CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 第224話 綾部市黒谷で紙すきを体験する | Main | 第226話 今年最強の大寒波に見舞われて »
<< 2017年11月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
第225話 市制施行60周年表彰状受賞を機に箕面の今昔を調べる[2016年12月21日(Wed)]
 箕面市は昭和31年(1956年)12月1日に箕面町と豊川村と合併し、箕面市が誕生した。昭和31年は丙申(ひのえさる)で、60年経った今年が干支で一回りして生まれた年の干支である丙申にかえり、元の暦にかえるので還暦を迎えたことになる。
 この機会に箕面の過去、箕面市の現在のことなどを資料から調べてみた。

T 市制60周年の表彰状を授与する

 12月1日に箕面市市制60周年記念式典がメイプルホールで開催され、表彰状及び感謝状の贈呈で「箕面だんだんクラブ」は「環境・公衆衛生功労」の部門で授与した。

 この功労の表彰状には「地域振興」「産業振興」「社会福祉」「教育」「文化」「人権・国際」「公安・防災」「篤行者」「特別」があり、一部「篤行者」に個人での表彰はあるものの、そのほとんどは団体の表彰である。
 私たち「箕面だんだんクラブ」など「環境・公衆衛生功労」だけでも122団体が受賞している。

IMG_9910.JPG


写真1 環境・公衆衛生功労で授与した表彰状

U 箕面市の誕生の経緯


 箕面市は「箕面の大滝」などが有名ではあるが、勝尾寺や箕面寺なども歴史的にも有名である。そこで町村合併で誕生した箕面市の誕生の経緯などについて箕面市立郷土資料館に出かけた。
 館内の展示パネル「箕面のおこり」によると、「箕面市域における人の歴史は、旧石器が発見されていることから、数万年前に遡り、遺跡の調査から縄文、弥生、古墳時代と途切れることなく人々が生活していたことがわかっている。奈良時代に山岳修行の地として開かれた『勝尾寺』と『箕面寺』は平安時代には『聖』が集う場所として全国的に有名になった他、平安時代になると牛馬を放し飼いにした『豊島牧(てしままき)』や、『山陽道』沿いに馬や旅用の諸道具を備えた『草野駅(すすきのうまや)』があったと推測される」と紹介している。

 館外にも展示パネルで明治時代からの写真が紹介されていた。

IMG_0016.JPG

 写真2 箕面市誕生のパネル(郷土資料館館外パネル)

 写真2の館外展示パネルは、箕面市誕生の経緯が書かれている。「箕面市誕生 ソシテ、現在ヘト続ク」の見出しに続いて「昭和23年町制を施行した箕面町は同年8月止々呂美町、萱野町と合併。次いで昭和31年(1956年)大阪府下24番目の『箕面市』が誕生しました。以降50年の間に人口は12万5千人に増加し、自然に恵まれた住宅・観光都市として発展を続けています」と紹介している。

 この文面からすると、箕面市の過去を紹介している展示パネルは箕面市誕生から50年経ったときに作成したものであろうか?
この展示パネルも市制60周年の還暦を迎えて生まれ変わったからには、時代にあった展示方法で箕面市を紹介してもらえればと思う。

 また、「箕面町報」という新聞も展示されていた。(写真3)発行年月日は不明だが、箕面市誕生直後の記事であろうか。

 文面には、「昭和28年(1953年)3月に始まった箕面町、豊川村合併問題も、ここ3年有余の年月を経て実を結び、12月1日を期して豊川村を合併、箕面市が誕生することになりました。昭和28年の第16回国会において町村合併促進法が成立し、また、本年6月には新市町村建設促進法が交付され、国家の方針も弱小自治体をできるだけ少なくして健全な大きな自治体育成へと進んできました。今ここに箕面市が誕生するに至りましたことは、箕面町、及び豊川村住民の福利、強度発展の上か見ても誠によろこばしいことだと思います」と書いていた。

IMG_0044.JPG



写真3 昭和31年箕面市が誕生した当時の新聞記事(郷土資料館館外パネル)


 この記事の中で「昭和28年3月に始まった……」は、昭和28年9月1日に成立した「町村合併促進法」に基づくものである。また、「本年6月には新市町村建設促進法……」は、昭和31年6月30日に成立した「新市町村促進法」の法律で箕面市が誕生したことになる。

V 住みよさランキングと箕面市の人口推移

 全国の都市を対象にした、東洋経済の「住みよさランキング」。総合の「住みよさランキング2016」のほか部門別、2016年版近畿の記事を抜き書きしてみると、「滋賀県がトップ10の内5市を占め、草津市が第1位である。芦屋市が2位、3位は生駒市に次いで、箕面市は5位(全国53位)である。昨年2位だった箕面市(大阪)が5位へと後退した。箕面市は、高水準にあった住宅着工戸数がやや減速したことで「快適度」の順位が16位から21位に下がったことが響いた」と解説している。

 箕面市が誕生した昭和31年(1956年)ころ、人口はどのくらいであったか、ネットで「箕面市まち人・しごと創生総合戦略推進検討会(第1回資料・平成27年8月6日)」でみると、国勢調査の和30年で26,564人であるので、それより少し多い2万7千人くらいで発足したと思われる。

img704.jpg


図1−箕面市と大阪府内の人口推移位

 平成28年1月の箕面市の住民基本台帳の人口、世帯数によると、外国人を含む人口は135,584人(2,941人)、世帯数59,021人(1,931世帯)である。カッコ内の数字は外国人。
他の市との比較データはわからないが、箕面市内には外国人が多く住んでいるように思う。かつての大阪外国語大学は大阪大学になったが、大阪大学で研究している外国人は多くいる。私が住んでいる小野原地域は阪大吹田キャンパスと隣接していて、朝夕にはキャンパスへ通う自転車や歩く外国人を多く見かける。

W 集中豪雨で大被害

 今回の式典で賞状とともに「箕面市誕生60周年記念冊子・みどりとあかね」の「60年のあゆみ」のなかで、「昭和42年7月 集中豪雨で大被害(3人死亡、家屋全半壊3戸、床上浸水330戸、橋流失14件)」が目に留まった。
「昭和42年7月の豪雨は、1日262mmという記録的な大雨が降り、大きな被害を出しました。この水害では、消防団員や幼児など4名がなくなりました。これを機会にダム建設への動きはいっそう強まりました」と書いている。(文と写真4は参考文献1から引用)  

img705.jpg


 写真4 昭和42年(1967年) 箕面川(瀬川)

W−1 治水ダムをつくるか!自然を守るか!

 参考文献@はつづいて、「ダムの計画が発表されると,箕面国定公園内にあり,植物や昆虫の宝庫である、箕面の豊かな自然環境が壊されると反対運動が起こりました。専門家が調査を行い、自然環境をなるべく壊さないように考えて、岩を積み上げたロックフィルという方法を使って治水ダムを建設することになりました」とダム建設のきっかけを書いている。

img708.jpg


写真5 治水ダム建設に関する新聞記事(参考文献1から)


W−2 箕面川ダム完成!

 「人々の願いがかない,ついに昭和57年(1982年)箕面川ダムが完成しました。このダムのおかげで、箕面川の水害はなくなり,箕面はおだやかな山と川のせせらぎの自然を安心して楽しめる場所になりました。
 平成5年(1993年)には,できる限り植林などの緑化対策を実施し、景色に気を配って進められた活動がみとめられ、『環境賞』を受賞しました。自然と調和したダムは観光の名所にもなっています」(参考文献@から)

img709111.jpg

 写真6 箕面川ダム(参考文献@から)


W−3 昭和10年の集中豪雨

 
img70611.jpg
参考 文献(2)の、特集「水害の爪痕」に、「昭和9年も室戸台風による被害復旧のさなかであった翌10年に6月と8月、近畿地方は2回にわたる集中豪雨に見舞われた」と書いて、写真7を掲載している。

img70611.jpg

写真7 復旧作業中の箕面川仰箕橋付近(参考文献Aから)

X 箕面に動物園があったころ

 郷土資料館の館外展示パネルに箕面に動物園があったことを紹介している(写真8)。
動物園 珍獣ダッテ、猛獣ダッテ」に続いて、「箕面有馬電気軌道によって、明治43年11月に日本で三番目の動物園として開園した箕面動物園。その広さは三万坪で、当時では日本最大でした」と書いている。

IMG_0007.JPG


写真8 明治時代に箕面にあった動物園(郷土資料館パネル)

 参考文献@で「箕面の歴史・自然・まちづくり」の章に、「箕面に日本で一、二をきそう広さの動物園があった!」のタイトルにで、「明治43年(1910)に箕面・有馬電気軌道(今の阪急電車)が梅田から箕面間に開通しました。また、その年の11月、箕面駅のすぐ北側の山に箕面動物園が開園しました。動物園の中には、売店や大観覧車、噴水が作られ、にぎわったようです」と説明している。

img71311.jpg


写真9 動物園の入口(参考文献@から)

Y 箕面駅の今昔


 郷土資料館の館外展示パネルに「電車開通 大阪ト、ツナガッタ! 小林一三らにより設立された箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)は明治43年3月に梅田〜宝塚間、石橋〜箕面間で開業。多くの観光客が箕面を訪れるようになりました。また、沿線開発によって住宅地も発展しました。この電車の開通がきっかけとなって、現在の箕面の街に発展したといえます」と当時の様子を書いている。 

IMG_0031.JPG


写真10 電車開通(郷土資料館館外パネル)

 写真11は参考文献@から、明治43年開通当時の箕面駅前を走る電車である。

img71422.jpg


写真11 開通当時箕面駅前を走る電車(参考文献@)

 その解説には「走り始めたころの電車は1両で小さく、定員も82名で

発車の回数も1時間に1回くらいのものでした。電車賃は、石橋から箕面までが5銭でした。そのころは、家の数も少なく、電車は、広々とした田んぼの中を走っていました。当時の箕面駅は、降車ホーム、乗車ホーム、貨物ホームの三つに分かれていました。箕面駅についた電卓は、今のように折り返すのではなく、駅前をラケット形に回っていきました。また、駅前は広場になっていて、テニスや模型飛行機の競技大会なビ、いろいろな催しがおこなわれました」と解説している。(参考文献@から)

 図2は現在の地図に箕面山の動物園と阪急電車の箕面駅のラケット形の線路を入れたのではないだろうかと思われる。

img71411.jpg


図2−明治44年頃の箕面駅付近の地図(参考文献@から)

 現在の箕面駅は駅前広場(写真12)にはバスの停留所に、市民のための「オレンジゆずるバス」の発着場、タクシーの乗降場があり、駅前広場は比較的ゆったりしているが、行楽シーズン以外は、通勤・通学以外は比較的閑散としているのだはないだろうか。

IMG_0046.JPG

 写真12 現在の箕面駅前ひろば

 
IMG_0050.JPG
写真13は、現在の箕面駅改札口である。千里ニュータウンに住んでいたころの1967年に北千里駅に孔の開いた定期券で改札口を通過できるシステムが導入されて以来、今では阪急電車のすべての駅にこの自動化札が導入されている。

IMG_0050.JPG


写真13 現在の箕面駅の改札口

箕面市の今後の話題

 上記「箕面駅の今昔」で書いているように、この駅は観光施設の集客を主な目的で出来た駅であったため、公共施設は駅から離れた場所であったり、通勤、通学、買い物などではやや不便と言わざるを得ない。
 そのような現状に大阪の中心から延びる地下鉄の延伸である北大阪急行延伸が、現在の千里中央駅から新駅箕面駅(仮称)が、「大型商業施設を核とした箕面のにぎわいの中心『かやの中央』へ接続(平成27年もみじだより3月号)から引用」平成27年秋から着手していて平成32年(2020年)の開業に向けて動いている。

img715111.jpg

 図3−(仮称)新箕面駅のイメージ図(もみじだよりから)

 もう一つは新しく開発された街「彩都」の山肌である。北摂山地の山並みの中腹に、山肌を削って伐採や、造成工事が行われて毎日来た北の山並みを見るにつけ見苦しい現状である。「UR都市機構彩都開発事務所」が発行した東生涯学習センターからの景観予想図を見ながら、その変化(図4)に注目して写真に記録している。

img716.jpg


 図4−山並み景観保全と斜面緑化(UR都市機構から)

 図4の一番上の図は造成工事の最盛期・緑化工事着手時期(平成22年頃)である。緑化工事着手後、約10年後の平成32年頃には一番下のイメージになると描いている。写真14は平成28年12月17に撮った山並みである。

IMG_0270.JPG

写真14 箕面の山並み(東図書館付近から撮影)

 4年後の2020年には北大阪急行の新箕面駅(仮称)が開業しているであろうし、東京オリンピックでにぎわうことであろう。

(平成28年12月21日)


この記事のURL
http://blog.canpan.info/dandan-minoh/archive/228
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
プロフィール

箕面だんだんクラブさんの画像
リンク集
http://blog.canpan.info/dandan-minoh/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/dandan-minoh/index2_0.xml