太宰治の銅像
[2009年01月31日(Sat)]
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『津軽』を読もう 9
検定の問題は太宰作品「津軽」と「公式テキスト」から出題されます。
テキスト発売は3月上旬になりました。それまでに、ぜひ、『津軽』を読んでいただきたいと思います。 このブログ上でも『津軽』の一部分を紹介していきます。 弟も私の吹出物を心配して、なんべんとなく私の代りに薬を買いに行って呉れた。私と弟とは子供のときから仲がわるくて、弟が中学へ受験する折にも、私は彼の失敗を願ったほどであったけれど、こうしてふたりで故郷から離れて見ると、私にも弟のよい気質がだんだん判って来たのである。弟は大きくなるにつれて無口で内気になっていた。私たちの同人雑誌にもときどき小品文を出していたが、みんな気の弱々した文章であった。私にくらべて学校の成績がよくないのを絶えず苦にしていて、私がなぐさめでもするとかえって不気嫌になった。また、自分の額の生えぎわが富士のかたちになって女みたいなのをいまいましがっていた。額がせまいから頭がこんなに悪いのだと固く信じていたのである。私はこの弟にだけはなにもかも許した。私はその頃、人と対するときには、みんな押し隠して了うか、みんなさらけ出して了うか、どちらかであったのである。私たちはなんでも打ち明けて話した。 【『津軽』より抜粋】 ちょっぴり解説 「この弟・・・」 太宰治の3才年下の弟礼二。 昭和4年1月死去。
編集会議
ただいま夜中の1時20分。
テキスト編集会議から、今、帰ってきました。 19時から始まり、延々6時間! 疲れたーーー。 今日の参加者は、津島、菊池、長内、平山の4名。みなさんお疲れ様でした。 お尻に火がついていますから、写真を撮る余裕もありません・・・(+_+) 毎日のようにテキスト原稿とにらめっこです。 もう一息。がんばります
「津軽」を読もう 8
検定の問題は太宰作品「津軽」と「公式テキスト」から出題されます。
テキスト発売は3月上旬になりました。それまでに、ぜひ、「津軽」を読んでいただきたいと思います。 このブログ上でも「津軽」の一部分を紹介していきます。 私はこの吹出物には心をなやまされた。そのじぶんにはいよいよ数も殖えて、毎朝、目をさますたびに掌で顔を撫でまわしてその有様をしらべた。いろいろな薬を買ってつけたが、ききめがないのである。私はそれを薬屋へ買いに行くときには、紙きれへその薬の名を書いて、こんな薬がありますかって、と他人から頼まれたふうにして言わなければいけなかったのである。私はその吹出物を欲情の象徴と考えて目の先が暗くなるほど恥しかった。いっそ死んでやったらと思うことさえあった。私の顔に就いてのうちの人たちの不評判も絶頂に達していた。他家へとついでいた私のいちばん上の姉は、治のところへは嫁に来るひとがあるまい、とまで言っていたそうである。私はせっせと薬をつけた。 【「津軽」より抜粋】
アクセス数100
1日のアクセス数が初めて100を超えました。 日経MJのおかげ? やはり、マスコミの影響は大きいですね。 いろいろと作戦をしかけております。 近い将来、1日のアクセスが100を超える日が・・・
日経流通新聞(日経MJ)
本日付の日経流通新聞(日経MJ)に「太宰治検定」が大きく取り上げられました。
「昭和の文豪観光大使に」というタイトルで、今年生誕100年の文豪二人、太宰治と松本清張にスポットを当て、それぞれのふるさとでの取り組みを紹介した特集での記事です。 今年は太宰治だけではなく松本清張も生誕100周年なのです。 この二人が同じ年に生まれているのは、なんとなく意外な感じがします。 松本清張は太宰没後2年たってから作家デビューしたそうです。ですから、二人の接点はほとんどないようですし、なんとなく違う時代の作家のような気がしてしまうのでしょう。 閑話休題 今回は新聞の性格上、「『100年に一度』の年を商機に結びつけるための取り組み」を切り口にしているので、観光誘致の面を強く紹介されています。 記事に書かれているように100年に一度のチャンスを生かしていきたいと思います。 日経流通新聞さん、ありがとうございました。 私たちは、太宰や太宰作品を通して津軽を広く知っていただきたいという思いと同時に、太宰作品を読んでいただきたいという思いがあります。 作家 井上靖をして、「もし、小説のオリンピックがあったとしたら、日本の代表選手は太宰治をおいてほかに居ない」と言わしめた、太宰治の作品をぜひ読んでいただきたいと思います。
ダザケンの巻
検定事務員です。
ある日のです。 内容は、検定日はいつ? などの質問だったのですが、その中で 先方 「ところで、太宰治検定って “ダザケン” っていうんですか?」 事務員 「はぁ? “ダザケン” とは・・・」 先方 「よく、私の周りでそうやって聞くんですよ・・・」 衝撃的でした・・・初耳です。 えぇ〜、ワタシが世間にウトイのかしら 巷では “ダザケン” なのですか ということで、 ダ ザ ケ ン よろしくお願いします。
「津軽」を読もう 7
検定の問題は太宰作品「津軽」と「公式テキスト」から出題されます。
テキスト発売は3月上旬になりました。それまでに、ぜひ、「津軽」を読んでいただきたいと思います。 このブログ上でも「津軽」の一部分を紹介していきます。 「私が三年生になって、春のあるあさ、登校の道すがらに朱で染めた橋のまるい欄干へもたれかかって、私はしばらくぼんやりしていた。橋の下には隅田川に似た広い川がゆるゆると流れていた。全くぼんやりしている経験など、それまでの私にはなかったのである。うしろで誰か見ているような気がして、私はいつでも何かの態度をつくっていたのである。私のいちいちのこまかい仕草にも、彼は当惑して掌を眺めた、彼は耳の裏を掻きながら眩いた、などと傍から傍から説明句をつけていたのであるから、私にとって、ふと、とか、われしらず、とかいう動作はあり得なかったのである。橋の上での放心から覚めたのち、私は寂しさにわくわくした。そんな気持のときには、私もまた、自分の来しかた行末を考えた。橋をかたかた渡りながら、いろんな事を思い出し、また夢想した。そして、おしまいに溜息ついてこう考えた。えらくなれるかしら。 【「津軽」より抜粋】
編集会議です。
今日もテキスト編集について菊池(おおまち第2集客施設整備推進協議会理事長)と打ち合わせです。
本の編集もさることながら、申込書の作成、振り込みに伴う手続き、書店への流通、etc・・・ やらなければいけないことが山積みです。(T.T) 素人集団にはちょっときついのですが、アドバイスくださる方もたくさんいるので、心強いです。
「津軽」を読もう 6
検定の問題は太宰作品「津軽」と「公式テキスト」から出題されます。
テキスト発売は3月上旬になりました。それまでに、ぜひ、「津軽」を読んでいただきたいと思います。 このブログ上でも「津軽」の一部分を紹介していきます。 この中学校は、いまも昔と変らず青森市の東端にある。ひらたい 公園というのは、合浦公園の事である。そうしてこの公園は、ほとん ど中学校の裏庭と言ってもいいほど、中学校と密着していた。私は 冬の吹雪の時以外は、学校の行き帰り、この公園を通り抜け、海岸 づたいに歩いた。言わば裏路である。あまり生徒が歩いていない。 私には、この裏路が、すがすがしく思われた。初夏の朝は、殊によ かった。なおまた、私の世話になった呉服店というのは、寺町の豊 田家である。二十代ちかく続いた青森市屈指の老舗である。ここの お父さんは先年なくなられたが、私はこのお父さんに実の子以上に 大事にされた。忘れる事が出来ない。この二、三年来、私は青森市 へ二、三度行ったが、その度毎に、このお父さんのお墓へおまいりし て、そうして必ず豊田家に宿泊させてもらうならわしである。 【津軽より抜粋】
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