第7期生の川口 聖です。[2011年08月15日(月)]
『日本手話は自然言語の1つであると証明する』 それが私の留学テーマです。
「手話とは、ろう者が社会参加するための道具、あるいは日本語(音声)を補完するための補装具である。おまけに世界共通語である」 おかげさまで地元の聴覚障害者協会役員を長年やらせていただいたなかで感じた、いつもお世話になっている、いろんなところでのお偉いさん方々がおっしゃる、手話に対するイメージである。
「起きる・あいさつ。私・名前・○○・言う。よい・頼む。(おはようございます。私の名前は○○と申します。よろしくお願いいたします)」 大学時代に初めて一般の方々に教えた手話である。マジョリティのやり方は正しい、マイノリティの自分は我慢するしかないと信じ込んでいた頃でした。
それら2つの原点が、私の留学テーマを決めたきっかけである。
2006年12月13日、国連総会で採択された障害者権利条約において、手話は言語であると定義された。
2010年7月18〜22日、世界ろう教育会議、カナダのバンクーバー会議において、1880年イタリア・ミラノ会議でろう教育プログラムにおける手話の使用を否定した全ての議決が却下された。
そして、2011年7月29日、日本の国会において「可能な限り、言語(手話を含む。)」と、手話の言語性について法律に盛り込まれた。
もはや「手話は自然言語の1つである」と、世界的な共通認識になろうとしている。
はじめまして。第7期生の川口聖です。誠に恥ずかしながら、手話講師も長年やらせていただきましたが、日本手話は、日本語とは全く違う、れっきとした一つの言語であると、感覚的に経験的にわかっていました。しかし、日本手話を学問的にきちんと説明できるろう者が非常に少ないことは事実です。
1990年ADA(障害を持つアメリカ人法)が制定されてから20年以上の歴史を有するアメリカでは、あちこち大学で手話の学問的な研究がなされているほど、研究基盤が成熟しつつあります。そんなところへ、研究に必要なアカデミックな見方、それは客観的な見方を磨きたく、今回の留学を思い立った次第です。
ただいま、サンフランシスコ近郊で比較的に暖かいところ、インディアンの村からできたフリーモント市にあるOhlone Collegeへ研修を受けています。簡単な自己紹介になりましたが、皆様の温かいご応援、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
「手話とは、ろう者が社会参加するための道具、あるいは日本語(音声)を補完するための補装具である。おまけに世界共通語である」 おかげさまで地元の聴覚障害者協会役員を長年やらせていただいたなかで感じた、いつもお世話になっている、いろんなところでのお偉いさん方々がおっしゃる、手話に対するイメージである。
「起きる・あいさつ。私・名前・○○・言う。よい・頼む。(おはようございます。私の名前は○○と申します。よろしくお願いいたします)」 大学時代に初めて一般の方々に教えた手話である。マジョリティのやり方は正しい、マイノリティの自分は我慢するしかないと信じ込んでいた頃でした。
それら2つの原点が、私の留学テーマを決めたきっかけである。
2006年12月13日、国連総会で採択された障害者権利条約において、手話は言語であると定義された。
2010年7月18〜22日、世界ろう教育会議、カナダのバンクーバー会議において、1880年イタリア・ミラノ会議でろう教育プログラムにおける手話の使用を否定した全ての議決が却下された。
そして、2011年7月29日、日本の国会において「可能な限り、言語(手話を含む。)」と、手話の言語性について法律に盛り込まれた。
もはや「手話は自然言語の1つである」と、世界的な共通認識になろうとしている。
はじめまして。第7期生の川口聖です。誠に恥ずかしながら、手話講師も長年やらせていただきましたが、日本手話は、日本語とは全く違う、れっきとした一つの言語であると、感覚的に経験的にわかっていました。しかし、日本手話を学問的にきちんと説明できるろう者が非常に少ないことは事実です。
1990年ADA(障害を持つアメリカ人法)が制定されてから20年以上の歴史を有するアメリカでは、あちこち大学で手話の学問的な研究がなされているほど、研究基盤が成熟しつつあります。そんなところへ、研究に必要なアカデミックな見方、それは客観的な見方を磨きたく、今回の留学を思い立った次第です。
ただいま、サンフランシスコ近郊で比較的に暖かいところ、インディアンの村からできたフリーモント市にあるOhlone Collegeへ研修を受けています。簡単な自己紹介になりましたが、皆様の温かいご応援、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。





