CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«今日の人142.川田真紀さん | Main | 今日の人144.林 不二男さん»
<< 2017年07月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
宮田妙子
今日の人149.河除静香さん (09/24) 橋本桂
今日の人149.河除静香さん (09/08) 高木敏夫
今日の人123.高橋太郎さん (04/14) 大太
今日の人4+.森本耕司さん (07/17)
今日の人143.書家satoshi(片山諭志)さん [2015年05月16日(Sat)]
今日の人は、書家として大活躍で先日個展を終えたばかりのsatoshiさんです。
11225511_867602426652005_1184215372_n.jpg

satoshiさんは1975年7月19日に現南砺市の旧福野町で生まれました。心室中隔欠損症という先天的に心臓に穴が開いている病気で3歳の時に金沢で手術をします。小学校低学年の時は、体育は禁止されていました。
また、小さい頃は絵を描くのがとても好きな子でした。絵と言ってももっぱら写し絵だったのですが、時間も忘れて描いていました。

小学校3年生の時に、ソフトテニススポーツ少年団に出会います。その事が後の人生を大きく変えることになります。
この頃になると、普通に運動してもよくなっていたこともあり、ソフトテニスの練習にのめりこんでいきます。負けず嫌いということもあってメキメキ力を伸ばし、小学校5年の時には県大会で優勝。その後も県内では無敗でしたから、小6の時には本気で全国優勝を目指していました。

中学校ではソフトテニスが強くなることしか考えていませんでした。部活だけでなく、自主練でランニングや筋トレをし、中2からプロテインを飲み始め、とにかくテニス一色だったのです。中2、中3と北信越大会に出場。北信越大会ではベスト4に残入ると、全国大会に出場できます。そのことを目標としてやってきた中3の北信越大会でベスト8まで進み、ベスト4を決める大事な試合で3−1とでリードし、マッチポイントを2回とります。しかし、ペアが2回ともミスをし、そこから流れが変わり、3−4で負けました。(ソフトテニスはダブルスが主流)本当にあと一歩のところで全国大会を逃したのです。
けれど、そこでペアを責めませんでした。マッチポイントを2回も逃し、その後のプレーで気持ちを立て直せなかった自分の弱さをひしひしと感じていたからです。

高校は県外の強豪校に進学したかったのですが、母親が反対でした。地元の福野高校には、尊敬する先輩が行っていましたが、指導者がいませんでした。そしてどうしても来てほしいと声をかけてもらっていた高岡工芸高校へ進学します。

今でもそうなのですが、当時から硬派でかっこよく、とてもモテました。城端線と氷見線を乗り継いで通学していたのですが、通学途中の女子高生たちのあこがれの的だったのです。けれど、本人はテニス一筋でした。当時からメンタルトレーニングや栄養学の本を読み、常に強くなるにはどうすべきかを常に考えていました。「こうする!」と自分で決めたことは徹底的にやる超ストイックな高校生だったのです。

高校2年の時は、先輩とペアを組んで、県総体優勝。先輩が引退し、ペアを組んだ同級生は高校に来てからソフトテニスを始めたような素人に近い選手でしたが、それがきっかけでものすごく勉強になったとsatoshiさん。なにしろ逆境で燃えるタイプ。3年になってから、1,2年の時の倍の練習をこなしました。ペアは下手だけれど、すごく純粋で素直で努力家でした。諭志さんは高校2年からキャプテンを務めていたのですが、その時から先生は部活のやり方に一切口を出しませんでした。練習メニューから何から何までsatoshiさんが決めていましたし、部員もそんな諭志さんを慕っていました。そうして、3年の時は先輩も成し遂げられなかった団体・個人も優勝を果たしたのです。

中学生の頃から大学はテニスの名門「日体大」に行くと決めていた事からスポーツ推薦入試を受け、セレクションでも推薦枠である8人の1人に選ばれ、日体大でさらにソフトテニスへの道をひた走ることになりました。大学へ入ると合宿所に入寮するのですが、ここでは1年生から4年生までが同部屋になります。そして、1年生は3年生の、2年生は4年生の付き人になるのですが、satoshiさんはいきなり、当時の大学チャンピオンの付き人に。とても緊張もしましたが、大変うれしいことでもありました。しかし、一時たりとも気を抜ける時間はありませんでした。なにしろ1年生の門限は6時でしたし、先輩の付き人以外にも掃除当番や食事当番など様々な仕事もありました。

satoshiさんはいつも同級生の誰にも負けないくらい大きな声を出してひたすら頑張りました。常に1軍にはいたのですが、なかなか結果が出せずにいました。3年の夏の大会が終わった時、人生で初めてと言っていいくらいの挫折感を味わっていました。なぜ、これだけ真剣に取り組んでいるのに、結果がついてこないのだろう…。チームも不振だった時期でありそのことを見かねて、監督がいろいろなアドバイスをしてくれました。それがきっかけとなり、3年の秋からはおもしろいくらいに結果が出せるようになったのです。

そして大学4年の全日本学生選手権のダブルスで優勝。ついに日本一の栄冠に輝いたのです。

実は、大学に行く前から、卒業後は地元に帰って福野町役場に就職すると決めていました。スポーツ少年団に在籍していた時から、日本各地や海外との交流をさせてもらいコーチの方や役場の方々に大変感謝していました。そして今度は自分がスポーツで地元に貢献したい!そう思っていたからです。教職課程もとっていて、母校に教育実習にも行きましたが、自分は教師として子どもたちに接するのは何かちがうな、と感じたのです。もっとも、教育実習に行っている間は「あの片山さんが来ている!!」というので、生徒たちからも、そしてその父兄の皆さまからも熱い眼差しを一身に受けていたのですが…。当初の思いを曲げることなく、福野町役場(現在は南砺市役所)に就職して、体育施設の管理や事務仕事をし、夜は社会人選手としてソフトテニスに取り組みました。

社会人になって、まず思ったのは、なんて自由なんだろうということ。大学時代はずっと1分1秒に追われる生活でしたから、社会人になって初めて自由な時間ができたのです。卒業して最初の年は、神奈川国体で8位。富山県が国体のソフトテニスで入賞したのはこの時が初めてでした。そして2年目の熊本国体が2位。3年目の地元開催になった富山国体では3位、次の宮城国体では2位に輝きました。
北信越のインドア大会ではなんと6連覇、全日本クラブ選手権2連覇、東日本大会では2位と、社会人になってからも華々しい活躍を続けたのです。そうして、31歳の兵庫国体をもって現役選手から引退しました。

その後は本格的に中学生の指導に力を入れ始めます。指導に少しでも役立てたいと様々なジャンルの本もたくさん読み漁りました。コーチングのセミナーを受けた時には、今まで怒鳴り散らして教えていたけれど、子どもたちの力を引き出していないのは実は自分だった!と気付いて、指導方法を180度変えました。変える、直すというベクトルを選手ではなく、まず自分に向けるようになりました。福野中学校では、自分の学んだことを生徒達にわかりやすく伝えるソフトテニスクラブ通信も発行していました。そうして指導した生徒の中には、現在ナショナルチームで活躍している選手もいます。

そんな風に自分自身がいろいろな学びを続ける中で出会ったのが、福島正伸さんだったり、てんつくマンだったりしました。そして中学生にテニスを指導しているだけというのは何かちがうな、と感じるようになっていったのです。

もっと広い視野で何かしたい、そう思ったsatoshiさんは福野にてんつくマンを呼んで、てんつくマンの映画上映と書き下ろしのイベントを企画しました。インスピレーションで言葉を書く書き下ろしを見れば見るほど素晴らしいと思うようになりました。そして、自分も書きたいという思いが沸々を湧き上がってくるのを感じたのです。書き下ろした言葉を見て、涙を流して喜ぶ人たちがいる。自分の自己満足のためではなく、人のために書きたい、と心から思ったのです。

こうして6年前から筆を執るようになりました。書の心得があったわけではありませんが、書けば書くほどよくなると思い、毎週土曜の夜に富山駅の地下に座って書くことを1年間続けました。そして1年続けて確信に変わりました。これは自分が本当にやりたいことだということを。その時に、安定した公務員の職を辞めることを決意します。親や上司にはもちろん反対されました。けれど、昔から、決めたら引かないことを、ご両親は言われた時点でわかっていらしたのだろうと思います。むしろ説得に時間がかかったのは上司の方でした。

周りの人たちからも収入はどうするんだと心配されましたが、本人は一切そういうことは心配していませんでした。人のために、という強い思いがあった。これは俺の使命なんだ。もし、仮に収入がなくても、その時はバイトすればいい、そんな風に思っていました。

ちょうど役所をやめる前に役所近くの家で自殺した人がいました。これが現実だ、でもやっぱり自分はこれを止めたい。そのために書きたい。

最初の年はあちこちのイベント会場に出かけて書いていました。1年目は結構売れたのですが、2年目にガクンと落ち込んだ時期がありました。何かを変えるタイミングかもしれない。それまでは比較的丸くてかわいい字で書き下ろしを書き、パステルで色も付けていましたが、そこから作風を変えました。すると客層も変わって自分の中でも変化を感じていました。今までは誰かのためにと思って書いていたけれど、自分が「心から書きたい」に変わっていったのです。こうして、書の専門書からも本格的に学び始めました。

阪神百貨店に出店していたとき、たまたま隣のブースの女性が創作服を作っている人で、彼女はパリでファッションショーや個展もしていると言っていました。彼女ができるなら俺にもできる。なんだか妙な確信が生まれて、satoshiさんは3年目にニューヨークに一週間滞在し、書き下ろしをしてきました。ニューヨークなら、いろいろな国の人々を感じられる、そして最先端のアートが見られる!そしてそんな最先端のアートが集まっているにもかかわらず、書き下ろしは日本にしかありませんでした。書き下ろしは日本の誇りなのです。
ニューヨークに行ったのは2012年。東日本大震災に対する海外からの支援に対して感謝の思いを伝えたいというのもありました。そして、予想通り、とても楽しく充実した一週間になりました。路上に座った瞬間そこにずっと前からいたかのような感覚があり、とても落ち着きました。そんな中で最初から3時間ぶっ通しで書き続けました。来てくれた人の名前はすべて漢字で書きました。皆さんその書き下ろしを受け取って大喜びでした。通訳も頼んでいたのですが、訳してくれたのを聞いた時の皆さんのパフォーマンスがすごかった。ハグされたり、全身で喜びを表現されたり、それらの体験を通して、satoshiさんはなお一層、書き下ろしに確信を持ったのです。そして、言霊を大切にする日本の文化を改めて感じました。
11198436_867602166652031_293745848_n.jpg
11251430_867602296652018_1739861114_n.jpg

翌年には、再びニューヨークを訪問しチェルシーのギャラリーで企画されたの日本人の書展にも3点出品。その後、ロンドンとパリでも1週間ずつ滞在し書き下ろしをしてきました。

帰国してからは、本格的に個展へ向けての準備に入りました。イベントに出張する機会も減らし、創作中心の生活でした。個展会場もどこがいいか、下見を重ねました。そうして思い描くものと一番しっくり来る富山市民プラザを会場に選びました。

satoshiさんの作品へのこだわりは半端ありません。個展に出した101点の全ての空間設計に1ミリ単位にまでこだわりぬきました。それは、落款を押す位置を決める時でも、作品の余白を作る上でも、表具する上でも、作品の配置を決める上でも変わりありません。1ミリで表情、表現が変わる、だから妥協という言葉は諭志さんの中にはありません。

そうして開催された初の本格的な個展には、多くの来場者が訪れ、またたくさんの人が驚くほど長い時間会場で作品に触れてくれました。心地よくてずっとこの場にいたかった、そんな感想がたくさん聞かれたのです。作品を搬入して展示したばかりの時と、最終日では、明らかにその場の空気が変わっていました。作品とお客さんが創り出す空間というものをひしひしと感じた時間になりました。
11210140_867602859985295_1241576769_n.jpg
個展をこれからも続けていきたい、とsatoshiさん。もし、自分の命があと一日しかなかったら作品を書く、それくらい書くことが一番幸せで楽しい時間なのです。

そして今やりたいと思っていることがもう一つあります。それは子どもたち、特に中高校生にいろいろな生き方を伝えていくこと。そのために「道プロジェクト」を立ち上げました。それぞれ自分の道を歩いている南砺の大人5人が講師となって学校などで講演活動を行います。子どもたちにわくわくする人生を伝えたい−。正解なんてないんだよ。他の人じゃなく自分がわくわくするほうを選んで自分らしく生きてもらいたい。そんな思いで活動していきたい、そう思っています。そして、この講師はこれからどんどん増やしていく予定です。今の自分があるのもいろいろな生き方を見てきたから。だから子どもたちにもいろいろな生き方を見てもらいたい。

satoshiさんの創作は自分の体が資本なだけに、健康管理にも気を付けています。食材にもこだわりますし、野菜中心でほとんど自炊。基本外食はしません。そして、寝る前にはスクワットと腕立て伏せも欠かしません。
 
自然の中にいるのも大好きです。植物や樹木から学ぶことは本当に多い。そうして常に自然と自分の気持ちをリンクさせて物事を考えるようにしています。それが創作へのインスピレーションにもつながっているにちがいありません。

テニスラケットを筆に持ち替えても、自分に厳しく妥協しない姿勢はずっと変わりません。そんなsatoshiさんから、この先どんな作品が生み出されていくでしょうか。これからも目が離せませんね。
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
http://blog.canpan.info/tb/1088309

コメントする
コメント