若い女の子からの信頼も厚く、谷川さんの周りはいつもかわいい女の子がたくさんいます!そこのあなた、うらやましいと思ったでしょう?でも、谷川さんのいいところは、まったく下心なく、男も女もなく付き合うところ。だからこそ、女の子たちも心から谷川さんに信頼を寄せています。
 それに、なんといっても谷川さんは家族思い。家は宇奈月町なのですが、どんなに遅くなって次の日の朝早くに富山に出勤しなくてはいけないとしても、必ずお家に戻られる、とっても素敵なパパであり、旦那様なのです。
 谷川さんはコミュニティの仲間はファミリーだと思っています。元気をもらったり、一週間の疲れをお互い癒せるそんな大切な仲間なのです。
 そして谷川さんは、「らんらんるー」を率いている以外に、富山の朝活夜活でも大活躍!
どうしてそんなに元気なんですか?とお聞きすると、とにかく何にでも興味があるし頑張っている人を応援していたらこっちも元気になるから、と即答。そして、地域でがんばっている人たちを応援して、地元を盛り上げていきたい、前向きな人たちを巻き込んでネットワークを作っていきたい、と誰よりも前向きにお答えになるのでした。
 地元が大好き、家族が大好き、自分のコミュニティが大好き、全部楽しいので、人生楽しくてたまらないと谷川さん。
 でも、最初からこんなポジティブだったわけではありません。昔はとっても小心者で、自分さえよければいい、というような人間だったといいます。けれど、いくつかの仕事をやっていく中で、人に頼りにされることの喜びを知り、お互いにプラスの相乗効果で輝いていける人間になりたいと思うようになっていったのです。
 そんな谷川さん、2012年にいちばんやりたいことは、ドリームプレゼンテーション富山でまた夢を追いかける人を応援することだそうです。夢を追いかけている人を応援している人のかっこよさ、それはやってみないとわからない。みなさんも夢を追いかけている人を全力で応援することのかっこよさを味わってみませんか?もしくは、自分の夢を追いかけて、谷川さんに全力で応援してもらいませんか?
今日の人23.本川祐治郎さん [2011年12月23日(Fri)]
 今日の人は株式会社Plan.Com代表取締役・経営士・ファシリテーター・協働コーディネーターとして幅広くご活躍の本川祐治郎さんです。(写真はご存じ「怪物くん」のコスチューム。なぜ怪物くんかは、下までお読みいただくとわかります!)

 本川さんと初めて出会ったのは今から18年前になるでしょうか。当時は一緒に高岡市の青年議会の議員をやったり、TIE(とやま国際理解教育研究会)で開発教育やファシリテーションについて学んだりしていましたが、その時からとてもポジティブでアクティブ、越中万葉夢幻譚で主役の大伴家持役をやったりと、話題には事欠かない方でした。
 そんな本川さん、生まれは高岡で、多様な人々が行きかう坂下町商店街で育ちました。その頃の商店街というと、まだ活気があり、夜の9時位にならないと晩御飯を食べさせてもらえませんでしたから、商店街の子どもたちは夜の8時〜9時まで一緒に遊んでいるのが常でした。ペダルをこいで自転車のライトを灯りにして夜遅くまで野球をやったり、広場でいろんな遊びを考えてその中でコミュニケーション能力の基礎を磨いていったのでした。
 小学校では児童会長、中学・高校では生徒会長でした。きっとリーダーとしての資質が小さいころからあり、それをずっと磨いていった少年時代だったのでしょう。
 高校時代はラグビー部・応援部でも活躍、やがて、“在野精神と人種のるつぼ”早稲田大学に入学しました。入学してすぐに開催された一週間連続講演会。早稲田出身で活躍中の先輩による講演なのですが、田中角栄の秘書を務めた早坂茂三さん、社会派アナウンサー久米宏さん、自然派作家として活躍した立松和平さんなど、一週間、ものすごく濃い内容の講演漬けになるわけです。それに全部出た本川さん、今でもその話の内容はしっかり頭の中に入っています。
 東京は多様性のすごみを感じられる場所。多様なものの中から自分のやりたいことをチョイスすることができる。民主主義とはとりもなおさず違いを認め、多様な選択肢があるということ。。。そうして、様々なことを貪欲に吸収していった大学時代でした。
 その後、公認会計士の勉強を経て、永田町にて衆議院議員秘書として活躍するわけですが、その時に議員の代理出席で会合に参加する中で、日本の中枢の委員会が機能していないことに愕然とします。出席している人たちは皆、学歴では間違いなくトップの人たち。でも、そういう人たちでも、民主主義を機能足らしめる会議の勉強はしていない。例えばイギリスでは政党の企業努力によって小学生の生徒会長選挙から対面式の議場が設えられ、議論する力が徹底的に養われていくのに対して、この差はなんだ?
 その思いは地元高岡に戻って、商工会議所での中心市街地活性化事務局、伝統的建造物群保存地区活用事業、商店街連盟事務局などを担当した時に確信へと変わります。「日本人は単一民族ゆえ、論理的・合理的な会議の進行が科学されていない。商工会議所には、金融・経営の専門家はいるが、地域づくり会議の専門家がいない。そうだ、会議を科学し、会議の生産性を上げる専門家になろう!。語り合う労力や時間が結果につながるお手伝いに役割を見つけよう。つぶやきが形になり、衆智を集める都市経営を実現しよう!」と。
 そんなとき、青年海外協力隊に行かれた高校恩師の誘いで出会ったのがTIE(とやま国際理解教育研究会)でのワークショップでした。言語・文化的背景・価値観の異なる多様な民族が南北問題の解決のために体感的なコミュニケーションを取り合う手法に目覚め、これをまちづくりに応用できないか?と調べるうちに、世田谷まちづくりセンターの実践や川越の地域づくりに学ぶこととなり、富山県初の本格的なプロファシリテーターになろうと決意したのです。
 昼間は商工会議所で地域づくりの実践、夜は地元の様々なNPO活動に駆け回り、週末は東京や大阪、全国各地での研修や視察に自己投資を繰り返す日々。大好きなファシリテーションの理論と現場実践を繰り返した本川さんは、やがて、NPO研修・情報センター(TRC)の世古一穂さんが切り拓いた協働コーディネートという職能に共感し開眼したと言います。30代の多感な時期、職場で、地域で、様々な機会を捉えては、自らも多様な参加構成や多様なプログラム・プロセス構成に工夫を凝らし、やり方が形骸化してしまっていた地域づくり会議に新風を吹き込みました。そして、一番格式があって伝統を守ってきたような人々に対した時にこそ、笑顔満点本川さんの協働コーディネート・ファシリテーションは力を発揮しました。一見頑固そうに見えたその方々こそ、実に創造的な人たちだったのです。多様な人々の間に立ち、楽しい場づくり、まちづくりが起きる環境づくりを仕掛けていく志事は、そうして徐々に本川さんの生業となっていきました。
 高岡の商店街で育ち、ワークショップを根付かせ、そして結婚してからは氷見の商店街に住むことになった本川さん。今は氷見の中心市街地づくりにもひとりのプレーヤーとして現場を持ち、力を尽くしていらっしゃいます。例えば、昔は商店街は事業に対する活性化にだけ目を向けていればいいという風潮でしたが、今はそうではない。商売は生活総合サービス。商店街の役割も多様な角度から検討を重ね、多様な意見に耳を傾け、住民との関係においたコンセプトの再定義をしていかなければ。例えば、商店街と漁業者との関係はどうするの?商店街と子どもたちの関係は?自治会との区割りは?観光との連動は?
 中心市街地の空洞化が進んでいったのは、単に時代のせいだけではありません。今まで本質的なコミュニケーションにアプローチができてこなかったから。人が育ち、まちが育ち、気持ちが循環しあう総合的な処方箋をまだ編み出しえていないから。現状維持でいいと思った時、成長はストップしてしまう。政治・行政機関・民間企業と3つのセクターを経験してきた本川さんは構造的な地域の問題解決のためにと、ファシリテーター・コーチ・コンサルタントとしての3つのスキルを確立し、商店街から議会に至るまでファシリテーターとして常にワークショップの場を設け、人が育つ喜びのおすそわけをしています。多様な人と触れ、関わりあい、もっと交流していくことで、もっとアクティブな地域になれる。そして今、実際に動き始めたひとびともでてきました。
 今日も本川さんは、真剣にその人の人生を輝かすために動き続けています。生まれた高岡は藤子・F・不二雄先生の出身地、今いる氷見の商店街には藤子不二雄A先生の生家の光禅寺がある。藤子先生の世界観は、<怪物さえ認めてしまう、究極のダイバーシティ!>。これからも「多様性を認め合いながら、可能性を発掘していきたい!多様性を組み合わせてお互いを引き上げ、トキワ荘マインドのごとく“相互支援”の力で地域づくり・未来づくりを成功に導いていきたい」といきいき夢を語るプラス・オーラ全開の本川さんなのでした!!
今日の人22.放生順子さん [2011年12月21日(Wed)]
 今日の人は富山プロボノカフェ(ラテン語で「公共善のために」を意味する言葉pro bono publicoに由来するとされる「プロボノ」。従来のボランティアと違い、本業で培った知識や技能を活用するのが特徴の活動です)でもご活躍の放生順子さんです。

 放生さんのお仕事はメイクアップアーチスト。
 小矢部道の駅で「たいむすい〜と」というイベントも主催なさっています。
 あちこちで大活躍の放生さんですが、以前はアトピーがあってお化粧もできませんでした。気持ちが前向きになれず落ち込むことの多かった時に、お肌に合う化粧品に出会い、お化粧してきれいになれる楽しさを知り、「きれいになるとこんなに心も前向きになるんだ!」と実感!「私のようにお化粧の楽しさも知らずに、うつむいて暮らしている女性を輝かせたい!」との思いでエステの勉強を始めました。そうして美容の仕事に入り、お客さんがきれいになるにつれて表情や生き方までどんどん明るくなっていくのを実感しました。
 高岡の幼稚園「 NPO法人親と教員の会こどものその」でお母さん方にメイクを施した時は、「今日は何も予定がなかったけれど、これからどこか行こうかな」と本当に嬉しそうに話されました。そんなお母さんを見て、子育てで疲れているお母さんもメイクひとつでこんなに元気になれるし、メイクすることで行動が変わるのを感じ、ますますこの仕事が好きになりました。
 星槎国際高等学校富山学習センターでビューティ授業を担当した時も、生徒のダイレクトな反応に驚きました。星槎国際高等学校にはいろんな背景をもった子どもたちが集まってくるのですが、接し方次第で子どもたちの反応が大きくちがってくることを感じ、子どもから学ぶところは大きいなぁと感じています。素直すぎるがゆえに傷つきすい子どもたち、そんな子どもたちに夢をもってほしい。プロボノ活動を通して子どもたちともずっと関わっていきたいと、放生さんは考えています。
そんな放生さんは、富山県内初のボディジュエリーアートもやっていらっしゃいます。実は私も披露宴に出席する時にボディジュエリーアートをやってもらいました。その写真がこれです。ちょっとわかりにくいのですが、胸元にワンポイント入れることで、とっても華やかな気分になってよかったですよキラキラ
詳しく見てみたい方は放生さんのブログ「ビュエリスト JUNKOのブログ」をご覧ください。
 昔は毎日なんとなく過ごしていたけれど、今は毎日が楽しい!とホントに楽しそうに話す放生さん。今後はブライダルの仕事もしていきたいと考えています。せっかくの結婚式なのに、打ち合わせ等で疲弊してしまっている人がたくさんいる現状をみて、心身ともにベストな状態で幸せな結婚式を迎えられるようにプロデュースしていきたいと思っています。
みんなが笑顔になれる、みんなが笑顔になって外でも家でも笑顔で過ごせる、そんな笑顔が循環する社会にしていきたい、それが放生さんの夢です。笑顔は世界を変える!みんなきれいになってみんな笑顔になれば、ホントにハッピーな循環が起きそうですねクローバー


今日の人21.岩田真理子さん [2011年12月19日(Mon)]
 今日の人は、東京在住、ERAN株式会社代表取締役の岩田真理子さんです。

岩田さんは小学校1年生の時からJALのスチュワーデスになろうと決めていたそうです。お友達のお母様にとても素敵な方がいらして、その方がJALのスチュワーデスだったので、こんな素敵な大人になりたい、と思い一途にその思いを貫きました。
そして、狭き門をくぐりぬけて本当にJALのスチュワーデスになったのでした。なりたくてなりたくて仕方なかった仕事です。もう毎日が楽しくて、8年間全く風邪も引かず、無欠勤を通していました。
しかし、8年目のある時、フライト中に首を痛め、しばらく休むことになりました。時間ができると今まで考えなかったいろいろなことが頭に浮かびます。フライトでは、いつも一流企業のトップの人たちが乗ってこられるけど、乗っているおじさまたちの行動言動がとてもトップの人とは思えないことが多すぎる・・・。こういう人たちが日本経済を動かしていて日本は大丈夫なの・・・?いえ、大丈夫じゃない、と思った岩田さん。
あんなに好きでたまらなかった仕事を「このままじゃ日本は危ないのでやめます!」と言って辞めたのです。
その後はたくさんの企業の社長さんたちにコーチングをする仕事もしていましたが、お金や地位の幻想に囚われすぎて、好きなことだけしてなんて生きていけるものか、と思っている人があまりにも多いことに愕然としました。それなら、好きなことだけして生きていける、のサンプルになりたい、と決意したのです。
今の世の中、正しさの仮面をかぶって裏で愚痴を言ったり不平不満を抱いている人が多すぎる。それは身体をいじめていることにもなる、と感じる岩田さん。自分が思っているより、体はよりよく生きようと思っている。そのためにはまず、自律神経を整えて、体を解放してあげることで、心もいきいきとしてくるとおっしゃいます。
 仕事を言い訳にして、家族のことも自分の身体のことも放っておいたら、いずれ病気になってしまいます。自分の命が喜ばないようなことをしない、体の声をちゃんと聴く、そんな実践をしている岩田さん、今は言葉の波動の研究もしていらっしゃいます。言葉には波動がある。いい言葉を使うようにすると、体が喜びます。逆に悪い言葉を使っていると体に不調が現れる。確かに言葉にはそれだけのパワーがあるのでしょうね。
親の言葉がけひとつで子どもの態度が全然ちがってくることを見てもそれはひしひしと感じます。いっつも子ども達にプラスの言葉がけをしてやれているかしら、と反省。
 岩田さんの会社はERANといいます。EN(縁)の中にRA(裸〜素の自分〜)という言葉を入れてありのままでお互いを受け入れあえる社会という願いが込められています。楽しくないという人が減って、命に感謝して生きられる地球になったらいいな、と岩田さん。今、これだけたくさんの人が飢えでなくなっている現実をどうにかしたい。総カロリーでは地球上の全ての人が生存できるカロリー量を満たしているのに。
 人間はみんなハッピーになる遺伝子を持っている。全ての人がそこがオンになれば、きっと笑って楽しく暮らせる地球になると信じているクローバーと岩田さん。
 こちらまで明るい気分にさせてくれる言葉の力を持った方でしたウインク

今日の人20.濱谷拓也さん [2011年12月15日(Thu)]
今日の人は「しゃみせん楽家」を主宰している“しゃみせんを弾くライター”こと
濱谷拓也さんです。

濱谷さんは私の三線(さんしん)の師匠。
 濱谷さんは小学校5年生のときにクラッシックギターに興味を持つようになり、近所でギターを習い始めました。中学に入ると、今度はドラムにはまり、ドラムも習い始めました。ここでリズム感を徹底的に培われたわけです。
 お母様が民謡三味線をやっていらしたこともあり、14歳のときから三味線もやり始めました。楽器を続けながらも高校では演劇部。第三舞台夢の遊眠社の舞台を見て、衝撃を受け、演劇を本格的に勉強したいと早稲田の第一文学部に進学しました。しかし、演劇専攻は倍率が高く、第一希望に漏れた濱谷さんは、フランス文学を専攻。
 大学卒業後は地元に帰り、ローカル局で報道制作に携わりました。濱谷さんが入社した1995年は、1月に阪神・淡路大震災、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた年でした。そんな年の4月に入社した濱谷さんを待っていたのは、そういう事件などの事後取材でした。事件や事故に巻き込まれた人や被災した人を取材することに虚無感を覚え、ローカル局の存在意義って何だろう?と考え始めるようになり、2年後に退社。その後はタウン誌の編集者を務めながら、三味線も本格的に再開し、その後独立してフリーライターに。今はしゃみせん楽家で民謡三味線、津軽三味線、三線を教えながらライターとしてあちこち取材に飛び回り、家事も積極的にこなしていらっしゃいます。
「家事、大変じゃないですか?」とお聞きすると、大変だと思うと大変だけど、家事も子育ても楽しさを見つけて楽しみながらやれば苦ではない、とおっしゃる共働きの夫婦の鏡みたいな濱谷さんなのでした。
 濱谷さんがフリーになった一番大きな理由は三味線を本格的にやりたかったからです。
三味線を弾いたことのない方はご存じないかもしれませんが、三味線という楽器にはギターと違ってフレットがありません。ですから押さえる位置が決まっていないのが三味線なのです。例えば赤といっても紅色、緋色、朱色など、さまざまな赤があるように、ドはドだけじゃない。フレットレスの規格化されていない三味線だからこそ、個性が出せる。これは多様性を重んじる上でとても大事なこと。
そして濱谷さんは言います。「三味線にはもっともっと力を出す場があるんじゃないか。単に日本の伝統文化で終わらせるのはもったいないんじゃないか」と。
確かに、三味線は箏とは違い、すぐに取り出せる楽器です。そして、弾き始めるとその場にいる人を惹きつける力がある。実際先日、沖縄料理の店で忘年会をした時に、濱谷さんが三線を弾きはじめると、そこにいた他のお客さんもみんな手拍子をして、一緒に歌い始めました。三味線ってすぐにみんなとひとつになれる!と思って感激した時間でした。
 また濱谷さんは「おわら風の盆」で有名な越中八尾でおわらの町流しにも参加しています。民謡をずっとやってきたけれど、上っ面しかやっていないような気がして、もっとその町を支えている根幹部分を感じたくて、のれんをくぐったのでした。
そして、やはり長年おわら一本でやってこられた年配の方は本物だ、教本でやるおわらとは別物だ、と感じています。
 最近は中学校に出向いて、三味線のことについて出前講義をしてくる時もあります。
中学生がキラキラした目で講義を受けるのを見ていると、やはり三味線には言葉を越えた力があると確信する濱谷さん。
 濱谷さんはライターの仕事では人を取材するのが何より好きです。グルメの取材をしても、お店紹介の取材をしても、いきつくところはやっぱり人。
 そしてそんな人と人を繋いでいく力を持つ三味線をもっともっと広めていくのが濱谷さんの夢です。
 これからも三味線とペンの力で、たくさんの人を繋いでいってくださいねほえー
今日の人19.今村義秀さん [2011年12月13日(Tue)]
 今日の人は頭脳明晰、いつも本質を突いたことをズバッとしてくださる今村義秀さんです。

今村さんは会計畑の方。高校を卒業してすぐに税理士事務所に入った今村さんは、毎日 新聞5紙と月刊誌40〜50冊を熟読する日々。税理士事務所の所長さんが中卒で苦労を重ねてこられたこともあって、学歴をカバーするには生きた情報を活用しろ、という方針だったので、仕事中に勉強していてもむしろ奨励してくれるような職場の雰囲気だったのも幸いして、どんどん知識を吸収していきました。ちょうど橋本内閣の時で、金融ビックバンがおこり、金沢にもメリルリンチが入ってきた頃でした。若造の今村さんが、社長さんたちと膝をつきあわせて付き合う立場をもらいました。しかも毎日半端ない量の情報を仕入れ、的確にアドバイスをしていた今村さんですから、その頭脳明晰さで社長さんたちに一目置かれる存在になっていきました。みなさん苦労してきた社長さんたちですから、単なる学歴より、本当にできる人を見抜く力がお強いのですね。しかし、今村さんは徐々に頭でっかちになっていく自分に、心のどこかで、焦りを覚えるようになりました。こんなんじゃない!えらそうにやっているけれど、自分は実質的なことはちっともわかっていないんじゃないのか?そう感じている自分がいました。
知識や情報は使い方を誤ると自分自身を殺してしまう。人間、できあがってくると、かたくなになってくる。
 そんなある日、実家でお兄さん夫婦と赤ちゃんが一緒にいるのを見て、「ああ、赤ん坊はいいなぁ、どんな色にも染まっていなくて」と思った時、はっとしました。そうだ、自分も外国にいけば赤ん坊になれるのではないか?何もわからない中に身を置けば、きっと自分が素直になって、傲慢な自分がリセットできる!そう思ったのです。
 自分を洗濯いたしたく候、と決意した今村さん、カナダのエドモントンにワーキングホリデーで行ったのが24歳の時でした。最初ホームステイは3か月だけの予定だったのですが、そこのご主人にすっかり気に入られ、ずっとここにいろと言われて、1年間ずっとそちらでホームステイをしていたそうです。帰るときには養子にするからずっとここにいてくれとまで言われた今村さんなのでした。エドモントンでは、当時世界一大きなショッピングモールだったウエストエドモントンモールの中に入っているバーでバーテンダーアシスタントなどをして過ごしました。
毎日がとてもスリリングで楽しかったと今村さん。今もずっと付き合っている親友もできました。1年間カナダで過ごし、最後の一か月はアメリカの西海岸から東海岸までバックパッカーで回った今村さん。
 日本に戻った後、今度は公認会計士事務所で働くようになりました。そこは、仕事のクオリティがとても高く、会計、税務、ビジネスについてとことん教え込まれました。そして目に入ってきたものを通して、その先を見通せる力を養えるようになりました。やがて、会計事務所もやめ、クライアントの会社で企業コンサルタントを始めた今村さんでしたが、時間の経過とともに、私はその人を見てすべてがわかるという風に、また傲慢になっていった自分に気付きます。
そんな時に出会ったのが福島正伸先生のメンタリング・マネジメントでした。その講座を受けて、今村さんは衝撃を受けました。同じコンサルをしていくにしても、こんなにも違うものなのか!普通、福島先生の講演を聴くと、元気になる人が多いのですが、今村さんは真逆でした。自分のことを完全に自己否定してしまい、仕事も一か月以内に辞め、ひきこもり状態になってしまいました。何もかも受け入れられない状態が一年以上続きました。
 でもさすがにこのままではいけないと思い、職業訓練校に通うようになります。そこで感じたのは、みんな顔が暗すぎる、ということ。職業訓練校では勉強や技術だけ教えるけど、それでいいのか?もっとメンタルの部分をなんとかしないと!みんなにスイッチを入れたいと思った今村さんは、みんなを笑わせることに心を砕き、今まで培った知識を活用して、クラスメートととことん話しました。そうすることで、クラスで一番暗い顔をしていた人が激変し、とても明るくなって一番に就職を決めていったのです。今村さんは思いました。やはり、福島先生のメンタリング・マネジメントはすごい!
そうして今村さんは自分も職業訓練をする側に回って、暗い顔をしている人たちを救いたいと思うようになりました。それで今は職業訓練校で学生たちを相手に職業訓練の授業を受け持っています。これからビジネスを始めたいけど、どうやっていったらいいかわからない、という人の相談にも乗っています。それはボランティアでやっていらっしゃるそうですが、夢を抱いている人は応援したくなる、という今村さん。
そんな風に歩いてきた今村さんでしたが、全く農薬を使わずにリンゴを育てることに成功した奇跡のリンゴの木村秋則さんのことを知り、自分の五感を使って自給自足できる生活こそ真に豊かな暮らしではないかと思うようになりました。
それがたまたま今年の4月に知人から農業をやらないか?と言われた今村さん。頼まれごとは試されごとと思い、職業訓練校の講師をしながら、無農薬栽培の農業に取り組むようになりました。
 生きている土に触れる生活がいかに豊かかを実感した今村さんは、来年の2月からは農業だけに専念しようと思っています。
 そんな今村さんの夢は、耕作放棄地を昔のような田畑に戻し、それによって村おこしをしていくことです。この先、農業従事者が激減していく現実を考えると、実は一刻の猶予もならない問題だと私も思います。そうしないと、日本は生きていくことができなくなってしまう。
 今村さんは石川県輪島市の耕作放棄地の開墾に汗水流して取り組んでいらっしゃいます。
きっと何年かしたらたくさんの笑顔が集う素敵な田畑になっていることでしょう。
私も心から応援しています!
今日の人18.辻下孝司さん [2011年12月11日(Sun)]
 今日の人は、いつも爽やかでとっても素敵な辻下孝司さんです。
辻下さんと出会ったのはドリプラ富山のキックオフの時。その後は、どんな時も全力で支えてくださる、ほんとに頼れる方なのです。
写真 13-03-28 14 49 25.jpg
 辻下さんは生まれも育ちも北海道。小さい時からスポーツ少年で、小学校と中学校はサッカー、高校ではバトミントン、そして大学ではアメリカンフットボールで鍛え、今も週に3回は泳ぎに行っています。スキーもSAJ2級の腕前。筋肉質なのに細身のスーツもビシッと決まっていてホンマかっこええのです!
大学のアメフト部は、先輩と後輩の結びつきがとても深く、4年生の最後のリーグ戦の時はみんなが号泣するようなそんな熱い部でした。
そんな風に感動する体験を重ねたきた辻下さん、社会人1年目に、北海道でよさこいソーラン祭りに携わりました。音楽、衣装、振り付け、全てオリジナルで挑まねばならず、苦労もありましたが、その分、終わった後の達成感は言葉では言い表せないほどでした。そして、表に出るのもいいけれど、裏方でいろいろやるのが自分には向いているし、その方がやりがいを感じると思い、翌年からは裏方に専念。でも、就職先の会社が倒産してしまい、倒産前の半年は給料も未払い状態で、辻下さんは仕事をやりながらアルバイトもやっていました。居酒屋で働いたり、はたまたスナックで黒服のようなバイトをしたり、なかなかの苦労人なのです。
そして会社が倒産した後はよさこいソーラン祭り組織委員会の事務局で働くことになり、体育会の雰囲気の少数精鋭の中で鍛えられることになりました。なにしろ当時は出場者が4万人、観光客が200万人も来るイベントを取り仕切るのですから、それは並大抵なことではありませんよね。
今もイベントがあるとメインスタッフとして大活躍の辻下さんですが、その手腕はよさこいソーラン祭りの事務局で磨かれたのやもしれません。
しかし、29歳の時に、どうしても納得できかねることがあって、北海道を離れることに。3年間を新潟で過ごした後、富山に来ることになりました。
 辻下さんはこの先、富山の地域作りに携わっていきたいと考えています。北海道で夕張市の財政破たんを目の当たりにしてきた辻下さん。財政破綻した後の街の姿は、若者が次々に夕張を去り、12校あった小中学校は統廃合でたったの3校に。残ったのは、立派な箱モノばかり。でも、これは何も夕張だけの問題ではないのです。これからは確実に税収が減っていく時代。特に地方の問題は深刻です。観光などでどうやって差別化していくかがホントに重要!よさこいソーラン祭りの成功をつぶさに見てきた辻下さんには、富山には独自性を求める発想が足りないと感じています。今、富山市の予算は約1650億円ほどありますが、それをもっとセンス良く使えたら、もっと魅力のある富山市になる、と思っています。
 これからの世界経済は混とんとしていますが、自分たちの世代の使命感として、次の世代が笑って暮らしていける、社会を作っていかなければ!今は当たり前にある社会保障制度も実はこのままでは危ない。でも、そういう社会保障がちゃんと受けられて、子どもたちはちゃんと学校に通える社会を持続していくことを辻下さんは自分たちの世代の責任としてやっていかなければならないと考えています。
それと同時に、じいちゃんばあちゃんがわくわくする社会にしたいとも考えています。元気なお年寄りが増えれば医療費もぐんと減る。自分が現役引退したら、じっちゃんばっちゃんの交流パーティーでも企画しようかな、と辻下さん。それ、私も参加希望です!
 これからも感動力を底力にして、いろいろな社会問題に熱く挑み続けるステキな辻下さんでいてくださいね!

今日の人17.山崎ジョー吉さん [2011年12月08日(Thu)]
 今日の人は金沢アイ・オー・データ機器事業戦略部コンシューマ戦略課課長、NPO百万石ワールドカフェ副代表理事、iPhone developer ciub Ishikawa副会長と多方面でご活躍の山崎ジョー吉さんです。

ジョー吉さんは会社の社員研修がいつも座学で終わってしまい、効果が長続きしないことから、継続的な取り組みとして、2010年の4月から社内で毎週水曜日の朝に「朝活」を始めました。ネーミングを決める際に、「朝活」、「朝勉」など幾つかの案があったのですが、何かで目にした「朝カフェ」という言葉がオシャレだったのでこの名前に決定。そして、具体的な中身を決めるべく「朝カフェ」というキーワードで検索をしていたら、ヒットしたのがツイッターで見つけた「ワールドカフェ」というツイート。
「ワールドカフェ」って何?世界の喫茶店??そのツイートの主である、坂本由美子さんにコンタクトをとったのがジョー吉さんがワールドカフェに出会ったきっかけでした。ワールドカフェとは、一つのテーマについて参加者が自由に意見を出し合い、相手の意見を聞き、対話を繰り返すことで相互理解を深める「場」とその「手法」です。

「これ!」と思ったことは、すぐに取り入れるのがジョー吉さんのフットワークの軽さ!社内での「ワールドカフェ」の開催を支援し、さらに、朝カフェもずっと継続していく中で、会社の雰囲気は着実に変化してきていると実感しています。

そんなジョー吉さんが8年程前からずっと続けているのがリズミックボクシング。いわゆるボクササイズなのですが、単なるフィットネスというよりは、脳の脂肪をとるフィットネスだと、ジョー吉さん。
体の脂肪は落とせても、年齢と共についてしまった脳の脂肪はそう簡単には取れない。しかし、毎年、新たに開発されるコンテンツに取り組むことで、脳の活性化をすることができる。頭では理解できてもそのとおりに動けない自分をまずは受け止め、年齢や上限関係といったプライドを捨て、若い人に教わり、反復練習をすることで体の動きを脳に記憶していく。体を動かしていくことで、考えもポジティブになり、日々のもやもやも吹き飛ぶ、つまり、脳の脂肪も取れていくのだそうです。とってもポジティブなジョー吉さんの考え方はリズミックボクシングで養われたのかもしれませんね。
■リズミックボクシングについての記事 http://d.hatena.ne.jp/waiiwaii/20110911/1315755668
そして、ラフターヨガにも取り組んでいらっしゃるジョー吉さん。ラフターヨガとは、ただ笑うだけのヨガです。ポーズの合間に呼吸法がありますが、基本は笑っていれば〇。ラフターヨガの自己紹介はとってもユニーク。自己紹介の際に、敢えて笑われるようにする。人前で話をする際に緊張するのは、失敗して笑われるのでは?との恐怖心から来るもの。でも、笑われることに一旦慣れてしまうと、人前で話すことが快感になるそうです。
こんな風に人生を心から楽しんでいらっしゃるジョー吉さん、多くの日本の会社に残っている「残業しないやつは社員じゃない」という風潮はおかしいと思っています。ワークワークワークでライフがない。今の社会構造を考えると、この先10年たつと、親の介護などで残業したくてもできない時代がやってくる。そんな時にワークしかない人は、困惑してしまうでしょう。そのためにも、今のうちからアフター5、いえアフター4を利用した地域作りを考えていこうと思っています。その一つがワールドカフェでもあるのです。
ジョー吉さんの直近の夢は「ワールドカフェはリアルなSNS」という内容で本を書くこと。地域作り、リアルなSNS、これからのキーワードをたくさん散りばめた生き方をしていらっしゃる、いつもポジティブで楽しいジョー吉さんなのでした笑顔




 
今日の人16.坂本由美子さん [2011年12月06日(Tue)]
 今日の人は、銀座コーチングスクール金沢校講師、NPO法人百万石ワールドカフェ代表理事の坂本由美子さんです。

 坂本さんはとってもエレガントな女性で、都会的な雰囲気キラキラ
 でも、そんなエレガントな坂本さんには実はとってもつらい体験がありました。
 坂本さんはコーチングに出会う前は、いつも不平不満ばかり言っているいけてない自分だったとおっしゃいます。輪っかの欠けているところばかり見て、あれがない、これがないといっている自分だった、と。家と職場の往復のそんな生活に嫌気がさしていたものの、だからと言ってなにかを始めることはしませんでした。
 そんなある日、坂本さんに衝撃が走る出来事が起こりました。
 親友だった人を自殺でなくしてしまったのです。その日、坂本さんはその人から電話をもらっていました。でも、他の人と話していて、その電話には出られませんでした。その後に知った、友の自殺・・・あの時、電話に出ていられたら!・・・その人は坂本さんにも遺書を残していました。「ぼくの分まで生きてください」その言葉の意味についてずっと考えていました。なぜ彼は私にこの言葉を残したの・・・?
 しかもそれだけではなく、あの日、彼の着信に出られなかった時に坂本さんと一緒にいた女の子までもが自ら命を絶ってしまったのです。「なぜ?どうして?」混乱しました。
 でも、二人には共通した部分がありました。それは、二人とも、一人で孤独を抱えてしまっていたことです。一人で抱えて悩んで悩んで自分を追い詰めていった。もっと話を聞いてあげられたら、彼は、彼女は死ななくてしんだのかもしれない!
 坂本さんは話の聞き方を勉強したくて、コーチングの勉強を始めました。「コーチ」(COACH)とは馬車を意味し、馬車が人を目的地に運ぶところから、転じて「コーチングを受ける人(クライアント)を目標達成に導く人」を指すようになりました。コーチングでは、モチベーションを重視し、人が自ら学習し育つような環境を作り出し、個人をのばし、自ら問題を解決していけるようになることを目的としています。コーチングを勉強し、コーチの資格をとった坂本さんは、いかに対話が重要かということを痛切に感じるようになりました。そして、対話を広めたい!そう思いました。議論ではなくて、対話です。議論とちがって対話は、受け入れる必要はないのです。受け止めさえすればいいのです。そして、コーチングだったら基本は1対1なので、なかなか対話を広げていくことは難しいけれど、ワールドカフェなら、もっとたくさんの人に対話の魅力を伝えることができる!そう感じて、今も月に一度、百万石ワールドカフェを開催している坂本さん。他にも脳トレカフェ、婚活カフェなど、ワールドカフェはさまざまに広がりを見せ、仲間と一緒にNPO法人も設立しました。これからも対話を広めるためにさまざさに活動していきたいと思っている坂本さん。
 そんな坂本さんの夢は、この社会をよりよくコミュニケーションのとれる社会にすることです。そんな世の中になれば、自ら命を絶つような悲しい出来事は減るに違いありません。
 来年1月には北陸初開催となるコミュニケーションフォーラム北陸を控え、大忙しの坂本さんですが、そんな坂本さんの息抜きはカヌー。家にはなんと3艇のカヌーが!
もう一つ、1年に10回以上ディズニーランドに行くくらいのパーク好きです。でも、アトラクションに乗るのが好きなわけではなく、パークという日常生活とは離れた空間の中で考える時間がとても好きなのです。イマジネーションがとても湧く場所ですし、何より、娘さんとゆっくり話せる時間だから大好きと、坂本さん。
娘さんもとっても素敵なお嬢さんで、「ママの心のマジックはなに?」等、鋭い質問をなげかけてくれるので、いくら話していてもあきないとおっしゃいます。
 これからも、その魅力的な笑顔で、北陸にコミュニケーション作りの輪を広げていってくださいねクローバー




 
今日の人15.青木由香さん [2011年12月04日(Sun)]
 今日の人はボランティア団体「アレッセ高岡(高岡外国人の子どものことばと学力を考える会)」代表の青木由香さんです。

 青木さんは日本語教師仲間でもあるのですが、私はとにかく教室で学生たちと向きあっているのが好きなのに対して、青木さんはそれも好きだけど調査もしたい学究肌。横浜国立大学教育学研究科で修士論文を書き、さらに日本語について研究するために大阪大学文学研究科へも進学し、修士号を取得。しかし、そんな彼女が日本語の研究に行き詰った時に出会ったのが「ブラジル日系社会の日本語」でした。ずっと学問の世界にいたけれど、そこから一回離れて、新しい世界に行ってみようと考えた青木さん。
2年間、JICAの日系社会青年ボランティアとして、ブラジルに渡りました。
行く前は、言葉に対する新しい見方を得て学問の世界に戻ろうと思っていた青木さんでしたが、日本とブラジルを行ったり来たりしている子の現状を見るにつけ、そういう子どもたちを放っておけないという気持ちになりました。
ブラジルにいる時は、日系人は「日本人」として見られ、ステータスも高い。
でも、日本にくると、日系人は「ブラジル人」として見られ、逆にステータスは低い。
そういう中で翻弄され、ことばも勉強も中途半端なまま、夢や希望を持てない子どもたち。
子どもたちの「問題」が社会的に作られているこの現状はおかしいんじゃないのか?
故郷の高岡に帰って学校に相談員として入った青木さんでしたが、それだけでは焼け石に水だと考えて、とにかく今困っている子どもたちを助けよう、彼らをそのままになんてしておけないとの熱い情熱で、アレッセ高岡を設立したのでした。
今、アレッセ高岡では、主に日系ブラジル人と中国人の子どもたち25人が高校受験を目指して勉強しています。
 そんな青木さんの趣味は日本語についてあれこれ調べたり考えたりすること!本当はそれを仕事にしたいと思っていたくらい好きだったから、と青木さん。日本語教師なのに、「名詞句における助詞の有無と名詞句のステータスの相関についての一考察」なんていうのを見るとクラクラしてしまう私とはえらい違いです困ったびっくり
 外国籍の子どもたちを支援している団体は全国にあるけれど、先進的なところからもらうだけじゃなくて、富山から発信していけるそんな場でありたい、と意気込みを語る青木さん。
お互い富山にいる外国籍の子どもたちのために、がんばっていきましょう!笑い
今日の人14.松下真由美さん [2011年12月01日(Thu)]
 今日の人はFMいみずのパーソナリティとしてご活躍の松下真由美さんです。
松下さんはとってもあたたかい方で一緒にいるだけで癒される、とってもステキなオーラの持ち主。でも、実はその松下さんの温かさは、松下さんの壮絶な生き方の中から培われてきたものなのかもしれません。

 松下さんはもともと小学校の先生をしていらっしゃいました。
教師の仕事が好きだった松下さん。でも妊娠中に妊娠中毒症と子癇発作を併発してしまい、母体が危ない状態になって、772gで超未熟児のお子さんが生まれました。
新(あらた)くんと名付けたその子は、重度の障がいを持ってこの世に生を受けました。脳に障がいがあり、食べたり飲んだりもうまくできない嚥下障がいもありました。
身長が伸びても重力に負けてしまうので、骨が曲がってしまい、それによって内臓の位置もかわっていってしまいました。
5分もたたずに痰が絡んでしまうので、いつも痰を吸引してあげなければならず、まさに365日24時間つきっきりでいなければならない状態でした。
学歴社会の価値観の中で生きてきた松下さんには、介護そのものよりも、あらちゃんの障がいを受け入れられませんでした。
でも、あらちゃんがいなかったら出会えなかったであろうたくさんの人に出会ううちに、少しずつあらちゃんの障がいのことも受け入れられるようになっていきました。
 あらちゃんはせいいっぱい生きて13歳で天に召されました。あらちゃんが亡くなったあと、しばらくは、心にぽっかりと穴が開いてしまった松下さん。
そして、大変な介護ではあったけれど、自分自身があらちゃんに支えられていたことに気付きました。
そんな時、あらちゃんの弟のすーちゃん(当時5年生)の担任の先生から、あらちゃんのことを授業で話してみませんか?というお話がありました。
 あらちゃんは亡くなったけど、いつも一緒にいられるんだ、そういう思いで松下さんは今も命の授業を続けています。演題は「いつもあらちゃんと一緒」
 そして今、松下さんは、NPOハロードリームで笑顔のコーチングも学び、笑顔のコーチングのコーチとして、命の授業とのコラボで子どもたちやお母さんに、命の大切さ、笑顔の大切さについてお話を続けられています。
 またスクールサポーターとして小学校で発達障がいの子どもたちのサポーターもされている松下さん。
「自分が教師をしていたとき、発達障がいという言葉はまだなかったけれど、その時もそういう子どもがいた。でも、その時の私は普通の子がいい子で、そういう子はバツだと思っていた。今、振り返ると本当にその子たちに申し訳ないことをした」とおっしゃる松下さん。
今は発達障がいの子どもたちと寄り添う時は、とにかくその子を否定しないこと、そしてスキルよりも、心でその子を認めることを心掛けています。
 子どもたちの話を否定しないで聞いていくと、感じる力がものすごく強くて、みんなすごいものを持っていると心から感じるのです。そして、そういう子どもたちに、いちばん好きな本は?と聞くと、「みにくいアヒルの子」をあげる子がすごく多い。いつもみにくいみにくい、と言われ、でも最後には一番美しくなるみにくいアヒルの子に自分をなぞらえているんだと思うと胸が痛くなる、と松下さん。
 もともとある障がいよりも周りの人々によって起きる二次的障がいの方がよほどダメージが大きいと感じています。
自己否定が強くなってしまったそんな子どもたちが少しても自分を認めていけるようにこれからも見守り続けたいと話す松下さん。
優しさにあふれた、多方面でご活躍の素敵な女性なのでした笑い
FMいみずで松下真由美さんがパーソナリティの番組「イミズムズムズ♪ラジオ」の放送時間は月曜、火曜の午後4時半〜7時です。ぜひお聴きくださいねキラキラ