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今日の人176.Amit Kanaskarさん [2018年06月11日(Mon)]
 今日の人は銀行員としてお仕事をしながら、アートオブリビングの講師として呼吸法や瞑想を教えていらっしゃるアミット カナスカールさんです。
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 アミットさんはインドマハラシュトラ州で生まれました。
幼い時はとてもやんちゃで、縛っておかないとじっとしていられないような子でした。落ち着いたのは7歳違いの弟が生まれてからです。お母さんに「あなたはお父さんの代わりになるからお願いね」と言われ、兄としての責任感が生まれたのでした。

 アミットさんは子どもの頃から、ひたすら親の話を聞き、家族の状況に敏感でした。何かが欲しいと親におねだりしたことは一度もありません。お母さんのお手伝いをするのがとても楽しい子ども時代でした。家にお客さんが来た時に飲み物を出したりするのが嬉しかった。
動物も好きで、動物園に行くのが好きでした。動物を飽きずにずっと見ていました。家でインコも2羽飼っていましたが、そのインコが死んで木の下に埋めた時に、悲しくてすごく泣きました。あまりに泣いたので、次に飼ってもらえることはありませんでした。とてもセンシティブな子だったのです。
 
 お父さんは2人の子どもを学校に通わせるために花火の行商など2~3の仕事を掛け持ちして家族を養ってくれました。お母さんはとても家族思いで、アミットさんが大学生になっても必ず手作りのお弁当を作って持たせてくれる、そんな優しいお母さんでした。アミットさんは内向的な性格であまり外に自分を出すことはなく、それは自分の弱みじゃないかとずっと思ってきました。でも、その悩みを誰かに話すことはありませんでした。友だちにパーティに誘われたりもしましたが、行ったことはありません。

 ただ、高校に入った頃に親戚が連れて行ってくれたヨガスートラにはとても心惹かれるものがありました。そこで瞑想にも興味を持ちました。ヨガスートラの本を読んで、ベジタリアンになることも決めました。

 進学校で学んでいたアミットさんは、エンジニアになってほしいというご両親の希望のままに、インドの名門プネ大学コンピューター・エンジニアリングに入学します。プネ (Pune)は、「東のオックスフォード」として知られる学術都市で、インド国内のみならず、世界中から学生が集まってきます。近年はIT産業を中心にインドでもっとも目覚しい発展を遂げており、「東のシリコンバレー」ともいわれています。

 そんなアミットさんが日本語に出会ったのは大学2年の時でした。大学でドイツ語をやっている友だちから、日本語をやるから来ない?と誘われていった日本語の授業がとても楽しかった。それで昼は大学、夜は日本語学校に通う日々が始まったのです。アミットさんが自分から何かをやると決めたのは、これが初めてでした。日本語の勉強に夢中になったアミットさんは、大学の講義のメモを日本語で取るくらいでした。それで、日本語の勉強を始めた大学2年の時は日本語能力試験の4級、3年生で3級、4年生で2級に合格したのです。文科省の主催する日本語弁論大会にも出場しました。優秀な人が3人選ばれるのですが、アミットさんは4番目でした。それがすごくショックでした。でも、いつか日本に行こう、それは強く思っていました。

 そして、大学卒業後はインドでソフトウエア会社に就職。出張で日本に来る機会もありました。インドのご両親は息子にMBAを取って欲しいという夢も持っていたので、アミットさんはハワイ大学に渡り、ハワイ大学と日米経営研究所(JAIMS)でMBAを取得。ハワイ大には日本語のプログラムもあって奨学金も出ました。アミットさんは日本で3か月インターンシップをし、その後日本で仕事を探しました。最初は生保で1年半仕事をし、その後現在勤める銀行に転職。今は5人の部下を持つマネージャーをしています。インドにいた時は6年間SEとして働きました。ずっとコンピューターの前にいる仕事は、今は絶対にイヤだなと思っています。いろいろあっても、やはり人と話せる仕事の方がいいとアミットさんは思うのでした。

 アミットさんがアートオブリビングに出会ったのは友だちに紹介されたのがきっかけです。インドの家の近くでコースがあるから受けるといいよと言われ、2003年の12月に6日間のコースを受けます。すると自分の内側がとても静かになって満たされていく感覚を深く味わいました。すっかりこのプログラムに心酔したアミットさんは基本コースが終わる前には上級コースを受ける予約を入れたほどでした。このアートオブリビングの創設者であり、ヨガの大家でもあるシュリシュリの智慧の講話を聴いた時、ずっと涙が出て止まりませんでした。シュリシュリの深い愛と真実を感じたアミットさんは2004年の1月から6月までの間に開講されている全てのコースを受け、最後は両親にも受講してもらいました。そして、4月にインドの会社を辞め、6月にハワイ大学の留学へと向かったのです。ハワイで出迎えてくれたのもまた、アートオブリビングの先生でした。アートオブリビングは世界155か国、1万箇所以上に拠点を持つ国際NGOなのです。

 アミットさんはMBAを取って、日本でインターンシップを終えた後すぐに2週間休みを取りました。その2週間でアートオブリビングの講師養成プログラムに参加します。その後日本で働きながら、アートオブリビングの活動を続け、日本版のホームぺージを作ったりもしました。
アートオブリビングJapanのホームページはこちら⇒https://www.artofliving.org/jp-ja
 そして2010年には講師養成の残りのプログラムも終了し、正式に講師の資格を得たのでした。

アミットさんは今、日本のあちこちでアートオブリビングの講師として活躍しています。ここ富山でも鵜飼ひろ子さんと一緒にプログラムを展開していらっしゃるので、興味のある方はぜひ一度訪ねてみてください。私も一番基本の3日間のハピネスプログラムに参加しましたが、呼吸法でとても穏やかな心地になることを身を持って体験しました。
 アミットさんは、会社員として働いている平日も、呼吸法や瞑想は欠かさないそうです。それでいつも囚われのない穏やかな表情をされているのだなぁと納得の私なのでした。

 アミットさんはこれまで学んできたことを体験として気付けた時がとても楽しいとおっしゃいます。姪っ子が無邪気に遊ぶ動画がインドに住む弟さんから送られてきて、それを見ることが癒やしの時間です。

 
 ヒンドゥ教のお正月のお祭り、ディワリの時は約2週間帰国するようにしているアミットさん。その時は親元で過ごし、ひと時親孝行をしてくるのでした。

 平日は会社員、週末はアートオブリビングの講師として忙しい毎日を送っているアミットさんですが、かつて柔道や茶道も習いに行っていました。京都や奈良に行くのも落ち着きます。ダジャレや落語も好きで、いつか自分自身で落語もやってみたいと思っています。
とにかく日本が大好きなのです。

 そんなアミットさん、会社でもアートオブリビングの智慧を取り入れていきたいと思っています。普通の仕事の中でもその智慧を取り入れることができたら、きっと仕事のストレスや人間関係の軋轢はうんと減るにちがいないですね。

そして夢は、昔のヨガの環境を再現した遊園地(テーマパーク)を造ること。その遊園地、ぜひ行ってみたいです!

富山でアミットさんのプログラムを受けてみたい人はこちらをチェック
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次項有そして6月21日は国連の定めた国際ヨガデーです。
皆さんも国際ヨガデーのイベントに参加してヨガに触れてみませんか?
イベントはこちら⇒https://www.artofliving.org/jp-ja/international-yoga-day/Schedule2018

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