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第114話 体験学習の森は雪景色[2009年01月12日(Mon)]


 箕面だんだんクラブ・平成21年の初仕事は1月10日(土)でした。
 夜半から降った雪で、活動場所である体験学習森の中は銀世界になっていました。箕面市内は北摂山地の麓に発達した市街地ですから、冬に何回かは降雪で数センチの積雪を経験していますが、箕面市環境クリーンセンターへの道(茨木・能勢線)には積雪がなく車が走れました。一般的には降雪の場合、作業は中止です。今日は山の中だけが雪景色になっていました。

 9時前には竹炭やき担当の数人が来ていましたが、翌日の窯止めに来られないことを考えて今年初めての竹炭作りは中止して、作業は春先に向けての準備作業だけになりました。
 
 そこで、体験学習の森の中の、この素晴らしい雪景色を届けることにしました。


強い寒気団に南岸低気圧が通ると雪が降りやすい

 日本の近海は低気圧が発生・発達しやすい場所で、代表的なのは日本列島の南岸沿いを通る「南岸低気圧」と北を通る「日本海低気圧」です。
 南岸低気圧とは日本の南海上を主として東〜北東に進む低気圧のことです。




図−1上段:1月9日9時の天気図

中段:1月9日21時の天気図

下段:1月10日9時の天気図


 図−1は、上段が9日9時、中段は9日21時、下段は10日9時の天気図です。
9日21の天気図では、シベリア地方には1044hPaの寒気団があり、太平洋側1002hPaの低気圧が東に進んでいます。

 低気圧の中心に向かって吹き込む暖かく湿った空気(暖気)と、北側から流れ込む、冷たくて乾いた空気(寒気)がぶつかり合って太平洋側に降雪になりました。

 南岸低気圧に伴って雨が降るか、雪が降るかの判断は難しいですが、雪が降る条件としては、(1)低気圧が発達しながら通過すること。(2)低気圧の経路が陸地に接近しすぎないこと、逆に北緯30度以北を通過することが挙げられます。(1)の条件は、低気圧が発達しないと低気圧に吹き込む風が弱く、寒気を十分南に引き込めないためです(インターネットから)。

 今回の降雪は山沿いだけでしたので、素晴らしい雪景色を見ることができました。


雪景色―全景

 箕面市の市街地では積雪もなく、いつもと変わらぬ冬景色でしたが、茨木・能勢線に入って曲がりくねったカーブの多い勾配の急な道を登っていくにつれ、雪をかぶった山並みになっていきました。

 環境クリーンセンターのゲートを入って登っていくと、写真1上段のように、いつも見慣れている山は真っ白く雪をかぶっていました。
 豚汁広場あたりは、勝尾寺川支流の谷間で西側の山に遮られて雪は多くは積もっていませんでしたが、葉っぱの落ちていないクヌギの葉にも雪が積もっていました。(写真1中段)

 写真1下段はダム湖の雪景色です。4匹の鯉は深みにほとんど動かずに4匹がかたまっていました。




写真1上段:冠雪の山(クリーンセンターへの道)

中段:豚汁広場のクヌギの葉っぱにも雪

下段:静まり返ったダム湖のほとり


雪景色―山道

 足元がおぼつかなかったのですが、「小鳥の水場」まで登っていき、山道の様子などを見てきました。

 写真2−上段はダム湖の上に設けた道ですが、草むらはすっかり雪に覆われていました。どんどん登っていくと「きつねのベンチ」の上からは両側にはヤブツバキやシロダモが生えていて、坂道の周辺には初夏にはシャガの花が一面に咲く道ですが、雪ですっかり覆われていました。
 「小鳥の水場」まで来ると、山の上の方は、風の吹き具合で雪は積もらず深緑色で、下になるほど徐々に雪が枝に積もり、白い花が咲いたごとくでした。
 1年前に植えたクヌギの苗木を植えた斜面は真っ白に積もっていましたし、石庭への登り道は雪で埋まってしまっていたので、その手前で登っていくのを断念しました。

 このあたりまで来ると、今まで聞こえていた勝尾寺川支流のせせらぎの音は遠くなり、静寂の中に包まれひっそりした感じでしたが、時たま小鳥のさえずりが聞こえてきました。




写真2上段:ダム湖の上の作業道

中段:「きつねのベンチ」の上方の雪景色

下段:「小鳥の水場」から西斜面を望む


雪景色―木々

 落葉した木々に降り積もった雪景色に眼を向けると、いつもは変わらぬ風情なのにこの日は白い雪に覆われ、墨絵のような景色に変わっていました。
 写真3上段の杉の大木が多く植わっているところから眺めた景色です。西斜面には樹種の違った木々に、積もり具合に変化があります。
 写真3中段のヤマザクラに積もった雪は小枝に僅かに積もっていてもすっきりした感じです。
 写真3下段の木には枝にぼってりと積もっていて、ヤマザクラやスギの葉っぱに積もった雪景色とは違っていて、これも趣のある風情でした。




写真3上段:杉木立の間から西斜面を望む

 
  中段:「きつねのベンチ」近くのヤマザクラ

下段:「小鳥の水場」近くの雪の積もった木


風雪に耐えて!

 下山の途中、1年前に植樹したクヌギが大きく育って植生保護管・ヘキサチューブから顔を覗かせていましたが、この若木の葉っぱにも雪が積もっていました。(写真4下段)

 照葉樹の代表格・ヤブツバキには写真4上段のように、こんもりと積もっていました。
 箕面市内の公園ではもう赤い花が開いていましたが、ここではつぼみも固く、じっと風雪に耐えて春を待っているといった感じでした。




写真4上段:ヤブツバキに積もった雪

下段:1年前に植えたクヌギの葉にも雪


 このヤブツバキの風情を見ていて、明治時代の宗教家、教育者で、同志社大学を創立した新島 襄の五言絶句の漢詩「寒梅」を思い出しました。

庭上(ていじょう)の一寒梅 笑って風雪を侵して開く

争(あらそわ)ず 又 力(つと)めず 自(おのずか)ら 百花の魁(さきがけ)を占(し)む

 大意「庭先の一本の梅花さえ、寒苦風雪に耐えてほほえむのである。柔よく剛を制す。争わず百花の魁(あらゆる花の先頭に立つ)を占めるのである。人間もいかなる辛苦も覚悟して、ほほえみを忘れず、柔軟な心をもつこと」(日本詩吟学院教典部発行「吟道教典第三巻」等を参考) 


 1月の竹炭作りはできなかったので、2月7日(土)が今年第1回目の炭やきになります。

 もうそのころには、昔キャンディーズの「春一番」の歌詞

雪がとけて川になって 流れて行きます つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します もうすぐ春ですねえ ちょっと気どってみませんか

と歌える日に近づいていることでしょう!



第113話 魚偏に入ると書いて「魞(えり)」と読む[2009年01月07日(Wed)]


 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 この年末年始は曜日の巡りで休みが長く、勤め人には良い休暇になったことと思います。

 箕面だんだんクラブの初仕事は1月10日の土曜日からになります。その活動報告は別の稿で書くことにして、昨年からの懸案事項として琵琶湖の魚が減少していることを調べることが念頭にあったので、平成21年の年頭の話題として取り上げてみました。


コアユの溯上

 琵琶湖の湖西線比良駅は、かつては比良山系武奈ガ岳登山口としてにぎわっていました。現在はこの駅から出ていた登山口までの連絡バスがなくなり、リフト、ケーブルは2004年3月末で閉鎖になりました。

 比良山系の登山口としてのにぎわいはなくなりましたが、比良の湖岸は敦賀寄りの近江舞子駅の隣だけに水泳場として夏場はにぎわいを見せています。湖北方面へサイクリングするための足がかりとして昨年11月25日に比良湖岸際に宿泊しました。

 今から16年前の平成4年9月18日に同じ宿に泊まったとき、幅が30センチほどの小川(写真1上段)に小さな鮎の群れが真っ黒になるほど溯上していました。これをみた仲間が川下に堰を作って鮎の逃げ場を遮断して凄い量のコアユをつかみ取りしました。




写真1上段:16年前には凄い量の小鮎が溯上していた川

下段:今年小鮎の群れが溯上してきた川


 採れたコアユを夕食の一品に、てんぷらにしてもらいましたが、砂を吐き出させ、小さなアユのハラワタを処理したものの、砂交じりのてんぷらはいまひとつだったことを思い出しました。

 そのころを思い出して宿の人に訊ねると、かつての小川(写真1上段)を指差して「今は全く溯上してこない」ということでした。

 夕方湖岸を南へ散策していて出会った地元の人に「魚が激減したと聞いているがどうですか。小鮎は溯上してきますか」と話してみました。「今年はこの川(写真1下段)だけは、コアユの群れが溯上してきた」と答えてくれました。


魚偏に入ると書いた字、魞(えり)とは

 コアユの溯上のついでに、沖合の方を指差して「魚を採る装置ですか」と尋ねると「竹簀(たけす)で作ったもので、入ってきた魚をその先端に追い込んで採る。『魚偏に入る』と書いて、エリ漁という」と教えてくれました。
 さらに、「今年は幸いにこの近辺では結構水揚げがありました」とも付け加えてくれました。

 帰り道で出会った別の人に「最近は琵琶湖の漁獲量が減っていると聞いていますが……」と尋ねると「確かに減っている。藻が多くなってきて網が入らない。琵琶湖の魚は餌が少ないから大きくならない」といい、沖合の漁法は「「魚偏に入る」と書いて魞(えり)漁だと教えてくれました。




写真2上段:沖合の魞漁(11月25日16時40分撮影)

下段:沖合の魞漁(11月26日8時40分撮影)


 魚偏の漢字

 琵琶湖岸で出会った二人から、簡単に「魞」の字まで教えてくれましたが、初めて知った漢字でした。
 そこで、手持ちの漢和辞典(角川新字源:角川書店発行)で魚偏の字を調べてみました。魚偏は117字ありました。魚の名前の付いた漢字は魚偏のうち、約78%の91字ありました。




表−1 魚偏を集めた漢字(角川新字源より)


 なじみの鮓(すし)、鱗(うろこ)、鰓(えら)、鰭(ひれ)、鮮(あざやか:生肉の意味)など魚に関連した字の中に、漁法として魚偏では一番簡単な2画に「魞」が入っていました。

魞とは
 平凡社発行の世界大百科事典によると、「岸から直角に沖の方へ竹簀を並べ立てて、さらにその先端部を囲むように逆X字形に竹簀を設置した陥穽注(かんせい)漁具。
 岸に沿って回遊する魚が括<ハリズ>という竹の障壁にぶつかって誘導され、沖の側に設けた狭い<ツボ>という部分に入りこむことになるので魚偏に<入る>という国字が作られた。
 
 日本では琵琶湖のものが有名。特定の<えり師>という技能集団が、冬の農閑期に湖岸の各地を泊まり歩いて設置する。中国の東北部(遼寧省)に<迷封ミーフオン>という同型のものがあり、これが日本に渡来したものといわれるが、同様のものは東南アジア各国にも普遍的に見られるので、本来、遠浅海岸において自給用の魚を得るための漁法であったものと思われる。

 これら東南アジアのものが、<ツボ>の部分が広いのは、これを生贄として一時的な蓄養を可能にしたものであって、琵琶湖のものが、構造が複雑であるからといって精巧・粗放の技術的な差と見るのは正当ではない」と説明しています。
注)陥穽:動物などを落ち込ませる、おとしあな

 「琵琶湖のえり漁業の起源は明らかではないが、おそらくは古代以来のものらしい」とも書いていて、1241年に、鎌倉幕から新えりの構築禁ずる文書が残っているそうです。


琵琶湖の魚

 今森洋輔著「琵琶湖の魚」(偕成社2001年11月初版発行)の「はじめに」には、「現在の琵琶湖水系には、魚類をはじめ、貝類や甲殻(こうかく)類、水生植物など、1000種をこえる生物がすんでいる。魚類では、絶滅のおそれのある種や、放流によって資源維持されている種、外国から渡来した移入種までをふくめると、70種類ほどが生息している。そして、このなかには、世界中で琵琶湖だけにしかすんでいない固有種・亜種が14種類もみられる」と書いています。

コアユ


 アユは、「北海道西部から九州までの日本と朝鮮半島、中国南部沿岸、台湾に自然分布し、琵琶湖以外の水系では、川でふ化し仔魚はただちに海へくだる。冬のあいだ海で生活した後、翌年河川に遡上し、中流域で石に付着した藻類(そうるい)を食べて育つ。

 それに対し、琵琶湖では、琵琶湖を海のかわりにして生活するアユがいて、幼魚は湖内で冬を越し、春から初夏に流入河川に遡上して成長する。栄養状態がよければ全長20cm以上に育つので、オオアユの別称もある」。

 16年前の9月、比良湖岸の小さな川でみたアユは、一生を通じて動物プランクトンを食物とし、大きくならないまま成魚になることからコアユと呼ばれています。全長は7〜10cm。
 このコアユは日本各地の河川に放流されているが、河川に放流されたものは藻類を食べて大きく育つ。なお、琵琶湖のアユは、他の河川のアユにくらべ産卵期が早く、なわばり行動も激しいなどの特徴をもつとされていたが、最近はなわばり行動が弱くなったとの噂もあるそうです。

 アユの産卵期は秋。琵琶湖では9月にはじまり10月におわるが、オオアユよりもコアユの方が、産卵期が早い。また、コアユは湖岸や流入河川の河口付近で産卵するのに対して、オオアユは流入河川の中流と下流の境目付近で産卵する。このように両者は生態的には明らかな差があるが、遺伝的な差は認められていない。(今森洋輔著、「琵琶湖の魚」より)




図−1上段:アユの回遊図

下段:琵琶湖全体図


今森洋輔著、「琵琶湖の魚」より


魚にとって琵琶湖の環境は?

 上記の「琵琶湖の魚」の続きに「琵琶湖は、日本一広い湖として知られている。表面積は673.9km2。平均深度は41mである。浅く狭い南湖と、深く広い北湖に分けられ、北湖の最深部は103.6mに達する。ただし、湖の規模が大きくても、環境条件が単純であれば、豊かな生物相を育むことはなかっただろう。

 魚にとっての琵琶湖の環境は、沖合と沿岸とに大きく分けられる。沖合は、さらに表層と深層とに分けられる。表層は、植物プランクトン、動物プランクトンとも豊富な水城である。深層は、表層よりも水温が低く、周年7℃前後と一定であるため、冷水を好む魚がすんでいる。沿岸は、ヨシなどの水生植物が繁茂する水生植物沿岸、波が強く打ち寄せるために水生植物の少ない砂礫沿岸、山が湖岸までせまり、岩盤が湖底につづく岩礁・岩石沿岸に分けられる。

 琵琶湖周辺から琵琶湖に流入する河川と内湖もまた、重要な生息場所である。流入河川は、もっとも長い野洲川を筆頭に1級河川が125本、細流、用水路までふくめると500本をこえる。これらの流入河川は、河口に三角州を形成した。三角州が発達すると、内湾は砂州で閉ざされ、内湖が出現した。

 内湖はプランクトンの発生が多い、栄養に富んだ水域である。これら、さまざまな環境には、それぞれに独特な生物群集がみられる。琵琶湖には、多様な環境がそなわっているからこそ、多種の魚がすむことができるのである」と説明しています。

 「世界大百科事典」の琵琶湖の生物相には、「琵琶湖はいわば生物進化の展覧内場である」と言っています。琵琶湖の生物相は奥が深い!


 今年の年頭の話題は「琵琶湖の魚」を今森洋輔さんの著書を参考にまとめてみました。
 
 これからも、環境問題や生物多様性の問題など、箕面だんだんクラブの活動以外のことも触れてみたいと考えています。本年もさまざまな話題を皆様から情報提供を受けてまとめていきますので、ご指導のほどよろしくお願いします。


(平成21年1月7日)


第88話 「山笑う」季節[2008年05月22日(Thu)]


 4月中旬、「語り部と歩く熊野古道」で中辺路のうち、近露王子から小広王子まで歩いたとき、熊野の山々は常緑樹の濃い緑色、若葉が出始めた薄緑色の中にヤマサクラのピンク色が交じった絶景のポイントを教えてくれました。その山もヤマザクラが散ると「山笑う季節に変わっていきます」と解説していました。

 5月の第2週の土曜日、10日は一日中雨が降り続き作業ができませんでしたので、次回の活動日の24日まで山の作業はお預けです。

 前回の「第87話  芦生の森の古老の話」の原稿を見てもらったNさんが11日に山へ行ったら、「タニウツギの花がきれいに咲いていたよ」と教えてくれました。そこで、16日2週間ぶりに「体験学習の森」へいってきました。今まさに「山笑う」季節になりました。


山笑う

 国語辞書(大辞泉)の「山笑う」には「《『臥遊録』の『春山淡冶(たんや)として笑うが如し』から》春の山の草木が一斉に若芽を吹いて、明るい感じになるようすをいう。《季 春》」と解説しています

 また、「故郷やどちらを見ても山笑ふ」と正岡子規の俳句が付け加えられていました。

 漢和辞典で「淡冶」を調べてみると、「淡」は色がうすいを意味し、「冶」は「艶めかしい」を意味しているので、春の山はうっすら艶めかしいと作者は言っているようですが、5月の山を見ていると、写真1にように、新緑の若葉が盛り上がっていて「ワッハハ!」と笑っているように見えました。




  写真1 若葉で山全体が「山笑う」(石庭付近から5月16日撮影)

 また、5月21日は草木が茂って天地に満ち始めるという24節気の「小満」です。

 写真2は5月20日熊野古道を歩くツアに参加した折、那智大社境内の樟(クス)を撮りました。「艶めかしい」という表現もまんざらでないほどに明るい緑色の若葉が生い茂っていました。この樟の側には「和歌山県指定文化財、天然記念物『那智の樟』、この樟は樹齢約800年と推定され、樹高27m、幹周り約8.5m、枝張るは南北25m、熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの樟と伝えています」と解説していました。




   写真2 見事に若葉の生い茂った那智の樟(5月20日撮影)

唱歌「夏は来ぬ」の卯の花

 「卯の花の にほう垣根に ほととぎす 早も来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ」は小学校のころにはよく口ずさんだ唱歌ですが、作詞 佐々木 信綱. 作曲 小川 作之助に明治29年に作られた歌です。  

 その「卯の花」はどんな花か疑問に思ったこともなく今まで口ずさんでいたのですが、最近になってNさんから「『卯の花におう垣根に……』の歌詞の「卯の花」はウツギのことで、茎が中空のため空木と呼ばれる」と教えてくれました。


 ウツギは勝尾寺川支流沿いにたくさん生えていますが、花は未だ咲いていませんでした。
 唱歌の中では「卯の花におう……」とありますが、この川筋のウツギは臭わないそうです。ウツギには何々ウツギと名のつくものがたくさんあるので、唱歌の中の「垣根の卯の花」はどんな種類なのかわかりませんでした。

 この記事では今満開に咲いているタニウツギの花を紹介します(写真3)。




    写真3 満開に咲いたタニウツギ(5月16日撮影)

 なお、ウツギはユキノシタ科の落葉低木ですが、タニウツギはスイカズラ科の落葉低木で全く別物です。

 また、「夏は来ぬ」の唱歌に出てくる「テッペンカケタカ」と鳴くホトトギスは、今年は体験学習の森ではまだ聞いていません。例年のことですが、今頃は川沿いで鳴くウグイスが盛んにさえずっています。


ゴマギ

 ゴマギは花見山へ行く途中の散策路際の目立つところに生えているので、四季の変化を確かめていますが、5月16日には花は咲き終わった後でした。
 ところが、石庭の方へ登っていくと、写真4上段に見られるように、緑色と白色が盛り上がったようになった樹名札をみてゴマギと知りました。写真4下段は近づいて写しました。枝先に円錐花序を出し、白い小さな花を多数つけていて、葉をちぎってみると、ゴマ油の匂いがしました。




   写真4上段:石庭近くに咲いたゴマギの花(5月16日撮影)
       下段:白い小さな花を多数つけたゴマギの花


 「ゴマギ」の名前の由来は、この香りからと言われています。秋に葉の落ちるころ、赤い実から黒紫に変化していくのでこれから注目して観察していくことにします。

斑入り(ふいり)ハナミズキ

 「体験学習の森」に生えている木の話題ではありませんが、4月下旬になってハナミズキがきれいに咲き出したころ、箕面市内の遊歩道の植樹帯に写真5下段のように斑が入った珍しい葉っぱを見つけました。その樹名札には「クロガネモチ」と掛けてありました。その遊歩道には同じクロガネモチと書いた木もあって全く似ていない木なので、森林総合研究所へメールで問い合わせてみました。



    写真5上段:園芸品種として改良されたハナミズキ
        下段:園芸品種のハナミズキの葉っぱ


 早速に返信が来て「お送り頂いた写真を研究者に鑑別頂きましたので報告します。★北米産のミズキ科ミズキ(Cornus)属と推定した→ ハナミズキの園芸品種
 研究者が言うには、園芸品種として改良された可能性が大である。ハナミズキの仲間と考えて下さい。
----- 参考 ------
ハナミズキ(花水木) アメリカヤマボウシ(アメリカ山法師・アメリカ山帽子)
学 名 Cornus florida L. 英語名 Dogwood
分 類 ミズキ科ミズキ属 Cornus cornaceae
原 産 アメリカ東部〜メキシコ北東部
タイプ 落葉小高木
 桜の返礼としてアメリカから送られたことが知られている。落葉後の冬も赤や黄色の鮮やかな枝を楽しめる」と返信をいただきました。

 「クロガネモチ」の樹名札が外れていたために、樹の名を知らない人が適当に取り付けたのだろうと思われます。
 近くの公園を散策する人たちの中には、四季折々の木々や草花を楽しんでいる方が多数おられるので、早速に箕面市役所に森林総合研究所の同定結果を報告しておきました。


斑入りの葉を持つ木

 インターネットで「斑入り(ふいり)ハナミズキ」で検索してみると、「斑入りの葉を持つ木」(www2s.biglobe.ne.jp/~k_midori/fuiri.html)にはハナミズキのほかにたくさんの木を紹介していました。それによると「アオキ、ケヤキ、サカキ、セイヨウイワナンテン、チャイニーズホーリー、ツゲ、ナワシログミ、ネグンドカエデ、マサキ類、ヤツデ、ヤマボウシ、ユリノキ」が書いてありました。

 ハナミズキは桜の返礼としてアメリカから送られたということなので、当然「体験学習の森」には生えていませんが、上記の木々の中には自生している木もあるので、これからは花や葉っぱにも注視していこうと思っています。


リョウブの花

 箕面の山々で活動している仲間からのメールには「新緑が終わり、しおんじ山も緑濃くなってきました。リョウブの花の季節の到来です」と6月の活動案内がありました。

 鹿に食べられたリョウブの樹皮ばかりに目がいってしまい、いままで葉っぱや花には目が届いていませんでした。

 前回「第87話 芦生の森の古老の話」の中で、リョウブは鹿が樹皮を剥がしても再生して育つそうですから、6月の活動日にはリョウブの花や梅雨時期の山の彩りを届けられればと思っています。

 ただ、Nさんの話では「しおんじ山」より標高の高い「体験学習の森」では初夏から夏にかけて咲く花ではリョウブが一番遅いようです。この花が終わったころにキツネノカミソリが咲き出すというコメントをいただきました。


第87話  芦生の森の古老の話[2008年05月15日(Thu)]


  5月8日五月晴れの 芦生の森を散策してきました。ここ数年、新緑と紅葉の季節に、滋賀県高島市朽木村から観光協会主催の 芦生森自然観察会には参加していますが、京都府美山町から歩くのは初めてでした。

 正式名は京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション・ 芦生研究林というそうです。資料館前のトロッコ軌道の出発点から由良川橋を渡り、深山に入っていきました。
 
 由良川の源流に向かってトロッコ道を往復約3時間半あまり、森林浴を満喫してきました。
帰り道、研究施設を出たところで、80歳は超えていると思われる老人が薪割をしていていました。新緑のいまの時期に薪割りをしているのを不思議に思い、声をかけてみました。古老から3つの話題を聞くことができました。


梅雨前には冬の備えを

 芦生研究林は京都府の北東部、由良川の源流の位置し、福井県と滋賀県に接する奥深い山の中です。

 芦生の森へは途中1車線の狭い道もありますが、研究林の入り口まで自動車で深山へ入っていけます。石油や電気が普及している時代ですが、古老はこの地区で冬に薪ストーブ用を使っているのは1軒だけだと話し始めました。

 未だ生乾きのミズナラの丸太を割って薪を作るのは、冬に備えるためです。
 梅雨が来る前に薪を確保して天井に格納しておくのだそうです。梅雨時期に雨にあたると火持ちが悪く、いまの時期にし終えなければならない作業だったのです。




     写真1 芦生の森で薪を割る古老

 インターネットで「ホダギ ミズナラ」を検索すると、「“ミズナラ”は木が乾燥するのに時間がかかるので、あまり薪には向いていない」と書いていました。
 ミズナラの利用するために、乾燥に時間がかかるから、今の時期から、冬の準備をしているのだと理解できました。

 炭の話をすると、古老はいままでずっと 芦生の森でミズナラを使って炭焼きをしていたそうですが、いまは市販の炭を購入していると話していました。


リョウブの樹皮と鹿の食害

 トロッコ道を歩いている道すがら、写真2上段のように、樹皮がきれいに剥ぎ取られた倒木がトロッコ道を塞いでいました。かなり大きな木で、先端や地面に接したところはまだ樹皮が残っていたのでおそらく鹿が食べたのでしょう。

 芦生の森では鹿の食害が深刻だと朽木観光協会の自然観察員から聞いていたので、古老に尋ねてみました。
 鹿は川べりのネムノキの樹皮を好んで食べているそうです。箕面の山ではリョウブの樹皮がよく食べられていると話すと、「リョウブは樹皮を剥がされても、また再生してくる。鹿は再生した樹皮をまたはがして食べるが、木は枯れないで育っている。だから、鹿が食べる範囲は細いままだが、その上の幹は太くなっている」と興味のある話をしてくれました。

 写真2下段は「体験学習の森」で、鹿に食べられたリョウブを写しました。
 インターネットの「箕面の木々の物語」には「リョウブは薄く剥げる樹皮を鹿が好んで食べ、剥げ跡はサルスベリの樹皮に似て美しい」と書いていましたが、このほかの検索では、古老の話のような事実を見つけることはできませんでした。

 古老が話したように、鹿が食べたリョウブの幹がどう変化していくのか、興味を持って追跡していきたいと思います。




    写真2上段:トロッコ道でみた鹿の食害
        下段:鹿が好んで食べるリョウブ(体験学習の森にて)


椎茸のホダギはミズナラ

 薪を割っているすぐ近くに写真3のように、ミズナラの丸太が積んであり、これらは椎茸のホダギに使うということでした。

 椎茸のホダギは北摂山地では一般的にクヌギやコナラを使っているので、ミズナラが使われていることを初めて知りました。




    写真3 椎茸のホダギとなるミズナラ
 
 芦生の森ではクヌギは探してもほとんど見つからないそうで、木炭も椎茸のホダギもこの地で産出するミズナラを使うということでした。
                                  
 古老は「クヌギの樹皮は厚くて椎茸菌を確実に植えるにはミズナラのように樹皮の薄い方が確実である」とも説明してくれました。
 そこで「北摂山地では昔から菊炭作りが盛んで、クヌギが多く植林されているのだろう」と返事をしましたが、ミズナラやクヌギが育つ気候風土をもう少し調べなければならないだろうと思います。


シイタケとツキヨタケ

 昨年10月、朽木村から 芦生の森へ入る地蔵峠近くで、写真4下段のキノコを見つけました。誰かが「シイタケだ」と話していましたが、シイタケにやや似ているが、シイタケなら道に捨てられているはずもなく、「有毒のツキヨタケ」と説明がありました。

 山中でうっかり見間違いないように、写真4上段にはクヌギで栽培しているシイタケの写真と併せて掲載しておきました。




     写真4上段:クヌギで栽培したシイタケ
         下段:有毒のツキヨダケ


 フリー百科事典『ウィキペディア』によると、「椎茸(椎茸)とは、キシメジ科シイタケ属の食用キノコ。日本、中国、韓国などで食用に栽培されるほか、東南アジアの高山帯やニュージーランドにも分布する。
 日本では食卓に上る機会も多く、最もよく知られたキノコの一つである。
 自然界では、クヌギやシイ、ナラ、クリなどの広葉樹の枯れ木に生える。短い円柱形の柄の先に、傘を開く。枯れ木の側面に出ることも多く、その場合には柄は大きく曲がる。傘の表面は茶褐色で綿毛状の鱗片があり、裏面は白色。なお、よく似た条件で発生し、やや姿が似たものにツキヨタケがあるが、これは有毒である。これをシイタケと間違えて食べて中毒になる例が多い」と説明していました。

 ナラ材で検索してみると、「椎茸栽培の原木に最適だそう」と書いている記事もありました。


芦生の森は「若狭の海の魚付き林」

 古老の3つの話題は上記の通りですが、 芦生の森の感動を伝えるために3枚の写真を選びました。写真5上段と中段は5月8日、トロッコ道で写しました。

 下段は2005年11月に杉尾峠から若狭湾を写しました。かつて杉尾峠には4度行きましたが、靄がかかったりして若狭湾を見ることができたのはこのときだけでした。

 同じ杉尾峠から写した写真が、美山村自然観光村の「芦生の森はワンダーランド・ガイドブック」の最後のページに掲載されていました。

 その写真の解説文には、「芦生の森は若狭の海の“魚付き林”である。 芦生の原生林から絶えることなく流れ続ける豊かな水は、この流域を、そして若狭の海を潤し養っている。由良川源流を踏み越えて杉尾峠から眺める若狭の海。それは山と空がひとつにつながる瞬間である。水のないところに生命の存在はなく、水は生命を養いながら永遠の循環のなかにある。水は生命の源につながっているのだ」。




      写真5上段:源流に近い 芦生の森の由良川(2008年5月8日)
          中段:左側の由良川と山に挟まれたトロッコ道(2008年5月8日)
          下段:杉尾峠から若狭湾を望む(2005年11月14日)


 ガイドブックの最後のページには杉尾峠から若狭湾を望む写真と上記の説明文の下には

「人間の感動は、自然から生まれる。そして、静かな心の状態もまた、同じように自然の賜物である」 ウイリアム・ワーズワース

の詩を掲載してまとめられていました。


 前回の記事「第86話 花見山に下草が顔を出し始めた!」の中で「魚つき林」のことを書いていただけに、上記ガイドブックの説明文は納得できました。
 
 その説明文の下に書いてあったイギリスの代表的なロマン派詩人のウイリアム・ワーズワースの詩も併せて引用しました。


第84話 スズメのお宿[2008年04月25日(Fri)]


 4月13日朝日新聞で「オムロザクラの樹高が低いのは粘土質が原因」という記事を見つけました。「御室桜が満開になり、花見客でにぎわう仁和寺」と写真も添付されていたので、15日に興味をもって仁和寺の花見見物に出かけました。ちょうど見ごろで平日だというのに多くの人が訪れていました。その様子を記事に書きかけている間に、近くの公園では葉桜になってしまいました。おそらくオムロザクラも見ごろを過ぎてしまったことでしょう。

 オムロザクラについては、別の視点でまとめることとして、23日に万博記念公園で見つけた「スズメの宿」について書いてみました。


スズメのお宿は電灯の笠の中

 万博記念公園の中の自然文化園には、約250種50万本の樹木が植樹されていますが、お祭り広場、砂の広場、水の広場といった木々の植わっていない空間もあります。

 日本庭園へ向かって広場を歩いていたとき、頭上で「チュン、チュン……」とさえずるスズメを鳴き声に前方をみると、写真1の鈴蘭状の電灯の笠の中をスズメが出入りしていました。




    写真1万博記念公園内の電灯の笠を利用したスズメのお宿

  電灯の笠は全部で15個取り付いていましたが、そのすべての笠は写真2に見られるように、スズメの巣として利用されていました。



      写真2電灯の笠を利用したスズメの巣

  フリー百科事典「ウィキペディア」の「スズメ」には、「『雀の学校』と言われるように、非繁殖期は若鳥を中心とした群れを作って生活するが、春の繁殖期にはつがいで生活する。雨樋と屋根のすき間などに枯れ草で巣を作るので、この時期には枯れ草をくわえて飛ぶ様が見られる」という説明のとおり、閉鎖的な空間の電灯の笠は手ごろなスズメの住処になったようです。

スズメのお宿

  電灯の笠を利用したスズメの住処をみて、ふと出てきた言葉が「スズメのお宿」だったので、ネットで検索してみました。すると、「おもてなしの心」とか「こぢんまりとした小さな宿」といった宿泊施設の案内が出てきました。
 「スズメのお宿」はどこで聞いた言葉か、直ぐには思い出せず、やっと日本昔話の「舌きり雀」の中で、優しい爺さんが舌を切られた雀を捜し求めて「スズメのお宿はどこか」というせりふにたどり着きました。
 


舌きり雀の話

 舌きり雀のストーリーもすっかり忘れていて、検索してやっとやさしい爺さんと意地悪ばあさんが出てくる話だったと思い出した次第です。

 上記「ウィキペディア」の「舌切り雀」にあらすじが載っていました。「お爺さんに助けられてかわいがられていた雀は、お婆さんが洗濯に使おうとしていた糊を食べてしまい、舌を切られて逃げ出す。その雀をお爺さんが追って山へ行くと、雀たちが恩返しにご馳走してくれたり、踊りを見せてくれた。お土産として大小2つのつづらのどちらを持って行くか聞かれ、小さい方を持って帰り家に着いて中を見てみると小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらをもらおうと雀の宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取って、帰り道で開けてみると中には妖怪が詰まっており、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう。(妖怪に食べられてしまうという説もあり)」。


舌きり雀の原典


 舌きり雀の話は、「こぶとり爺さん」や「わらしべ長者」といった民話や滑稽譚など197話を収めた鎌倉初期の説話集「宇治拾遺物語」の中に出てきます。

 上記「ウィキペディア」には、「さるかに合戦やかちかち山など、多くの民話の類がそうであるように、この話も本来言い伝えられて来たものは残酷でグロテスクな内容を含んでいる。老人は雀の宿を探すために何人もの人に道を聞くが、彼らは引き替えに馬の血や牛の小便を老人に飲ませるなどといった場面がある(この部分は、洗い水に変更されたバージョンもある)。明治時代以後、子供にふさわしい物語とするためこうした過激な部分は削除され、おとぎ話としての形が整えられた。このように、おとぎ話は時代背景や世相に伴い、内容が改変されていくことが多い」と解説していて、私たちが幼いころに聞いたのは過激な部分が削られたきれいな話だったのです。


兵庫県美方郡に伝わる舌切り雀

 手元にあった「日本昔話百選:且O省堂発行、昭和46年初版発行」を読むと、糊をねぶってしまって舌を切られた雀を探しに爺さんの会話が兵庫県美方郡地方の方言で書かれていました。
 
おじいさんが山から帰って来てこう言った。
 「おばあさんや、もどったじょ。雀が見えんがどこへ行ったぇ」 「あの雀はのう、『のり煮とけ』って言ったら、みんなねぶっちまったから、障子の穴から舌出さして、つみ切っただがの」。

 この雀は、かわゆうてならん雀だから、おじいさんは、
「どうしてそういうむごいことをした。はな、わしはこれから雀を尋ねて行ってくるぜ」言うと、弁当持って、ずっとずっと行った。
「舌切雀、来いこいこい。舌切雀はどこへ行た」

 そんなに言って行きよったら、そこへ牛追い殿がおって、おじいさんはすぐに聞いてみた。 
「牛追い殿、牛追い殿、うちの舌切雀を知らんか
「知っとることは知っとるし、知らんことは知らんし。けどな、この桶に、牛の洗い水三ばい飲んだら教えてしんぜる」三はい飲んだら、こんなに言うた。
「この向こうに行ったら馬追い殿がおるけ、今度は馬追い殿に問え」。
 
 それからずっと行きよったら、馬追い殿がおって、
 「あの、馬追い殿、馬追い殿、うちの舌切雀を知らんか」って聞くと、
 「あの、この馬の洗い水を三ばい飲んだら言うて聞かしょ」。

 こでおじいさんは三ばい飲んだ。
「向こうに竹薮があっての、そこで機織りよるさかい、行ってみい」。

 これはありがたいと行きょうたら、ほんに竹薮があったって。
 「機織りや、キコタン、機織りや、キコタン」とうたうのが聞こえてくる。
 「うちの舌切雀は、おらんかの」

 竹やぶの機織り場で舌きり雀と出会い、土産のつづらの話は、いまのお伽噺と同じ展開でした。

 この本の昔話百選の「舌切り雀」には、「『舌きり雀』は近世に赤本でも普及した昔話の一つ。しかし、口伝えの昔話もそれにひしがれず伝わってきた。腰を折られた『腰折雀』が米のなるひょうたんをくれる話。川上から流れてきた瓜の中から雀が出てくる『瓜子姫』型の話など。但馬のこの話も牛追い殿、馬追い殿をモチーフ、機織る雀など古風である。かたりが音楽的なのも楽しい」と解説していました。


雀が出てくることわざ
 
 ネットで雀が出てくることわざを検索してみると、「雀の涙、雀の千声鶴の一声、雀の糠喜び、雀百まで踊忘れぬ、鷹の前の雀」が見つかりました。

 サラリーマンに成りたての時、背広一着の「着たきり雀」だったのですが、「これはことわざですかな?」


春の繁殖期

 4月14日阪和自動車道紀ノ川サービスエリアでは、南の国からツバメがもう帰ってきて巣作りを始めていました。

 万博記念公園の15の電灯の笠のスズメのお宿でも、春の繁殖期で15棟それぞれの巣で子育てが行われていることでしょう。

 電灯の笠を利用した「スズメのお宿」を通り過ぎて、日本庭園の心字池では鯉が草むらで飛び跳ねていました。鯉もいまは繁殖期で、草むらに卵を産みつけているようでした。

 池の中の岩では写真3のように亀が春の日差しを浴びて甲羅干しをしているのどかな景色が見られました。 




    写真3 亀の甲羅干し(平成20年4月23日撮影)

 雀の話題と亀の甲羅干しとは全く関連していませんが、日本庭園の亀の甲羅干しののんびりとした様子をみて見ていると、与謝蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」の俳句を思い出しました。


第83話 春は異臭とともにやってきた![2008年04月11日(Fri)]


  桜の木が芽吹いてきた3月下旬ころから我が家の近くではどこからともなく異臭が漂ってきました。春野菜を作るための農作業で、下肥(人間の大小便を肥料にしたもの)を使っているのかなと思っていました。

 4月になって最初の活動日、5日の土曜日は竹炭やきと花見山の間伐作業、作業道つくりを行いました。その間を縫ってNさんと植物観察に出かけました。そこでヒサカキの花が咲いているのを教えてくれました。そこから放つ異臭が、我が家の近くで放つ臭いと同じだということがわかりました。
 近所の雑木林の中にヒサカキが植わっているのでしょう。吹田市と茨木市の境界近くの箕面市内や北摂山地では、このヒサカキのなんともいえない異臭(下肥?都市ガス?タクワン?の臭い)とともに春がやってきました。

 近くの公園のソメイヨシノは10日の雨で散り始めましたが、箕面市環境クリーンセンターの登り坂のソメイヨシノも咲き始め、第2週目の活動日12日には見ごろになっていることでしょう。4月5日に観察してきた「体験学習の森」の春をお届けします。


ヒサカキの花

 ヒサカキは玉串として神社で使う榊に似て非なるので非榊で、一回り小さいので姫榊がなまったとかの説があるとNさんは教えてくれました。

 我が家の周辺で臭う悪臭はこの花が放つ匂いだと初めて知りました。インターネットで調べてみると、ガス漏れ騒ぎの原因がこの花が放つ匂いだったとか、子供のころ遊んだときの臭いでノスタルジックな香りだという人もおられるようです。
 箕面近辺の里山では毎年この悪臭が、臭いとともに春本番がやってくるのです。




     写真1 体験学習の森のヒサカキの花

キブシ咲く あの丘?・・・・・・

 Nさんから「これがキブシの花だ」と教えてもらったとき、千昌夫が歌って大ヒットした「白樺 青空 南風 コブシ咲く.あの丘 北国の・・・・・・」と「北国の春」の歌詞が口をついて出てきました。
 コブシは同じモクレン科でハクモクレンとよく似ていて、花はやや小さく、コブシの花の下には小さな葉っぱがついていることで見分けがつくようです。

 先日ハイキングで柳生の里を歩いていて、Iさんは「コブシの花が咲いている」と言っていましたが、その花はハクモクレンでした。
 千昌夫の「北国の春」の歌詞のように、北国の春の訪れはコブシの花で代表されているのでしょう。




    写真2 上段:ハクモクレンの花(箕面市内にて)
         下段:コブシの花(4月9日万博公園にて)


 写真2上段のハクモクレンは箕面市内で3月22日に撮影しました。写真2下段は、4月9日万博公園内でコブシの花を写しました。体験学習の森ではコブシは植わっていませんが、コブシに似た同じモクレン科モクレン属のタムシバが見られます。

 中野進著「花と日本人」には「コブシやハクモクレンの花は日がよく当たる南側の成長が早いために南側が膨らみしたがって先端は北側を向く」と書いていました。

 キブシの花を紹介するのに横道にそれましたが、コブシもハクモクレンも春先に咲く花です。肝心のキブシの花は写真3です。体験学習の森にはところどころでこの花を見ることができます。




    写真3 上段:勝尾寺川支流沿いに咲くキブシの花
         下段:キブシの花の近くで鳴くウグイス


 キブシの花はコブシの花のように、真っ白な6枚の花弁が大きく開くこともなく、淡黄色の花を咲かせ、多数垂らした穂状花序に、釣鐘形で淡黄緑色の花をたくさん付けているので髪飾りのようでそれなりの趣があります。

 ついでに、このキブシの花の近くで囀っていたウグイスを何とか撮影することができました。春を告げるウグイスの写真も添付しておきました。


サクラ

 「体験学習の森」には、環境クリーンセンターへ入る道路の両側に植わっているソメイヨシノのほかに、野生種のヤマザクラ、エドヒガン、ウワズミザクラ、イヌサクラが、自生?しています。
 写真4はクリーンセンターへの入り口道路でちらほら咲き始めたソメイヨシノの花をアップで写した写真にしました。



     
    写真4 ソメイヨシノはちらほら咲き


 ヤマザクラは4月5日に1本だけちらほら咲き始めていました。



    写真5 体験学習の森のヤマザクラが咲き始めた

 フリー百科事典「ウィキペディア」によると、「ヤマザクラは同一地域の個体群内でも個体変異が多く、開花時期、花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃淡と新芽の色、樹の形など様々な変異がある。
 同じ場所に育つ個体でも一週間程度の開花時期のずれがあるため、同じサクラでもソメイヨシノと異なり、短期間の開花時期に集中して花見をする必要はなく、じっくりと観察できる。ソメイヨシノの植栽の普及する前の花見文化はむしろ、このように長期間にわたって散発的に行われるものであった」と説明しています。


ヤマザクラの話題

 インターネットのヤマザクラwww.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1586/yamazakura.htm
を検索してみると、興味あるメールのやり取りを見つけましたので、引用してみました。

 「山桜は、かつて(戦前)は、愛国心の象徴とされた花でした。そして本居宣長の詠んだ次の歌は、散りぎわのいさぎよさを賛美した歌として喧伝されました。(原文は、その源流は、本居宣長の詠んだ次の歌にあります。散りぎわのいさぎよさを賛美した歌です)

 敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花

 「敷島の」は「大和」にかかる枕詞で、特に意味はありません。神風特攻隊の最初の4部隊が、この歌から「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられたことは有名です」。
 
 この記事に対し本居宣長記念館・主任研究員の吉田悦之さんから、「敷島の〜」の歌の解釈が間違っていると指摘されていました。

【吉田悦之さんのメール】
 「ホームページを拝見いたしました。見逃しがたい点がありましたので、メールさせていただきます。『敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 散りぎわのいさぎよさを賛美した歌です』は誤りです。

 『朝日に匂ふ』のであって、散ることはどこにも出て参りません。もし、ご不審でしたらどのように解釈すれば、貴下の解釈になるのかお示し下さい。歌から離れて、宣長が、愛国心を称揚したとか言う指摘なら、それもまた意見としては認められるかもしれませんが、この解釈は、満開の、朝日に照り輝く山桜をこよなく愛した宣長に対しての冒涜です。訂正を求めます。本居宣長記念館主任研究員 吉田悦之」

 この吉田悦之さんのメールに答えて「本居宣長は『朝日に匂う山桜花』のどのような特徴が『大和心』だと思うかは説明していません。漠然としていて、読み手が想像するしかありません。一方、戦前戦中の軍国主義的風潮が昂揚していた時代、桜は散り際のいさぎよさが愛でられていたことは、『同期の桜』の歌詞などでも分かります。

 また、朝日は旭日=日の丸を連想させます。前日から咲いていた桜が朝日に輝きながら散ることもあるでしょう。したがって、軍国主義の時代に『敷島の〜』の歌が国民に、『散りぎわのいさぎよさを賛美した歌』と解釈されていたことは想像に難くないと思います。だからこそ、特攻隊の部隊名にも使われたのでしょう。以上のような趣旨から、私のホームページのご指摘部分を次のように書き換えました・・・・・・」。

 昨日10日の雨とともに、ヒサカキの異臭は消えてしまいました。

 4月26日には「箕面だんだんクラブ」の花見会を予定しています。上記「ウィキペディア」の解説によると、ヤマザクラは同じ場所に育つ個体でも1週間程度の開花時期にずれがあるので、4月下旬まで咲いてくれるだろうことを期待しています。
第69話 クヌギの苗木の植樹についてタッキー816の電話取材を受けました[2008年01月09日(Wed)]


 12月16日にクヌギの苗木100本を植樹しましたが、続いて残り100本を12月22日に植えることにしていました。残念ながらこの日は朝から冷たい雨が降り続いてやむなく中止になりました。

 第2回目の報告が出来なくなりましたので、同月19日に小林前代表が電話取材を受けた「タッキーCネットだより」の放送内容を報告することにしました。
 併せて、第1回の植樹に57名も参加してくれたNPO 「箕面クワガタ探検隊」の公式サイトの掲示板から12月16日の植樹の感想を引用して紹介します。


タッキー816

 タッキー816は箕面市を中心とした北摂地域のFM81.6MHz放送しています。
2007.秋/冬ラジオ番組表の表紙は写真1に示すようにホームページ、Eメール、電話番号が書いてあります。

 今回電話取材を受けた番組は、毎週「タッキーCネットたより」で、月曜〜木曜8時40分から10分間の放送です。




      写真1 タッキー816 秋/冬ラジオ番組表の表紙

「箕面だんだんクラブは、ありがとうクラブ」

 まずは「箕面だんだんクラブ」のネーミングの質問から始まりました。
 会員の中で山陰地方の方の提案で、お年寄りが「ありがとうね」と感謝するとき「だんだんね」の方言から採用したとの返答に、アナウンサーから「やさしい言葉ですね、『ありがとうクラブ』ですね」と、わかりやすい別の名前を付けてくれました。

 続いてだんだんクラブの活動を尋ねられました。
 
 箕面市の市有林でクリーンセンターに隣接する「体験学習の森」、
25.4ヘクタールの里山の保全活動をしていること、具体的には間伐、倒木の整理、下草刈り、山道を作ったりしているが、未だほんの一部しか手がつけられていないことなどを説明をしました。

 16日と次回22日のクヌギの苗木を植える行事については、大阪みどりのトラスト協会から補助金をいただいて買ったクヌギの苗と鹿の食害を防ぐプラスチックの筒を利用して植林をしたこと、人間と鹿の共生することの難しさなどのやり取りがありました。


植樹は夢のある催し

その放送内容から、その一部を再現してみると

A「16日には何本くらい植えられたのですか」

K「16日には箕面だんだんクラブのメンバー約20人と箕面クワガタ探検隊の親子57人が参加してもらって合計80名ほどで、100本の木を植えました」

A「わぁー、にぎやかだったでしょう」

K「子供たちはたいへんに喜んでくれましてね。植えた木の外側に、自分の名前と日にちを書いて、自分の願い事も書いて、『早く育ってクワガタムシやカブトムシがつきますように』というようなことを書いた筒もありましたのでね。ほんとうに楽しかったですね」

A「でもね、何年くらいでカブトムシが食事に来るような木になるのですか」

K「だいたい10年から15年かかりますね」

A「というと、子供たちは・・・・・・」

K「もう成人近くなるとか、大人になってからとか・・・・・・ということになりますけどね」

A「でも、逆にお子さんを連れて『これがお父さんの木だとか』なんて・・・・・・」

K「そうですね。そういう楽しみもありますし・・・・・・」

A「わぁー、とっても夢のある催しになったわけですね」

K「よかったと思っております。で、箕面市以外の、例えば吹田市だとか、豊中市の人も参加してくれまして、ほんとうに楽しい行事になったと思っております」

A「そうですか。じゃあ子供たちは日頃クワガタを捜していてどの木がよいかわかっていて、その木を育てるというのは、子供の心にとってもいいですよね」

K「面白い試みだったと思っています」

A「楽しんで子供たちも過ごしたのではないでしょうか・・・・・・」


箕面クワガタ探検隊公式ホームページの掲示板から

その1


 「午前の部の苗木植林では、初めての苗木植林だったので、少し緊張しました。あと、急斜面が本当にハードだったので、父は家に帰ってから、『本当に疲れたわ〜,もう死にそうやわ〜』といってバタンの倒れ,寝転びました。僕は,ぜんぜん疲れませんでした。でも、本当に楽しかったです。そして10年後、20年後、50年後がとっても楽しみです。豚汁は、自然の味が感じられて、また香ばしくて、とってもおいしかったです!」


その2

「植樹は個人的には簡単なものだと思っていましたが、大きな間違いでした。でも疲れた分、今後の楽しみも倍増ですね。大きく育ったクヌギを見にいくのが楽しみです。こんな機会をつくって頂いた『だんだんクラブ』の皆様には感謝しています。ありがとうございました」

その3

 「大変お世話になりました。充実した一日でした。明日は筋肉痛確実です。#写真をBlogのほうにUPしておきました。だんだんクラブさんのWebも見つけました。鹿の食害対策のチューブも載っていました」

植樹の協力のお礼と今後のクヌギの成長

 12月22日に予定していました第2回目の植樹は雨天で残念ながら中止しました。残りの100本は、2008年1月第1回目の活動日に植えることにしています。

 12月16日の第1回目の植樹は大勢の参加者のもと無事予定の数量を植えることが出来ました。

 「箕面クワガタ探検隊」のみなさん、「箕面だんだんクラブ」の団体ブログを読んで来られた方、そして箕面市広報紙「もみじたより」で参加していた方々にお礼申し上げます。  
 ご協力をいただきありがとうございました。

 12月16日に体験されたとおり、試験的ですが、鹿の食害防止のためのプラスチックの筒を取り付けましたので、苗木は鹿に食べられることなく育ってくれることと思います。 

 クヌギの苗木は地面にしっかりと根を下ろして後、幹の成長に移ります。植樹してからの数年間は目に見えるほどの目立った成長は望めませんが、プラスチックの筒に書いた名前が消えない2〜3年後までに、機会を見て育ち具合を見に来ていただければと思っています。


第66話 自動改札機の導入は北千里駅から[2007年12月13日(Thu)]


 11月28日付、朝日新聞朝刊28面に「自動改札は『歴史的技術』近鉄・阪急などに『マイルストーン賞』」という3段の記事が掲載されていました。

 今でこそ、当たり前のようにごく自然に使っている自動改札機ですが、今から40年前の昭和42年3月に、北千里駅に日本で初めて導入されたシステムです。

 阪急千里沿線に70年近く住み、とくに昭和40年代は北千里駅から通勤していただけに、自動改札機が導入されて当時のことを思い出します。

 以前NHK 「プロジェクトX『第58回 通勤ラッシュを退治せよ』〜世界初、自動改札機誕生〜で、放映されて、その開発の苦労話が紹介されて知られるようになりました。

 手元にあった資料などを見ながら、当時のことを思い出してみました。


1970年のこんにちは

 「日本万国博覧会 記念絵葉書」の中に「千里丘陵万国博会場」の(名神高速道路上空より)には、「大阪の中心より東北へわずか15kmの千里丘陵はアジアで初めての万国博を開く光栄の地です。330万平方メートルに外国、民間の展示館がその技術の粋を集めてテーマである“人類の進歩と調和”を表現しています」と解説しています。

 阪急電車千里線はこの絵葉書上部の万博会場の西端と千里ニュータウン住宅団地の間を走っています。
 1970年の開催当時、阪急電車は万博西口駅が設けられ、現在は中国自動車道吹田出入口になっている場所に地下鉄御堂筋線が入ってきていました。




 写真1 絵葉書から見た万博開催前の様子(名神高速道路上空から)

1967年3月、世界初の自動改札機が北千里駅に設置された

  朝日新聞の記事には、「自動改札機は、近鉄が62年に開発を始めたが、阪急が万博を控えて早期の実用化に意欲を示し、67年にパンチカード式と磁気方式の改札機を阪急千里線北千里駅(大阪府吹田市)に初めて導入した。磁気方式はその後も改良が重ねられ、75年までに関西の私鉄でほぼ導入が完了」と経緯を書いています。

 当時、北千里駅から梅田までの通勤定期を使っていて、導入当初は定期券が穴あき式だったので印象がありました。

 折から阪急電車は今年百周年でその記念展が10月19日から12月2日まで池田文庫で開催されていて、この記事に関連して見学しましたが、会場内撮影禁止でした。

 そこで、以前購入していた2000年5月発行の「阪急電車の20世紀 SERECT 20」をめくると、懐かしい当時の写真が出てきました。写真2はその本からスキャナしてみました。開発した当初の穴あき式の定期券と北千里駅の改札口が写っていました。 






    写真2 1967年自動改札機が導入された当時の様子


自動改札機開発物語

 インターネットのwww.h5.dion.ne.jp/~wing-x/hankyu/his/jidokaisatsu.htm「自動改札機開発物語」によると、「S42(1967)年 3月、阪急・北千里駅に日本初の自動改札機が設置され、供用が開始された。しかし、定期専用にもかかわらず、切符(や現金など)を投入する客が続出し、切符づまりが頻発した。トラブル続出により、立石電機の技術者は終日、自動改札機についていなければならなかった。まったく‘無人’改札機になっていなかったのである」と書いているように、駅員とは違った制服を着た技術者がつききりでした。

 また、改札機を通過する定期券より人の方が早いと「ピンポーン」とゲートが閉まって「機械に馬鹿にされて!」と腹立たしく思ったりもしましたたが、つききりの技術者が当時は「ゆっくり通ってください」と常に声をかけていました。

 それまで千里ニュータウンの交通機関は新千里山駅(南千里)だったのが、1967年3月に北千里まで延びました。


 40年後の現在も線路はほとんど変わっていませんが、上記本には写真3に示すように、「我が国ではじめての出改札の自動化駅『北千里駅』新しい装置、制度にご協力下さい」と書かれた立て看板は懐かしく思い出します。



写真3 1967年当時の北千里駅(阪急電車の20世紀 SERECT 20より)

 さらに「自動改札機開発物語」の続きを読むと、「そこで切符もつかえる自動改札機の開発が開始された。切符の大きさは定期券より小さく、従来の穴あけ式では情報が記録できない。そこで、テープレコーダーからの発想である磁気記録方式が用いられた。
 
 また、渓流を流れる笹の葉が岩にあたって方向が変わる現象からの発想が、切符の方向をそろえる機構となった。切符入り口部分のコマ(円形でその中心からずれた点で支えられ回転できる。切符はコマの周に当たり、コマの回転にしたがい、向きがそろう)である。
S46(1971)年 1月、阪急・北千里駅に新型の切符も使える自動改札機が設置、供用が開始された。トラブルは起きず、ここに自動改札機は実用化された」とその開発経緯を書いています。


自動改札機が設置されてから40年後の北千里駅

 千里ニュータウンは南から北に開発が進み、北千里から箕面市の桜井駅まで延伸して宝塚線とつながるといううわさを聞いたことがあります。そのうわさもいつか立ち消えになって、その用地は北千里終点の待避線として使われています。

 北千里駅の自動改札機はどんどん改良が加えられて、今では非接触型や2枚重ねで通過できるようになっています。
 あらためて昨日北千里駅の自動改札機を撮ってきました。




   写真4 現在の北千里駅の自動改札機

 当時の改札口は自動改札口の改良によって設置されている機械はどんどん取りかえられたことでしょう。

 駅本体の建造物は変わっていませんが、高齢化社会に備えてエスカレーターやエレベーターなどが備わり、改札口も車椅子が通れるようになり、団体用に切符を読み取らずに通れる簡易の改札も設けられています。



自動改札機で、マイルストーン賞を受賞


 「マイルストーン賞」をインターネットで検索してみると、「米国に本部を置く世界最大の技術者団体『電気電子学会(IEEE)』電気電子関連分野において、電気・電子技術における社会に貢献した重要な歴史的偉業を称えるために制定した、25年以上にわたって社会から高く評価われた技術を対象にしている。1983年の制定以来、日本の技術ではこれまで、東北大の八木・宇田アンテナ、気象庁の富士山頂アンテナ、JR東海の東海道新幹線、セイコーのクオーツ腕時計、シャープの電卓、日本ビクターのVHS方式ビデオデッキが受賞しており、自動改札技術は7件目」だそうです。

 「マイルストーン」を英和辞典で調べてみると、「@マイル標石、A[歴史・人生における]画期的事件」と書いてあります。

 西洋にも高野山の町石道のような標石があるのだろうかと調べてみると、「ローマ人がヨーロッパ中に建設される道には、ローマを起点として1マイルごとに標石が設置された」と書いてありました。
 このマイルストーン賞はおそらく後者の歴史的な画期的事件を意味しているのでしょう。

 1967年当時、大阪府吹田市の小さな駅、北千里で初めて設置された自動改札機は、40年後歴史的な画期的事件として認められたことになります。

 1967年当時のことを朝日クロニクル「週間20世紀 1967」で調べてみましたが、自動改札機の記事は見当たりませんでした。

 1965年から1967年にかけて関西で開発されたこの技術は、21世紀初頭になって社会に貢献した重要な歴史的偉業として称えられました。

 NHKのプロジェクトXで、渓流を流れる笹の葉が岩にあたって方向が変わる現象からの発想が、切符の方向をそろえる機構となった開発苦労の放映を思い出しながら、一利用者としてこの歴史的偉業に拍手をおくりたいと思います。


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