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今日の人155.三谷朋子さん [2015年12月24日(Thu)]
今日の人は、和楽グループ ブライダル事業部着付技術担当チーフ三谷朋子さんです。
三谷さんは全国から着付資格者が日頃の腕を磨いて集まり着付の技術を競う、武市昌子杯 振袖・留袖・花嫁 着付技術選手権白無垢花嫁部門(2015年11月24日開催)にて見事準優勝された まさに時の方です。
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三谷さんは1963年富山市で2人姉妹の妹として生まれました。小さい時は、2歳違いのお姉さんや友達と一緒に、外でドッジボールやゴム跳びをしたり、家の中でリカちゃん人形の着せ替えをして遊んだりしていました。また、家が自転車屋で自転車を入れる大きな段ボールがあったので、それで段ボールハウスを作って遊んでいたりもしました。
商売をしている親を見て育ったので、小学生の頃は将来はサービス業がいいなぁと漠然と考えていました。

中学に入るとバレーボール部に所属。もっとも、そこまでまじめな部員ではなかったので、時々さぼってもいました。巨人がとっても好きな女の子で、ジャイアンツの試合が来ると球場まで足を運んだり、泊まっている旅館まで選手を見に行ったりしていました。時に好きだったのは河埜や土井といった渋めの選手でした。

反抗期も少しはありましたが、特別将来こうなりたいというものもなかったので、高校は事務科に進みます。友だちの家や喫茶店でおしゃべりをするのが楽しい高校時代でした。英文タイプ部に入ったのですが、みんなやっているからやろうかなぁという程度でした。漫画は好きで、当時流行っていた「はいからさんが通る」や「エースを狙え!」を真剣に読んでいたものです。

高校を出ると短大の情報処理学科に進みました。その頃はコンピューターが出始めたばかりの時代で、今では考えられないくらいの大きなコンピューターを使っていました。短大の時はテニス部に入ってテニスに打ち込み、バイトもしていたので、とても充実していた学生時代だったのです。

短大卒業後は事務職のOLとして働き始めました。OL時代に友だちと茶道を習い始め、着物を着る機会が増えました。それで着付けも習い始めたところ、着付けの方が好きになり、着付けをずっと習い続けました。そしてとうとう着付けの師範の免状も取り着付けを教えるまでになりました。

短大卒業後もテニスは好きでずっと続けていたのですが、テニスで出会った人と結婚。結婚後も一年はOLを続けていたのですが、その後はOLを辞めて着付けの先生だけでのんびりと過ごすことにしました。

しかし、着付けだけで食べていくのは難しいな、なんかやれることないかな、と思っていた時にたまたま和楽の求人広告が目に入ったのです。なにか惹かれるものを感じた三谷さんは、31歳で和楽に入社。接客の仕事をやっていたのですが、1年後「着付けの人が足りないからやらない?着付けできるのよね」と声をかけられ、卒業式の着付けを手伝うことになったのです。着付けを教えていたとはいえ、ハレの日のとびきりの着付けです。最初のうちはあまりうまいとは言えませんでしたが、だんだん上手になりました。そして、やはり着付けの仕事はとても楽しかったのです。お客さんの特別な日のお仕度を手伝えるのがすごく楽しくてやりがいも感じました。そうして数年過ぎた頃には、息子さんも誕生しました。旦那さんは育児も家事も手伝ってくれるイクメン、カジダンでした。幼い頃から積極的に育児にかかわってこられたこともあってか高1になった今も息子さんはお父さんと大の仲良しです。

三谷さんは息子さんが生まれてますます仕事にも真剣に取り組むようになりました。三谷さんがいらっしゃる店舗は『貸衣裳の和楽』なのですが、お客さんに「ネイルはしてもらえないのですか?」と言われた時に、これからはネイルも絶対に必要と、いちはやく店舗にネイルコーナーを作ったりもしました。なんとなく入った美容の世界だけど、この仕事は自分に向いている。この世界に来て本当によかった!そう感じていた矢先、三谷さんを大きな衝撃が襲います。

それは甲状腺がんという病でした。本当にショックでした。自分はどうなってしまうのだろう…。けれど、幸いなことに、手術でがんは残らず取れて、三谷さんはすぐに仕事にも復帰できたのです。
この時、三谷さんは思いました。ああ、人っていつこんな病気になるかわからない。自分がいなくなっても、子どもがいつでも一人で生きていけるようにちゃんと自立できる生き方を教えていかないといけない。そして、いつ死ぬかわからないのだから、自分のできることを悔いの残らないようにやりたい、と。

こうして、三谷さんは病気になる前に漠然と考えていた花嫁衣裳の着付けをやりたいという思いを叶えるため、10年程前に通信教育で美容師免許も取得したのです。仕事をしながら免許を取得できたのは和楽の林先生の強い勧めがあったことと、社長はじめお店のみなさんがバックアップしてくれたからでした。

こうして、花嫁衣裳の着付けも本格的にやり始めます。もちろんはじめは失敗もたくさんありました。帯が落ちてきて、謝りに行ったこともあります。もっともっと練習しなければ!花嫁さんにとっては一生に一度の晴れ舞台。衣裳の失敗は許されない。完璧にうまくならないとダメだ!花嫁さんの着付けに関して、三谷さんに一切妥協はありませんでした。周りの誰もが感心するくらいひたすら練習に練習を重ねました。

そして、花嫁さんの一生に一度のステージを最高の舞台にしたいという思いはどんどん高じていきました。そんな三谷さんをさらに前に押し出してくれたのは、それまでもずっと着付を教えてくださっていた林先生でした。先生にもっと外に出て勉強したらいいと勧められ、2〜3か月に一度は上京して、国際文化理容美容専門学校で更に研鑽を積みました。外に出て学ぶことで、三谷さんの技術はよりレベルアップしていきました。
 でも、ただ練習するだけよりもコンクールに出るという目標を持つことで、さらに自分もまたお店もレベルアップできるにちがいない!そう思って、全国から着付資格者が日頃の腕を磨いて集まり着付の技術を競う、武市昌子杯 振袖・留袖・花嫁 着付技術選手権の白無垢花嫁部門に出場することに決めたのです。
 花嫁部門は着付け、メイク、かつらを全て1人でこなさないといけません。三谷さんは自分の腕をさらに磨き、2015年11月24日に開催された大会に臨み、「白無垢打掛花嫁にふさわしい、格調高く気品のある装いであること・モデルに似合っていてトータルでバランスがとれていること・技術者としてのマナーが優れていること」等の審査項目で高い評価を得、見事全国準優勝の栄冠を勝ち取ったのです。

しかし、準優勝した後も三谷さんはあくまでも謙虚です。優勝された方は本当にきれいだった。他の方と全然ちがっていた。自分もそこまでのレベルを目指さなければ、とまだまだ日々修行だとおっしゃいます。

でも、こうやってコンクールに出るためにたくさん練習の時間が取れたのも、家族の協力があったからこそ。ご主人は土日も働いてもいいよ、と言ってくれる本当に優しい方です。いつもご家族への感謝を忘れない三谷さん。いつか息子さんが結婚するときに、お嫁さんの支度を自分がしてあげたいという夢があります。こんなとびっきり素敵なお義母さんに花嫁衣裳の着付けをしてもらえる花嫁さんは本当にお幸せですね。

 三谷さんが今楽しいことは、家族と一緒に家で何気なく話ができる時間。病気を克服された三谷さんだからこそ、何気なく過ごせる時間が何より素敵な時間なのだと実感できるのでしょう。そしてやっぱり、着付けをした花嫁さんが一日最高の笑顔で過ごしてくださることも三谷さんにとっての何よりの喜びなのです。

三谷さんがお勤めの和楽グループでは、今 富山県内の神社挙式や料亭ウエディングなど“和婚”に力を入れていらっしゃいます。白無垢を積極的に推進したり、家族や親戚同士の絆を深めることが出来る神社挙式、料亭ウエディングでたくさんのカップルが誕生しました。
そして今回の三谷さんの受賞を機に、和装の技術をより磨き、“和婚”の良さを発信して推進していかれるそうです。

今、結婚前でこのブログをお読みになった皆さんは本当にラッキーです。三谷さんにお願いすれば きっととびきり素敵な和装で 一生に一度の素敵な日を過ごせるにちがいありません。
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