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川北秀人on人・組織・地球

「地球上のすべての生命にとって、民主的で調和的な発展のために」を目的に、市民団体(NPO)・社会事業家(ソーシャル・アントレプレナー)や社会責任(CSR)志向の企業のマネジメントの支援や、市民・企業・行政の協働の支援などに奔走する、IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所]代表者の毎日の、ほんの一部をご紹介します。


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IIHOEも僕も誕生日を迎えました! [2012年08月25日(Sat)]
今日、8月25日は、IIHOEの創立記念日(1994年)でもあり、
僕の48歳の誕生日でもあります。
みなさまのご支援・ご協力を得て、この日を迎えられたことを、
本当にありがたく思います。

僕が大学を卒業してリクルートに入社した1987年(昭和62年)は、
まだ円高不況が残りつつも、バブルに向けた加速が始まっていた時でもあり、
加えて、意識も実行力も高い先輩方や同期たちの中でもがきながら、
どうにか毎日を過ごしていた状況でした。

しかし、(アメリカとヨーロッパ経由で)東京に異動となった88年以降、
どうしても(自分の能力不足は完全に棚に上げて)会社の中のことだけでは
飽き足らず、「VISION2020」という、社外の同世代との小さな
不定期の勉強会を始めました。
「2020年、自分は56歳で、次の世代に、地球というバトンを渡す。
そのとき、どんな地球を渡せるのか。そのために今、何をすべきか?」
というのが、始めた動機です。
2000年までの90年代は、未来のあるべき姿を模索する展望(Vision)、
2010年までの00年代は、あるべき姿の判断(Decision)、
そして2020年までの10年代は、それを実現する実践(Action)を
それぞれ主題にする、という構想でした。

今思えば、その勉強会に参加してくれていたメンバーは、当時から、そして
今も、活躍している逸材ばかり。僕がそのまま、リクルートの中で、
国際弁護士業務ができるような能力さえあれば、さぞおもしろいことに
なっていたのでしょうが、残念ながら、能力が圧倒的に足らず。。。
91年に同社を退職してアメリカのロースクールをめざしたにもかかわらず、
4年間の挫折の連続を経て、94年の司法試験浪人中に
「人と組織と地球のための国際法務事務所」をつくるための前身として、
「人と組織と地球のための国際研究所」という名前をつけてスタートしてから、
もう18年が経ちました。

テレビもラジオもつけない生活が続く、司法試験浪人中の95年1月17日。
阪神・淡路大震災を、友人からの電話で知り、1週間後の24日から2週間ほど、
神戸にお邪魔し、お手伝いさせていただきました。
のちに「ボランティア元年」と呼ばれる同年。僕が現場で痛感したのは、
「役所語・会社語・世の中語の3言語の通訳の不在による協働・連携不全」と、
「ボランティアとNPOの、悲しいぐらい圧倒的な事業・組織運営力不足」。
その年、アメリカのロースクール2回に続き、日本の司法試験も(当然ですが)
2回連続して落ちたことで、自分の能力不足を思い知り、したいことでなく、
できることで、役に立つしかないと、環境や国際協力など、すばらしい先輩が
すでに活躍していらしゃる分野から、NPOのマネジメント支援を始めました。

今でも、あくまで、本業はNPOのマネジメント支援ですが、
本当にありがたいことに、現在では、自治体とNPOとの協働や、
町内会・自治会などの地縁組織のあり方の進化(活動から事業へのシフト)、
そして、企業の社会責任への取り組みの戦略的な支援(現実的には
少し先のグローバル・スタンダードからの細かく厳しい指摘!)といった
領域でも、お仕事をさせていただいています。

昨年3月11日の東日本大震災は、上述の経緯でこういう仕事を始めるに
至った者として、また、地域の持続可能性を高めることこそ、社会と国、
ひいては世界の経済と平和の安定につながることを体感している者として、
従来のような、点と点を偶発的に結び付けるだけの支援ではなく、
個々の現場を正確かつ精密に把握し、地域間比較や時間を追った経緯を
体系的に示すことで、抽象的ではない、具体的な俯瞰を行えることこそ、
多くの人を同時に救うことに結びつくと信じ、つなプロ(と命名しました)
発足をよびかけ、多くのみなさまにご協力いただきました。

ここまでお読みいただいておかわりの通り(わかりにくいですか??)、
僕の基本的なあり方は、今、目の前にある課題を追いかけるのではなく、
未来をより良いものにするために、活躍が期待される人や組織に助言
(というより、是正のための箴言?)したり、いろんな方にお使い
いただける基盤をつくったり、という役割を果たすことでした。
(絵にならない仕事なので、マスメディアの方の取材は本当にたくさん
いただいていますが、名前が出ることは、ほぼありません。。。)

さて、あと2年で50歳になりますが、そこから何年かのラストスパートは、
「地域における、福祉と医療の一体化」を実現することが、役割であり、
また、いろんなことを教えていただき、育てていただいた先輩方に
お応えするための責任でもある、と感じています。

どう始めればよいか、どう進めればよいかは、まったくわかりません。
しかし、課題先進国・日本が、課題解決の先駆者になるためには、
「世界初へのチャレンジ」が不得意な国民性なんていう空気に負けず、
大胆な仮説を持ち、実践を通じて、しくみと生態系を育てるしか
ありません。

これからも、みなさんのお力をお借りして、より良い社会づくりに、
微力を尽くして取り組み続けます。どうかよろしくお願いします。
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