第124話 年輪[2009年04月21日(火)]
4月19日の朝、NHKラジオ第一放送「歌の日曜散歩」で、北島三郎の「年輪」が流れていました。その歌詞の「苦労 年輪 樹は育つ」と最後のフレーズが耳に残っています。
ところで、今年に入ってから「体験学習の森」の活動では、以前から問題になっていた松枯れ被害による樹齢50年以上の松の木を本格的に伐採し始めました。
写真1は4月4日の活動日で切り倒した松の木を処理したあとの休憩のひとときを写したものです。

写真1 伐採した松の木(09年4月4日撮影)
伐採した松の木は、運び出しが困難なので、この森では適当な寸法に切って現地で朽ちていくのを松?(待つ)などの処理しかないようです。
こうして伐採したたくさん松の切断面を見るにつけ、そこに現れた年輪が気になります。そこで、年輪に関する話題を集めてみました。
年輪とは
平凡社の世界大百科事典で年輪を見ると、「肥大生長をして材をつくる木本植物の場合、形成層のはたらきによって茎の肥大生長が行われる。植物のあらゆる活動の例にもれず、形成層のはたらきも外界の影響などによって左右される。特に気温の高い夏季に活発になり、冬季にはそのはたらきが鈍るのが特徴的である。このため、でき上がった茎をみると、形成層のはたらきが活発であった時期に、つくられた細胞も大きく、生長量の大きい部分と、逆に生長量が小さくて小さな細胞が詰まっている部分の差がはっきりしている。
前者を春材spring wood,後者を秋材fall woodと呼ぶが,これら1対で1年分の生長量が示され、材には春材と秋材が交互にみられるため、各年における生長量を確かめることができる。このように材の断面に環状に表れる模様を年輪という。年輪は茎にはっきりみられるが、根でも認めることができる」と説明しています。
形成層
上記の説明で出てくる形成層をもう少しわかりやすく知るために「木のびっくり100話:に本木材学会編、講談社2005年5月21日第1刷発行」の「5.死ぬことで長生き!!」の中で「木は細胞の死骸の集まり」を調べてみました。

図−1 樹幹の構成図(木のびっくり話100より引用)
図−1の樹幹の構成図では、「樹木の幹は、木部(年輪の部分)と、それを取り囲む樹皮とに分かれ、そのあいだにある形成層とよばれる組織で、細胞分裂によって新しい細胞がどんどん生産されています。形成層より髄(ずい)側(内側)に生まれた細胞は、伸長した後、二次壁とよばれる厚い細胞壁を堆積して、やがて死にます。
このくり返しで木部は太っていくわけですが、別の言い方をすると、木は『細長い細胞の死骸の集合体』。抜け殻である細胞壁しか残っておらず、中身は空っぽです。ただ、隣り合った細胞とは小さな穴が通じているため、水分の行き来が可能で、また、木部の細胞は死ぬ前にリグニンという物質を細胞壁に沈着させ、水がしみ込んでいかないような性質にするため、効率よく水を運搬することができるのです」と説明しています。
そして、「樹木のなかには100メートル以上に成長し、何千年もの風雪に耐え、生きつづけるものがあります。それを可能にしたのは、植物が長い進化の過程で、巨体を支える強度と、根から葉まで水を効率よく運ぶ機能、腐りにくい性質「木部」(年輪の部分)を獲得したからです」と解説しています。
年輪年代法
今から5年ほど前に年鳥取県・倉吉の三仏寺投入堂を訪れたとき、本尊蔵王権現像の建立年代が年輪年代測定法で判明したと、境内に書いてありました。
蔵王権現像の胎内の造立願文に記されている年代1168年と像を年輪年代法で測定した年代とほぼ一致していることが科学的に証明されたそうです。
新聞でも、「東大寺仁王像の主要木材は完成二年前の1201年産ヒノキだった」ことが判明しています。
年輪年代法は、「毎年形成される樹木の年輪は、年々の生育環境の差異を反映して、その幅に広狭の差が生じる。多数の資料に基づいて、この年輪幅を過去にさかのぼって測定し、標準とする年輪変動曲線が作成できれば、伐採年代不明の資料の年輪幅を測定し、その変動曲線パターンと合致する部分を棲準変動曲線のなかで見いだすことによって、その資料の年代の推定が可能になる。これが年輪年代法の原理である・・・・・・
この原理は、20世紀初頭、アメリカ合衆国の天文学者A.E.ダグラスが太陽の黒点活動と気候変化の周期性の関係を過去にさかのぼって追求する方法を探索中に発見したものである。その後、アメリカの西部地方で研究が進められ、アリゾナ大学に年輪研究所が設置されて研究の中心となっている。またダグラスの研究に刺激されて、1930年代以降ヨーロッパでも研究が開始され、現在では20ヵ国以上で研究が進められている」(平凡社:世界大百科事典から)。
上記事典の続きには、現在アメリカでは8200年前まで、西ドイツでは6700年前まで、アイルランドでは2000年前までの標準年輪変動曲線が完成しています。
微細な環境条件の変化が認められる日本では、その実施を問題視する考えが強かったが、1970年代後半から、現生樹木あるいは奈良県下の遺跡、とくに藤原宮跡や平城宮跡からの出土品によって、それが可能なことが実証され、西暦紀元以降の標準年輪変動曲線も完成直前にあり、その応用研究も開始されつつあるそうです。
切り株から方向がわかるか
伐採した松丸太をみると、根元の年輪の数と上方とは年輪の数が違うのは当然です。柱の上下を見分けるのに、上下の年輪数を数えて多い方が柱の下になります。
豚汁広場では、杉丸太を60センチほどに切りそろえて、椅子として利用しています。その座る面は年輪(写真2)が現れています。

写真2上段:下方の年輪巾が密になっている杉丸太
下段:枝分かれして2つの年輪が入った杉丸太
写真2下段では、杉が途中で枝分かれしたために、1つの杉丸太の中に年輪が2つ入っています。
写真2上段では、下の年輪が蜜になっていて日当たりが悪く北方向だと判断しがちですが、これは間違いで木の生長の仕組みを考えると理解できます。
「一本の木の中で、ある一方向だけの成長がよいのは、その方向の細胞の数が多く、一つ一つの細胞も大きいものが多いためである。

図−2に示しように、根から吸収された土壌中の水分や養分は、木部の外側(辺材)を仮道管という両端の尖った細長い管を伝わって上昇する。この管には年輪に直角の面にたくさんの穴が開いていて、この穴を介して水は上までつながっていて、水はまっすぐに上に昇るよりも、らせん状に昇っていき、枝を通り葉まで達する。葉では光合成によって糖がつくられ、その糖は、今度は樹皮の内側の部分、内樹皮にある師細胞という管を通って幹や根まで下がっていく。成長を促進させる植物ホルモンも同時に運ばれる。
この管は仮道管と同じように側壁に穴をもっていて、この穴を介して糖は下へ降りていくが、まっすぐ下に降りることなく、らせん状にあるいは扇状に広がって降りていくと考えられる。現在の切り株の高さでは、そこまで降りてきた糖が、植物ホルモンなどの作用によって、細胞を分裂させたり大きくしたりするのに使われ、ある方向で成長量が多いのは,そこで使われた糖の量が多いからと考えられる、その糖がその方向でつくられたとは限りらない」。
上記は、森林の100不思議(日本林業技術協会編)の中の「切り株から方向がわかるか」を抄訳しました。
松の木の枝を数えると年数がわかる
2007年12月に「箕面・森の学校」の最終講義の自然観察の中で、講師から松の木(写真3)を見上げて「この松の木の樹齢はどのくらいですか」と聞かれました。

写真3 松の木の樹齢は約60年(07年12月2日撮影)
アカマツ、クロマツ、モミなどのように、毎年一段ずつ枝を出す樹種では、枝やその痕跡を数えると樹齢がわかりますが、年を経るにつれてこれらの痕跡は幹に包み込まれてしまうので、外観からの判定は難しくなります。
木を倒さずに樹齢の判定方法として、成長錘を打ち込んで資料を採取する方法やエックス線CT(コンピュータ・トモグラフィー)を応用したもの、大気中に一定の割合で含まれている放射性炭素を使って樹齢を推定する方法などがあります。(森林の100不思議:23「木の年齢」参照)
この年輪の記事を書いていて、10年以上前に日本文化国際研究センターの安田喜憲教授が、深い湖をボーリングして出てきた堆積物を分析して地球の何万年も前のことがわかるという講演を思い出しました。
そのときの「年縞(ねんこう)」と言う言葉は記憶にありませでしたが、「年縞とは、深い湖にできる堆積物の縞模様のことで、春には珪藻が繁茂して白い縞ができ、秋冬には黒い粘土鉱物が堆積して黒い縞ができ、この白と黒の縞模様が一つに組み合わせて1年の年輪と同じものを形成する」というもので、安田教授は「環境考古学」という新しい分野を確立されました。
「年縞を調べることによって年単位で過去の気候変動や森林の変遷が復元できるようになった」とNIPPON STEEL MONTHLY 2008.4の中で、安田教授は語っておられます。
(平成21年4月21日)



