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今日の人40.渡辺 エミリア ヤエさん [2012年06月11日(Mon)]
 今日の人は、先日の渡辺マルセロさんのお母さん、渡辺 エミリア ヤエさんです。
エミリアさんは、岐阜県多文化共生推進員としても活躍されています。

 エミリアさんが家族で来日したのは1992年。それまでエミリアさんはブラジルのCitibankで働いていました。勤めていた支店の支配人になってくれと頼まれている最中でのことでした。Citibank側はエミリアさんに、メイドを雇えばその給料も100%出すから、と言われるほどの好条件を提示されましたが、家族が日本に行くのに、自分ひとりだけ残るわけにはいかないと来日したのです。実はご主人も、もともとはIHI石川島播磨重工業のブラジルのエンジニアでした。大学院まで卒業してIHIに就職した技術者だったのです。それが不況のあおりで潰れてしまい、活路を見出すために、来日を決意したのです。
 IHIの技術者と、Citibankの副支配人。そんな二人が日本に来て就いた仕事は、工場での単純作業の工員でした。
 私はこういう話を聞くと、いつも思うのです。海外の頭脳を日本で埋もれさすのはもったいない。こういう人々の才能を活かすことが、日本社会にとって、どれだけメリットがあるかしれないのに…。
 
 ご本人たちも、きっとそのギャップにさぞかし苦しまれたことだろうと聞いてみました。
「もちろんギャップはあったけれど、自分たちで選んで日本に来たんだから、そういう不満は持たないことに決めたの。それに年をとるとなんでもすぐに忘れちゃうからね。嫌なことは全部忘れたわ」と陽気に笑うエミリアさん。肝の据わり方が半端ではありません。

 それはマルセロさんたちの子育ての時もそうでした。日系の子どもたちは途中でドロップアウトしていくことが多々ある中で、マルセロさんは国立大学まで卒業しています。その根底にはお母さんの子育てが深く関わっているようです。
 日本に来て、2,3年経った時、ご主人はブラジルに帰ると言いました。でも、マルセロさんたち子どもは日本に残りたいと言います。残って日本で勉強したいと。
 そこでエミリアさん、子どもたちのために日本に残る道を選びました。ご主人はお一人でブラジルに戻っていきました。

 「自分たちが勉強したいと言ったから、日本に残った。だから、とことん勉強しなさい。勉強したいなら、どんなことをしてでも本を買ってあげるから。」
 
ご主人がブラジルに帰ってしまったので、一人で子どもたちを養わなければなりませんでした。
でも、子どもたちには、「あなたたちは勉強するために残ったのだから、もし働くならブラジルに帰れ」と言いました。
「14〜5歳で働いてしまうと、自分の財産を作れない。自分の中に積み立てたものはお金では買えない。だから、しっかり勉強しなさい。もし、いじめられたら、お母さんが絶対守ってやるから。いくら不良でも言いにいくから」

「でも、不安になったりしませんでしたか?」
との私の問いには、「悪いことを考えて自分の大切な時間をつぶしたくないから、あさってまでのことだけ考えるの。そうしたらなんとかなるものよ。」

 このとても強くて温かい母の愛に包まれていたからこそ、マルセロさんは何事も途中で投げ出すことなくがんばれたのでしょう。機会を与えたお母さん、それにしっかり応える息子。ホントにステキな親子です。

 そんなエミリアさんを慕ってマルセロさんの友達もしょっちゅう家に遊びに来ます。マルセロさんがいなくても、エミリアさんに会い来るのです。マルセロさんの友達が彼女を紹介したいと言って彼女を連れてくることもあるそうです。

 エミリアさんは岐阜県の医療通訳者の第一号でもありました。2000年から2008年まで続けた医療通訳の仕事の現場では、本当にいつも死と隣合わせの現実をつぶさに見て、普通に呼吸ができることの素晴らしさ、ご飯を食べられることの有難さ、普段当たり前だと思っていることが、実はいかに特別なことであるかを感じる毎日でした。
 
 それだけに、医療通訳の仕事の重みも十分に感じました。普段日本語ができるからと言って、医療用語は全く別次元の言葉です。医療通訳者には勉強が欠かせない。そうしないと、誤訳が死に通じることだってあるからです。そこを軽んじて、ちょっと日本語が出来る人を通訳にしているところを見ると非常に危惧を感じるとエミリアさんはおっしゃっていました。エミリアさん自身、医療通訳者だった時は、毎日が勉強の連続だったそうです。「あんなに真剣に勉強した時はなかったわ」と懐かしそうに微笑まれました。

 今は多文化共生推進員として、忙しい毎日を過ごすエミリアさん。小学校で毎日子どもたちと給食を食べるのがとっても楽しい時間です。英会話も習って、自分をブラッシュアップすることを忘れないエミリアさん。ホントにイキイキしていらっしゃいます。

 実は、NPO法人ブラジル友の会には、もう一人、とってもすてきな後藤佳美さんもいらっしゃいます。彼女は「ワールドカフェみのかも」の代表も務めていらっしゃるので、ワールドカフェつながりでも交流できるといいなぁと思っています。
後藤さんにはまた後日、たっぷりお話を伺おうと思っているので、その日をお楽しみに。

富山から車で2時間余りの美濃加茂市。
笑顔のステキな渡辺エミリアさん、マルセロさん親子、そしてマルセロさんと息がぴったりの後藤さん、そんな素敵なみなさんに会うととっても元気が出ますよ。

多文化共生都市、美濃加茂市は魅力がいっぱいです。
ぜひ一度訪ねてみてくださいね。

写真 12-05-24 17 26 24.jpg

右がエミリアさん、左が後藤さん
笑顔が素敵なお二人です