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第120話 剥製のシカ[2009年03月13日(Fri)]


 2月7日の活動日に、シカがシャガの葉っぱまで食べだしたことを2月14日に公開した第117話で書きました。
 その後、2月14日、2月28日、3月7日の活動日に、シカがシャガの葉っぱをどの程度食い荒らしているかを観察に出かけています。行く度に根っこを引き抜かれたシャガがところどころに見られます。さすがにシカも心得たもので、渓谷沿いの急斜面に生えているところまでは近寄れないために青々と茂っていて、ここだけでも助かっているのでホッとした気になります。

 この森林に生えている植物を手当たりしだいに食い荒らすシカですが、その文献を調べに行った図書館の入り口にシカの剥製が展示してありました。その経緯を調べてみました。


東図書館に「シカの剥製」が展示されている!

 箕面市立東図書館は「体験学習の森」の帰り道にあるので再三利用しています。
 その図書館の入り口の右側に「シカの剥製」が展示していることは知っていましたが、「鹿」に関する本を探すことになって、あらためてじっくり見てみました。




写真1:展示されている剥製のシカ


 写真1の左側に説明板が立っています。シカの剥製はガラスケースの中に収められていて、その説明文は細かい文字でびっしりと書いています。


写真2:展示した経緯の説明文


 その説明文の主要な箇所を抜書きしてみると、「明治の森箕面国定公園とその周辺地域一帯は、府下では数少ない豊な自然に恵まれたところです。なかでも野生シカは府下では箕面、高槻、能勢など北摂地方の限られた地域にしか生息せず、1974年以降、狩猟鳥獣からはずし保護措置がとられてきました。

 1984年12月から1985年2月にかけて箕面市白土島地区の住宅地に近接したため池で、子ジカもふくめ17頭ものシカの変死体が相次いで見つかるという異常事態が発生しました。この間、自然を愛する多くの市民にとって、このような事態の再発を防ぎ、これらのシカを助けるために全力を挙げて夜間パトロールの強化など努力が続けられました。
この雄シカは1985年1月21日未明、何ものかに追い詰められて五藤池から新薩摩池へと逃げ込んだ個体です・・・・・・

 この剥製を展示することによって、多くの人々が箕面の奥深い自然について語り合い、このかけがえのない自然をいつくしみ守っていこうとする心が育つための自然保護を訴える警鐘になることを願ってやみません」。

 図書館では@「世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学」(湯本 貴和・松田 裕之編兜カ一総合出版2006年3月31日初版発行)A「山と田畑をシカから守る」(井上 雅央、金森 弘樹著、社団法人農山漁村文化協会 2006年2月25日第1刷発行)B「野生鹿の慟哭・大阪の鹿生息状況と箕面野生鹿連続殺傷事件報告書」(社団法人 大阪自然環境保全協会、1986年6月29日発行)を借りました。


「野生鹿の慟哭」

 上記Bの「野生鹿の慟哭」には、第3章で1984年(昭和59年)12月より連続的に発生した、箕面市白島地域における「ニホンジカ大量殺傷事件」調査報告を書いています。その事件のシカの1頭が、剥製のシカになって入り口に展示されているのです。

 第3章の最後に各紙新聞報道がコピーされています。
 その見出しを拾ってみると、1984年11月27日、毎日朝刊「野ジカ君助かった、野犬襲い、あわや」、1985年1月15日読売夕刊「密猟か シカ4頭死ぬ、箕面の池、1頭に散弾の」、1985年1月20日朝日朝刊「池で水死、相次ぎ8頭 野犬に襲われ転落?狩猟訓練 標的の疑いも」などと書いていました。

 野生ジカの大量死は、「野犬に襲われて水死した」と発表した大阪府に対し、市民グループの自然保護団体では「密猟に起因している可能性が極めて強い」と結論を出しています。

 野生ジカの大量死事件に関連して、昭和60年1月30日朝日朝刊には「野生ジカを守ろう」の記事の中で、「府緑の環境整備室によると、能勢町、高槻市、箕面市の山間部には、73頭〜200頭の野生ジカがいるが、56年ごろから『植林した幼木やイネが食い荒らされて困る』との苦情が相次ぎ、府に補償を求める声も出ている…・・・」という記事もありました。


昭和60年ごろの大台ケ原は、すでにレッドゾーンを越えていた!

 シカの食害の話題では、大台ケ原の事例がよく取り上げられています。

 上記@の「世界遺産をシカが喰う」の第4章で岩本 泉治さんが、「大台大峯の山麓から」のなかで、「このころ(昭和45年ころ)から、植えても植えても一向に山にならない、つまり木が育たなくなってしまいました。昭和50年になると、村の最北部にあたる大普賢岳の中腹部や大台ケ原ドライブウェイの南斜面でも新たな植林は難しくなりました。当時の植林担当者が古老に叱られていたのを今でも覚えています。『いったいいつになったら山になるのか、どれだけ首を補充しているのか、わかっているのか、なぜあんなに首が枯れてしまうのか・・・・・・

 『いくら構えても翌朝にはシカに喰われてなくなってしまう』。それが現実でした・・・・・・昭和55年ごろ、奥吉野ではかつてのような植林は不可能になってしまいました。植えても植えても山にならず、補植(枯れたところに翌年再び植えること)の繰り返しになってしまい、運良く育っても、首の天辺が食べられて、盆栽みたいなスギやヒノキが生えている、そんなことになってしまいました・・・・・・

 大台ケ原で鹿害が問題になり始めたのも昭和55年ごろでした。ただし、トウヒ林(唐檜)注)はまだ暗く、ましてやシカの姿を見る、という事はまずありませんでした。それが、60年頃になると時々シカが目撃されることが多くなり、食害を受けたトウヒがめっきり増えてきました。注)トウヒ属(唐檜)は、マツ科トウヒ属の常緑針葉樹。

 大台ケ原で最初に柵が設置されたのもこの頃です。とりあえず囲っておこう、という雰囲気で、たいした緊張感はありませんでした。当時、テレビ局が取材に来ると、正木峠を案内するのが定番でしたが、林床は苔に覆われ山頂付近はまだ黒々とした森でした。誰も、ここが白骨樹林になってしまうとは、想像していませんでした。

 しかし、一部の研究者はその頃から「このまま放置すると危ない」と環境庁(当時)に対して警告はしていましたし、自らも手探りながら調査を始めていました。その頃イギリスからきた研究者に大台ケ原のシカの密度について、どのくらいのレベルか、と質問したところ、オーマイゴッドのレベル」と答えました。すでにレッドゾーンを越えていたのでした


大峯山系の食害

 上記の続きで、大峰山系の食害では、「シカによる食害は関西では特に大台ケ原がよく取り上げられています。しかし、深刻なのは大峯山系も同じことです。昔は、山頂付近でシカに出会うという記憶はありません。大峯山系の稜線は直ぐ下に崖やガレ場が控えていて、どちらかというと、シカにとっては近寄りにくい地形のはずです。しかし今は奥駈道にも足跡があるくらいです・・・・・・

 天ヶ瀬の子供は時に奥駈道まで遊びに行きました。その頃、行者還や一ノタワなどでは、一度道からそれると戻るのにたいへんなほどのスズタケのブッシュで、夏でも長袖の服を着ていくようにいわれたものでした。袖をまくっていようものなら、腕は傷だらけになりました。ところが、最近の大峯山系では昔のような背丈を越えるスズタケのブッシュはほとんど見当たらなくなってしまい、半袖半ズボンでも歩けるくらいです。

 このような大峯山系の異変は、十年程前にすでに始まっていました。たとえば、歩くのに邪魔になるほど繁茂していた八経ケ岳周辺のオオヤマレンゲが絶滅状態になりました。

 8年前は行者還トンネルから弥山へ上る途中の、ちょうど奥駈道と出会うあたりはたいへんなブッシュでしたが、今はまったくありません。スズタケどころか、林床にはほとんど植物が見られません。7年前、狼平のコシアブラは、たった2週間で、目につくものはすべて樹皮剥ぎ被害を受け、今は1本も見られません」と書いています。


現在の行者還から弥山の奥駆道

 岩本 泉治さんが「行者還トンネルから弥山へ上る途中の、ちょうど奥駈道と出会うあたり」と書かれたあたりを、昨年10月初旬に行ってきました。

 「一度道からそれると戻るのにたいへんなほどのスズタケのブッシュで、夏でも長袖の服を着ていくようにいわれた」という時代は知る由もありませんが、急斜面を登りきった辺りの一息ついたあたり(写真3)は、昔はたいへんなブッシュだったのでしょう。


写真3 弥山への奥駆道(08年10月7日撮影)

 引き返す途中で、シカの群れが足早に走っていくのを目撃しました。



写真4 弥山頂上の立ち枯れのトウヒ林




写真5 弥山頂上の神社


 今私たちが活動している「体験学習の森」では、シカの食害が目だって増えてきています。
 これまで保護されてきた野生ジカも、これ以上に増えすぎてしまったら、大台ケ原や大峰山系の二の舞にならないとも限りません。
 今では食べられていなかったヤブツバキの樹皮も食べだしていて、この木もいずれ枯れてしまうことでしょう。シカも生きるためには、1000種を越える採取植物を食べつくしていくのですから。


(平成21年3月13日)
この記事のURL
https://blog.canpan.info/dandan-minoh/archive/120
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