第98話 そうめん流し[2008年08月21日(木)]
残暑お見舞い申し上げます。立秋も過ぎて朝夕は幾分しのぎやすくなりました。
箕面だんだんクラブの団体ブログもお盆休みを取りましたが、連日の猛暑も幾分しのぎやすくなりましたので再開することにしました。
夏ばて気味で食欲も落ちた猛暑日の7月20日と8月3日にそうめん流しを行いました。冷えた食べ物のほしいこの季節には、口当たりのよいそうめんを、竹で作ったウォータースライダーで流し、麺つゆにつけて食べるのは涼味満点といえます。
しかし、そうめんを流して食べる場所にも左右されますが、キャンプなどではそうめんをゆでる人は沸騰したお湯をつくらねばならず、汗びっしょりになって火と格闘しなければなりません。
やや古い話題になりなりますが、活動記録と今後の資料のためにそうめん流しの話題をまとめてみました。
ダンボールキャンプでのそうめん流し
夏休みに入った直後7月20日、ダンボールで作ったマイハウスで星空を眺めながら1泊した翌日の昼食に、そうめん流しを行いました。
親子連れの約40人が参加してのそうめん流しですから、それなりの用具を準備して取り掛からねばなりません。
2年前のときは小さな鍋だけでゆがいていたこと、U字溝を使った即席のかまどでは鍋との間隔がありすぎて火の勢いが鍋まで届かず、お湯が不足状態に陥りました。その結果、そうめんが団子状になって大失敗に終わりました。
その経験を生かして今では写真1上段のように、即席のかまどはコンクリートブロックで高さを調整できるようにしました。

写真1上段:そうめんをゆがく状況(7月20日撮影)
下段:炎天下のそうめん流しの様子(7月20日撮影)
写真1上段の大鍋には常に沸騰したお湯を常に一杯になるように沸かしています。
そのお湯を2つの小さな鍋に入れてここでそうめんをゆがきます。
ゆであがったそうめんはザルでお湯を捨てた後、黄色のプラスチックケースの中でぬめりを取るためにもみ洗いをし、その横の氷水でそうめんをしめて出来上がりです。
写真1下段では出来上がったそうめんを竹のウォータースライダーで水道水と一緒に流しながら箸ですくって食べる仕掛けです。樋の終点にはザルで受けておかないともったいないことになります。
しかし、炎天下でのそうめん流しは、食べる人だけでなく、お湯を沸かしたり、そうめんをゆがいたりする人などの裏方作業は大変でした。
箕面だんだんクラブの活動拠点
8月3日は私のたちのクラブの「暑気払いそうめん流し」の行事でした。
活動日にはいつも昼食時に味噌汁を作り、休憩時間にはコーヒータイムで常にお湯を沸かすために、周辺にレンガを積んだ掘り込み式の本格的なかまどを設けています。
かまどは風向きを考えて設置していますし、灰などが落ちるように鉄製の、すのこ状の灰落としがあるので火の番も比較的楽にできます。
写真2のように可搬式のベニヤ板のテーブルと、持ち運べる杉丸太の椅子と対面には杉丸太を2本並べた固定の椅子を備え付けていて30人は座れます。

写真2 活動拠点の休憩場所全景(8月3日撮影)
写真2には活動拠点の休憩場所の全景です。奥の方にかまどを設けています。この写真の時間帯ではクヌギの木陰で涼しかったのですが、日差しが強くなったり、雨が降り出したりしたときには、杉丸太の間にブルーシートを挟んで、風に煽られないようした10m×10mの大きなシートが役立ちます。
渓流からの湧き水を使う
数年前までは、活動拠点のすぐ上の砂防ダムから水を引いてそうめんを流していたこともありました。
その上流をさかのぼってみると、1つは泉原の水飲み場から流れてきた渓流です。今年3月27日の「第87話 泉原水汲み場のゴミ捨て場」で書いたように、この渓流は茨木市側から投げ捨てられたゴミ捨て場になっていて、この水を飲料水につかうことはためらいがあり、2年前からは水道水を使うようになりました。
この砂防ダムにはもう一つ西側の谷から伏流水が湧き出ていて渓流になっています。この渓谷を写真3上段のように、6月に水汲み場として整備し、飲み水として使うようになりました。
この水汲み場のすぐ上に、谷や川沿いに湿地に生えるゴマギの実がこの時期には真っ赤に色づいていました。

写真3上段:そうめん流しに使った渓谷の水汲み場
下段:真っ赤に色づいたゴマギの実(08年8月3日撮影)
そうめん流し
8月2日の活動日には竹炭やきをしましたのでそうめん流しの当日は、窯止めのため7時半過ぎには担当の5人が集合して温度計測や空気量の調整を行い、1時過ぎやっと竹炭やきを終えました。
この竹炭やきの作業と平行して8時過ぎには、料理の準備を開始しました。
ウォータースライダーは、近くの竹林で間伐したマダケを半割にし、竹の節はFさんの小道具、小型グラインダーで仕上げました。

写真4上段:水を流す装置とウォータースライダー
下段:ビールを飲みながら座ってそうめん流しを楽しむ
写真4上段はポリタンクの上面にペットボトルを利用した漏斗(じょうご)で水の補給をしやすくし、ポリタンクの栓をひねると、水と一緒にそうめんが流れる仕掛けです。
11時過ぎには料理も整い、Aさんの発声で参加者28人が乾杯をしてそうめん流しの宴が始まりました。そうめん流しと平行して揚げたての野菜もでて食卓に彩りを添えていました。
日差しを遮ったシートの下に、ときどきは渓谷からの涼風が入り、流れてきた冷えたそうめんを掬ってのどを潤しながら、みんなで和やかなノミ(飲み)ニケーションになりました。
暑気払いはおよそ3時間続きました。昼間からのお酒で真っ赤な顔で声も大きくなり、いささかためらいがありましたが、2時40分のバスで下山しました。
むかしのそうめんの食べかた
石毛直道著「文化麺類学ことはじめ・日本の麺の歴史」によると、
「室町時代にも、水に漬ける冷やしたそうめんの食べかたがあった。記録によくあらわれるのは、熱蒸(あつむし)、蒸麦(むしむぎ)、蒸篭素麺(せいろそうめん)などといった蒸して食べる方法だ。小笠原流の礼法書である『食物服用之巻』に、そうめんを世間一般では「むしむぎ」といい、僧侶は「点心」というと書かれており、そうめんを蒸して食べることが一般的であったのがわかる……
室町時代に冷やしそうめんも食べられたが、『尺素往来』に「素麺は熱蒸、裁麺(きりむぎ」は冷濯(ひやしあらい)」とあることからわかるように、冷たくして食べるのは切り麺が主流で、現在の「ひやむぎ」はその延長線上にある……
奥村さんは、京都の相国寺にのこされた日記類にでてくるそうめんの料理法を、温麺としての食べかたと、冷やしそうめんとしての食べかたに分類して図1のグラフを作成した。これでみると、夏は冷やしそうめん、冬は温麺という食べかたが確立したのは江戸時代初期のことであるらしい」と書いていました。

図1 相国寺におけるそうめんの食べようの移りかわり
(出典奥村彪生 1981「そうめんの歴史とその周辺」月刊食堂別冊・第6号 柴田書店)
上記の本からみると、竹の樋にそうめんを流すという風流なことを考え出したのは、冷やしそうめんの食べ方が確立した江戸時代初期以降のようです。
ちなみに、回転式そうめん流し器は、鹿児島県指宿市開聞町井上廣則町長が助役時代に考案し、1967年(昭和42年)に意匠登録されました。
その発祥の地である開聞町唐船峡は、昔は入江で遣唐使船の港だったという峡谷で、水源近くでは毎日水温13度の湧水が10万tも湧き出ていて、鯉やニジマスが泳いでいるそうです。この水を利用して竹樋に冷水と一緒に流す方式から、回転式そうめん流し器を考案できたのは、冷たい湧水などが豊富なこの地ならでの環境が生んだのではないかと思います。



