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今日の人177.種市尋宙さん [2018年07月01日(Sun)]
 今日の人は、富山大学医学薬学研究部助教の種市尋宙(たねいちひろみち)さんです。
種市先生は小児医療の最前線に立ち、子育てに悩む親御さんの悩みに真摯に向き合っていらっしゃる本当にステキなお医者さまです。
IMG-2562.jpeg
 
 種市先生は1973年5月5日に新潟市で生まれました。小児科医なので子どもの日生まれというのはちょっと自慢です。
 小さい頃は電車ごっこが大好きで、電車を見るのも好きでした。父方のじいちゃんちが八戸に、母方のじいちゃんちが飯山にあるのですが、遊びに行く時に電車に乗れるのもすごく楽しかった。アニメもロボットものより銀河鉄道999が好きでした。そういうわけでその頃は将来電車の運転士さんになりたいと思っていました。

 妹が2人いますが、親に「お兄ちゃんなんだから」と言われるのがイヤでした。種市先生自身がまだ小学校の低学年の時に、妹がケガをして血を流したことがあったのですが、「なんでちゃんと見ていなかったんだ」とお父さんから怒られ、理不尽さを感じたのをよく覚えています。自分がそういう思いをしたので、自分の子どもにはそういうことは絶対に言わずにおこうと思っていたのですが、自分が親になった今、「お兄ちゃんだろ」とつい言ってしまうなぁと種市先生。そのお気持ち、よくわかります。

 種市先生はちょうどガンダム世代なので、周囲はガンダム好きな子がたくさんいましたが、プラモデルを作るのが得意ではなく、ガンダムにもそんなにはまることはありませんでした。周囲の人達に言われていたこともあって、子どもの頃は自分は不器用だと思い込んでいたのです。後々それはちがうということに気付くのですが、子どもの頃はとにかく言葉の影響力は大きいので、子どもが自信を失うような言葉は使うべきじゃないなと、今は強く思うのでした。

 小学校に入ってからは、とにかくたくさんスポーツをしました。小学校1年生からプールに通い始め、3年生になってスポーツ少年団に入ると、プールの他にもスケート、スキー、遠泳、野球ととにかくいろいろなスポーツに挑戦。5年生からは小学校の野球部に入って超ハードに練習したのですが、とにかく指導が厳しかった。新潟市の中でも3本の指に入る強いチームだったのですが、あまりにスパルタ式だったので、しまいには野球が嫌いになってしまったのです。レフトを守っていた種市先生は、エラーした時に監督に怒られるのが怖くて「こっちに飛んでくるな」と思うようになってしまったそうです。そう思うと体が動いてくれるわけもないのでした。スポーツの指導者の中にはいまだにこのスパルタ方式をとっている人がいますが、脳科学的に見てもそのやり方でいいことは何もないのです。

 種市先生は小学校5年生の時に見た南極物語に強い感銘を受け、その感想を書いた時に、担任の先生にすごく褒められました。全学年の中で一番いい!と太鼓判を押されたのです。それはとても嬉しかった。でも本当に感動したので、そこまで熱い感想文が書けたのだと思っています。そして「将来は南極観測隊の一員になりたい!」というのが、小学校高学年時代の夢でした。

 中学校は地元の公立中学へ。中学校が荒れていた時代です。野球はもうイヤになっていたので、サッカーをやりたいという気持ちもありましたが(キャプテン翼の影響もあってサッカーはすごく人気がありました)、サッカーは小さい頃からやっていてすごくうまいやつがいるだろうし、怖い先輩もいる。怖い先輩のいない部に入ろう、ということで選んだのがバスケットボール部でした。コーチがおらず自分たちで自主練をしている部活でした。和気あいあいとはしていましたが、弱小チームでした。

 しかし、中学2年生の時に新潟市から上越市に引っ越すことになりました。新しい土地で上越教育大学附属中学校の編入試験を受け合格。そこには確かに荒れた子はいませんでしたが、多様性がない環境はなんだかちがうような気がしました。その意味で種市先生は二つの中学校を経験できたことはとてもプラスになったと思っています。最初から附属に行っていては、きっと見えないものもたくさんあっただろうから。
 部活はやはりバスケ部にしました。しかし、ここもそこまで部活に力を入れる中学校ではありませんでした。その頃は南極観測隊よりも、子どもに関係する仕事がしたいと思うようになっていました。小さないとこと遊ぶのも好きだったし、熱中時代や教師びんびん物語など、教師のドラマが結構あって、先生になるのもいいなと思っていたのです。

 高校は公立の進学校でしたが、制服もない、校則もないという先進的な学校でした。
やっぱりサッカーをやりたい、そう思った種市先生はサッカー部に入ります。中学校とちがって練習はとても厳しい部でした。しかし、その厳しさは小学校時代のスパルタ方式とはちがいました。生徒の力を信じ、お前ならできる、というスタンスで監督が接してくれました。どんなに厳しい練習でもつらさを感じなかったのは、監督に信じてもらっているという自信が大きかったにちがいありません。そして種市先生は、高校に入ってからサッカーを始めたにも関わらず、1年生の時からレギュラーに抜擢されたのです。きっと監督は種市先生の運動能力の高さと精神力の強さを見抜いていたのでしょう。
 
 そうしてサッカーに打ち込んで迎えた高校3年の6月のインターハイ予選。チームは2回戦で強豪校に勝ち、勢いづきましたが、3回戦で負けるはずのない相手に敗戦を喫してしまったのです。このショックは大きかった。ここで負けると3年生は自動的に引退です。引退後、受験勉強に専念するかと思えばさにあらず。種市先生は6月から2か月、勉強もせずに遊んでばかりいました。そんな時に、監督から9月の県予選の大会に出ないかと声がかかります。9月の大会に出る、サッカーを続けると告げた時、お父さんは猛反対しました。それでなくても勉強に性根が入っていないのに、この上まだサッカーを続けるとは何事だ!とこっぴどく言われました。しかし、お母さんが陰で応援してくれて、なんとかサッカーを続ける道筋ができたのです。
 ここで種市先生は本気になりました。「よし、空いた時間は徹底的に勉強しよう!」それからは隙間時間を勉強にあてました。9月の大会に出るのですから、夏休みも当然練習があります。種市先生は朝早く学校に行き、勉強してから練習に参加していました。
 こうして迎えた最後の大会。最後は劇的な負け方をしてしまうのですが、インターハイ予選の時の後悔はありませんでした。やりきった充実感がそこにはありました。
 
 勉強に集中するようになって、種市先生の成績はぐんぐん伸びました。監督に9月の県予選に誘われた時に、もし断っていたら、こんなにも集中して勉強することはなかったでしょう。そして、子どもに関わっていきたいという思いは変わっていませんでした。医学部に入って小児科医を目指そう、そう決めてさらに頑張りました。

 サッカーしている時にいろいろ言っていた精神科医のお父さんもその頃には息子の頑張りを見て、認めてくれるようになりました。種市先生は小さい時からお父さんっ子で、お父さんのことが大好きだったのですが、一旦引退した後サッカーをやることに反対された時は「なんで認めてくれないんだろう」と反発心も抱いていました。でも、今、考えるとこの時のお父さんの気持ちがよく分かります。本気で心配してくれて、期待してくれていたからこそ、息子に厳しくしたのだと。実際、お父さんがすんなりサッカーをすることを認めてくれていたら、あそこまで真剣にサッカーと勉強を両立させることはなかったと思うのです。そして、どんな時も懐深く子どもたちのことを理解して支えてくれたお母さん。そんな両親には感謝しかありません。両親に恥じない医者であるためにも、常に誠実であろうと思っている種市先生なのでした。

 こうして、種市先生はストレートで富山大学(当時は富山医科薬科大学)の医学部に合格。
大学でもサッカー部に入り、種市先生がいた6年間はサッカー部の黄金期で、後にも先にもその時がいちばん強かったのです。その時のサッカー部仲間のお一人がブログで以前ご紹介した野上先生です。種市先生、野上先生、そしてあとお2人の4人が同期のサッカー仲間です。種市先生の同期は現在1割も大学には残っていないのですが、不思議とその4人は全員大学に今も残っています。今も4人で集まると、学生時代に戻って何も気を遣わずに心から笑い合える。そんな仲間がいるのは本当に幸せですね。
 
 卒業後の4月から12月までは大学病院で働き、その後の1年半は県立中央病院に。そこに重い血液の病気の子どもが入院してきました。生存確率は10%。その時、種市先生はまだ24歳でしたが、30代であろうその子のお父さんがテーブルに頭をこすりつけて「お願いします。助けてやってください」と何度も頭を下げたのです。その姿を見て、種市先生の心に火がつきました。「よし、絶対に助ける、この子を助ける!」
 その時、病棟でその子がいちばんお気に入りの看護師さんがいました。その看護師さんと種市先生は結ばれることになるのですが、それはもうちょっと先の話です。

 次の年の4月に、種市先生は大学病院に戻ってこいと言われます。その子のことが気になって大学病院に連れていきたいと言ったけれど、それは病院側に断られました。けれど、その頃にはもうその子は助かるという確信はあったので、後輩に引き継いで、大学病院に戻ったのでした。帰って3年目からは大学院に。臨床のスキルアップをしたい時に研究もしなければならないジレンマもありました。そう、種市先生はとにかく現場がお好きなのです。そうして大学院で3年半研究もし、医者になって7年目からは糸魚川の病院に派遣されました。

 この糸魚川での3年間に本当にたくさんの症例と出会い、大変貴重な3年間を過ごすことになります。種市先生は常に子ども達の様子をよく観察しています。そこから見えてくるものがたくさんありました。

 きっと皆さんもカメを触ると病気になるよ、というのは聞かれたことがあると思いますが、世の中に警鐘を鳴らしたのは実は種市先生なのです。
 昔、よくお祭りでもカメを売っていましたよね。その頃、家でカメを飼っている子どもたちがたくさんいました。サルモネラ菌で食中毒になる子の家でカメを飼っていることが多いと種市先生は気づきます。多分3分間診療をしていたら、そこまでの話は出てこないでしょう。でも、種市先生はお母さんと子どもたちとの話を大切にします。だからカメのことにまで思いが及んだのでした。カメの甲羅にはサルモネラ菌がたくさんついている。子どもたちはカメを触った手でそのまま何か掴んで食べてしまう。それでサルモネラ菌にやられて食中毒になってしまっていたのでした。カメがサルモネラ感染症の原因になることは日本ではあまり知られていませんでしたが、種市先生が警鐘を鳴らし、それをテレビ番組が取り上げたことで一気に広まって、今はみんなが知っている常識になったのです。

 また海水パンツをはいていた子のおちんちんが水膨れになってしまうということが続いた時に、種市先生は海水パンツの裏地についているメッシュの目が粗い時に、その孔に皮がはさまってしまうからだということに気付きました。そこで、先生はメディアでそれを発信しました。そのことによって衣料界のガイドラインが変わったのです。ですから、今、日本で作った水着は目の粗い裏地のついたものはありません。種市先生は言います。治しただけで終わりにしてはいけない。次の子を出さないことが大切だと。そのためにちゃんと情報は出す。「予防のための発信力」とても大事なポイントです。そしてこれはどんなことにも通じると思います。当事者はわかっている、でも、他の人は知らない。知らないから仕方ないよね、ではなく、ちゃんと声を上げていかなければ、届くはずもないのです。それなのに、何もやらずに何も変わらないと言っている人のなんと多いことか。自戒を込めて感じました。
 ちなみにこの海水パンツ、国内で作ったものは大丈夫なのですが、外国製だとまだ目の粗いメッシュの裏地のものがあるそうなので、男の子をお持ちの方はぜひ一度チェックしてみてくださいね。

 この糸魚川で過ごした3年で、臨床の感覚をすっかり取り戻した種市先生。先生は糸魚川にいた時に、上述した看護師さんと結婚されたのでした。そして、もっと現場を極めたいという思いが強くなり、大学に救命救急をやりたいと交渉していました。

 こうして念願叶って西東京地域の3次救急の患者が全部運ばれてくるという救命救急の砦、国立病院機構災害医療センターでひたすらトレーニングの日々を1年間送ったのです。しかし、大学からまたもや戻ってこいと言われ、またこれ以上やっていたら救急の魅力にとりつかれてしまうという思いもあって、後ろ髪を引かれつつも大学に戻ったのでした。

 そして、大学病院に戻ってからの種市先生は、富山での小児救急のパイオニアとして大車輪の活躍をされているのです。先生は海外留学をしてさらに学びたいという思いも抱えていらっしゃいます。

 種市先生の現場は、常に生死を伴う分野です。そして、いろいろな思いをぶつけてくる小児患者さんのご家族もたくさんいることから多くの問題に対峙してきました。でも、問題が起こった時に逃げてはだめだ、親御さんも真剣なのだから医者の論理で上から話してもそれが通じるはずもない、だから、常に同じ目線で誠実に話す種市先生。問題が起こった時に逃げずに話した家族とは、強い絆が生まれます。どんな時も信頼関係を持って物事をやりたいのだと。本当になんて誠実なお医者様なんだろうと胸が熱くなります。きっとこんなお医者さまなら、子どもを病院に連れて行った時に、いろいろ話したくなるにちがいありません。
   
 そして実際、お母さんたちの中には、診察の時に、「ちょっとちがう話なんですが、いいですか?」と聞いてくる方がいらっしゃいます。種市先生はそんなお母さんたちの声をとても大事にします。どんなに忙しくても、それを嫌がっては絶対にダメだし、なんでも聞いてもいいんだという雰囲気にすることはとても大事だと思っているのです。そして、その「ちょっとちがうけど…」という話の中にこそ、医者が気付かなければならない大切なことが隠れていることがあるのです。

 最近、子どもたちに予防接種をさせない親御さんも増えています。SNSでの情報拡散等で予防接種は悪だと思い込んでいる人もたくさんいます。しかし、予防接種を受けさせない親御さんたちの中には、本当に受けないでいいのかと揺れ動いている人たちもとても多いのです。「全然ちがうんですが、ちょっと聞きたいことが…」と種市先生に聞いてきたのも、そんなお母さんでした。もしそこで先生が、予防接種は受けなくちゃいけないに決まってるじゃないかという態度だったら、お母さんはそこで心を閉ざしてしまうでしょう。そしてやっぱり絶対に予防接種なんて打たないと思ってしまうかもしれません。実際、母子手帳に予防接種の記録が書いてないことで、病院で白い目で見られ、医者に何も言えなくなっている親御さんもとても多いのです。種市先生は、お母さんたちが不安に思っていることを相談できる場の大切さを思います。そんな場を作らずに、ネットの偏った情報の方に向いてしまう不安を抱えたお母さんたちをどうして責めることができるでしょう。

 種市先生に相談されたお母さんは、その話が終わった後、廊下で泣いていらしたそうです。それまで1人で胸に抱えていた不安な思いをお医者様が誠実に聞いてくださって、そのお母さんはどれだけホッとしたことか。その涙がそれを物語っています。それだけお母さんたちが抱いている不安は大きいのです。それで種市先生は強く思ったのです。「お母さんたちの悩みを放置しちゃだめだ」そして動き始めました。種市先生は、お母さんたちから声がかかれば進んで話しに行っています。ちょっとした集まりでもいい。呼んでくれることで少しでも正確な情報を話したいと思っています。医者は患者を助けたいから医者なのです。1人でも救える命を救いたいと思うのが医者なのです。だから、お母さんたちに正確な情報を少しでも伝えたい、疑問に思うことはなんでも聞いてほしい、種市先生からはそんな強い信念が感じられます。

 種市先生は子どもの終末期医療の現場にずっと立ち会ってきました。臓器移植の子どもに付き添って渡米したこともあります。子ども達の移植は移動だけでも命がけなのです。でも、日本は先進国の中でも子どもの臓器移植が圧倒的に少ない。日本人の死生観のせいにされてしまうことも多く、死を語ることの難しさもあって、日本で臓器提供医療が成り立たないことのジレンマも感じています。でも、これはちゃんと話し合っておくべきことだと強く思います。今、お年寄りの終末期医療はいろいろ考えられるようになってきたし、エンディングノートのようなものもあります。でも、子どもの場合は皆、考えたがらないし、話したがらない。でも、そこにもちゃんと向き合っていかないといけない。

 子どもの死というのは、家族にとって耐えがたい苦痛です。そして苦しい状況におかれた人たちが自分たちで立ち上がらなければならないことがとても多い。種市先生も最初の頃はお父さんやお母さんに何もしてあげられないというつらさを味わいました。でも、今は家族のケアをしっかりやらねば、というミッションも担っていると思っています。病気の子どものいる家庭の兄弟をサポートしなければという思いもとても強くもっています。大きな病気を抱えた子がいるうちは家族のいろんな歯車が狂い、特に兄弟にかかる負担はとても大きい。だからこそ、その兄弟へのサポートもとても大切なのです。

 でも、家族がそんな苦しい思いをしないためにも、重篤な状態になる子どもを少しでも減らしたい。だからこそ、予防医学に力を入れていきたいと強く思っています。
それゆえ、予防接種の大切さも思うのです。ワクチンを打たないことでどれだけ多くの命が危険にさらされるかを、ちゃんとお母さんたちに話したい。それは1人でも救える命を救いたいという種市先生のつよい信念なのです。

 私たちは、SNSの情報やマスコミの情報に流されやすい傾向があるなというのを種市先生のお話を聞きながら反省を込めて感じました。メディアリテラシーの大切さを思いながら、それができていない。影響力の強い人に流されて、それをうのみにしてはいけない。何が真実かというのは、いろいろな話をしっかり聞くことも大切ですし、科学的なデータを自分の目でしっかり見ないといけない。その目を養うことをちゃんと学校教育の場から始めることの大切さを改めて思いました。
 
 もちろん、予防接種のことやいろんな医療のことについて疑問を持つのは、子どものことを思うからこそだというのも、私も2人の息子を持つ母親としてよくわかります。
でも、種市先生のように心から子ども達の命のことを考えているお医者様の声まで聞こえなくなっていては、それは子ども達にとっても不幸だと思います。だから、疑問を持っている方こそ、一度種市先生のお話を聞いてみてください。そこから見えてくるものが、きっとあります。

 

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