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第227話 興福寺中金堂・来秋の落慶に向けての動静[2017年09月26日(Tue)]
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 今年の3月頃から、ブログ「竹炭作り」の更新をしようとしたが、パスワードを入れても開けなくなってしまった。筆者は80歳を過ぎてしまったので、これを契機にブログを止めようと思っていた。
 その代りにホームページをつくることになった。その関連でCANPANブログへのアクセスもできるようになった。そこで、また「竹炭作り」のタイトルにこだわらずいろんな話題を書くことにした。

 そこで来秋に落慶を迎える「興福寺中金堂」の話題を書くことにした。

 はじめに
 興福寺・中金堂が来年(平成30年)秋に落慶を予定している。その内陣には、興福寺の教義である法相の祖師達を描いた大柱「法相柱(ほっそうちゅう)」も再建される。仏教に造詣の深い日本画家の畑中光亨(こうきょう)画伯が、法相柱に貼る14名の祖師画を奉納前に特別展観が大阪・高島屋で開催中であり、9月1日に出かけてきた。
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 この展示された祖師画は2018年秋に予定されている中金堂の落慶とともに、高さ10mにも及ぶ大きな柱に貼りあげられることになっている。

 この展覧会に先立つ2年前の平成27年(2015年)4月6日の朝日新聞朝刊(大阪本社)27ページに、「奈良・興福寺の特別公開2015」の記事が掲載された。その記事「中金堂 伝統と革新・進む再建『匠の技』間近で」の中で、「4月6日〜19日に開かれる。今回の目玉は、2018年の落慶をめざして300年ぶりの再建が進む中金堂の建築現場。瓦が載って工事終盤にさしかかった、巨大木造建築の細部を間近に確かめられる、最初で最後の機会だ」という。
 中金堂が江戸時代に焼失してから300年ぶりに再建されつつある建築現場の細部を間近に確かめられる、この機会を見逃すわけにはいかない。4月10日にハイキング仲間のKさんを誘って見学してきた。
 今回の「興福寺の寺宝と畑中光亨展」といい、2年前の建築現場を間近に見学できることなど、300年ぶりに再建される中金堂が一年後の落慶に向けての、またとないチャンスで、300年前の庶民にはこのように間近で見られる機会はおそらくなかったであろう。
 建築に係わった人たちはともかく、一般庶民が間近で文化財を見学できるのは、今の時代だからだろうな!とつくづく思う。それを見逃せば間近に見られることは何百年もないだろうし、今後中金堂を訪れた人たちは遠くから眺めるだけになるだろうと思う。
これは千載一遇のビッグチャンスであり、それを間近で体験したことを現地で撮ってきた写真やネットなどでまとめてみた。

中金堂

 興福寺のホームページ「国宝・文化財:中金堂」から抜粋すると「中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を日本の律令制度をまとめ、栄光の藤原氏の基礎を築いた藤原不比等(ふひと)に置く。旧中金堂は寄棟造、桁行7間・染行4間、屋根は2重で下の屋根は裳賠(もこし)がつき、規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級だった……6回の焼失・再建の後享保2年(1717)に焼失し、約100年後の文政2年(1819)に仮堂として再建された。中金堂が復興されるまで、興福寺の金堂としての役目を持つ……」と解説している。
現地で配布された「興福寺中金堂再建の歩み」によると、「(平成13年)基壇の発掘調査が行われ、1300年前の版築・礎石を確認」として、写真が示されていた(写真1)。

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写真1 基壇の発掘調査

 その説明では「発掘調査の結果は、古記録の記事とも合致、室町時代中期の再建中金堂の実測図もあり、創建当初の中金堂の姿が明らかになった……」と解説している。
2015年4月10日に再建されつつある現場写真の中に「文政再建の中金堂仮堂」の写真が展示されていて拝借したのが写真2である。

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写真2 文政再建の中金堂仮堂

内陣の柱と法相柱と身舎(もや)

 内陣とは、「神社の本殿や寺院の本堂で,神体あるいは本尊を安置してある神聖な場所をいう」(デジタル大辞泉から引用)。

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写真3 中金堂の模型

 写真3の模型では、外側に並ぶ柱は、裳階(もこし)と呼ばれ、日本大百科全書(ニッポニカ)から引用すると、「寺院建築で建物外部の軒下に回した庇(ひさし)で、本屋の軸部を裳裾(もすそ)のように隠すことからこの名がある」。その内側の屋根を支える前面に8本、右に折れて4本が見えるが、これらの柱が内陣を構成している。

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 図1 一番内側は身舎(もや)

 図1で一番内側の身舎(母屋・身屋・身舎〈もや〉)とは、@寝殿造りで、主要な柱に囲まれた家屋の中心部分。ひさしはこの部分から四方に差し出される。(大辞林 第三版の解説)
図1の身舎にかかるまでの作業を展示写真などから見てみると、写真4は裳階繋虹梁組立である。

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写真4 裳階繋虹梁組立(H24年1月)

 写真5は裳階軒部材が取り付けられた状況である。

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 写真5 裳階軒部材が取付けの状況

 写真6の工事中の写真で見ると、一番内側で内陣天井組立作業を行っている。図1では身舎の柱で基壇側の左から3番目が法相柱になる。身舎には本尊が祀られるが、真ん中の左の柱が法相柱になる。

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写真6 身舎などの内陣天井組

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写真6 身舎などの内陣天井組立

寺院に使う太い柱の調達

 平成13年11月に、薬師寺東塔の解体修理を前に「水煙降臨展」を見学したとき、東塔の心柱として使われる樹齢千年の台湾産の檜も展示されていた。

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写真7 樹齢千年の台湾産檜

 この樹齢千年の檜には、写真8に示す寸法が表示されていた。根元の径が1.76m、先端で1.37mの大木である。
興福寺を見学した時、担当者に「薬師寺では台湾産の千年の檜が展示されていた」と話したところ、「現在、台湾産は輸出禁止になっている」と言うことだった。

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写真8 長さ14.2m、直径元1.76m

 東塔の心柱に使うような太い柱と中金堂の建物に使う柱とは用途が違うが、太い柱は写真1の模型で分かるように数多く丸太が使われている。
 日本財団CANPANの「箕面だんだんクラブ・竹炭作り」の「第206話 興福寺・中金堂の建築現場を間近に見る」で書いたものを引用すると、「瀧川寺社建築の瀧川昭雄会長は『古社寺の建築に必要な大径木は、直径数m、樹齢200〜400年だが、そんな木は国内にないという。平城京跡の昨年完成した大極殿で樹齢400年前後の国産材を求めていたが、300年弱のものを入手するのがやっとだった……巨大な柱36本は、直径77cm、長さ9.9mである。柱にはアフリカ・カメルーンの(アフリカケヤキ)使用しており、ヒノキに比べると赤く、木目が斑に見える……『価格は国産材の数分の一で、強度も十分』と話す。これらの柱の原木は直径が2m近く、25年も前から少しずつ購入した」と紹介していた。

 写真9は興福寺の屋根に近い箇所の複雑な構造(斗栱〈ときょう〉)である。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によると、「斗栱とは、建築物の梁や桁 (けた) にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称。組物ともいう」と解説している。
太い柱の部材だけでなく、組物などにも多くの木材を使っていることがわかる。

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写真9 中金堂の屋根付近の構造

 寺院建築の特徴を「コトバンク(大辞林 第三版の解説)」で検索すると、「仏教寺院に建てられる建築。仏教とともに大陸の建築様式が伝えられたもので、礎石・土間床・組物・瓦葺かわらぶき屋根などを特徴とする。その様式には、奈良時代に唐様式を採用して成立し、その後も広く用いられた和様と、鎌倉時代に宋から新しく伝えられた大仏様(天竺様)と禅宗様(唐様)とがある」としている。

法相柱に貼られた祖師達の絵


「興福寺の寺宝と畑中光亨展」には、興福寺中金堂の模型があり、その内陣には、興福寺の教義である法相の祖師達を描いた大柱「法相柱(ほっそうちゅう)」を見ることが出来た。
模型の中の法相柱の祖師達を貼った大柱は写真撮影が禁止だったので、ネットから法相柱に貼られるだろう画像を引用した。

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 写真10 法相柱に貼られた祖師達

 2017年6月13日の奈良新聞によると、「柱絵は立像が縦180cm、横66cm、坐像が縦135cm、横86cmの大きさ。 唯識の教えを大成した無著菩薩や法相宗の開祖•慈恩大師から、 同宗中興の祖とされる鎌倉時代の解脱上人 (貞慶)までの高僧14人を、天平時代をイメージした群青色の背景の中に描いた」と解説している。

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写真11 描かれた14名の法相祖師

 写真10から立像が180cm×2に、坐像135cm×2で祖師像の貼る高さは6.3mになる。法相柱の高さは約10メートルであり、直径77cmなら円周約240cmである……描かれた14名の法相祖師は〜鎌倉時代を下限として法相の教えを確率・発展させてきた、インド・中国・日本の高僧達を順に挙げると〜。無著菩薩→世親菩薩→護法論師→戒賢論師(以上古代インド)→玄奘三蔵→慈恩大師→淄洲大師(ししゅうだいし=法相宗第二祖・慧沼)→濮陽大師(ぼくようだいし=智雄)=以上中国→玄ム僧正→善珠僧正→別当行賀→真興上綱→権別当蔵俊→解脱上人。
写真7の一番下段は世親菩薩で、その上の坐像は慈恩大師、三段目は玄ム僧正、4段目は権別当蔵俊だろうと思われる。写真7では隠れている法相柱の高僧は円周約240cmでどのように配置されているのだろうか。
立像の幅が66センチ、坐像は86センチなので、限られた法相柱に祖師たちがどのように配置されているのか、来週秋の落慶では内陣には入れないだろうが、気になることではある。

興福寺の五重塔の眺め

 長々と書いてきたが、興福寺の眺めでいえば、猿沢池に写る五重塔の眺めが素晴らしいと思っている。平成21年11月14日に個人ブログに書いた「第18話 猿沢池の亀・カメヘン?!」では、「亀は噛めへん」、大阪弁の「カメヘンで!」に加えて「カメの甲羅に鳩が載っても『カメヘン!』」のダジャレ3つを入れたブログを書いたことがある。
 その時には、奈良市内を散策して最後にたどりついたのが猿沢池であった。池の水に写る猿沢池は疲れを取るには最高の眺めだった。

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写真12 猿沢池から見る五重塔(2021年10月29日)
 
 中金堂の建設現場を見学したとき、屋根近くからから五重塔を撮った写真を紹介したい。
 今後何百年後に解体や修理が行われない限り、ドローンで空中撮影でもしない限りは撮れない写真である。その写真を紹介して筆を置くことにする。

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 写真13 中金堂屋根付近から撮った五重塔


(平成29年9月26日)






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