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今日の人145.神谷 哲さん [2015年05月30日(Sat)]
 今日の人は愛知に住み航海士として船を安全に航海させる重責を担いながら、お休みに入ると富山の「コミュニティハウスひとのま」に来てくれて、子どもたちにも大人気の神谷哲さんです。
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 神谷さんは愛知県半田市で3人兄弟の長男として生まれました。小さい頃から自分の世界で遊ぶのが大好きな子でした。粘土で自分の好きなロボットを作って、そのロボットを使ってストーリーを創作するのが好きでした。粘土遊びの世界に入ると、何時間でも没頭していました。 
 神谷さんの家は庭が広く、近所の子どもたちの絶好の遊び場にもなっていました。お父さんが木にロープをぶら下げて作ったブランコがあったり、池もあったりしたので、子どもたちがいろいろなことをして遊ぶには事欠かなかったのです。もちろん、そんな時は神谷さんもそこに混じって遊んでいました。

 動物が好きで、家ではイヌ、ネコ、アヒル、ヘビまで飼っていました。それで、小学校でも飼育係をすることが多かったのです。将来は獣医か先生になれたらいいな、と思っていました。先生がいいな、と思ったのは、当時学校の先生ってかっこいいなというあこがれがあったからでした。けれど、おとなしくてあまりしゃべらない子でした。小さい頃から一人遊びが好きで、一人でいるのがちっとも苦になりませんでした。いや、むしろ好んで一人でいるような子だったのです。
 
 粘土でロボットを作るのが好きだったのは、ロボットアニメが好きだったせいもありました。ダイターン3、ザンボット3、トライダーG7、ダグラムetc、実は私も子どもの頃、ロボットアニメが大好きだったので、全部わかるところが、さすがに同世代(笑)
とにかく、そういうロボットアニメや、SF小説が大好きで、それらを自分の世界で創作しつつ、粘土で表現していたのです。

プロレスを見るのも好きでした。いろんな技を繰り出すのがカッコよく、強い人に憧れました。それで自分も強くなりたいと、小学校5年の時に空手を習い始めます。今はスリムなので想像できませんが、その頃の神谷さんはぽっちゃり体型でした。空手はとてもハードで、ぽっちゃり体型の神谷さんにはついていくのが大変でした。そうして6年生の時に柔道に転向します。

中学校に行っても柔道部に入りました。私の地区の中学校は柔道部が一番ハードな部なのですが、神谷さんの中学校の柔道部はとてもゆる〜い部でした。
勉強はほとんどしませんでした。相変わらず一人時間が好きで、本を読んだり、空想の世界で遊んだりしていました。淡々と過ごすのが好きだったので、運動会や文化祭などの行事は苦手でした。行事でみんなが盛り上がっている時も、その輪に入ることはしませんでした。入れなくて寂しいというのではなく、輪に入らずに一人でいるのがむしろ好きだったのです。

 高校は中学校の目の前にある普通科の高校に進学。中高一貫校というわけではないのですが、神谷さんの中学校の生徒で普通科にいく子は大抵がそこの高校に進んだのです。
 高校ではハンドボール部に入りましたが、1か月でリタイア。その後は帰宅部で、ひらすら本を読んで過ごしていました。
 
 とりあえず大学には行こうかと思って大学を2校受けたのですが、2校とも落ちてしまいます。勉強するのは好きではなかったので、浪人する気持ちにはなれず、隣の市の大府市の学童保育でアルバイトの指導員を募集していたので、そこで働き始めました。

 学童保育で働き始めて、この仕事は自分にとても合っているなと感じました。不思議なことに神谷さんは子どもたちにすぐになつかれるのです。それは今も変わりなく、コミュニティハウスひとのまに来ている子どもたちは、ホントに小さな子から高校生までみんな神谷さんのことが大好きです。子どもが壁を感じずにすうっと近寄れる人って、ごく稀にいるのですが、神谷さんはまさにそんな人。不思議な魅力で相手に安心感を与えてくれるのです。

 学童保育で働き始めて2年目に、仕事をしながら日本福祉大学の2部に通い始めました。それだけこの仕事は自分に合っていると思ったのです。けれども、やはり仕事をしながらの学業は大変で、3年生の時に中退。この期間も含めて7年間、学童保育で働いたのですが、その間にバイクの免許と小型船舶の免許を取得したのでした。
 そして、もうちょっと手に職をつけよう、学童はその後また戻ればよいと思って7年勤めた学童保育の仕事を辞めました。もう一つには、やはり給料が安すぎることもありました。お金儲けに心が動くタイプではありませんが、いろいろやりたいことをするには心もとないお給料だったのです。

 いつの日か世界一周の旅に出たいとの思いも抱くようになった神谷さんは、学童保育の仕事を辞めた後、バイクに乗って2か月の日本一周の旅に出ました。自分の中に決めたルールは、都道府県毎に一泊以上宿泊すること。
この旅を通して自分の中に変化がありました。それまでの神谷さんは一人が好きで、敢えて人と交わるようなことはしませんでした。どちらかと言えば人間嫌いでした。けれど、さすがに一人でずっと旅をしていると寂しくなります。それでキャンプ場に来ているグループに声をかけたりするのが平気になりました。そして人と話をするのも好きになったのです。47都道府県で一番印象に残ったのは、やはり北海道でした。北海道は広いだけあって、安く泊まれて楽しいライダーハウスがいくつもありました。そこで、現地で会ったライダーと話すのもまた楽しい時間でした。

 日本一周の旅から帰った神谷さんは職業訓練校でクレーンの資格を取ります。なぜクレーンかというと、やはり小さい時からロボット好きだったこともあって、そういう機械を自在に操ることに一種の憧れに似た思いがあったからでした。そうして、資格を取った後に、台船の上でクレーン作業の見習いの仕事に就いたのです。台船というのは、海上作業の箱舟のことです。陸上でのクレーン作業よりきっと面白い、そう思って台船での仕事を選んだのでした。台船の上にはトイレはありません。つまりぜ〜んぶ海に直接です。え、大きい方はどうやって?と思ったあなた、今度神谷さんに直接聞いてみてくださいね。

 こうして台船で働いて3年。それなりに仕事は楽しかったのですが、そろそろまた旅に出たくなってきた神谷さん。ちょうどある学童保育から一緒にやらないかと声がかかります。この機に神谷さんは台船のクレーン技師の仕事を辞め、学童で働く前に今度はお遍路さんとして四国巡礼の旅に出たのでした。なぜお遍路さんかというと、最初はバイクの旅をしたので、次は徒歩での旅だという風に考えたからでした。バイクも歩きもいつか世界一周をするための予行演習のようなものだと神谷さんは考えています。

 最初は普通の格好でお遍路さんに出た神谷さん。でも、お遍路さんをしていると、途中所々でお接待があります。お接待というのは、お遍路の道中で見知らぬ方から食べ物や飲み物をいただいたり、接待所と呼ばれる休憩所を開放してくださったりすることを言います。それを巡礼者に施しをくださる慣習「お接待」と言っているのです。お接待は「行けない私の分まで宜しくお参り下さい」という代参の意味でもあったり、お接待自体がその方の行でもあり功徳となります。ですから参拝の際には、お接待をして頂いた方の分までお参りするという気持ちで参拝します。そういうこともあって、最初は全くの普段着でお遍路さんを始めた神谷さんでしたが、最後はしっかりとした白装束で結願したのでした。

 そうして、お遍路の後で神谷さんは学童保育の現場で再び働き始めました。この時に出会ったのが、当時やはり学童保育で働いていた元島生さんでした。当時は、元島くんも富山とのつながりはなかったのですが、元島くんが宮田隼くんとともに富山でコミュニティハウスひとのまを開くことになり、神谷さんと富山との縁も生まれたのです。人と人との出会いは本当に不思議なものです。どんなに近くにいても、通じ合えない人たちもいるし、遠く離れていても、すっと距離が近くなる人もいる。神谷さんと富山の子どもたちとの出会いは間違いなく後者でした。

 学童保育で働いて7年、組合の仕事もしていたのでそれなりに忙しかったのですが、神谷さんは一か所に留まることが苦手なのでしょう。だんだん気持ちが外に向かうようになります。かつて台船で働いていた時に出会った現場監督が「陸運局に行けば船の仕事を紹介してくれる」と言っていたのを思い出し陸運局へ。そうして、今の航海士の仕事に就くことになるのです。

 海に出る前に再び旅に出た神谷さん。バイク、徒歩、その次は自転車でした。愛知から山越えをしてやってきたのが、そう、富山のひとのまだったのです。

 そうして今は、2か月船の上で過ごした後の2週間の休みになると、ひとのまにやってきて、子どもたちと一緒に過ごしてくれています。ひとのまには思春期の男の子が何人かいるのですが、悩み相談からエッチな話までいろんな話ができる神谷さんはみんなから引っ張りだこ。「今度はいつ神谷さん来てくれるかなぁ」と指折り数えて待っているのです。

 船の上では航海士として、船を港から港まで安全に航海させるのに気を配っています。船にいると、遮るもののない星空、朝日や真っ赤に染まる夕日、そしてイルカやクジラなど、地上にいるととても出逢えない数々の場面に出会うことができます。一度でいいから、そんな体験をしてみたいなぁと私なんかは憧れてしまうのですが、やはり仕事の場面なので、そこまでの感動はないのだとか。少しのミスが大事故に繋がりかねない緊張感のある仕事なので、気を緩める暇がないのでしょうね。

けれど、やっぱり船が好きな神谷さんは、自分のボートも持っていて、休みに愛知にいる時は、そのボートで海の上で過ごしているのでした。今度ひとのまの子どもたちをそのボートに乗せてあげたい、と屈託なく少年のように笑う神谷さん。子どもたちだけじゃなく、ぜひ私も乗せてくださいね。泳ぐのは得意ですから(笑)

 先日の台風の時は、アンカーが外れてしまうくらいに波がひどく、そのアンカーを戻しにいった時に、波をかぶって甲板の上でゴロゴロ転がってしまったという神谷さん。やはり、自然相手の仕事は常に命がけなのです。

 そうして、いずれは念願の世界一周を果たし、ヘリコプターかセスナを操縦できるようになって空も飛びたいと思っています。これまでも飄々とやりたいことを叶えてきた神谷さんだから、きっとそれもいつの間にか叶えていることでしょう。そして、ひとのまの子どもたちはわくわくしながらその話を聞くにちがいありません。

「僕はいいかげんだから」と神谷さんは言います。でも、私は思います。それは「いい加減」なのだと。人の力では抗いようのない自然の中に身を置いていることや、旅を通して神谷さんが得てきたものが、そんな神谷さんの生き方につながっているのかもしれません。神谷さんは坊主頭なのですが、Tシャツ短パン姿でガリガリ君をかじっている姿は、「三丁目の夕陽」に出てくる少年そのもの。そして、ある時は、その姿がお坊さんのようにも見えます。子どもたちが何の警戒もなく神谷さんに近寄れるのは、神谷さんが自分を飾らずに、いいも悪いも素のままを出しているからなのでしょう。何かを装っていると、子どもたちはそれを敏感に感じ取ります。神谷さんの生き方は嘘がない。それを子どもたちが教えてくれています。

 これから先、神谷さんはどんな旅をしていくのでしょう。そこにはどんな出逢いが待っているのでしょう。また、そんなお話を聴かせていただく日を楽しみにしています。