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第132話 集中豪雨による人工林からの流木被害[2010年10月06日(Wed)]


  9月5日の日曜日、ソーメン流しの席でビールをしっかり飲んだあと、バスで下山して千里中央で二次会となった。
 その席でTさんから今年の7月16日の「庄原豪雨」の災害の写真(広島県北部農業共済組合“きずな”から引用)を見せてくれた。




写真1 「庄原豪雨」災害


 このコミュニケーション誌によると、「去る7月16日(平成22年)に局地的な豪雨が発生し、時間雨量で観測史上最大の91.0ミリを記録するなど、管内庄原市に大きな被害をもたらしました。特に、庄原市川北町重行地区、川西地区、西城街大戸地区においては、土砂崩れや土石流が相次いで発生し、流木等により住宅や水稲耕地
 
 それにしても、「流木のなんと多いことか!」と驚かされた。
 Tさんの田んぼは被害地区から少し離れていて被害は免れたと話していたが、「これらの流木は、スギやヒノキで人工林から流出したものだ。戦後の焼け野原の時代に、家を建てるために植林政策を推し進めたが、日本の木材を使わなくなったこと、高齢化で山の手入れをする人がいなくなったからだ」と解説してくれた。


人工林

 辞書(大辞泉)の人工林には、「種まきや植樹などにより、人為的につくった森林。⇔天然林」と書いているが、「人工林はなぜ集中豪雨などで流木など引き起こすのか」などを調べてみた。

 宮崎 昭著(横浜国立大学名誉教授、財団法人国際生態学センター研究所長)の「いのちを守るドングリの森:集英社新書」には、「森の見分け方・人工林」の中で、より具体的に書いてあったので引用してみる。

 「木材生産を目的としたスギ、ヒノキ、カラマツなどの人工造林は、林内に入ればすぐわかる。経済価値の高い木材は、同じ樹種、同じ大きさの規格品でなければならない。そして人が林内に立ち入り、できれば器具も使って定期的に管理できるように、等間隔に、多くは筋状に植える。したがって、列状に同一樹種が生育している画一的な林分は、木材生産などを目的とした人工造林である」。


近隣の山の人工林の状況

 私たちが活動している「箕面市体験学習の森」の中にも、こうしたスギの人工林が点在している。活動拠点の豚汁広場は標高340mだが、戦後に植林された杉の人工林は、およそ標高520mなので、180mも登らなければならない。
 2年前にこの人工林への作業道を作ったが、ここへ到達すためには急斜面を登らなければならない。




写真2 体験学習の森の人工林(08年3月撮影)


 写真2では比較的緩やかな尾根付近に植林されていたが、写真3では、急斜面の崖に植林されていた。



写真3 急斜面の人工林(08年3月撮影)


 この急斜面の人工林では岩肌があちこちに露出していて、こんな危険な場所にも植林せざるを得なかった戦後の厳しい木材増産時代の人たちの苦労を思わざるを得なかった。

妙見山でみた人工林

 2週間ほど前の9月25日に妙見山に登ったとき、この山にもスギの人工林があったが、使う当てのない切り倒されたままのスギ丸太とスギの落葉で覆われて下草はほとんど見られなかった。



写真4 下草が生えていないスギの人工林


 上記本の人工林の続きには「本来、自然は極めて多様性に富んでおり、同じ樹種が等間隔に生育していることは決してない。

 よく管理されたスギ、ヒノキなどの人工造林では、下草や低木がほとんどない。植栽後10年20年経って林冠が覆うと、太陽光は林床部まであまり入ってこない。針葉樹の落ち葉は土壌生物が分解するのに時間がかかる。十分分解されていない粗腐植と呼ばれる分解途中の状態では、酸性で植物の生育に利用されにくい。甚だしい場合には、足が10cm以上ふわふわと入ってしまうほどたまる。下生え植物も生育できない。

 このように、土壌の表層が劣化していることと太陽の光線があたらないために、林床はほとんど死んでいる状態といえる」と説明していた。


人工林では間伐が必要

 人工林では樹木を太く、まっすぐ育てるために、間伐を行うことを前提にしている。最初は密に植林をし、後に樹木の成長に合わせて伐採することで光の量を調整して、悪い苗を淘汰して良い苗を選別して育ててきた。

 間伐した細い丸太は、建築の足場材として、鋼管などの足場材が導入されるまでの一時期には使われてきたが、今では建築現場で杉丸太の足場を見ることはほとんどない。
間伐材の需要がなくなり、手入れしなくなった人工林は、ひょろひょろの「もやし林」(線香林)」なっていく。

 植林した時代にはいずれ間伐をしていかなければならない必要性は理解されていたが、間伐材だけでなく木材そのものが安価な海外の木材、木製品が輸入されたち、プラスチックなどの非木質製品が増えてきた。需要の落ち込みに追い討ちをかけて高齢化が進み、放置林になってしまった。

 間伐されなくなった人工林は、樹木の大きさに対する葉の割合が少なくなるため、十分な光合成ができず、栄養状態が悪くなるため、強風や豪雪で折れたり、病気にかかったり、虫に食われたりする危険性が高くなる。

 こうして放置された人工林では、根が浅いもやし林で、緑のダムと言われる下草が生えにくいことために、集中豪雨によって一気に流出してしまう危険性をはらんでいる。




写真5 妙見山の自然林(10年9月25日撮影)


 妙見山の谷筋の登山道を登っていて、左手のスギの人工林(写真4)と道を挟んで右手では高木、低木、下草が生い茂っていた自然林《写真5》は対照的だった。

放置した木材からは酸化炭素が発生する

 成長段階の樹木は酸素の供給源であるが、腐らせてしまうと微生物等の働きにより、植物体に取り込まれた炭素を二酸化炭素として大気中に放出してしまう。
 地球温暖化の原因の一つとして大気中の二酸化炭素濃度が上昇していることが問題視されているが、木材を使用することで炭素を固定し、放出量を減少させることができる。

 体験学習の森では、今のところ間伐したスギやマツは、小屋の柱や椅子などに使っているが、尾根に近い人工林の間伐材の利用法や運搬方法を検討しなければならないだろう。
 放置して腐らせてしまえば、折角木材に溜め込んだ二酸化炭素を放出してしまってもとの木阿弥になってしまう。

 集中豪雨で流出した流木の写真を見てあれこれ調べているうちに10月になってしまった。森林の保水機能や、放置して腐らせた木材から発生する二酸化炭素の問題など、まだまだ調べなければならないと思っている。


(平成22年10月6日)
第128話 今年もモリアオガエルが産卵にやってきた![2010年06月24日(Thu)]


 6月19日の8時過ぎ、「箕面だんだんクラブ」の世話役・Kさんから「モリアオガエルがたくさん産卵して白くて大きいのが見られるよ」と電話があった。この日は活動日でもないのだが、作業準備のため「体験学習の森」へ来ていて、見つけたそうだ。

 6月12日の活動日のとき、「今年は、モリアオガエルは産卵に来ないのかな」とKさんに尋ねていたので、わざわざ知らせてくれたのだった。

 昼過ぎに「体験学習の森」にいってみた。昭和60年度の治山事業として完成した砂防ダムからは、かなりの水量がオーバーフローしていた。(写真1)。




写真1 オーバーフローした水は音をたてて落下していた


 数日前の北摂山地に降った雨が一気に勝尾寺川支流の砂防ダムへ流れ出していて、これほど勢いよく流れ落ちるのを見たのは初めてだ。


この森のモリアオガエルは例年梅雨時期に産卵

 今まで公開してきた団体ブログには、毎年モリアオガエルの話題を書いている。
 07年7月9日の「第10話 モリアオガエルのおたまじゃくしは鯉の餌になる?」には、7月7日の活動日に見つけたもので、白色から黄色になってしぼんでいて、すでに雨で溶け、崩れる泡の塊とともに下の水面へ落下して孵化したおたまじゃくしがたくさん泳いでいたと書いている。

 この年の6月にブログを開設したばかりだったが、本来こんな山奥の小さなダム湖に本来生息するはずがない鯉が3匹投げ込まれたために、絶滅危惧種に近いモリアオガエルのおたまじゃくしが鯉の餌食になることを懸念して怒りをこめて公開したものだった。

 翌年6月30日には「第93話 梅雨真っ只中・体験学習の森からの便り」の中で、6月14日に3個、2週間後の6月28日には9個になっていたと書いている。

 昨年は団体ブログを一時休止していたのでデータはないが、おそらく梅雨時期に産卵しただろうと推察している。

 今年は一昨年に比べたら少し遅いかもしれないが、今年の梅雨入りは平年より7日遅い6月13日ごろだったと気象庁が速報値を発表しているから、モリアオガエルの方も7日遅い梅雨入りに合わせていたのかもしれない。


タニウツギの枝には3個

 例年同じ場所に産卵しているから、まずは砂防ダムの天端コンクリートの上を歩いてタニウツギの枝の水面に出ている場所を見てみる。
 毎年このタニウツギの中で、卵が水面に落ちるように、はみ出た枝に3個ほど見つけることができる。
 1ヶ月ほど前の5月22日の活動日にはこのタニウツギの花は満開だった。




写真2上段:満開のタニウツギ(10年5月22日撮影)

下段:タニウツギの枝に産卵(10年6月19日撮影)


 例年通り3個の白い塊を見つけることが出来た。
 それにしても、モリアオガエルは下に水面がある場所を見定めて産卵している。
 彼らの子孫繁栄のための本能とはいえ、最適の産卵場所を探し当てて環境に適応しているのは驚くばかりだ。


ダム湖の上流側には5個の産卵

 ダム湖の水面に近い岸へ下りていき、上流側の産卵場所も例年通りで、ここでは5〜6メートルはあるかと思える高い木の枝で5個見つけることが出来た。



写真3 上流側の高い木に5個産卵


 3年前にはダム湖の東側の茨木市側にも産みつけていたが、その後産卵しているのを見たことがない。この場所は水深の深い場所で、3年前に3匹の鯉を放流していて、この深みに鯉は身を潜めている。

 折角産卵しても鯉の餌食になる危険を冒してまでの産卵場所ではないと、モリアオガエルが判断したのかもしれない。


お池にはまってさあ大変!

 上記写真3の5個の産卵をもう少しいいアングルで接近して撮りたいと、水面から僅かに出ている砕石の上(写真4)を慎重に歩き出したとき、バランスを崩して前方へ倒れこんでしまった。



写真4 慎重に砕石の上を歩いたが……


 杖でも持って歩けば、転倒することもなかったのだが、藁をもつかめず、そのまま水中に「ザブーン」。

 飛び込んでしまった水中から起き上がるのが精一杯だった。右手に持ったデジカメは水の中に浸かってしまうし、腰にぶら下げていた携帯用の蚊取り線香の火は消え、ポケットの中の財布や万歩計はずぶ濡れになった。 

 もがいて起き上がってみると底にたまったヘドロでズボンやTシャツも泥だらけの濡れねずみなってしまった。

 幸いKさんが作業小屋の前にいたので、早速にコンプレッサーのエアーでデジカメの水滴を吹き飛ばしてくれた。電池の入ったスペースにも水が入っていて、デジカメは全く作動せず、レンズは出たままで閉じさせることも出来なかった。

 濡れた衣服は乾かすことも出来ず、幸いにリュックサックにTシャツだけが入っていてほっとした。腰から下は濡れたままだったが、バイクの前方カバーで隠れるので人目に分からずに下山することができた。3時過ぎに再度挑戦して旧式のデジカメで写真1,2,3を撮ることができた。
 その帰りに家電量販店で、水に浸かったデジカメの処置を尋ねたら、「とりあえず1週間ほど電池やメモリーを抜いて乾かしておき、そのあと作動しなければあきらめなさい」と教えてくれた。


光学ズーム14倍デジカメで再々挑戦

 今まで使ってきたデジカメにズーム機能はあるが、デジタルズームなので画像の粒子が粗くなるのでほとんど使うことはなかった。だから、今回のように無理をして被写体に近づいて撮ることでなんとか対応してきた。

 友人たちが持っている最新のデジカメには、光学ズームで画像の粒子が粗くならない作品を見るにつけ、そろそろ買いどきだとは思っていた。 
年金生活者にはこの出費は厳しいが、ヘドロの池にはまることを思えば、多少の出費は仕方ない。その日の夕方には早速に購入した。

 翌日再々挑戦でモリアオガエルの産卵の写真を撮りに出かけた。

 写真3と同じ場所から光学ズームを使って撮ったのが写真5である。パンフレットには「スリムボディに光学14倍ズームレンズを搭載。遠くの人物も目の前の大きさに引き寄せ……」という宣伝文句が言うように、今までのデジカメでは、写真3のように全体しか撮れなかったのが、写真5のように、モリアオガエルの卵が目の前に引き寄せて撮ることができた。




写真5 光学ズームで撮ったモリアオガエルの卵


 
 上記の「お池にはまってさあ大変」のハップニングがなければ朝日新聞夕刊2009年(平成21年)11月19日の記事「放流コイ生態系に脅威」の記事を引用して、このダム湖に放流された3匹の鯉に関連したことを詳しく書くことにしていた。

 その記事には「身近な池や川で目にするコイが、実は地域固有の生態系を脅かしている。日本人に愛着のある魚として放流されてきたが、ブラックバスなど海外からの外来魚と同様、元々すんでいる生き物を駆逐するおそれがある。研究者は、人の手で国内の他の地域から入ってくる生物を『国内外来種』として問題視するが、禁止する法律はなく、愛知県や滋賀県などが条例で規制しようとしている」と見出しの後に概要で訴えている。


浄化・教育のつもりが…生き物駆逐

 名古屋市招和区で池の水を抜いて「池干し」をしたら、ブルーギルなどの外来種を駆除する目的だったが、約490キロのうち、水草は生えていない池に、ブルーギルなどの外来種は74キロで残りはほとんど鯉だったという。

 「鯉は雑食で他の魚や貝、水草も食べる。体が大きく天敵が少ないうえ、汚れた水に強いため、国際自然保護連合(IUCN)が生態系に影響が大きい外来生物を定めた『世界の外来侵入種ワースト100』にも選ばれている」と書いているが、このことを知っている日本人は少ないのではないだろうか。

 また、「コイの水生植物や水質への影響について、茨城県の霞ケ浦で行った実験では、コイが巻き上げる泥が水底に日光を届きにくくするうえ、尿などの排出物やプランクトンの増加で水質を変えてしまう。その結果、植物が育たなくなった。生態系自体が変わり、元に戻りにくいという」と東大保全生態学研究室の松崎慎一郎特任助教の報告もあるという。

 そして、「水産放流に加え、これまで子どもの教育や河川をきれいにする運動の象徴として各地で放流されてきたが、逆に地域の生き物に悪影響を与える可能性を認識してもらうことか大切だ」と上記松崎特任助教の話だ。


 国内移入規制は特定来生物と異なり、一部の希少種保護や防疫目的の法律しかない。環境省は国内外来種を重要な課題としているが、「税関で止められる外来種とは違って、国内での移入を規制するのは難しい」と記事は伝えている。


(平成22年6月24日)
第120話 剥製のシカ[2009年03月13日(Fri)]


 2月7日の活動日に、シカがシャガの葉っぱまで食べだしたことを2月14日に公開した第117話で書きました。
 その後、2月14日、2月28日、3月7日の活動日に、シカがシャガの葉っぱをどの程度食い荒らしているかを観察に出かけています。行く度に根っこを引き抜かれたシャガがところどころに見られます。さすがにシカも心得たもので、渓谷沿いの急斜面に生えているところまでは近寄れないために青々と茂っていて、ここだけでも助かっているのでホッとした気になります。

 この森林に生えている植物を手当たりしだいに食い荒らすシカですが、その文献を調べに行った図書館の入り口にシカの剥製が展示してありました。その経緯を調べてみました。


東図書館に「シカの剥製」が展示されている!

 箕面市立東図書館は「体験学習の森」の帰り道にあるので再三利用しています。
 その図書館の入り口の右側に「シカの剥製」が展示していることは知っていましたが、「鹿」に関する本を探すことになって、あらためてじっくり見てみました。




写真1:展示されている剥製のシカ


 写真1の左側に説明板が立っています。シカの剥製はガラスケースの中に収められていて、その説明文は細かい文字でびっしりと書いています。


写真2:展示した経緯の説明文


 その説明文の主要な箇所を抜書きしてみると、「明治の森箕面国定公園とその周辺地域一帯は、府下では数少ない豊な自然に恵まれたところです。なかでも野生シカは府下では箕面、高槻、能勢など北摂地方の限られた地域にしか生息せず、1974年以降、狩猟鳥獣からはずし保護措置がとられてきました。

 1984年12月から1985年2月にかけて箕面市白土島地区の住宅地に近接したため池で、子ジカもふくめ17頭ものシカの変死体が相次いで見つかるという異常事態が発生しました。この間、自然を愛する多くの市民にとって、このような事態の再発を防ぎ、これらのシカを助けるために全力を挙げて夜間パトロールの強化など努力が続けられました。
この雄シカは1985年1月21日未明、何ものかに追い詰められて五藤池から新薩摩池へと逃げ込んだ個体です・・・・・・

 この剥製を展示することによって、多くの人々が箕面の奥深い自然について語り合い、このかけがえのない自然をいつくしみ守っていこうとする心が育つための自然保護を訴える警鐘になることを願ってやみません」。

 図書館では@「世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学」(湯本 貴和・松田 裕之編兜カ一総合出版2006年3月31日初版発行)A「山と田畑をシカから守る」(井上 雅央、金森 弘樹著、社団法人農山漁村文化協会 2006年2月25日第1刷発行)B「野生鹿の慟哭・大阪の鹿生息状況と箕面野生鹿連続殺傷事件報告書」(社団法人 大阪自然環境保全協会、1986年6月29日発行)を借りました。


「野生鹿の慟哭」

 上記Bの「野生鹿の慟哭」には、第3章で1984年(昭和59年)12月より連続的に発生した、箕面市白島地域における「ニホンジカ大量殺傷事件」調査報告を書いています。その事件のシカの1頭が、剥製のシカになって入り口に展示されているのです。

 第3章の最後に各紙新聞報道がコピーされています。
 その見出しを拾ってみると、1984年11月27日、毎日朝刊「野ジカ君助かった、野犬襲い、あわや」、1985年1月15日読売夕刊「密猟か シカ4頭死ぬ、箕面の池、1頭に散弾の」、1985年1月20日朝日朝刊「池で水死、相次ぎ8頭 野犬に襲われ転落?狩猟訓練 標的の疑いも」などと書いていました。

 野生ジカの大量死は、「野犬に襲われて水死した」と発表した大阪府に対し、市民グループの自然保護団体では「密猟に起因している可能性が極めて強い」と結論を出しています。

 野生ジカの大量死事件に関連して、昭和60年1月30日朝日朝刊には「野生ジカを守ろう」の記事の中で、「府緑の環境整備室によると、能勢町、高槻市、箕面市の山間部には、73頭〜200頭の野生ジカがいるが、56年ごろから『植林した幼木やイネが食い荒らされて困る』との苦情が相次ぎ、府に補償を求める声も出ている…・・・」という記事もありました。


昭和60年ごろの大台ケ原は、すでにレッドゾーンを越えていた!

 シカの食害の話題では、大台ケ原の事例がよく取り上げられています。

 上記@の「世界遺産をシカが喰う」の第4章で岩本 泉治さんが、「大台大峯の山麓から」のなかで、「このころ(昭和45年ころ)から、植えても植えても一向に山にならない、つまり木が育たなくなってしまいました。昭和50年になると、村の最北部にあたる大普賢岳の中腹部や大台ケ原ドライブウェイの南斜面でも新たな植林は難しくなりました。当時の植林担当者が古老に叱られていたのを今でも覚えています。『いったいいつになったら山になるのか、どれだけ首を補充しているのか、わかっているのか、なぜあんなに首が枯れてしまうのか・・・・・・

 『いくら構えても翌朝にはシカに喰われてなくなってしまう』。それが現実でした・・・・・・昭和55年ごろ、奥吉野ではかつてのような植林は不可能になってしまいました。植えても植えても山にならず、補植(枯れたところに翌年再び植えること)の繰り返しになってしまい、運良く育っても、首の天辺が食べられて、盆栽みたいなスギやヒノキが生えている、そんなことになってしまいました・・・・・・

 大台ケ原で鹿害が問題になり始めたのも昭和55年ごろでした。ただし、トウヒ林(唐檜)注)はまだ暗く、ましてやシカの姿を見る、という事はまずありませんでした。それが、60年頃になると時々シカが目撃されることが多くなり、食害を受けたトウヒがめっきり増えてきました。注)トウヒ属(唐檜)は、マツ科トウヒ属の常緑針葉樹。

 大台ケ原で最初に柵が設置されたのもこの頃です。とりあえず囲っておこう、という雰囲気で、たいした緊張感はありませんでした。当時、テレビ局が取材に来ると、正木峠を案内するのが定番でしたが、林床は苔に覆われ山頂付近はまだ黒々とした森でした。誰も、ここが白骨樹林になってしまうとは、想像していませんでした。

 しかし、一部の研究者はその頃から「このまま放置すると危ない」と環境庁(当時)に対して警告はしていましたし、自らも手探りながら調査を始めていました。その頃イギリスからきた研究者に大台ケ原のシカの密度について、どのくらいのレベルか、と質問したところ、オーマイゴッドのレベル」と答えました。すでにレッドゾーンを越えていたのでした


大峯山系の食害

 上記の続きで、大峰山系の食害では、「シカによる食害は関西では特に大台ケ原がよく取り上げられています。しかし、深刻なのは大峯山系も同じことです。昔は、山頂付近でシカに出会うという記憶はありません。大峯山系の稜線は直ぐ下に崖やガレ場が控えていて、どちらかというと、シカにとっては近寄りにくい地形のはずです。しかし今は奥駈道にも足跡があるくらいです・・・・・・

 天ヶ瀬の子供は時に奥駈道まで遊びに行きました。その頃、行者還や一ノタワなどでは、一度道からそれると戻るのにたいへんなほどのスズタケのブッシュで、夏でも長袖の服を着ていくようにいわれたものでした。袖をまくっていようものなら、腕は傷だらけになりました。ところが、最近の大峯山系では昔のような背丈を越えるスズタケのブッシュはほとんど見当たらなくなってしまい、半袖半ズボンでも歩けるくらいです。

 このような大峯山系の異変は、十年程前にすでに始まっていました。たとえば、歩くのに邪魔になるほど繁茂していた八経ケ岳周辺のオオヤマレンゲが絶滅状態になりました。

 8年前は行者還トンネルから弥山へ上る途中の、ちょうど奥駈道と出会うあたりはたいへんなブッシュでしたが、今はまったくありません。スズタケどころか、林床にはほとんど植物が見られません。7年前、狼平のコシアブラは、たった2週間で、目につくものはすべて樹皮剥ぎ被害を受け、今は1本も見られません」と書いています。


現在の行者還から弥山の奥駆道

 岩本 泉治さんが「行者還トンネルから弥山へ上る途中の、ちょうど奥駈道と出会うあたり」と書かれたあたりを、昨年10月初旬に行ってきました。

 「一度道からそれると戻るのにたいへんなほどのスズタケのブッシュで、夏でも長袖の服を着ていくようにいわれた」という時代は知る由もありませんが、急斜面を登りきった辺りの一息ついたあたり(写真3)は、昔はたいへんなブッシュだったのでしょう。


写真3 弥山への奥駆道(08年10月7日撮影)

 引き返す途中で、シカの群れが足早に走っていくのを目撃しました。



写真4 弥山頂上の立ち枯れのトウヒ林




写真5 弥山頂上の神社


 今私たちが活動している「体験学習の森」では、シカの食害が目だって増えてきています。
 これまで保護されてきた野生ジカも、これ以上に増えすぎてしまったら、大台ケ原や大峰山系の二の舞にならないとも限りません。
 今では食べられていなかったヤブツバキの樹皮も食べだしていて、この木もいずれ枯れてしまうことでしょう。シカも生きるためには、1000種を越える採取植物を食べつくしていくのですから。


(平成21年3月13日)
第94話 ダム湖の鯉1匹を強制移転させた![2008年07月09日(Wed)]


 7月1日に「第93話 梅雨真っ只中・体験学習の森からの便り」の中で、モリアオガエルの卵塊が今年も数多く見つかり、次週の活動日にはおたまじゃくしが見られるだろうと書きました。
 ところが、7月5日の活動日の朝礼後、早々にTさんが「おたまじゃくしが全く見られない。鯉に食われてしまった」とがっかりしていました。心配していたことが現実問題になったようです。

 先週の帰り際に、「吹田市内を流れる安威川で1メートル近い鯉を釣り、引き上げるのに3時間もかかった」と話していた鯉釣り名人のIさんに、7月5日には釣り道具を用意するよう依頼しておきました。
 Iさんは「今日は練りえさとともに釣り道具を持ってきたが、水が澄んでいると、釣り糸が見えて鯉が近寄ってこない」と釣りのコツを話しながら、午後の作業の前に鯉を釣ってくれることになりました。


モリアオガエルのおたまじゃくしは?

 Tさんが話していたとおり、水面を目を凝らして見ても、おたまじゃくしは見つけられませんでした。そこで昨年同じ時期の写真を取り出して記憶を確かめてみました。

 昨年は写真1上段のように、木から雨で溶けて落ちたモリアオガエルの卵塊の白い浮遊物が水面のあちこちで見られたのに、今年はごく小さな白い浮遊物が1箇所だけ見られただけで、おたまじゃくしの姿は見当たりません。




  写真1上段:水面に落ちたモリアオガエルの卵塊(平成19年7月7日撮影)
      下段:モリアオガエルのおたまじゃくし(平成19年7月8日撮影)


  モリアオガエルの生態はよくわかりませんが、先月28日午後から翌日にかけて雨が降った後ずっと晴天が続いたので、その6日間ほどで成長して森へ入っていったのだろうことを祈るばかりです。

鯉1匹をやっと釣り上げる!

 勝尾寺川支流の砂防ダムにできた小さなダム湖に鯉が放流されたことを心配した2人連れが、長い時間をかけて鯉釣りを数回試みられたことがありました。
 「鯉もさるもの!」で侮れません。今まで成功しませんでした。


 そこで、釣り名人Iさんのアドバイスを受けて昼前に、水際のヘドロをスコップでかき混ぜて水を濁らせておきました。
 「いつでも釣りに出かけられるように、生の餌でなく、水でこねて作る団子状の練り餌を準備してある」と話ながらダム湖へ12時40分に出かけていきました。

 炎天下、Iさんは2本の竿をたくみに操って、鯉がいそうな深みに投げ込んでいました。

 1時間半ほど経った2時4分、ちょうど側を通りがかったとき、写真2下段のように、白い鯉が釣れていました。




     写真2上段:鯉を釣っているダム湖の全景
         下段:2時4分白い鯉が釣れた!


  釣り上げた鯉はとりあえず衣装ケースの中で一休みさせて、3時前に作業から下山してきたみんなに披露しました。



     写真3 釣り上げた白色の鯉

鯉を強制移転させる!

 昼食時、「釣れた鯉はどうしようか」と話題になりましたが、「色の付いた鯉はうまくない」という人もいて、「鯉のあらいにして食べよう」という声は全く出ませんでした。

 そこで、皆さんに見てもらったあと、図1に示す昭和58年度治山事業のもう1段下流の砂防ダムへ強制移転してもらうことにしました。

 残り2匹は、昭和60年度治山事業の砂防ダム湖の中で深くなっている東側が棲息場所です。
 仕切りなおしをして、対岸の茨木側から釣竿をいれて早い時期に、もう1段下流のダム湖に移転させなければならないと思っています。

 勝尾寺川支流のこの渓谷沿いには3つの砂防ダムがあります。上流には昭和61年度治山事業の砂防ダムが茨木市泉原の水汲み場の近くです。水汲みや、東海自然歩道のハイカーたちの一部の人たちが捨てていったゴミ捨て場なっている場所です。




      図1 勝尾寺川支流の砂防ダム

鯉の放流問題

  昨年8月27日「ダム湖の鯉」の中で「鯉の放流問題」を書きましたが、あらためてフリー百科事典「ウィキペディア』で検索してみました。
 
 「コイは川やダムなどに放流されることが多い。コイは体が大きくて見栄えがするため、『コイが棲めるほどきれいな水域』という趣旨で自治体レベルでの放流もよく行われる。しかしコイはもともと水質汚染に強い種であり『コイが棲んでいる=きれいな水』ではない。市街地の汚れた河川を上から眺めれば、ボラと放流されたコイばかりが目につくということが多々ある。しかもコイは各種水生生物を貪欲に食べてしまうので、往々にして河川環境の単純化を招く。生物多様性の観点からすれば、もともとコイがいない水域にコイを放流するのは有害ですらある」。


鯉は長寿

  当面釣り上げた鯉の新しい移転場所はすぐ下流ですが、ここではモリアオガエルの卵塊は見つかっていません。新しい住処の居心地は鯉に聞かなければわかりませんが、鯉は雑食性だから直ぐになれることでしょう。



  写真4 3年ほど前に放流されたダム湖の鯉3匹(07年8月4日撮影)

  ところで、「鯉はどのくらいこの山間の渓谷で生き続けるのか」を調べてみました。
 インターネットのwww.marukyu.com/blog/9chan/images「鯉釣りの科学」によると、「マルキュー調べ• 硬骨魚類の中で鯉は長寿No.1で40〜50年生きるといわれている。100年生きた鯉もいたとのこと。日本最大の記録は体長1.53m、体重45kg」だそうです。

 鯉の本来の住処は、「川の中流や下流、池、湖などの淡水域に生息する。飼育されたコイは流れのある浅瀬でも泳ぎまわるが、野生のコイは流れのあまりない深みにひそんでおり、産卵期以外はあまり浅瀬に上がってこない。滝を登るということがよく言われるが、コイはジャンプが下手で滝を登ることはない。ただし小型の物は2m程度の高さまでジャンプすることがある」と、フリー百科事典「ウィキペディア」に書いていました。


生物多様性基本法が成立

 最近盛んになりはじめたインターネット上での生き物の取引の実態も正確に把握できていないばかりか、問題が既に広く認識されているブラックバス(オオクチバス、コクチバス)のような動物でさえ、つい最近まで川や湖へ勝手に放流することも違法ではありませんでした。 それはひとえに、外来種問題対策のための国内法が制定されていなかったことに大きな原因があります(WWFのホームページ)。

 そして、今年の通常国会で日本国内法として、「生物多様性基本法案」が5月20日に可決されました。

 今回成立した「生物多様性基本法」は、これまでの日本に無かった、野生生物や生息環境、生態系全体のつながりを含めて保全する、初めての法律です。
 
 その前文には「……人類もまた生物として、生物の多様性のもたらす恵沢を享受することにより生存しており、生物の多様性は人類の存続の基盤となっている。また、我が国において多くの生物や豊かな自然と共生する固有の文化が育まれたように、生物の多様性は、地域における固有の財産として地域独自の文化の多様性をも支えている。

 一方、生物の多様性は、人間が行う開発等による生物種の絶滅や生態系の破壊、社会経済情勢の変化に伴う人間の活動の縮小による里山等の崩壊、人為的に持ち込まれた外来種等による生態系のかく乱等の深刻な危機に直面している。また、地球温暖化等の気候変動に伴う生息環境等への影響という新たな課題も生じており、生物の多様性の確保のためにはなお一層の努力が必要とされている。……

 我らは、世界の生物の多様性の恵みに支えられて暮らしていることに、改めて深く思いをいたすべきである。我らは、生物の多様性のもたらす恵沢を将来にわたり享受できるよう、次の世代に引き継いでいく責務を有する。また、我らは、人類共通の財産である生物の多様性を確保するために、我が国が国際社会において先導的な役割を担うことが重要であると確信する。

 今こそ、生物の多様性を確保するための施策を包括的に推進し、生物の多様性を損なうことなくその恵沢を将来にわたり享受できる持続可能な社会の実現に向けた新たな一歩を踏み出さなければならない」

と、この法律の基本的な考え方が示されています。


 この「生物多様性基本法」は基本法なので、今後個々の具体的な問題に対処できるように、個別法の改正や施策の充実が諮られることになるでしょう。


第81話 泉原水汲み場のごみ捨て場[2008年03月27日(Thu)]


 前回の「第79話 杉林植林地への作業道つくり」のなかで、杉林植林地近くの東海自然歩道沿いの泉原に、水飲み場所があることに触れました。

 ここへ車で行く場合は、主要地方道豊中・亀岡線の泉原(茨木市)から林道西谷線に入って林道の行き止まりの手前に、岩場から水が湧き出ています。北摂山地の奥深い森林の中ですが、土曜日・日曜日には遠くからも水汲みに来られています。
 
 このあたりの最も高い山の標高が620bですから、水場の標高410b近くまでじっくりと岩に沁みこんで、この場所で湧き水になっているのでしょう。この水場を挟んだ舗装道路の反対側は急斜面になっていて渓谷をなしていています。

 林道からは注意して見なければ気がつきにくいのですが、東海自然歩道からそれた散策路の方へ渓谷を下っていくと、左手の斜面には水場(以降水汲み場)から捨てられたごみの山が目につきます。

 「頭隠して尻隠さず」ということわざがあります。「頭を隠した」つもりの水汲み場からでなく、「隠したつもりの尻」の方から水汲み場の方を見上げてみました。


泉原水汲み場

 明治の森箕面国定公園からハイキングで歩くと、東海自然歩道の基点、政の茶屋の標高285メートルからどんどん登っていき、標高535メートルの開成皇子の墓、北摂霊園の580メートルと登りきったあと、標高差170メートルを一気に下った所に泉原水汲み場があります。

 出発して約2時間歩いた手ごろな休憩場所に湧き水があるのですから、咽を潤すには最高です。




      写真1 泉原水汲み場

水質試験成績表

 車で来ている人はたくさんのポリタンクの容器に汲んでおられます。中には神戸ナンバーの車をみかけました。

 ただちょっと注意しなければならないことは、水汲み場には「水汲みの皆さんへのお知らせ」の案内板が立っています。

 それには泉原自治会・泉原活性会の連名で、「この水はおいしい湧き水として多くの方々に連日汲み取り持ち帰られています。よって当方では水質検査をうけ『水質基準適合』の証明をもらってきたのです。また、周囲の環境美化保全と道路整備等にもつとめてまいりました。たまたま阪神大震災により水質を案じ再度きびしくなり水質検査を受けました。

ところが水質基準の一部改定により別にお示しする『水質試験成績書』の通り一項目について『水質基準に適合しない』となりました。このことについて注意してください。お知らせしておきます。平成7年7月」の下に、写真2に示す水質試験成績表(平成9年5月)が掲示されています。




      写真2 水質試験成績表

大腸菌とヒ素


 この水質試験成績表によると、大腸菌群が検出され、ヒ素は0.01mg/l以下の基準に対し、0.023mg/lで、大腸菌について「※印について水質基準に適合しない」となっています。

 国土交通省関東地方整備局京浜河川工事事務所のホームページで「ひそ」を見ると、「砒素の地殻中の存在量は1.8mg/kgで多くは硫化物として産出します。海水中には2μg/リットル程度含まれていますが、一般河川にはあまり含まれていません。しかし、温泉水など火山地帯の地下水には数十mg/リットルの高濃度で含まれていることがあります。

 砒素は昔から毒薬として知られてきましたが、現在では半導体の原料、医薬品、農薬、防腐剤など広く利用されています。人体への影響としては、皮膚の色素沈着、下痢や便秘等があります。

 砒素中毒による事故としては、乳分の安定剤への砒素混入が原因とされる森永砒素ミルク事件(昭和30年)があります。また、鉱山操業時の環境汚染が原因とされる慢性砒素中毒が宮崎県土呂久鉱山及び島根県笹ヶ谷鉱山の周辺地区で発生しています」と書いていました。

 また、「大腸菌は検出されない」という基準に対し、検出されたのはこの北摂山地に棲息する鹿、猪、日本猿、野うさぎ等の糞尿から検出されたのでしょうか。
大腸菌は沸騰させてから飲めばよいのでしょうが、ハイキングで2時間も歩くと、つい咽を潤したくなります。冷たい湧き水だからこそ美味しいのですが、「大腸菌は水質基準に適合しない」と表示しています。
 
 さて、この湧き水で咽を潤すかどうか、判断に迷うところです。


水汲み場の崖下はごみ捨て場

 北摂霊園から東海自然歩道を下りてくると、舗装した林道の終点と交差しています。左手は泉原の集落を通って竜王山から摂津峡へと続いています。まっすぐ険しい岩場を下りていくと、左手に勝尾寺川支流の渓谷沿いの散策路になっています。右手の急斜面には杉が植林されています。少し緩やかになった渓谷あたりの真上が水汲み場になっています。

 そのあたりには写真3、写真4に示すように、水汲み場の林道から投げ捨てられたごみの山になっています。




          写真3 主にペットボトルのごみ

 このペットボトルはこの渓谷をずっと下った、私たちの通称名「狐のベンチ」あたりの茨木市側の険しい山の斜面でも、ところどころ投げ捨てられています。
 
 これらは心無いハイカーが投げ捨てたのは明らかで、せっかく気分よく森林浴に浸りながらも、「誰にもわからないからいいだろう」という魂胆です。
 ペットボトルを捨てられていない「頭を隠したごみのない東海自然歩道」も、箕面市側から見ると、尻を出した恥を知らずのハイカーたちが捨てたごみの山です。

 写真4には使い捨てられた電化製品らしきものなど斜面の木々に引っかかっています。中には車のタイヤ、布団、発泡スチロールの容器なども転がっています。
 
 これら写真4のごみは、水を汲みに来た人たちが、「手ごろで誰にも見つからないゴミ捨て場」があると持ち運んだごみに違いありません。




写真4 発泡スチロールの容器や布団など大型ごみの山

この渓流を下るとホタルの住処が!

 東海自然歩道をそれてこの渓谷沿いの散策路を下ってくると、この砂防ダムが見えます。昭和61年度大阪府治山事業で作った砂防ダムです。
 
 写真3,4のゴミ捨て場を少し下った砂防ダムあたりでは、写真5に見るようにごみの捨て場を流れてきたとは思えないほど、爽やかな渓流になっていて、流れも緩やかな川原になっています。

 近くの川原で一息ついて、子供たちが水に親しむ手ごろ遊び場になりそうです。
 そのためにはゴミ捨て場と化したこの渓谷を清掃してきれいにしなければならないでしょう。




  写真5上段 勝尾寺川支流・砂防ダムの上流の渓流
      下段 勝尾寺川支流・砂防ダム方向を見る


  今後私たちの活動は、この渓谷沿いで活動を進めていくことになります。

 もう一つ気がかりなのは、この谷筋付近でゴルフボールがところどころに転がっているのです。最も近い茨木高原ゴルフ場からは1キロメートルは離れているので、この渓谷まで飛んでくることはないはずです。おそらく林道の行き止まりあたりから渓谷に向かって打ち放ったゴルフボールだろうと思います。

 この渓谷は私たちが活動する森林の谷筋の一つで、昭和60年度治山事業で建設された砂防ダム(鯉が3匹いる)で合流したあと、箕面市環境クリーンセンター入り口で勝尾寺川本流と合流しています。

 さらに下って勝尾寺川の下流域、粟生間谷あたりでは、初夏にはゲンジボタルが舞うほどにきれいな清流になっています。ホタルが生息しやすいように、大阪府のアドプト制度を活用して「アドプト・リバー・勝尾寺川(勝尾寺川ほたるの会)」が河川の清掃をしているとも聞いています。

 しかし、そのずっと上流では泉原水汲み場から投げ捨てられたごみの山が散乱している現実があります。

 ごみの大半は茨木市域に散乱していますが、箕面市と茨木市が協力し合って、このごみの山を清掃してきれいな渓谷にしてはいかがでしょうか。



ダム湖の鯉[2007年08月30日(Thu)]

 私たちの活動拠点である豚汁広場のすぐ先には砂防ダムがあり、その上流側のダム湖からホースで水を引いてきて雑用水として使っています。



 そのダム湖の上流は写真のように、渓流になっていて小鳥たちの水飲み場であり、帯状の隠れ家にもなっています。



こんな山中の小さなダム湖に丸々太った鯉がいる!

 以前にも書きましたが、こんな山中に鯉が棲んでいるのです。
 


 8月4日の「暑気払い・ソーメン流し」のとき、ダム湖の様子を見に行って鯉3匹を写真に収めました。

 この鯉のことが気になって、「暑気払い・ソーメン流し」の席で博学のAさんに鯉のことを聞きました。「鯉は歯がなく何でも飲み込む雑食だ」と教えてもらいました。
 
 もともとこんな山中にはいない鯉が、人間の身勝手な行動で生態系を破壊しているのではないかと思います。

 そんな疑念を抱いていたので、再度「鯉」について調べてみました。

 
鯉の口


 インターネットの「フライで鯉を釣る」の「鯉はどんな魚?」には写真のように大きく口をあけた鯉が掲載されていました。

 こんな大きな口でダム湖に住む動植物を食い荒らされては堪りません。




  また、「山と渓谷社」2006年6月10日発行の「淡水魚」のコイ科の項に北海道塘路湖産のコイが大きな口をあけて写っていました。



 「鯉はどんな魚?」の記事から興味のある事柄を拾ってみると、「コイ科コイ亜科コイ属コイ(Cyprinus carpio)−全長60cm、まれに1mを越える。体はやや側扁した紡錘形で、口はその食性のためやや下を向いている。大きな河川の中・下流域から気水域、湖、湖沼に生息する。流れの緩やかな淵や落ち込みの底層部、砂泥底を主な生息場所とする。食性は底性動物を中心とする雑食で、カワニナ、モノアラガイ、マメタニシ、シジミ等の貝類、ユスリカの幼虫、イトミミズ、ゴカイ類、さらに付着藻類、水草などを食う。餌の採り方は独特で、吸引摂餌と呼ばれる方法で、吻(口)を砂泥の中に入れ砂ごと餌を吸い込み口の中で餌と泥を分け餌だけ飲み込み泥は吐き出す」と紹介しています。


  また、島根県内水面水産試験場のホームページの中では、「口には歯がないのですが、のどに咽頭歯と呼ばれる歯があり、吸い込んだ餌は咽頭歯でかみ砕かれます。この咽頭歯のおかげでコイはシジミも食べることが出来ます」書いています。

鯉の放流問題

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「コイ」の中で、「錦鯉の放流と生態系の破壊問題」が取り上げられていました。

 それによると「近年環境問題が重視されるようになって河川の環境保護等に力が注がれている。そうした活動のうちに自然の河川に魚を放流する事業があるが中には地元の固有種とは関係の無い錦鯉等本来自然界に存在すべきでない改良品種までもが放流される事が多くなっている。錦鯉の自然界への放流に因って地元の固有種との交雑が起こり、何万年もかけて築かれてきた固有種の絶滅が懸念されている(遺伝子汚染)。この放流問題は日本国内では、人間の自然への観念の低下によりまたブラックバス問題の影になってあまり重視されていない。だが、アメリカでは環境問題として扱われ、人為的放流を禁じている州も存在している。
 
 このことは人間が自然を固有の歴史ある貴重な財産であることを忘れ、単にきれいならば、単に魚がいれば良いなどと考えるようになったのが原因と指摘する声もある。
この問題はメダカ、金魚に関してもいえることである。
また、錦鯉の放流が原因と推測されるコイヘルペスウイルスによる感染症が地元の鯉に蔓延し大量死する事件もある」と放流問題を取り上げていました。


鯉の放流に関する専門家の意見

 さらに、「鯉、放流問題」で検索してみると、「静岡県淡水生物館」のブログの中で専門家の意見を見つけました。

 ■神奈川県水産総合研究所の主任研究員
 『コイというのはとにかくイメージと違ってギャングですので、水生昆虫とか魚の卵、稚魚とか何でもパクパクと泥と一緒に食べてしまって何もいなくなってしまう。ですからコイの放流がいろんなところで行われていて、川をきれいにするシンボルとしてコイを放すんだと、みんな口をそろえて言うんですけれど、実は下水道の整備や河川改修方法の変化で川がきれいになって、自然に魚たちが戻ってきているのに、かえってそこにコイを放して生態系を破壊していることに気づいていない。』


 下記サイトから引用させていただきました。この話は、財団法人リバーフロント整備センター「多自然研究」2000年6月号第57号の中に記載されているようです。
メダカの学校 / メダカの学校書物4
財団法人リバーフロント整備センター>多自然研究ネット>最新号>バックナンバー
 

京都大学大学院理学研究科 渡辺 勝敏 助教授
 『もともとその場にいない種や遺伝的に異なる集団の放流は、環境保全の目的をほとんど達さないか、逆効果です。しかし、日本人の多くは、「魚類の放流」というと、伝統的に、「水産業での利用される種の放流」、「放生会」、「庭園のコイ」をイメージし、安易に「保全のために」放流を行うことがあります。当地産でないメダカやコイ(ニシキゴイなど)の放流が代表的です。それを「ほほえましい、よいニュース」として新聞・TV報道されることも通例となっています。』


 下記サイトから引用させていただきました。また、下記サイト内の「参考」という白枠内「淡水魚の保全と遺伝−7つの質問」を読めば、放流に関する疑問が解消されるのではないかと思います。
淡水魚の保全 / 保全に逆効果な淡水魚の安易な放流(かもしれない)ニュース



 私たちのクラブでは、箕面市と「箕面市『体験学習の森』森づくり活動協定書」を締結しています。その第1条には「第2条に規定する乙の所有する森林において甲が実施する森づくり活動は、森林環境の保全・整備、山麓部をはじめとする森づくりの人材育成、環境教育の場づくり及び地球環境の保全への貢献等を目途とする」となっています。

 地球環境の保全への貢献を掲げていることから、ダム湖に放流された鯉問題は、ささいな問題かもしれませんが、放置しておくわけにはいかないと思います。
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