CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2018年08月 | Main
<< 2018年09月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
宮田妙子
今日の人149.河除静香さん (09/24) 橋本桂
今日の人149.河除静香さん (09/08) 高木敏夫
今日の人123.高橋太郎さん (04/14) 大太
今日の人4+.森本耕司さん (07/17)
今日の人179.大橋聡司さん [2018年09月09日(Sun)]
 今日の人は、大高建設株式会社代表取締役社長、宇奈月ビール株式会社代表取締役社長、株式会社リレーションズ代表取締役社長、一般社団でんき宇奈月代表理事等多方面でご活躍の大橋聡司さんです。
IMG_0465.jpg

 大橋さんは宇奈月生まれの宇奈月育ち。小さい時は友だちと野山を駆け回るのが大好きな活発な少年でした。黒部川で泳いで、ヤリで突いてとった鮎をたき火で焼いて食べたり、高い場所から飛び込んだり、いつも外で遊びまわっていました。小学生の時はスキーや野球、中学生の時はバスケ、高校生の時はラグビー、大学生の時はスキーと、スポーツは大好きでした。
 将来に関しては、子どもの頃から家業の大高建設を継ぐものだと思っていたし、それに疑問を持つこともしませんでした。

 中学2年の担任の先生は初任で初めて受けもったのが大橋さんたちのクラスでした。大橋さんは器用でなんでもできるタイプでしたが、目立ちたがり屋でふざけたりすることもあったので、先生は大橋さんにはことさら厳しくあたりました。家業を継ぐこともわかっていましたし、バスケ部の顧問でもあったので、この子は厳しく育てなければ、と思っていらっしゃったのでした。卒業して十数年たった同窓会でお二人は再会します。当時厳しく当たったことを、さぞ恨んでいるだろうとずっと思っていらして謝罪の言葉を述べられた先生でしたが、当の本人はそんなことは全く覚えておらず、先生にしたら拍子抜けだったそうです。
 大橋さんは息子さんが高校生の時に県の高校のPTA連合の会長をされていて、富山経済同友会の教育問題委員会の委員長でもありました。そんな時にちょうどその恩師が小学校校長会の会長をされていて、そんな縁が重なり、それ以来、お二人は教育関係で前向きなつながりでいらっしゃいます。先生に教育の分野でもがんばってほしいと頼まれ、大橋さんが小・中・高校に出向いて出前授業をすることもあります。恩師から「大橋先生」と呼ばれると、身の引き締まる思いがして一層がんばろうと思うのでした。

 野山を駆け回る小中学校時代を過ごした大橋さんは、魚津高校へと進み、ラグビー部に所属して部活動に明け暮れ、多くの仲間と一緒に青春を謳歌しました。実は、大橋さんの奥さまはこの高校時代の同級生なのですが、お2人がつき合い始めるのはちょっぴり後で、お2人とも上京されてからのことでした。

 魚津高校は国立大学を目指す生徒も多いのですが、大橋さんの家は親戚も含めて東京の私大に行くというのが定着していました。大橋さんは明治大学法学部に進み、明治三大酒飲みサークルの一つと言われるスキーサークルで部長も務めました。オフシーズンも六大学野球やラグビーの応援等で、なにかにつけては飲み会。そして、スキーシーズンになると苗場プリンスホテルでバイトしながら、スキー三昧の日々を送るのでした。世はバブル真っ盛り、そしてちょうど映画「私をスキーに連れてって」で空前のスキーブームの頃でもありました。

 しかし、大橋さんは進路に関して迷うことはありませんでした。いかに世の中がバブルで超売り手市場であろうと、「富山に戻って家業を継ぐ!」という思いは子どもの頃から何ら変わっていなかったからです。

 こうして、富山に戻ってお父さんが社長を務める「大高建設」に入社。幹部社員の高齢化が進み、若い人が入っても育てる術がないといった状況でした。まずは経理畑から始めた大橋さん。時代はちょうど手書きからワープロへとシフトし始めた時でした。その頃、大高建設の経理事務は手書きだったのですが、大橋さんはそれをワープロで打ち直すという単純な作業業務を与えられました。そのままやっても楽しくないので、与えられたものの中で自分なりの工夫をして業務の改善を進めました。またそれまでまともなリクルート活動もしてこなかった会社でしたが、大学の就職課にアプローチするなどちゃんとリクルート活動をして大卒も採用できるようになりました。大橋さんは文系で技術者ではなかったのですが、土木施工管理・建築施工管理の国家資格を取るなど自ら範を示し、若い社員とコミュニケーションを取りながら新たな社風を作ろうとしました。一方で、昔ながらのやり方で自分が会社を支えてきたという自負がある人は、これまでのやり方を変えることに反発しました。そんな人たちと衝突をしながらも、互いに会社を思う気持ちでやっていることには変わりはないのだと、少しずつ少しずつ理解をしてもらいながら会社を改革していきました。

 そして2000年、37歳になった年に3代目の社長に就任しました。同年、青年会議所では富山県のブロック会長も務めました。ただでさえ県会長は、たくさんの公職も付随し、とても多忙で責任の重い役職です。社長業務をこなしながらのJCの県会長というのはとても大変でありましたが、この経験は自身の成長に大いに役立ちましたし、またその時にできた人と人とのネットワークが今も生きています。そして、JC時代にまちづくりに関わったことが今の社会的な活動に繋がっていると思っています。

 社長業もただ会社を現状維持するだけでは将来が危ういと考えた大橋さん、ちょうど世の中に公共事業不要論が渦巻いていた時で、建設以外の事業にチャレンジする必要があると考え、飲食レストラン業にも進出します。外食産業は人財産業だと考えている大橋さん。それはつまり人づくりでもあります。教育に力を入れたい大橋さんが人づくりの分野に進出するのは、自然な流れだったのかもしれません。しゃぶしゃぶ温野菜の北陸甲信越地区のエリア本部として、1店舗1社員で、アルバイト学生を教育するというやり方を展開しました。この教育方法で鍛えられたアルバイト学生は、自身が就職した時にこの経験が大変役に立ちます。人材育成に力を入れているという自負が浮き沈みの多い外食産業にあってゆるぎない経営を続けていられるのです。そしてお客さんのためにいかに美味しいもの、幸せな時間を提供するかという強い思いが、株式会社リレーションズや宇奈月ビールの経営につながっています。
 株式会社リレーションズ⇒http://www.relations-inc.com/
 宇奈月ビール⇒https://www.unazuki-beer.jp/

 また大元の建設業の方も、後継者がいない会社をグループ化してシナジー効果を上げています。海外事業も展開しており、ミャンマーでは現地法人を立ち上げました。大手ゼネコンの土木本部長をやっていた方が海外事業部の部長として手腕を発揮していて、その下で働いているネパール人が、実は私の教え子です。こんなつながりがどんどん生まれているのがとても素敵な大高建設です。
大高建設のさまざまな取り組みについては、ぜひこちらのホームページをご覧ください。
http://o-taka.co.jp/

 大橋さんが今楽しいことは、ずばり「まちづくり」に関わること。一般社団法人でんき宇奈月の代表理事でもいらっしゃる大橋さん。でんき宇奈月は宇奈月温泉において、小水力発電をはじめとした再生可能エネルギーとEVバスによる公共交通事業を導入し、電源開発で発展してきた宇奈月温泉を、先進的なエコ温泉リゾートして観光客誘致を促進するとともに、エネルギーの地産地消を切り口に自立した地域づくりを推進しています。富山国際大学の上坂先生http://blog.canpan.info/diversityt/archive/138はじめ、仲間と一緒にまちづくりに取り組んでいくそのプロセスが本当に楽しいのでした。

 そして、かかわっている地域や人が幸せになってほしい、その一助になれればいい、大橋さんはそう思っています。

 2018年7月から、公益財団法人黒部市国際文化センター理事長に就任されました。代々、黒部市長が務めてきたポストで民間人が就任するのは初めて。企業経営者の手腕を買われての就任だったそうです。黒部市国際文化センター「コラーレ」宇奈月国際会館「セレネ」、黒部市美術館の運営を担う組織のトップとして、ますます多忙になりそうです。

安くておいしいワインを探すのがささやかな趣味と話される大橋さん。まちづくりの仲間たちと話しながら一緒にグラスを傾ける時間が最高の時間かもしれませんね。