第123話 桜の花便り[2009年04月12日(日)]
今年の近畿地方の桜は、開花宣言してから花冷えが続いたために長く咲いていますが、この1週間のぽかぽか陽気でそろそろ散り始めました。
4月に入って最初の活動日、4日には未だ咲いていなかった体験学習の森の山桜は、1週間後の昨日11日には、満開になった場所もあれば、すでに花が散っていて葉桜になった場所も見られました。
今春印象に残った桜の花便りをお届けします。
万博記念公園の桜
開花宣言されてから10日ほど経った4月6日は、好天に恵まれて万博公園内の自然文化園はたくさんの人でにぎわっていましたので、日本庭園を訪れてみました。
人通りも少なく、つぼみは全くないほどに満開になっていました。

写真1 万博記念公園内日本庭園にて(09年4月6日撮影)
近くの迎賓館の建物から花嫁・花婿が満開の桜の下のベンチで記念撮影し始めました。よく見ると、両親や親族も居ないのが気がかりでしたが、そのあと別の場所でも撮影していたのでモデルさんの撮影だとわかりました。
奈良県大宇陀町の又兵衛桜
奈良県内には桜の名所がたくさんありますが、4月9日に又兵衛桜を訪れました。
この地に伝わる戦国武将「後藤又兵衛」の伝説と、この桜が後藤家の屋敷跡にあることから「又兵衛桜」と呼ばれ親しまれています。この日のNHK「おはようニッポン」で8時前に紹介されたそうですから、全国的に知られた桜のようです。

写真2 満開の又兵衛桜(09年4月9日撮影)
又兵衛桜の近くの地蔵のすぐ側にも古木の桜も満開でした。北向きの地蔵の側にあるから「北向地蔵桜」と名付けられたそうです。
行く前にインターネットで調べた又兵衛桜の写真を見た感じでは、こんもりと茂っていて、その花がだらりと垂れ下がっているのですからあまり良い印象はありませんでした。
現地に赴いて何枚か撮影した又兵衛桜の中から、背面からのすっきりした写真を選びました。樹齢300年とも言われるこの桜の木は樹高13m、幹周り3m超のシダレザクラです。
菟田野の水分桜
大宇陀町の又兵衛桜から東へ約10キロ歩くと、隣町の菟田野(うたの)町の水分(ミクマリ)神社です。
途中の平坦な山道で「みくまり桜は、この道を歩けばよいのですか」と畑仕事の初老のおじさんに尋ねると、首をかしげられたので「水分と漢字で書きますが・・・・・・」というと、「水分(すいぶん)神社のことだね」とやっと理解してもらいました。
菟田野のバス停にはローマ字で「Mikumari Jinnjya」と書いてあったので、正式には「みくまり」のようです。
インターネットで「宇太水分(うだみくまり)神社」を検索すると、「大和の国に4つある水分神社(宇太、葛城、都祁、吉野)のうちの1つで、芳野川(ほうのがわ)沿いにある三水分神社のうちのひとつ。宇太水分神社の創起は、第10代崇神天皇7年2月と伝えられ、鎌倉時代末期の1320年(元応2年)2月に造営された社殿は、春日造り桧皮葺で、国宝に指定されています」と説明しています。
神社は山を背に住宅街の中にあり、水分神社は,その名のとおり流水の分配を司る神を祀る神社です。水は農耕,殊に稲作では欠くことのできないもので,このような水分神社は全国各地にあります。
水分神社近くの宇太地区公民館の入り口に、紅白の幕が張られていたので尋ねると、「4月11日から19日までの『うたの夢街道』のイベントの準備中」ということでした。
「どうぞ、中を見てください」と案内され、「今年は桜が早く咲いたので、予定が狂ってしまった」といいながら、雛人形や、武者人形、鯉のぼりの飾りつけの真っ最中でした。街道沿いの民家でも段飾りの立派な雛人形や武者人形が飾られていました。
その段飾りの前にいたおばさんたちに尋ねると「今年初めて試みるイベントで、花祭りとひな祭り、端午の節句を一緒にする主旨がよくわからない」と言っていましたが、町おこしの行事のようです。

写真3 芳野川沿いの水分桜(09年4月9日撮影)
芳野川沿い約1キロメートルには、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風災害の復旧に植えられたソメイヨシノ約250本が見事に咲いていました。
体験学習の森の山桜
私たちの活動日は第1週、第2週の土曜日、日曜日と第4週目の土曜日ですから、山桜が長い間楽しめます。
今春は活動拠点の豚汁広場からすぐ上のダム湖の近くの山桜の見事な満開を見ることができました。
今朝(12日)炭窯の火を止める作業の合間に、このヤマザクラの花の辺りから小鳥のさえずる声が聞こえてきましたが、花の蜜を求めてやってきたのでしょう。

写真4 見事に咲いたヤマザクラ(09年4月11日撮影)
花見といえばソメイヨシノですが、「江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され『吉野桜(ヤマザクラの意)』として売り出していた。
藤野寄命の調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、1900年(明治33年)『日本園芸雑誌』において『染井吉野』と命名された」(出典:フリー百科事典・ウィキペディア)ですが、ソメイヨシノの植栽の普及する前の花見文化はヤマザクラです。
体験学習の森では数多くのヤマザクラの大木が生えています。写真4の山桜は葉が目立たず、きりりとそそり立ったように真っ白に開花していて見事でした。
昨日(11日)この森に入ってこの見事なヤマサクラを見上げて、本居宣長が詠んだ「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」を思い出しました。
体験学習の森にたった1本のウバヒガンが満開
体験学習の森にたった1本ですが、ウバヒガンザクラが自生しています。石庭と呼んでいる大きな岩とごつごつした岩のかけらが散在している谷筋の、およそ標高470メートルの東の急斜面の、近寄りがたい場所に生えています。
活動拠点の豚汁広場が標高340メートルですから、130メートルほど急な山道を登らなければならないので普段からめったに行かないところです。
牧野富太郎博士の「牧野 新日本植物図鑑」の「うばひがん(えどひがん、あずまひがん)」の項を見ると、「しばしば山林中にはえる落葉高木で高さ15mぐらいになる。径は60cmぐらい。時には観賞植物として栽植されることがある。小枝は細長く表面はなめらか。葉は長楕円形。先端は細長くとがり、基部は鋭形、ふちには鋭くとがったきょ歯があり、長さ5〜9cm。若葉にも成葉にも軟毛がある。3月末に葉より早くまた他種に先がけて淡紅色の花を開き、散形状に数個の花が集る、花柄は長く、がくや花柱とともに毛でおおわれる。がくは筒状であるが、下部がややふくらみ、上端で5裂する・・・・・・」と説明しています。
日本名の「ウバヒガン」の名前の由来について、「姥彼岸ウバヒガソザクラの略。姥(老婆)は普通歯が抜けてしまって無いものが多いが、本種も3月末に葉の無いうちに花を開くので歯無しと葉無しをかけて、ウバの名をつけた。江戸彼岸、東彼岸は、東国(関東)のヒガンザクラという意味。これをヒガソザクラというのは誤りである」と説明しています。
この名前の由来を利用したのでしょうか、「ヤマザクラ」も歯と葉を引っ掛けた面白い名前もついているようです。

写真5 ウバヒガンザクラが満開(09年4月12日撮影)
この森では今ウワズミザクラのつぼみが出ています。第4週目の土曜日、4月25日ころには、この花が満開になっていることでしょう。
(平成21年4月12日)



