2008年9月生活記録(岡田)[2008年10月30日(Thu)]
■進路決定
数ヶ月前からこのブログで大学院への出願の状況を報告していたが、先日無事に合格し、9月22日から大学院に通い始めた。OhloneのあるFremontから車で30分ほどの、Santa Clara University という私立大学で、 Higher Education Administration: MA というプログラムに入学した。
高校生まで(K12)を対象としたマネジメントを学ぶプログラムはどこの大学でもあると言ってもよいが、Higher Educationだけで構成されたプログラムは、カリフォルニア中を探してもそれほど多くはない。プログラム自体はあるのだが、Higher Educationのmanagementという高度の専門性ゆえに、研究大学といわれている、University California群のDoctoral programで提供される多い。このようなプログラムにもかなり魅かれるのだが、その場合最低でも4−5年間はかかるし、できるだけ早く現場に戻って専門的に学んだことを、実務の現場で積み重ねていきたい、Ed.Dのプログラムはもっと年を重ねてからを経験したいという気持ちがあったため、2年程度のmasterレベルのプログラムに限定して出願した。
出願の過程で、サポートサービスもある程度整っており、顔見知りも多く、インターンまで考えた上で理想的な環境だった San Jose State University のプログラムが、政府の資金難のために募集停止してしまうなど多くの問題が重なり、結果的には、この大学のみ出願して合格ということになったわけである。とはいえ、アメリカの私立大学というのはあまり日本では知られていないし、日本の私立大学と比較できるという意味ではいいかもしれないと考えている。
今までも、TOEFL受験の経緯など報告してきたが、その結果が出た後、インタビュー(面接)が授業開始の10日前にあり、1週間前に合格が決まったので、本当にギリギリのタイミングであった。そのため、今学期はフルタイムではなく、パートタイムとして在籍する。それに関して、VISAやI-20の問題などが解決しておらず、Ohloneのクラスをいくつ取り続けるのかなどが未定で、まだ勉強に集中できる環境ではないが、10月中には解決することを願っている。順調に行けば、次の学期からはフルタイム生として通う予定である。
今学期に大学院で履修するクラスは、Higher Education Adminiatration and Leadership と、Students development というクラスである。前者は大学のadministratorとして必要なスキルを幅広く概観し、同時にこのプログラムに慣れるという目的で、図書館でのリサーチ方法の説明なども組み込まれている。後者は10月から始まり、1日6時間の5日間で行われる。クラスの詳細はまた来月に報告したい。ちなみにOhloneでは4クラスとっているので、現時点で合計6クラスとなっている。
このプログラムは理論と実践の結びつきを重視しているところなので、クラスメイトのほとんどは現職の大学職員、もしくは過去に同様の経験を持つ人ばかりである。出身大学もスタンフォード大学やカリフォルニア大学などバラエティに富んでいて、留学生ももう1人いる。クラスはすべて夜または土曜日に行われ、各クラスは10人前後、プログラム全体でも40人程度で、お互いの顔が見れる環境である。プログラムの内容は自分が深く学んでみたいと考えているものがそろっており、また選択科目として、同じデパートメントのほかのコース(心理学やカウンセリングなど)も取れるので非常に楽しみにしている。
■大学のマイナス面
ところで、この1年間はOhlone Collegeに在籍し、自分のASL力が上がりさえすればコミュニケーションのバリアはなく生活できていただけあって、この大学に来ると「壁」を感じる。英語がまったく話せず、Lip readingもできないので、コミュニケーションは通訳か筆談が頼りである。
さらには通訳サービスの部署のスタッフがASLができず、ろう者のコミュニケーション方法や文化、困難についての知識・経験がまったくない。本人たちが「全く知らないから」と言っているくらいである。そのため、何か問題が起こったり苦情を言いたい場合、Eメールとなるが、なかなかポイントがかみ合わない場合もある。そもそも、相手に背景となる知識がないので、議論にさえならないことのほうが多いのである。通訳が用意される場合でも、通訳者は外部からの派遣に頼っているため、短時間となり、納得できるまで話し合うことができない。
「ASLは英語と同じだから通訳がつけば問題はないでしょ。何が問題なわけ?」と、部署のdirecterに言われたときは本当に残念であり悔しかったし、自分の困難な部分を、サービスの責任者が理解しようとすらせず、クラスの違いや、こなさなければいけない課題の性質の違いがあるのにもかかわらず、理由の説明もなしに「クラスでの手話通訳しか提供できない」の一言で済ませて、「じゃあ、どうしようか」と、セカンドオプションを考えようともしない。ADAでは「Equal Access」と「Reasonable accommodation」が規定されている。Ohloneの先生とも相談して確認したが、前者に関しては、一概に違反とは言えないグレーゾーンであるが、後者に関しては「reasonable」の部分が一度も説明されず、個人的にはかなりブラックであると思われる。何度も「どうして??」と聞いているが明確な回答はない。そして、この部署とのやり取りの中で感じるスタンスとしては「自分でやって。失敗したらバイバイ(キックアウト)。自分たちは関係ないから」と扱われているのと同じである。
ろう学生が大学の中で一番安心できる頼れる部署がこのような状況なので、大学の中にいると心理的にかなり苦しい。自分の真意は「100%のサポートがほしい」のではなく、「一緒に考えて経験をシェアしていきたい」だけなのであるが、この根本がなかなか伝わらず苦労している。逆に言えば、しっかり「reasonable」の部分を説明して、その上でお互いの信頼関係ができれば、細かい点は大きな問題にならないと思うのだが。
この経験は、学生の心理的な負担がどの程度なのか、どういうときにどんなバリアが起こるのかを、日本でもしてきたが、改めて自分で体験でき、またそのようなバリアに一学生がどうやってどこまでアプローチできるのか体験できるので、自分が働く側に戻ったときのことを考えれば、マイナスではない。、
その反面、いい環境と自分がよりつきつめていきたい分野を求めて、一から言語を学び、アメリカに勉強しにきているので、なぜこういう負担まで感じなければならないのだろうと、ふと思うときもある。自分の力のすべてを発揮できない現状に対して、残念でやるせない気持ちが残っているというのが正直な気持ちである。
とはいえ、プログラムの内容はほぼ満足できるものであるし、Directerの先生もフレンドリーで授業での問題などに関してきめ細かく相談にのってくれる。またOhloneのメンターの先生からも今後も引き続きバックアップしていただける。特にOhloneのバックアップは、クラスをクリアしていくためにも、上記のような問題を対処していく上でも、大きな支えとなっている。大変ありがたい。サービスに関してはこの先も大変だとは思うが、少しずつプログラムに慣れて、学べるだけ学んでいきたいと思う。
■法律と運用?
先月の報告で、TOEFL受験のために南カリフォルニアまで行ったときに、山の中でオーバーヒートに見舞われてしまったことを書いたが、そのときのことを少し記したいと思う。
時間は夜8時、場所は山の中、あたりは真っ暗である。車はかなりダメージを受けていて動かすのはかなりまずい状況である。このとき目についたのは call box。番号がふられているので、聞こえなくても所在地はわかるはずと考えてコールしようとした。そのとき、TTYが備えられていることに気づいた。これならば時間がかかっても確実に連絡できるとほっとした。しかし指示通り操作し、「オペレーターが応答するまで待って」の指示に従い待つが、15分以上経っても応答がなく、まったく機能していなかったのである。
結局あきらめて車をそっと動かして近くの町まで走り、レッカー移動をしたり2日間かけて回復してなんとかFremontに戻ってきた。
去年にDeaf Cultureの授業で、「ADA法のような権利を『Protect』する法律はあっても、常に問題が起こらないようにメンテナンスされているとは限らない。権利を守るためには後手後手になるかもしれないけど、アクションを起こし続けることが求められる」といった趣旨のことが扱われたが、まさにこの経験がそうだったわけである。
Ohloneにいると、時々外国からの見学がある。少し前にスウェーデンから来られた方と会ってお話を伺う機会があったが、スウェーデンではあまり法律に頼らないという考えがあるらしい。もちろん最後は法律が判断するが、それ以前に、みんなが良い生活ができるように、という考えが文化的に強いので、障害者の権利も、その枠組みの中で当然のように考えられるとのことだった。お互い生活の中で助け合うという雰囲気が強いようだ。もちろんそれが権利の保護とイコールではないが、法律があることは時として悪影響もあると思う。
私の経験も含めて、法律に書いてある「最低限」の、極端に言えば、自分が訴えられないラインを確保すればよし、という面があるのは否定できないと思う。アメリカは確かに制度などは進んでいるけれども、それだけでは埋められない部分も当然あるわけで、常にいろいろな視点から考えるようにしていきたいと思っている。
図書館の閲覧スペース

数ヶ月前からこのブログで大学院への出願の状況を報告していたが、先日無事に合格し、9月22日から大学院に通い始めた。OhloneのあるFremontから車で30分ほどの、Santa Clara University という私立大学で、 Higher Education Administration: MA というプログラムに入学した。
高校生まで(K12)を対象としたマネジメントを学ぶプログラムはどこの大学でもあると言ってもよいが、Higher Educationだけで構成されたプログラムは、カリフォルニア中を探してもそれほど多くはない。プログラム自体はあるのだが、Higher Educationのmanagementという高度の専門性ゆえに、研究大学といわれている、University California群のDoctoral programで提供される多い。このようなプログラムにもかなり魅かれるのだが、その場合最低でも4−5年間はかかるし、できるだけ早く現場に戻って専門的に学んだことを、実務の現場で積み重ねていきたい、Ed.Dのプログラムはもっと年を重ねてからを経験したいという気持ちがあったため、2年程度のmasterレベルのプログラムに限定して出願した。
出願の過程で、サポートサービスもある程度整っており、顔見知りも多く、インターンまで考えた上で理想的な環境だった San Jose State University のプログラムが、政府の資金難のために募集停止してしまうなど多くの問題が重なり、結果的には、この大学のみ出願して合格ということになったわけである。とはいえ、アメリカの私立大学というのはあまり日本では知られていないし、日本の私立大学と比較できるという意味ではいいかもしれないと考えている。
今までも、TOEFL受験の経緯など報告してきたが、その結果が出た後、インタビュー(面接)が授業開始の10日前にあり、1週間前に合格が決まったので、本当にギリギリのタイミングであった。そのため、今学期はフルタイムではなく、パートタイムとして在籍する。それに関して、VISAやI-20の問題などが解決しておらず、Ohloneのクラスをいくつ取り続けるのかなどが未定で、まだ勉強に集中できる環境ではないが、10月中には解決することを願っている。順調に行けば、次の学期からはフルタイム生として通う予定である。
今学期に大学院で履修するクラスは、Higher Education Adminiatration and Leadership と、Students development というクラスである。前者は大学のadministratorとして必要なスキルを幅広く概観し、同時にこのプログラムに慣れるという目的で、図書館でのリサーチ方法の説明なども組み込まれている。後者は10月から始まり、1日6時間の5日間で行われる。クラスの詳細はまた来月に報告したい。ちなみにOhloneでは4クラスとっているので、現時点で合計6クラスとなっている。
このプログラムは理論と実践の結びつきを重視しているところなので、クラスメイトのほとんどは現職の大学職員、もしくは過去に同様の経験を持つ人ばかりである。出身大学もスタンフォード大学やカリフォルニア大学などバラエティに富んでいて、留学生ももう1人いる。クラスはすべて夜または土曜日に行われ、各クラスは10人前後、プログラム全体でも40人程度で、お互いの顔が見れる環境である。プログラムの内容は自分が深く学んでみたいと考えているものがそろっており、また選択科目として、同じデパートメントのほかのコース(心理学やカウンセリングなど)も取れるので非常に楽しみにしている。
■大学のマイナス面
ところで、この1年間はOhlone Collegeに在籍し、自分のASL力が上がりさえすればコミュニケーションのバリアはなく生活できていただけあって、この大学に来ると「壁」を感じる。英語がまったく話せず、Lip readingもできないので、コミュニケーションは通訳か筆談が頼りである。
さらには通訳サービスの部署のスタッフがASLができず、ろう者のコミュニケーション方法や文化、困難についての知識・経験がまったくない。本人たちが「全く知らないから」と言っているくらいである。そのため、何か問題が起こったり苦情を言いたい場合、Eメールとなるが、なかなかポイントがかみ合わない場合もある。そもそも、相手に背景となる知識がないので、議論にさえならないことのほうが多いのである。通訳が用意される場合でも、通訳者は外部からの派遣に頼っているため、短時間となり、納得できるまで話し合うことができない。
「ASLは英語と同じだから通訳がつけば問題はないでしょ。何が問題なわけ?」と、部署のdirecterに言われたときは本当に残念であり悔しかったし、自分の困難な部分を、サービスの責任者が理解しようとすらせず、クラスの違いや、こなさなければいけない課題の性質の違いがあるのにもかかわらず、理由の説明もなしに「クラスでの手話通訳しか提供できない」の一言で済ませて、「じゃあ、どうしようか」と、セカンドオプションを考えようともしない。ADAでは「Equal Access」と「Reasonable accommodation」が規定されている。Ohloneの先生とも相談して確認したが、前者に関しては、一概に違反とは言えないグレーゾーンであるが、後者に関しては「reasonable」の部分が一度も説明されず、個人的にはかなりブラックであると思われる。何度も「どうして??」と聞いているが明確な回答はない。そして、この部署とのやり取りの中で感じるスタンスとしては「自分でやって。失敗したらバイバイ(キックアウト)。自分たちは関係ないから」と扱われているのと同じである。
ろう学生が大学の中で一番安心できる頼れる部署がこのような状況なので、大学の中にいると心理的にかなり苦しい。自分の真意は「100%のサポートがほしい」のではなく、「一緒に考えて経験をシェアしていきたい」だけなのであるが、この根本がなかなか伝わらず苦労している。逆に言えば、しっかり「reasonable」の部分を説明して、その上でお互いの信頼関係ができれば、細かい点は大きな問題にならないと思うのだが。
この経験は、学生の心理的な負担がどの程度なのか、どういうときにどんなバリアが起こるのかを、日本でもしてきたが、改めて自分で体験でき、またそのようなバリアに一学生がどうやってどこまでアプローチできるのか体験できるので、自分が働く側に戻ったときのことを考えれば、マイナスではない。、
その反面、いい環境と自分がよりつきつめていきたい分野を求めて、一から言語を学び、アメリカに勉強しにきているので、なぜこういう負担まで感じなければならないのだろうと、ふと思うときもある。自分の力のすべてを発揮できない現状に対して、残念でやるせない気持ちが残っているというのが正直な気持ちである。
とはいえ、プログラムの内容はほぼ満足できるものであるし、Directerの先生もフレンドリーで授業での問題などに関してきめ細かく相談にのってくれる。またOhloneのメンターの先生からも今後も引き続きバックアップしていただける。特にOhloneのバックアップは、クラスをクリアしていくためにも、上記のような問題を対処していく上でも、大きな支えとなっている。大変ありがたい。サービスに関してはこの先も大変だとは思うが、少しずつプログラムに慣れて、学べるだけ学んでいきたいと思う。
■法律と運用?
先月の報告で、TOEFL受験のために南カリフォルニアまで行ったときに、山の中でオーバーヒートに見舞われてしまったことを書いたが、そのときのことを少し記したいと思う。
時間は夜8時、場所は山の中、あたりは真っ暗である。車はかなりダメージを受けていて動かすのはかなりまずい状況である。このとき目についたのは call box。番号がふられているので、聞こえなくても所在地はわかるはずと考えてコールしようとした。そのとき、TTYが備えられていることに気づいた。これならば時間がかかっても確実に連絡できるとほっとした。しかし指示通り操作し、「オペレーターが応答するまで待って」の指示に従い待つが、15分以上経っても応答がなく、まったく機能していなかったのである。
結局あきらめて車をそっと動かして近くの町まで走り、レッカー移動をしたり2日間かけて回復してなんとかFremontに戻ってきた。
去年にDeaf Cultureの授業で、「ADA法のような権利を『Protect』する法律はあっても、常に問題が起こらないようにメンテナンスされているとは限らない。権利を守るためには後手後手になるかもしれないけど、アクションを起こし続けることが求められる」といった趣旨のことが扱われたが、まさにこの経験がそうだったわけである。
Ohloneにいると、時々外国からの見学がある。少し前にスウェーデンから来られた方と会ってお話を伺う機会があったが、スウェーデンではあまり法律に頼らないという考えがあるらしい。もちろん最後は法律が判断するが、それ以前に、みんなが良い生活ができるように、という考えが文化的に強いので、障害者の権利も、その枠組みの中で当然のように考えられるとのことだった。お互い生活の中で助け合うという雰囲気が強いようだ。もちろんそれが権利の保護とイコールではないが、法律があることは時として悪影響もあると思う。
私の経験も含めて、法律に書いてある「最低限」の、極端に言えば、自分が訴えられないラインを確保すればよし、という面があるのは否定できないと思う。アメリカは確かに制度などは進んでいるけれども、それだけでは埋められない部分も当然あるわけで、常にいろいろな視点から考えるようにしていきたいと思っている。
図書館の閲覧スペース




