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今日の人23.本川祐治郎さん [2011年12月23日(Fri)]
 今日の人は株式会社Plan.Com代表取締役・経営士・ファシリテーター・協働コーディネーターとして幅広くご活躍の本川祐治郎さんです。(写真はご存じ「怪物くん」のコスチューム。なぜ怪物くんかは、下までお読みいただくとわかります!)

 本川さんと初めて出会ったのは今から18年前になるでしょうか。当時は一緒に高岡市の青年議会の議員をやったり、TIE(とやま国際理解教育研究会)で開発教育やファシリテーションについて学んだりしていましたが、その時からとてもポジティブでアクティブ、越中万葉夢幻譚で主役の大伴家持役をやったりと、話題には事欠かない方でした。
 そんな本川さん、生まれは高岡で、多様な人々が行きかう坂下町商店街で育ちました。その頃の商店街というと、まだ活気があり、夜の9時位にならないと晩御飯を食べさせてもらえませんでしたから、商店街の子どもたちは夜の8時〜9時まで一緒に遊んでいるのが常でした。ペダルをこいで自転車のライトを灯りにして夜遅くまで野球をやったり、広場でいろんな遊びを考えてその中でコミュニケーション能力の基礎を磨いていったのでした。
 小学校では児童会長、中学・高校では生徒会長でした。きっとリーダーとしての資質が小さいころからあり、それをずっと磨いていった少年時代だったのでしょう。
 高校時代はラグビー部・応援部でも活躍、やがて、“在野精神と人種のるつぼ”早稲田大学に入学しました。入学してすぐに開催された一週間連続講演会。早稲田出身で活躍中の先輩による講演なのですが、田中角栄の秘書を務めた早坂茂三さん、社会派アナウンサー久米宏さん、自然派作家として活躍した立松和平さんなど、一週間、ものすごく濃い内容の講演漬けになるわけです。それに全部出た本川さん、今でもその話の内容はしっかり頭の中に入っています。
 東京は多様性のすごみを感じられる場所。多様なものの中から自分のやりたいことをチョイスすることができる。民主主義とはとりもなおさず違いを認め、多様な選択肢があるということ。。。そうして、様々なことを貪欲に吸収していった大学時代でした。
 その後、公認会計士の勉強を経て、永田町にて衆議院議員秘書として活躍するわけですが、その時に議員の代理出席で会合に参加する中で、日本の中枢の委員会が機能していないことに愕然とします。出席している人たちは皆、学歴では間違いなくトップの人たち。でも、そういう人たちでも、民主主義を機能足らしめる会議の勉強はしていない。例えばイギリスでは政党の企業努力によって小学生の生徒会長選挙から対面式の議場が設えられ、議論する力が徹底的に養われていくのに対して、この差はなんだ?
 その思いは地元高岡に戻って、商工会議所での中心市街地活性化事務局、伝統的建造物群保存地区活用事業、商店街連盟事務局などを担当した時に確信へと変わります。「日本人は単一民族ゆえ、論理的・合理的な会議の進行が科学されていない。商工会議所には、金融・経営の専門家はいるが、地域づくり会議の専門家がいない。そうだ、会議を科学し、会議の生産性を上げる専門家になろう!。語り合う労力や時間が結果につながるお手伝いに役割を見つけよう。つぶやきが形になり、衆智を集める都市経営を実現しよう!」と。
 そんなとき、青年海外協力隊に行かれた高校恩師の誘いで出会ったのがTIE(とやま国際理解教育研究会)でのワークショップでした。言語・文化的背景・価値観の異なる多様な民族が南北問題の解決のために体感的なコミュニケーションを取り合う手法に目覚め、これをまちづくりに応用できないか?と調べるうちに、世田谷まちづくりセンターの実践や川越の地域づくりに学ぶこととなり、富山県初の本格的なプロファシリテーターになろうと決意したのです。
 昼間は商工会議所で地域づくりの実践、夜は地元の様々なNPO活動に駆け回り、週末は東京や大阪、全国各地での研修や視察に自己投資を繰り返す日々。大好きなファシリテーションの理論と現場実践を繰り返した本川さんは、やがて、NPO研修・情報センター(TRC)の世古一穂さんが切り拓いた協働コーディネートという職能に共感し開眼したと言います。30代の多感な時期、職場で、地域で、様々な機会を捉えては、自らも多様な参加構成や多様なプログラム・プロセス構成に工夫を凝らし、やり方が形骸化してしまっていた地域づくり会議に新風を吹き込みました。そして、一番格式があって伝統を守ってきたような人々に対した時にこそ、笑顔満点本川さんの協働コーディネート・ファシリテーションは力を発揮しました。一見頑固そうに見えたその方々こそ、実に創造的な人たちだったのです。多様な人々の間に立ち、楽しい場づくり、まちづくりが起きる環境づくりを仕掛けていく志事は、そうして徐々に本川さんの生業となっていきました。
 高岡の商店街で育ち、ワークショップを根付かせ、そして結婚してからは氷見の商店街に住むことになった本川さん。今は氷見の中心市街地づくりにもひとりのプレーヤーとして現場を持ち、力を尽くしていらっしゃいます。例えば、昔は商店街は事業に対する活性化にだけ目を向けていればいいという風潮でしたが、今はそうではない。商売は生活総合サービス。商店街の役割も多様な角度から検討を重ね、多様な意見に耳を傾け、住民との関係においたコンセプトの再定義をしていかなければ。例えば、商店街と漁業者との関係はどうするの?商店街と子どもたちの関係は?自治会との区割りは?観光との連動は?
 中心市街地の空洞化が進んでいったのは、単に時代のせいだけではありません。今まで本質的なコミュニケーションにアプローチができてこなかったから。人が育ち、まちが育ち、気持ちが循環しあう総合的な処方箋をまだ編み出しえていないから。現状維持でいいと思った時、成長はストップしてしまう。政治・行政機関・民間企業と3つのセクターを経験してきた本川さんは構造的な地域の問題解決のためにと、ファシリテーター・コーチ・コンサルタントとしての3つのスキルを確立し、商店街から議会に至るまでファシリテーターとして常にワークショップの場を設け、人が育つ喜びのおすそわけをしています。多様な人と触れ、関わりあい、もっと交流していくことで、もっとアクティブな地域になれる。そして今、実際に動き始めたひとびともでてきました。
 今日も本川さんは、真剣にその人の人生を輝かすために動き続けています。生まれた高岡は藤子・F・不二雄先生の出身地、今いる氷見の商店街には藤子不二雄A先生の生家の光禅寺がある。藤子先生の世界観は、<怪物さえ認めてしまう、究極のダイバーシティ!>。これからも「多様性を認め合いながら、可能性を発掘していきたい!多様性を組み合わせてお互いを引き上げ、トキワ荘マインドのごとく“相互支援”の力で地域づくり・未来づくりを成功に導いていきたい」といきいき夢を語るプラス・オーラ全開の本川さんなのでした!!