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今日の人154.川口宗治さん [2015年12月20日(Sun)]
今日の人は、全国で初めて相続診断士事務所を立ち上げられ各地で講演や研修に引っ張りだこの相続診断士事務所ライブリッジ代表
川口宗治さんです。
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川口さんは1973年に旧小杉町で生まれました。幼稚園の頃は、ピアノの音を聴くだけでその音を言い当てたので、絶対音感があるねと言われていたものでした。小学校の時の「くもん教室」では、よく富山県で1番に。小学校の時にもう高校数学をやっていたというから驚きです。

小さい頃からスポーツも得意で、特に野球が大好きな野球少年でした。小学校4年生からはスポーツ少年団に入って活躍していました。最初はセンターで、その後はピッチャーをやりました。とにかく自分の選んだことはとことん大事にする、小さい時からそれは変わっていません。連合運動会の時には団長も務めました。

読書も好きで、小学生の時によく読んでいたのは、ズッコケ三人組や江戸川乱歩シリーズ、伝記も好きでした。家にはドラえもんも全巻そろっていて、ドラえもんも好きでした。

 野球は中学校に入っても続けました。そして運動会では応援団長として活躍し、女の子にもモテていました。川口さんは今も女性にモテるので、それはこの頃から変わっていませんね。当時ご両親の期待もとても大きく、それを少し負担に感じることもありました。
そんな川口さんはこの頃、早稲田大学のラグビー部の活躍を見てかっこいいなぁと思い、自分も将来早稲田大学に行ってラグビーがやりたいと中学校の卒業文集に書いていたのでした。

 そして高岡南高校に進学します。当時小杉町の中学生は丸刈りが決まりだったので川口さんも入学当時は坊主頭でした。高岡市の中学生は丸刈りの規則はなかったので、周りはみんなシャレた髪型をしていると感じ、アウェイ感を感じました。田舎者コンプレックスを抱き、必要以上に自分を過小評価していました。野球部を見に行きましたが、入るきっかけが見つかりません。ラグビー部はなんだか怖い人がそろっている気がして、自分を過小評価していた少年にはとても入れる雰囲気には思えませんでした。

そんな中、誘われたのが生徒会執行部でした。そうして誘われるまま、生徒会に入って活動していたのですが、あまり友だちもできませんでした。そんな高校一年の夏に、同じ生徒会執行部の先輩とのお付き合いが始まりました。何しろ高校生くらいだと一歳違うだけですごい差を感じるものですが、川口さんもまた然りでした。朝も他の生徒たちが乗るより早い6時台の電車に待ち合わせて乗っていました。(都会の人にはちょっと想像できないと思いますが、田舎のローカル線では電車が一時間に一本というのもザラにあります。そして、その頃はなぜか電車通学のことをまだ汽車通学と言っていたものです。)
そうして2人で早く学校に行って生徒会室で一緒に過ごしたり、時にはやっぱり今日はサボろうと2人してサボって別の場所で過ごしていたこともありました。

 川口さんのお父さんは息子に大きな期待を寄せていました。川口さんは中学校まで運動でも活躍していましたから、高校で運動部に入らなかったことにとてもショックを受けていました。そういうこともあってか、この頃よく父と息子はぶつかりました。時には殴り合いのけんかになることもあって、お母さんが間に入って止めていたのを覚えています。
今はお父さんと川口さんはとても仲良しで、2人でお酒を酌み交わしながら話すのはとても楽しい時間です。そして一番の理解者もまた親父だと言い切る川口さんはとても嬉しそうなのでした。

 川口さんは高2の時に生徒会長になりました。彼女が卒業して京都の予備校に行くと、一気に友達も増えました。何しろそれまでは、彼女とばかり一緒にいたので、友だちがなかなかできなかったのです。運動会では応援団長(小・中・高とずっと応援団長だったわけです)にもなり、その後の打ち上げで家にたくさんの友だちを呼びました。それまで友だちも作らず彼女とばかりいた息子が、応援団長を務め、たくさんの友だちを連れてきたのでお父さんは大喜びでした。
川口さんたちは打ち上げでお酒も飲みました。しかし、その時の写真を学校で見ていたのを先生に見つかり、停学処分になります。「生徒会長在任中に停学になったのはお前が初めてだ」と先生にあきれられてしまった川口さん。そして、大学に推薦で入るのも絶望的になったのでした。

 さて、大学をどうしようかと思った時に、本も好きだし英語も好きだから人文学部にしようと単純に考えました。家庭教師をしてくれていた人が富大の人文学部の学生でその人がとてもいい人だったというのも人文学部を選んだ理由でした。しかし前期で人文学部を受け、ダメだったので、後期は教育学部小学校教員養成課程を受験。しかし後期も落ちてしまいました。
予備校の入学金を払いに行った日、川口さんは友だちの家に集まって過ごしていました。「まぁ、仕方がないよ。来年、もっといい所に行けばいいさ」友だちも口々にそう言ってくれていましたが、そこに一本の電話がかかってきました。すると、友だちの態度が急に変わり、「お前こんなところにいないでさっさと家に帰れ」とか「今年大学に行って親孝行しろ」とか言うのです。なんで突然こんなことを言うんだろうと思ったら、なんと家の方に教育学部の補欠合格の電話がかかってきていたのを知らせる電話だったのです。

 こうして富山大学教育学部に進学しました。大学ではアメフト部に入ります。そしてこの選択が川口さんの小さい頃の『選んだらとことん』魂を呼び起こしたのです。
 アメフト部は当然体育会ですから、とてもハードです。ミーティングに始まり、練習そしてまたミーティングで振り返り、その後ジムでウエイトトレーニング。毎日5〜6時間はアメフトに費やす毎日でした。しかし、川口さんはこれにはまりました。女の子と遊ぶより100倍楽しい!そう感じました。こうしてどんどんアメフトにのめりこんでいったのです。キャプテンにもなりました。

 教育学部ですから、当然教育実習にも行かなければなりません。しかし、これがアメフトのリーグ戦とかぶっている時期でした。「アメフトのリーグ戦があるから教育実習に行けません」と教官に言った川口さん。すっかり呆れられました。なんと川口さん、教員養成課程は教育実習に行かなければ大学を卒業できないことを知らなかったのです。

 こうして教育実習に行くことになったのですが、行くなら中途半端にやりたくない、100%できることをやろうと思いました。そんな川口先生の授業は子どもたちにもとても人気でしたし、現場はすごく楽しかった。担当の先生からも「川口くん、ぜひ先生になりなさい」と言われましたが、川口さんはあえて先生にならない選択をしました。先生は本当にそれを目指して必死にやっている人がなるべきで、自分はなるべきではない、そんな風に思ったのです。今となってはそんな風には考えないのですが、若くて真っすぐな青年にはそう思えたのでしょう。

 そして就職超氷河期に人材採用育成サポート関連企業に就職。営業企画・研修講師に携わりました。就職してから毎年、川口さんはその会社の新人営業マンのトップ記録を作ります。それはいまだに破られていません。

 大学時代に打ち込んだアメフトは卒業後も続け、半年間は毎週末に大阪にも通いました。関西は伝統的にアメフトが盛んな地域で強いチームも多い。けれど、川口さんは思ったのです。富山よりぬるい!と。もちろん一流の人たちは大変厳しい中でやっていますが、そうじゃない人たちのモチベーションはむしろ富山よりも低いくらいだったのです。高校に入る時、田舎者のコンプレックスがあって自分を過小評価していた。けれど、大阪での体験は川口さんに大きな自信をくれました。鶏口牛後、田舎で志を持ってやっている方がむしろいいのだと。

 こうして川口さんは仕事の傍ら、富山ベアーズの選手としても活躍し、キャプテンを3シーズンやり、富山大学のアメフト部の監督も5年務めました。選んだらとことんやるポリシーはここでも貫かれ、川口さんは今も富山ベアーズでアメフトを続けています。アメフトをずっとやっていたから、人生においてとても大切なことを学べた。だからアメフトの神様に恩返ししたい、そんな気持ちもあります。後輩に大切なことを伝えたい、次の世代に伝えたいという思いは、今やっている相続の仕事の根幹の部分でもあるのです。
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 川口さんは25歳の時に転職を決意しました。仕事がイヤになっての転職ではありません。それまでの仕事もとてもやりがいがありました。けれど、プルデンシャル生命から声をかけてもらい、最初は保険なんて…という思いがありましたが、1人の職業人として尊敬できる人がたくさんおられたし、自分がより成長できると思って転職を決意したのです。

 プルデンシャル生命には新卒の社員はいません。他の企業で実績を上げた人しか転職してこないのです。そして、その年齢は32〜33歳が平均ですから、25歳で声がかかった川口さんは当然一番若い社員でした。しかし、真摯にお客さんと向き合う川口さんの営業成績が上がらないはずがありませんでした。こうして31歳の若さで営業所長に抜擢。チームのメンバーが全員年上ということもあり、苦い思いもたくさんしてきました。でも、その時の経験が、今は大きな財産になっています。

 この期間に川口さんは相続診断士の資格を取得しています。相続において保険金の支払いというのは相続全体の108分の1と言われています。それほど相続というのは多岐に渡って複雑なのです。川口さんは保険金の支払いの時にお客さんに「相続のことは何でも相談してください」と言っていましたが、実際に相談してくるお客さんはほとんどいませんでした。でも、本当は相談したいと思っている人はたくさんいるはずだ。そして、これからの世の中、相続のことをなんでも相談できる人は絶対に必要だ。保険のことなら専門家がたくさんいるけれど、相続に特化した専門家はまだいない…。
 こうして、川口さんは40歳で独立することを決意します。この時も会社の仕事が嫌いで辞めたわけではなく、むしろ好きだったのですが、もっとやりたいことが見つかった以上、もうその道に行くしかありませんでした。川口さんは男の人生は40歳からだと思っていました。40からは自分の思う道を進みたい。だから35歳からの5年間は準備期間と考えて過ごしました。

 そして2013年11月10日に相続診断士事務所を設立。その日は川口さんの40歳の誕生日でもありました。まさに有言実行の男なのです。

 相続診断士事務所を設立してからは、毎日息つく間もないくらいに突っ走ってきました。けれど、自分の思う世の中に向かっていて、どこに行っても求めてもらえると思うと、疲れもどこかに吹っ飛んでしまうのでした。もちろん、全てが順調だったわけではありません。どこの世界でもその道を切り拓くパイオニアには大きな試練があるでしょう。でも、川口さんはその試練も全て今の自分にとって必要不可欠なものと考えました。富山の相続現場から争族(争う家族)をなくしたい。その熱い思いが、今日も川口さんを走らせています。

 実は相続診断士は全国に2万人います。けれど、ほとんどは生保の社員や不動産会社の社員が肩書きのひとつとして持っているという感じなのです。ですから、相続診断士として独立すると言った時に一番驚いたのは相続診断協会の人でした。それだけでやっていけるのか?けれども川口さんは肩書きの一つではなく、その道のプロとしてやりたいと思いを貫きました。
 そうやって独立して2年余り、今では独立第一号のパイオニアとして全国区で有名な相続診断士になったのです。

 川口さんには息子さんが2人いますが、2人とも人としてリスペクトできるとおっしゃいます。同じく息子が2人いて、いつもため息ばかりついている私には、息子を人としてリスペクトするというその姿勢は本当に素晴らしい!と感嘆のため息が出ます。
2人の息子さんは陸上で素晴らしい記録を持っています。2人とも有言実行で決めたことはとことんやり抜きます。川口さんご自身も『選んだらとことん』の方ですから、思いはしっかり息子さんに受け継がれているのですね。
そこには息子さんと話す時はとにかく否定はせずに彼らの自己肯定感を高めるような接し方をしてきたことも影響しているにちがいありません。
そして息子さんたちが成人した時に、男三人で飲める日がとても楽しみな川口さんなのでした。川口さんはとてもお酒が強いので、そこも受け継がれているとしたら、超パワフルな飲み会になりそうですね。

 そんな川口さん、とにかく毎日忙しいのですが、ストレスはありません。強いて言えば運動できる時間が取れないことがちょっとストレスです。アメフトもまだまだ続けていきたいし、やはりなんといっても体が資本なので、もうちょっと体を鍛える時間を作りたいと今思っています。

 川口さんの夢は、富山県から争う相続をなくすこと。自分はその一助になりたいと思っています。今まで盆や正月に会っていた家族が、相続争いをきっかけに会わなくなってしまう、そんな争族を避けたい。今は資金力をカサに大手の会社もいろいろやっているけれど、地元の人にとっては富山弁で話が聴ける人がやっぱり頼りになります。土地勘があって、富山弁のニュアンスを感じられるのは、富山の自分。だから、これからも富山を大切に、富山の仲間たちと一緒に取り組んでいきます。

 今、相続のことで何か困っている方は、ぜひ川口さんに相談してみてください。どんな些細なことでもきっと親身に相談に乗ってくださいますよ。いろいろなセミナーも開かれています。詳しくはこちらで。
ライブリッジホームページ⇒http://www.libridge-souzoku.jp/

 川口さんはこれからもきっと爽やかに、富山の相続現場でタッチダウンを決めていくことでしょう。インタビューしたのは冬だけど、とっても熱いエネルギーを感じた時間になりました。
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