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庚申講とは酒盛りの会?[2007年11月02日(Fri)]


 私は10月中ごろ「大仏鋳造に粟生山(箕面市内)の木炭は使われていただろうか?」を調べていました。その中で戦前は黄銅鉱が掘られていたという椿地蔵の場所を確かめるために10月10日箕面市立郷土資料館へ出かけ、福田館長からそれに関連した話を聞くことができました。
 その帰り際に各種案内のパンフレットを持ち帰った中に「歴史に学ぶ・みのおのまちなみ」の開催要領に館長が講義されるので是非受講したいと思っていました。

 その日の夕方久しぶりの飲み会で大阪へ出かけました。その席で箕面だんだんクラブメンバーのKさんからも同じパンフレットを見せられ館長の講義を誘われました。

 そのときは話の内容が「庚申塔」のこととは知らなかったのですが、10月20日に和歌山で偶然にも庚申さんの話を聞きました。その日は「語り部と歩く・熊野古道紀伊路第6回切目から三鍋王子」で、その途中みなべ町西岩代で庚申さんの祀られていた前でその信仰の話を聞きました。

 そして翌日の21日に偶然にも館長から庚申さんの話を聞くことになりました。

 語り部の話は江戸時代に流行った民間信仰として庚申さんを数分で話されただけでしたが、館長の「庚申塔があるまちなみ」では、箕面市周辺にある庚申塔55基すべての拓本をとられて学問的に解説されるとともに、郷土資料館で「大阪府北部・兵庫県南部の庚申塔展」に展示されている資料について解説されました。

 私は庚申信仰については初めて聞く話ばかりでした。語り部からの話だけでは興味もわかなかったのですが、福田館長の話を聞くと、今の時代にも通じるような話題だったので記事にまとめてみました。


みなべ町で見た庚申さん

 JR紀勢線切目駅から榎木峠を下って右手前方に海が広がって見える道の小高いところにひっそりと庚申さんは祀ってありました。
 写真1は2本の木に挟まれた隙間から見上げるように撮ったので顔かたちもはっきりしません。





     写真1 みなべ町で見た庚申さん

  Wikipedia庚申講には語り部はほぼ同じ内容を話していたのでそれをコピーすると、

「庚申の日には庚申講(こうしんこう。庚申待、宵庚申とも)が行われた。これは、道教の伝説に基づくものである。三尸(さんし)の虫は庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命が縮められると言われていた。そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。これを庚申講という。庚申講を3年18回続けた記念に建立されたのが庚申塔で、今も各地に残っている」

と書いています。


庚申の日は60日ごとに訪れる

 「庚申(かのえさる、こうしん)は、干支の一つで干支の組み合わせの57番目です。干支とは、十干と十二支の組み合わせのことで、十干とは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸のことをいい、十二支とは子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のことをいう。10と12の最小公倍数は60なので、干支は60期で一周することになる」なるので、庚申は60日ごとに巡ってきます。


庚申講の本尊である青面金剛の像容

  Wikipedia庚申講の続きには「庚申講の本尊である青面金剛の像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教の明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがある。日本では各地に石造の庚申塔が多数遺り、そこには『見ざる、言わざる、聞かざる』の三猿像とともに青面金剛像が表わされている例が多い」と書いています。

 写真1からはここに書かれている像容はわかりにくいので、郷土資料館に展示されているなかで、現在社寺等で発行されている庚申信仰の掛け軸を撮ってきました。




     写真2 庚申講の本尊である青面金剛の像容
 
 館長の話では、青面金剛塔はそれぞれの庚申講での財政事情で本職に頼んだ庚申塔から、仲間で自然石を彫ったもの、建てられた時期などにより形式に変化が見られると説明がありました。

 展示されていた55基の中で能勢町山田の庚申塔は青面金剛像を彫ったもので、インターネットで検索したものとよく似ていたので写真を撮ってきました。




      写真3 能勢町山田の庚申塔

 正面右に「日」、左に「月」を彫っています。

箕面市内で庚申塔(青面金剛)の分布

 館長は、庚申塔の分布を箕面市内地図に示して建立年代された年代から「西の端の新稲村が最初に建立した寛文7年から、東の粟生地域までおよそ100年で伝わっています。新稲村が最初に建ててから次の平尾村(現箕面地区)が建てるまでに33年かかっているに、その後は間をほとんど開けずに続けて建てられています」とこの信仰が伝わっていく流れを話されました。

 そして、箕面市内だけでなく、川西市内、伊丹市内などは街道沿いに所在するなど分布に偏りがあるようです。 

 吹田市内には1基も青面金剛がないし、茨木市内には1基だけです。

 箕面市内の庚申塔はみなべ町でみた像と違って「青面金剛」と文字と梵字、日と月を表わした円、年号などです。勝尾寺参道沿いの帝釈寺にある庚申塔を撮ってきました。




 箕面市内の庚申塔では梵字「イー」または「イ」が15基中10基も彫られています。インターネットでの梵字ご利益早見表をみると、「イー (帝釈天)」で、12あるご利益の内、「生活」「金」「除災」に印がついていました。

庚申講とは酒盛りの会?

 館長の講義は「講とは何か?強制されてではなく、自分の意志で集まった人々の集団=グループです。今でも伊勢講、愛宕講……と続けられています」から始まりました。

 講義のあと、私は「こんな信仰が今でも続いているのか」と聞いてみたところ、「能勢町では今でも続いているが、サラリーマンが多くなったので夜を明かすことはなくなり、夜中の1時で切り上げている」と答えられました。

 私には庚申講でいう「人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫(彭侯子・彭常子・命児子)がいて、いつもその人の悪事を監視している」という信仰には信じられません。
 しかし、「庚申の日の夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした」という話から、庚申講の名のもとに自分の意志で集まった人々の集団が、地域のコミュニケーションとして酒盛りをするノミニケーションの場であると思いました。


 私はいろんな場面の飲み会に出かけています。上記に書いた10月10日の飲み会は、ぞろ目の偶数月に以前勤めていた会社のOBとのノミニケーションで「お達者会」と名付けています。

 庚申講とほぼ同じ60日ごとに20人ほどの仲間と歓談しています。

 私たちの飲み会も、伊勢講、愛宕講、観音講などと同じように「歳をとっても元気で達者に生きていこう」という主旨で信仰の対象はありませんが「お達者講」とも言えるようです。

 この「大阪府北部・兵庫県南部の庚申塔展」は箕面市立郷土資料館で12月10日(月)(休館日は毎週木曜日)の10時から17時まで開催されています。


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