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今日の人83.薄井修司さん パート.2 [2013年01月02日(Wed)]
パート.1から続きます。

 こうして、隔週で行っていたサークルの集会をいかに楽しくやるかがおやじさんの課題になりました。ですから、意見の合わない副会長とは集会の3日前からはいつも壮絶なバトルでした。でも、そのおかげでテーマに対してありとあらゆる意見を出し、参加するみんなも参加意識がうんと強くなっていきました。そして、ひとりひとりに電話もかけていきました。

 おやじさんが会長を引き継いだ時のメンバーは10何人でした。でも、次の会長に引き継いだ時は、50何人ものサークルになっていたのです。おやじさんの真剣さ、そして楽しみを追求する姿勢、キャンプの運営の仕方、そういうもの全てをたくさんの後輩たちが慕って来たからにほかなりません。経験はなくともサークルの事を考える必死さは誰にも負けない。いつのまにかおやじさん中心のサークルとなっていきました。

 ある時、子どもたちを引率中に、子どもたちの列に単車が突っ込んでくるという事故がありました。子どもたちを一列に並ばせて、前後に学生リーダーがついていての事故。にもかかわらず、新聞にたたかれました。僕達学生は責任能力がないと思われている。こんなことじゃいけない。おやじさんは神戸のフェリーセンターがお盆の一週間大変な人手不足になることを知り、サークルのみんなでバイトすることを提案します。サークルのみんなのことはバッチリ把握していたのでシフト表もおやじさんが作りました。先方は困っていたからホンマに助かると大喜びで、また来シーズンも頼むと言われました。おやじさんは、そのバイト代をサークルに1割残して保険をかけようと持ちかけました。これで、学生だから責任能力がないなんて言わせない。仕方がないと思うか、何かしなくちゃいけないと思うか、思い入れが大切だとおやじさんは言います。

 おやじさんは大学では歴史専攻でした。最初は教師になろうと思っていましたが、サークル活動でずっと教育委員会とやりとりしているうちに、キャンプを通じて子どもの成長を願う情熱だけではやっていけない。思いが強い分、現実の組織や教師の置かれている環境を見て、教師になるのはやめようと思いました。キャンプで子どもたちがガラっと変わる場面をたくさん見てきた。そのキャンプをボランティアでやって、子どもたちの教育に関わっていけばいい。そう思ったのです。

 このサークルでおやじさんは大切な大切な奥さまと出会うことになるのですが、奥さまとの素適なお話は、今度おやじさんに直接お伺いするのがよさそうです。
とにかく、おやじさんの会社が危機に瀕した時も、凛としておやじさんを支え続けた本当に素敵な奥様なのです。

 実はおやじさんは大学生の時に、1年留年し、1年休学しています。沖縄久米島でアルバイトしていた時に毒サンゴに刺され、足を切らなければいけないとまで言われました。なんとかそれは免れたものの、半年は自宅療養を止む無くされました。ですから就職活動に際しては、2年間のハンディがあったのです。そんなおやじさんを待って、奥さんはご両親から進められるお見合いを断って、ふたりは結婚しました。

 子どもの頃から「人は働くのが当たり前」、「何事も一生懸命やることが大切であること」、「働けることを感謝する事」、「貧しくても人として恥じない生き方をすること」を両親と下町の市場の人達から教わった事はおやじさんにとって血となり肉となりました。それらが自然に身についていたことでアルバイトでもいつも認められた事は、おやじさんの中でそれらが人生においてとても大切なことという確信に変わりました。さらにサークルでの会長の経験はおやじさんにとって人生の大きな分岐点になりました。職業を選ぶ事、リーダーとしてチームを率いる経験、生涯のパートナーとの出会いの全てがこのサークルの御蔭でした。

 その後、おやじさんがどんな会社に入り、そしてどうやって会社を立ちあげて今に至るのかはこちらのサイトにたっぷり書いてあるので、どうぞワクワクでご覧下さいね。
情熱人サイト
http://www.jonetsu.jp/019p_top.html

 そこには、おやじさんの会社が神戸六甲アイランドの世界最大のウォータースライダーAOIAをたった3人の社員で500人のアルバイトを統率し、見事に運営させたエピソード等も載っています。まだ携帯電話のなかった時代、どうやって500人ものアルバイトを統率できたのか…実はこれについては、先日行ったダイバーシティサポーター養成講座でもお話いただいたのですが、ヒントは、おやじさんの大学時代のサークル活動にあります、とだけお伝えしておきますね。(他にもエピソードがたくさんですので、どうぞご覧になってくださいね!)

 今、おやじさんはとても幸せだとおっしゃいます。阪神大震災の時に、生き残った自分。そして今、思う存分仕事させてもらえる自分。
いろいろなことが出来湧いても、その都度一生懸命、その都度楽しく、そしてその都度幸せを思う、その連続なのだと…
 自分の足で自分の道を歩いてこられたおやじさんだからこそ、その一言がとてもズシンと響く、そんな素適なインタビューになりました。

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ダイバーシティ・サポーター養成講座で熱く語ってくださったおやじさん