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第226話 今年最強の大寒波に見舞われて[2017年02月03日(Fri)]
 1月は早くも「行ってしまう」という28日にだんだんクラブの活動日に参加した。
10時過ぎ西田橋の路側温度計が6℃を確認して登って行った。ところが勝尾寺三叉路では7℃を示していた。いつもはこの勝尾寺三叉路の方が2℃ほど低いのだが、1℃であるが高い値を示しているのを見るのは初めてだった。不思議に思いながら活動拠点の豚汁広場場に着いた時には道具の整備やクヌギの間伐、竹細工作業などを行っていた。
 参加者名簿に丸印には11人が参加していた。因みに今年最初の活動日の14日は9人が参加していた。
 
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写真1 豚汁広場近くの木陰の残雪

今季最強の寒波が14日〜16日に襲来

 毎年1月15日頃に実施されているセンター試験の頃に日本列島は大寒波がやってきている。今年も1月14日夜からここ箕面市内でも雪が降り始めた。
 大雪の目安は輪島上空5000メートル付近に−36度以下の寒気が入るときであるが、今年は14日頃に−41度の寒気団が西日本や東海地方にも流れ込んできた。
いままで箕面市内で大雪が積もったとき、その状況を写真で記録している。15日の朝は近くの南の杜へ通じる路面は午前11時過ぎでも、写真2のように車も出せないほどだった。

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  写真2 箕面市内の路面の積雪状況

 16日でも前日夜からの積雪で路面は変わらなかったが、11時過ぎには車が走れるほどになり、雪に覆われた街並みを撮りに出かけた。
 先ず北摂山地が望める東図書館付近から彩都の街並みを撮った。

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写真3 彩都の街並みと北摂山地を望む

 市内ではゴミ収集車も活動していたので、クリーンセンターまで足を延ばした。標高340メートルはあるだろうクリーンセンター入口の山の斜面には、写真4のように木々にはかなりの雪が降り積もっていた。

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写真4 クリーンセンター前の山の斜面の積雪状況

 体験学習の森への入口は、写真5のように積もっていて短靴では歩けないのであきらめた。

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写真5 体験学習の森への入口の積雪状況

小鳥の水場まで歩いてみる


 いつもの活動日と同じように、28日でもまずこの森の変化を撮るために、「杉林」から「もりもり園地」を抜けて「小鳥の水場」まで登っていった。

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写真6 1月15日からの積雪の重みで折れた杉の枝

 少し登って「モリモリ園地」のヤブツバキも雪の重みに耐えかねて折れた枝が山道を塞いでいた。

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写真7 折れたヤブツバキの枝が山道を塞ぐ

「小鳥の水場」の南斜面に2008年に植林したクヌギは大きく育っているが、今回の大雪で3本は曲がっていた(写真8、写真9)。

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写真8 雪の重みで曲がってしまったクヌギ1

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写真9 雪の重みで曲がってしまったクヌギ2


「小鳥の水場」から「七曲り」へ通じる西の斜面は日当りも少なく、積もった雪は残ったままになっていた。

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写真10 未だ融けずに残った西斜面の残雪

ほんの少し春の兆し!

 帰りも同じ道を下って行った。写真を撮りに行く前にFさんとの話題で「未だヤブツバキは黒い実をつけているだけで花のつぼみもかった」と話していたので、勝尾寺川支流沿いのヤブツバキを丹念に見つめてみると、写真11で見るように、一輪咲きかけを見つけることができた。

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 写真11 川沿いにつぼみをつけたヤブツバキ

 南の杜公園に通じる道端の花壇には1月16日の大雪にもかかわらず、雪の冠の下から満開の椿の花が顔をのぞかせているのを見てきただけに、山の寒さは厳しいからだろうと思った。

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写真12 里では雪の冠の下にツバキが満開

 でも、「モリモリ園地」付近のヤブツバキのつぼみを見つけて、「もうすぐ春ですよ」と呼びかけているんだと思いつつ下山した。

今後の竹炭やきなど

 午後から竹炭用の炭材作りの作業を行った。Fさんによれば、クリーンセンターへのバスがなくなってベテランのNさんらが来られなくなったという。また、竹の間伐する場所が少なくなるとともに、竹炭を利用する人も少なくなってきたそうだ。

 新しい会員が増えない中で、高齢者の作業効率も悪くなってきた上に、公共交通機関が無くなったので新たな問題点が浮かび上がってきた。

(平成29年2月3日)




第225話 市制施行60周年表彰状受賞を機に箕面の今昔を調べる[2016年12月21日(Wed)]
 箕面市は昭和31年(1956年)12月1日に箕面町と豊川村と合併し、箕面市が誕生した。昭和31年は丙申(ひのえさる)で、60年経った今年が干支で一回りして生まれた年の干支である丙申にかえり、元の暦にかえるので還暦を迎えたことになる。
 この機会に箕面の過去、箕面市の現在のことなどを資料から調べてみた。

T 市制60周年の表彰状を授与する

 12月1日に箕面市市制60周年記念式典がメイプルホールで開催され、表彰状及び感謝状の贈呈で「箕面だんだんクラブ」は「環境・公衆衛生功労」の部門で授与した。

 この功労の表彰状には「地域振興」「産業振興」「社会福祉」「教育」「文化」「人権・国際」「公安・防災」「篤行者」「特別」があり、一部「篤行者」に個人での表彰はあるものの、そのほとんどは団体の表彰である。
 私たち「箕面だんだんクラブ」など「環境・公衆衛生功労」だけでも122団体が受賞している。

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写真1 環境・公衆衛生功労で授与した表彰状

U 箕面市の誕生の経緯


 箕面市は「箕面の大滝」などが有名ではあるが、勝尾寺や箕面寺なども歴史的にも有名である。そこで町村合併で誕生した箕面市の誕生の経緯などについて箕面市立郷土資料館に出かけた。
 館内の展示パネル「箕面のおこり」によると、「箕面市域における人の歴史は、旧石器が発見されていることから、数万年前に遡り、遺跡の調査から縄文、弥生、古墳時代と途切れることなく人々が生活していたことがわかっている。奈良時代に山岳修行の地として開かれた『勝尾寺』と『箕面寺』は平安時代には『聖』が集う場所として全国的に有名になった他、平安時代になると牛馬を放し飼いにした『豊島牧(てしままき)』や、『山陽道』沿いに馬や旅用の諸道具を備えた『草野駅(すすきのうまや)』があったと推測される」と紹介している。

 館外にも展示パネルで明治時代からの写真が紹介されていた。

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 写真2 箕面市誕生のパネル(郷土資料館館外パネル)

 写真2の館外展示パネルは、箕面市誕生の経緯が書かれている。「箕面市誕生 ソシテ、現在ヘト続ク」の見出しに続いて「昭和23年町制を施行した箕面町は同年8月止々呂美町、萱野町と合併。次いで昭和31年(1956年)大阪府下24番目の『箕面市』が誕生しました。以降50年の間に人口は12万5千人に増加し、自然に恵まれた住宅・観光都市として発展を続けています」と紹介している。

 この文面からすると、箕面市の過去を紹介している展示パネルは箕面市誕生から50年経ったときに作成したものであろうか?
この展示パネルも市制60周年の還暦を迎えて生まれ変わったからには、時代にあった展示方法で箕面市を紹介してもらえればと思う。

 また、「箕面町報」という新聞も展示されていた。(写真3)発行年月日は不明だが、箕面市誕生直後の記事であろうか。

 文面には、「昭和28年(1953年)3月に始まった箕面町、豊川村合併問題も、ここ3年有余の年月を経て実を結び、12月1日を期して豊川村を合併、箕面市が誕生することになりました。昭和28年の第16回国会において町村合併促進法が成立し、また、本年6月には新市町村建設促進法が交付され、国家の方針も弱小自治体をできるだけ少なくして健全な大きな自治体育成へと進んできました。今ここに箕面市が誕生するに至りましたことは、箕面町、及び豊川村住民の福利、強度発展の上か見ても誠によろこばしいことだと思います」と書いていた。

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写真3 昭和31年箕面市が誕生した当時の新聞記事(郷土資料館館外パネル)


 この記事の中で「昭和28年3月に始まった……」は、昭和28年9月1日に成立した「町村合併促進法」に基づくものである。また、「本年6月には新市町村建設促進法……」は、昭和31年6月30日に成立した「新市町村促進法」の法律で箕面市が誕生したことになる。

V 住みよさランキングと箕面市の人口推移

 全国の都市を対象にした、東洋経済の「住みよさランキング」。総合の「住みよさランキング2016」のほか部門別、2016年版近畿の記事を抜き書きしてみると、「滋賀県がトップ10の内5市を占め、草津市が第1位である。芦屋市が2位、3位は生駒市に次いで、箕面市は5位(全国53位)である。昨年2位だった箕面市(大阪)が5位へと後退した。箕面市は、高水準にあった住宅着工戸数がやや減速したことで「快適度」の順位が16位から21位に下がったことが響いた」と解説している。

 箕面市が誕生した昭和31年(1956年)ころ、人口はどのくらいであったか、ネットで「箕面市まち人・しごと創生総合戦略推進検討会(第1回資料・平成27年8月6日)」でみると、国勢調査の和30年で26,564人であるので、それより少し多い2万7千人くらいで発足したと思われる。

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図1−箕面市と大阪府内の人口推移位

 平成28年1月の箕面市の住民基本台帳の人口、世帯数によると、外国人を含む人口は135,584人(2,941人)、世帯数59,021人(1,931世帯)である。カッコ内の数字は外国人。
他の市との比較データはわからないが、箕面市内には外国人が多く住んでいるように思う。かつての大阪外国語大学は大阪大学になったが、大阪大学で研究している外国人は多くいる。私が住んでいる小野原地域は阪大吹田キャンパスと隣接していて、朝夕にはキャンパスへ通う自転車や歩く外国人を多く見かける。

W 集中豪雨で大被害

 今回の式典で賞状とともに「箕面市誕生60周年記念冊子・みどりとあかね」の「60年のあゆみ」のなかで、「昭和42年7月 集中豪雨で大被害(3人死亡、家屋全半壊3戸、床上浸水330戸、橋流失14件)」が目に留まった。
「昭和42年7月の豪雨は、1日262mmという記録的な大雨が降り、大きな被害を出しました。この水害では、消防団員や幼児など4名がなくなりました。これを機会にダム建設への動きはいっそう強まりました」と書いている。(文と写真4は参考文献1から引用)  

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 写真4 昭和42年(1967年) 箕面川(瀬川)

W−1 治水ダムをつくるか!自然を守るか!

 参考文献@はつづいて、「ダムの計画が発表されると,箕面国定公園内にあり,植物や昆虫の宝庫である、箕面の豊かな自然環境が壊されると反対運動が起こりました。専門家が調査を行い、自然環境をなるべく壊さないように考えて、岩を積み上げたロックフィルという方法を使って治水ダムを建設することになりました」とダム建設のきっかけを書いている。

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写真5 治水ダム建設に関する新聞記事(参考文献1から)


W−2 箕面川ダム完成!

 「人々の願いがかない,ついに昭和57年(1982年)箕面川ダムが完成しました。このダムのおかげで、箕面川の水害はなくなり,箕面はおだやかな山と川のせせらぎの自然を安心して楽しめる場所になりました。
 平成5年(1993年)には,できる限り植林などの緑化対策を実施し、景色に気を配って進められた活動がみとめられ、『環境賞』を受賞しました。自然と調和したダムは観光の名所にもなっています」(参考文献@から)

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 写真6 箕面川ダム(参考文献@から)


W−3 昭和10年の集中豪雨

 
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参考 文献(2)の、特集「水害の爪痕」に、「昭和9年も室戸台風による被害復旧のさなかであった翌10年に6月と8月、近畿地方は2回にわたる集中豪雨に見舞われた」と書いて、写真7を掲載している。

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写真7 復旧作業中の箕面川仰箕橋付近(参考文献Aから)

X 箕面に動物園があったころ

 郷土資料館の館外展示パネルに箕面に動物園があったことを紹介している(写真8)。
動物園 珍獣ダッテ、猛獣ダッテ」に続いて、「箕面有馬電気軌道によって、明治43年11月に日本で三番目の動物園として開園した箕面動物園。その広さは三万坪で、当時では日本最大でした」と書いている。

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写真8 明治時代に箕面にあった動物園(郷土資料館パネル)

 参考文献@で「箕面の歴史・自然・まちづくり」の章に、「箕面に日本で一、二をきそう広さの動物園があった!」のタイトルにで、「明治43年(1910)に箕面・有馬電気軌道(今の阪急電車)が梅田から箕面間に開通しました。また、その年の11月、箕面駅のすぐ北側の山に箕面動物園が開園しました。動物園の中には、売店や大観覧車、噴水が作られ、にぎわったようです」と説明している。

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写真9 動物園の入口(参考文献@から)

Y 箕面駅の今昔


 郷土資料館の館外展示パネルに「電車開通 大阪ト、ツナガッタ! 小林一三らにより設立された箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)は明治43年3月に梅田〜宝塚間、石橋〜箕面間で開業。多くの観光客が箕面を訪れるようになりました。また、沿線開発によって住宅地も発展しました。この電車の開通がきっかけとなって、現在の箕面の街に発展したといえます」と当時の様子を書いている。 

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写真10 電車開通(郷土資料館館外パネル)

 写真11は参考文献@から、明治43年開通当時の箕面駅前を走る電車である。

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写真11 開通当時箕面駅前を走る電車(参考文献@)

 その解説には「走り始めたころの電車は1両で小さく、定員も82名で

発車の回数も1時間に1回くらいのものでした。電車賃は、石橋から箕面までが5銭でした。そのころは、家の数も少なく、電車は、広々とした田んぼの中を走っていました。当時の箕面駅は、降車ホーム、乗車ホーム、貨物ホームの三つに分かれていました。箕面駅についた電卓は、今のように折り返すのではなく、駅前をラケット形に回っていきました。また、駅前は広場になっていて、テニスや模型飛行機の競技大会なビ、いろいろな催しがおこなわれました」と解説している。(参考文献@から)

 図2は現在の地図に箕面山の動物園と阪急電車の箕面駅のラケット形の線路を入れたのではないだろうかと思われる。

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図2−明治44年頃の箕面駅付近の地図(参考文献@から)

 現在の箕面駅は駅前広場(写真12)にはバスの停留所に、市民のための「オレンジゆずるバス」の発着場、タクシーの乗降場があり、駅前広場は比較的ゆったりしているが、行楽シーズン以外は、通勤・通学以外は比較的閑散としているのだはないだろうか。

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 写真12 現在の箕面駅前ひろば

 
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写真13は、現在の箕面駅改札口である。千里ニュータウンに住んでいたころの1967年に北千里駅に孔の開いた定期券で改札口を通過できるシステムが導入されて以来、今では阪急電車のすべての駅にこの自動化札が導入されている。

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写真13 現在の箕面駅の改札口

箕面市の今後の話題

 上記「箕面駅の今昔」で書いているように、この駅は観光施設の集客を主な目的で出来た駅であったため、公共施設は駅から離れた場所であったり、通勤、通学、買い物などではやや不便と言わざるを得ない。
 そのような現状に大阪の中心から延びる地下鉄の延伸である北大阪急行延伸が、現在の千里中央駅から新駅箕面駅(仮称)が、「大型商業施設を核とした箕面のにぎわいの中心『かやの中央』へ接続(平成27年もみじだより3月号)から引用」平成27年秋から着手していて平成32年(2020年)の開業に向けて動いている。

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 図3−(仮称)新箕面駅のイメージ図(もみじだよりから)

 もう一つは新しく開発された街「彩都」の山肌である。北摂山地の山並みの中腹に、山肌を削って伐採や、造成工事が行われて毎日来た北の山並みを見るにつけ見苦しい現状である。「UR都市機構彩都開発事務所」が発行した東生涯学習センターからの景観予想図を見ながら、その変化(図4)に注目して写真に記録している。

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 図4−山並み景観保全と斜面緑化(UR都市機構から)

 図4の一番上の図は造成工事の最盛期・緑化工事着手時期(平成22年頃)である。緑化工事着手後、約10年後の平成32年頃には一番下のイメージになると描いている。写真14は平成28年12月17に撮った山並みである。

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写真14 箕面の山並み(東図書館付近から撮影)

 4年後の2020年には北大阪急行の新箕面駅(仮称)が開業しているであろうし、東京オリンピックでにぎわうことであろう。

(平成28年12月21日)


第224話 綾部市黒谷で紙すきを体験する[2016年10月09日(Sun)]
 平成28年度の箕面シニア塾は6月30日に開講式があり、プログラムBの「発見!体験!チャレンジ」を受講している。9月16日のテーマツアーは「黒谷和紙すき体験」で、生まれて初めて紙すきを体験してきたことをまとめてみた。

黒谷和紙工芸の里

 8時半に集合場所のメイプルホール前を出発し、箕面トンネルを抜け、亀岡から京都縦貫道・国道27号を通って旧口上林小学校の黒谷和紙工芸の里に着いたのは10時20分頃だった。

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地図 黒谷和紙への道(パンフレットからコピー)

 綾部市観光ガイドには「綾部は京都府のほぼ中央に位置している。古くはすぐれた織物の技術をもと漢部(あやべ)氏一族が支配したといわれ、地名になっている。製糸に係わる歴史はその後も続き、日本が誇る世界的メーカー、グンゼもこの地で創業した」と、紹介している。
 また、黒谷和紙の歴史には「今から800年以上前、戦いに敗れた平家の一団が人の少ない山間に身を隠し、周りに自生していた植物『楮(こうぞ)』と川の水を使って紙をつくりはじめ、その後この地を『黒谷』と呼ばれるようになり、江戸時代の中期、地域を治める山家藩が力を入れた事から紙漉き村″としてきて、今日では、昔ながらの製法を守る全国でも数少ない和紙の産地として知られる」と書いていた。

 バスを降りると、二階建ての校舎が目に入った。

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写真1 小学校跡の黒谷和紙工芸の里(パンフレットから)

 綾部市立旧口上林小学校が平成17年3月に閉校したことの記念碑がたっていた。その年の秋には校舎を改装し「黒谷和紙工芸の里」と「京都伝統工芸専門学校和紙工芸研修センター」(写真1)があり、今日の紙すきセンターの体験場所である。

入口の二宮金次郎像

 正面のすぐ横の桜の木の下に二宮尊徳(通称は金次郎)が背中に柴を背負い、手には本を諳んじている懐かしい像が立っていた。
 今回のシニア塾で参加した28人は平均70歳くらいだろうと思う。私のように80歳を超えた人は少ないだろうが、二宮金次郎の像は知っている年恰好なのだろう。「二宮金次郎の像だ」と聞こえてきた。

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写真2 二宮金次郎の像


 昭和18年に吹田の国民学校に入学した当時、校門横にはこの像が立っていて、礼をしてから教室に入ったように記憶しているが、そのことより校門を入る手前で上級生の女の人が「歩調をとって!」と号令をかけて緊張して門をくぐったことの方が強い思い出として残っている。
 また、講堂の前に奉安殿(第二次大戦中まで、各学校で御真影や教育勅語などを収めていた建物:デジタル大辞泉から引用)という小さな建物があった。これらは終戦後、無用の長物になってしまったから、早々に撤去されたのだろう。記憶の底にある奉安殿は比較的簡易なものでよく似たものをネットから引用した。

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写真3 戦前に会った奉安殿(ネットから引用)

二宮金次郎像は箕面の滝道でも見られるし、吹田の小学校にはまだ像が残っている学校もある。
二宮金次郎が小田原の酒匂川の氾濫で農地を流された荒れ地を少しずつ開拓していき、困難を克服していった江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。今も三戸岡道夫著「二宮金次郎の一生」という540ページの本を机に置いているが、それほど、尊徳(通称は金次郎)の生きざまに感銘を受けている。
我が家に日めくりカレンダー「心に響く先達の言葉(到知出版社)」には、「太陽の徳、広大なりといえども、芽を出さんとする念慮、育たんとする気力なきものは仕方なし」が毎月17日には、二宮尊徳の言葉が出てきて心に刻んでいる。

 「困難な状況においても、努力して学ぶ彼の姿勢を見習いましょう」という教えは今でも通用すると思っていたが、ネットで検索してみて驚いた。「全国各地で相次ぐ二宮金次郎の撤去…原因となった保護者のクレームとは」には、歩きながら読書する金次郎像に対し「子供が真似したら危険だから撤去すべき」との批判が保護者から寄せられた例、「歩きスマホを助長している」などの意見があったという。
 因みに別の検索で「原典といわれる『報徳記』を見ると、像の姿で知られるあの場面には『誦(そらんじる)』という表現が使われています。ですので、正しい解釈は『薪を背負って歩きながら、勉強した内容を暗唱していた』となります」と書いていた。

黒谷工芸の里

 見学は2班に分かれたので、私たちのグループは展示室から案内された。

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写真4 黒谷和紙工芸の里の入口


 入った突き当りに、和紙を利用した代表的な製品が陳列されていた。提燈や行燈であったが、展示室には和紙で作った座布団、唐傘、和紙の卒業証書や賞状、壁紙などに使うのだろうか、大きさサイズの和紙も展示されていた。美術品の修復にも和紙を使うことがあるという。

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写真5 代表的な和紙使用の品

 和紙で作った座布団(写真6)は珍しい製品だけに「洗濯はできるのか」といった質問が出ていた。

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写真6 和紙で出来た座布団

和紙の原料


 和紙の原料は、楮(こうぞ)、みつまた、雁皮(がんぴ)と学校時代に習ったので覚えていたが、どんな植物なのか知らなかった。この工芸の里の校庭に楮とミツマタが植わっていた。

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写真7 楮の木
 
 楮は、くわ科の落葉低木で3メートル近くになり、翌年同じ根からまた伸びる。ここ黒谷では紀州や土佐から持ち込まれているそうだが、韓国やタイからも輸入しているとか話していた。
繊維は太くて長く強靱なので、障子紙、表具洋紙、美術紙、奉書紙など、幅広い用途に原料として最も多く使用されているという。
 みつまたも隣に植わっていた。枝分れの状態がほとんど三つになっていると説明があったが、写真を撮りながらみつまたになっているのが確認できた。
繊維は柔軟で細くて光沢があり、印刷適性に優れているので、局納みつまたとして印刷局に納入され、世界一の品質を誇る日本銀行券の原料として使用されているとの説明があった。

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写真8 みつまたの木

和紙の製造工程


 黒谷和紙の里では、楮を主な原料として使っているが、毎年12月に楮畑で収穫される。「楮蒸し」は皮をとりやすくするために蒸し、熱いうちに、使用する皮の部分をはぎ取る(はぎ取ったものを『黒皮』という)乾燥させて保管する。
 「楮もみ」は、黒皮を川につけて足で踏んで揉み、「楮そろい」で表皮とキズを削り取り、白皮にして保管。
この工芸の里での作業は、@「煮ごしらえ」では水に二日ほどつけて柔らかくし、A「楮煮」作業(写真9)で煮る。

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写真9 楮煮

 B「みだし」では水洗いし、小さなゴミをとり、C「紙たたき」で餅つきのようにたたいて繊維をほぐす
 D「ビーター」:水とたたいた楮をビーターに入れ、どろどろの綿状「紙素(しそ)」にする(写真10)。

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写真10 ビーターに入れ「紙素」にする(パンフレットから)


 E「紙漉き」漉き船に水、「紙素」と「トロロアオイ」の根から出てくる粘液「サナ」を入れ、簀桁(すげた)で漉くが、トロイアオイの根の粘液を入れるとは初めて知った。

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写真11 トロロアオイの根(パンフレットから)



 「オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、かまぼこや蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される。主に根部から抽出される粘液を「ネリ(糊)」と呼び、紙漉きの際に楮、ミツマタなどの植物の繊維を均一に分散させるための添加剤として利用される」という。(ウィキペディアから引用)

 Eの紙漉き作業になると、テレビなどで見る機会があるので分かるが、それまでに5つの工程があることを知った。

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写真12 実習生の紙漉き作業


 展示室を回っている途中で、併設されている「和紙工芸研修センター」の実習生が紙漉きをしていて卒業証書の紙を漉いていると話していた。

 F「押し」漉き重ねたものをプレスし水をしぼり、G「乾燥」は蒸気ボイラ―乾燥機か板干し乾燥し、H「選別」では、紙の重さ、出来具合をチェックして市場に出荷される。

和紙でハガキづくりを体験する

 和紙つくりの体験では、上記「和紙の製造工程」のE紙漉きから始めた。
 「紙素」と「トロロアオイ」の根から出てくる粘液「サナ」を入れた漉き舟に簀桁(すげた)を入れて、3回水平に動かせた後、写真13のように垂直にしたあと、余分な紙素などを漉き舟に落とす(写真14)。

写真13 漉き舟で3回動かした後垂直にする

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写真14 簀桁の水分等を漉き舟に落とす


 写真15は漉き終わって未だ乾燥しないうちに、赤、黄、緑色の色素を筆で落とし終わった状態である。

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写真15 漉き終わった後、色を落とした状態

 紙漉きの体験はここまでで、この後参加したみんなの作品にメモ用紙に名前を書いて押しと乾燥は工芸の里の方にお任せした。

 9月16日に黒谷和紙「工芸の里」で体験してつくったハガキは、10月7日の「絵手紙で心の交流」の講座で受け取った(写真16)。

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写真16 体験で出来上がった和紙のハガキ

 紙漉きも絵手紙を書くのも初体験であった。出来上がった和紙のハガキで絵手紙を書くのはもったいないので、もっと練習してから使うことにした。

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写真17 講義資料「絵手紙とはなんですか」

「絵手紙は絵葉書と違って自分で絵を描き、自分の言葉を書き入れて、相手に手作りのぬくもりを送る」と解説されていた。絵と書き入れた自分の言葉に魅力を感じた。

(平成28年10月9日)



第223話 アサギマダラなど蝶々の話題[2016年08月15日(Mon)]
 前回の第222話で書いたように、アサギマダラを初めて見たのは3年前の8月29日に伊吹山山頂のお花畑であった。名前を聞いたことがあった程度だったが、きれいな翅を広げていて、花の周りをゆっくりと飛んでいるのが印象的だった。

 今年の6月、Mさんから大分県国東半島先の姫島を訪れた時に撮ったアサギマダラの写真を貰ったのがきっかけで、「第222話 謎の蝶・アサギマダラの写真を貰う」を公開し、その謎を知るために、栗田昌弘氏の著書「謎の蝶 アサギマダラはなぜ海を渡るのか?」(以下引用した書名を『謎の蝶』と略す)やネットを引用しながら、アサギマダラや蝶々の話題を取り上げてみた。

世界大百科事典、アサギマダラには

 手始めに、平凡社発行の世界大百科事典(改定新版2011年6月1日)によると、
「鱗翅目マダラチョウ科の大形チョウで、開張は10p前後に達し、翅(ハネ、ツバサ)は非常に横長である。
 和名は浅黄色(淡青色)をしたマダラチョウの意である。淡青色の斑紋は前・後翅ともにあるが、地色は前翅が黒色、後翅は栗色である。インド北部、マレー半島をはじめ、東アジアの温暖な地域に広く分布し、日本全国で採集されている。年3〜5発生。1981年に成虫の長距離が確認された。すなわち、キジョランなどガガイモ科の常緑植物の豊富な温暖地で発生し、ここを根拠とし、ここでおもに、1〜2齢幼虫が越冬する。
 5月ごろ羽化した成虫の一部が北地、寒地へ移動を始め、おもにガガイモ科のイケマに産卵する。9〜10月にかけて、北地や高地の成虫は南下し、根拠地へ向かうものと推測される。近縁種にリュウキュウアサギマダラ、ウスコモンアサギマダラがあり、迷チョウとして採集されるが、アサギマダラより小さく、斑紋が細かいことで区別される」と解説している。

万博記念公園・自然観察学習館にて

『謎の蝶』の中の「秋にはどこで会えるか」に、「大阪府では池田市五月山でアサギマダラが見られ、私のアサギマダラがよく再捕獲されています」と書いていた。
五月山に近くて四季折々の草花が咲いている「万博記念公園」には、自然観察学習館に昆虫の標本が展示されているし、動植物に関する書籍も見られることを思い出して出かけてみた。

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写真1 自然観察学習館の蝶の標本


 アサギマダラの標本は写真1下の左から2番目の2匹である。拡大したのが写真2である。

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写真2 アサギマダラの標本(自然観察学習館)

 このほかに、この自然観察学習館に寄贈された写真やファイルに収められていた。
写真3は2011年10月18日に、「アジサイの森・東」で撮影(写真3)したものが展示されていた。

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写真3アジサイの森・東で撮ったアサギマダラ

 同館の書棚には、有賀憲介氏の名で、「2015年9月20日 花の丘」、「2012年5月10日 アジサイの森・東」がファイルされていた。
これらの資料を見ると、万博公園に咲く花の吸蜜にアサギマダラが来ていて、5月は北上する途上で、10月には南下する途上でこの公園にやってきていることが分かった。

 同館の動植物に関する書籍の中の、渡辺康之 著「チョウのすべて:1998年8月1日初版・トンボ出版(以下引用した書名を『チョウのすべて』と略す)」が目に留まった。表紙の裏面に「この本には、高山や離れ島・身近な環境にすむいろいろなチョウが紹介されています。
 なかでも、幼虫のときアリの巣のなかで育つという変わった生活をするゴマシジミやオオゴマシジミでは、10年以上にわたって観察した記録をくわしく載せました」と書いてあるように、昆虫生態写真家として貴重な写真が掲載されていた。

アサギマダラの卵から羽化

 秋に産卵すると、その年に孵化(ふか)する。1齢幼虫は、卵の殻を食べてから餌となる植物を食べ始める。体が大きくなった幼虫は脱皮をして、2齢幼虫になり、また植物を食べて大きくなった幼虫は脱皮をし、このパターンをくりかえして、3齢幼虫、4齢幼虫、と大きくなっていく。卵→1齢幼虫→2齢幼虫→3齢幼虫→4齢幼虫→5齢幼虫→蛹→成虫(「ネットの蝶の一生‐ぷろてんワールド)」から引用)

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写真4 終齢幼虫→蛹(「ちょうのすべて」)から引用

「暖かくなるにつれて育って、3月下旬から5月にかけて蛹化と羽化をします。そこから北上の旅が始まり、本州のどこかで子孫を残して、多くの個体は夏の前に一生を終えます」。

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写真5 羽化の様子「ちょうのすべて」から引用


蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか:ドラミング

 平凡社の「世界大百科事典・チョウ」によると、「現在知られている最古のチョウの化石は新生代古第三紀の漸新世から見つかっている。白亜紀に入って被子植物の多様な分化が起こり、それに従って植物に依存する鱗翅目もこれに適応する形で発展したと考えられる……現在知られている鱗翅目は約14万種であるが、このうちチョウ類は約1万8000種である。これはチョウに限ったことではないが、植物に依存する昆虫はその植物の生育する環境や気象条件に適応した結果独自の特徴をもち、科や属のレベルの分化が起こったと考えられる」と書いている。

 図書館で蝶々のことを調べていた中で「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか(稲垣栄洋・三上修:草思社・以下引用には『蝶々はなぜ菜の葉』と略す)に、「チョウが花から花へと飛びまわるのはわかるが、葉から葉へ飛びまわることなどあるのだろうか……モンシロチョウの幼虫である青虫はアブラナ科の植物しか食べることができない。そこでモンシロチョウは、幼虫が路頭に迷うことのないように、足の先端でアブラナ科から出る物質を確認し、幼虫が食べることができる植物かどうかを判断するのである。この行動は『ドラミング』と呼ばれている。

 だから産卵するモンシロチョウは、葉っぱを足でさわって確かめながら、アブラナ科の植物を求めて、葉から葉へとひらひらと飛びまわるのである……一カ所にすべての卵を産んでしまうと、幼虫の数が多すぎて餌の葉っぱが足りなくなってしまう。そのためモンシロチョウは、葉の裏に小さな卵を一粒だけ産みつける。そして、つぎの卵を産むために新たな葉を求めて、葉から葉へと飛びまわるのである。まさに『ちょうちょう』の原型となったわらべ唄の歌詞のとおりだ……植物にとって、旺盛な食欲で葉をむさぼり食う昆虫は大敵である。
 そのため、多くの植物は昆虫からの食害を防ぐためにさまざまな忌避物質や有毒物質を体内に用意して、昆虫に対する防御策をとっているのである。一方の昆虫にしてみれば、葉っぱを食べなければ餓死してしまう。そこで、毒性物質を分解して無毒化するなどの対策を講じて、植物の防御策を打ち破る方法を発達させているのだ。
 ところが、植物の毒性物質は種類によって違うから、どんな植物の毒性物質をも打ち破る万能な策というのは難しい。そこで、ターゲットを定めて、対象となる植物の防御策を破る方法を身につけるのである」と解説していた。

唱歌「ちょうちょう」の歌詞の変遷

 何気なしに歌っていた唱歌の「ちょうちょう」は、戦時中に歌っていた歌詞は、「菜の葉にとまれ 菜の葉にあいたら 桜にとまれ 桜の花の 花から花へ とまれよ 遊べ 遊べよとまれ」であった。

 欧米各国に伝わる童謡「ちょうちょう」は、1875年から1878年)まで米国へ留学した教育学者が日本へ紹介したのではないかと推測されている。この曲に野村秋足が独自に歌詞を付け、1881年に文部省が発行した『小学唱歌集』に「蝶々」の表題で掲載された。ただし、この歌詞と似た詞の童謡や清元は江戸時代から全国各地で知られており、野村も現在の愛知県岡崎市一帯で歌われていた童歌の詞を改作して「Lightly Row」の曲に当てたとされている(ウィキペディア『ちょうちょう』から引用)

 ところが、この歌詞に野村秋足は日本の春のシンボルであるサクラを詠み込んだ。ただし、野村秋足が最初に作った歌詞は「桜の花の さかゆる御代に」と日本を称える唄だったが、国家主義を排除する意図から「桜の花の 花から花へ」に改訂されてしまった。
 そして、葉から葉へと飛びまわっていたはずのチョウが、時代を経て花から花へ飛びまわるように書き換えられてしまったのである。ただ、もともとの歌詞の本質的な部分である「菜の葉」は残されたのである(『蝶々はなぜ菜の葉』から引用)。

蝶々の「ドラミング」と跗節(ふせつ)

 ネットの「JT生命誌研究館:チョウが食草を見分けるしくみを探る」によると、「ドラミング」のことを説明していた。
「アゲハチョウの仲間は、それぞれの幼虫が特定の植物のみを食草として利用するので、メス成虫が正確に植物を識別して、産卵場所を間違えないことが次世代の生存を左右する。メス成虫はどのようにして数多くの植物の中から幼虫に適した食草を選択しているのかというと、そのヒミツは前脚の先端にある『跗節(ふせつ)』と呼ばれる部分にある。

 跗節には化学感覚子があり、植物に含まれる化合物を認識することができる。アゲハチョウのメス成虫は、産卵の前に植物の葉の表面を前脚で叩く『ドラミング』と呼ばれる行動を示すが、その時に植物に含まれる化合物(味と考えれば解りやすい)を感じ取っている」と。

 朝日新聞社発行の『蝶の世界』から「チョウのからだ」の説明と図を引用した。
「退化した脚以外は明瞭にそれぞれ五節から成り立っている。胸部の中に潜っていて外から見えない最初の節を基節といい、次の小さな節が転節、以下比較的太くて頑丈に見える腿節(たいせつ)、脛節(けいせつ)となり、一番先端は細くて長い跗節となっている。跗節はさらに五つの節に分かれ、その末端に、ものにつかまったり、ぶら下がったりするのに有効な爪がある」。

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図1 チョウのからだ

アサギマダラの魅力

『謎の蝶』の「アサギマダラの24の魅力」の中に、「(6)グルメ―PA物質を含む植物を敏感に発見し、集まる天与の才能を持っている(9)群れる―1カ所に、数百頭、ときには千頭を超えるアサギマダラが吸蜜する(10)速い―実質2日で、740km以上もの海生移動をする例がある(11)酔う―スナビキソウで吸蜜中は酔ったかのように無反応になり、手づかみできる(13)香りを操る―ヘアペンシルという実にユニークな道具でフェロモンを発する(15)毒草を食べる―ガガイモ科の有毒植物を食べ、毒を蓄積して防御に利用する」などが列挙されている。

 (6)PA物質で、雄が花に群れる理由には、アサギマダラが集まる花にはピロリジジンアルカロイドと呼ばれる物質が多く含まれている。長い名前なのでPA物質と省略。アルカロイドとは植物に含まれるアルカリ性の物質。人体にも作用するものがあり、その多くは毒性を持つ。アサギマダラの場合、このPA物質は、雄が成熟するのに必要とされるのは、雄が雌を惹きつけるフェロモンはこの物質から作られるので、花に群れているのはほとんどが雄なのだ。これがグルメの理由」と説明している。


アサギマダラはなぜ海を渡るのか

 栗田昌弘氏の著書「謎の蝶 アサギマダラはなぜ海を渡るのか?」の設問に、著者は琉球弧での間氷期の地殻変動で海峡ができ、アサギマダラは「海を渡る」ことに適応したという仮説で説明している。
「琉球弧と呼ばれる現在の九州から台湾までの南西諸島をつなぐ『ひも状』の地域は、その西側は東シナ海で大陸から切り離されていて、約2億5千万年前から約1億3千万年前、海底にあった。1500万年から1000万年頃には陸地化して南方から九州につながり、1000万年から200万年前には分断されて、北側が中国大陸とつながった。259万年前から第四期更新世が始まり、この時代は氷河期で、氷期と間氷期を繰り返し、そのたびに生物は南方から北に移動した。(主に間氷期)、北方から南に移動したりした(主に氷期)。約2万年前に琉球弧は3つの領域に分かれた。最初はトカラ海峡ができ、次にケラマ海裂、与那国海峡ができて、北琉球、中琉球、南琉球と呼ぶ3つの領域が生また。最後の氷期は約1万年前に終わり、(約1万2千年前以後を完新世と呼ぶ)。
この物語が事実ならアサギマダラはわずか1万年の間に『海を渡る』ことに適応した。縄文時代の開始は1万年前、人類が文明を作って活躍した時代にアサギマダラは海を渡る蝶になった。北米のオオカバマダラは国境を越える旅をしますが海は越えない。それに比してアサギマダラが世界にも稀な『海を越えて定期的に移動する蝶』になった理由は『間氷期に琉球弧が海に沈んだ』という特殊事情に遭遇したからだ」と説明している。

ハイキング友だちからもらったアサギマダラの写真がきっかけで、吸蜜していることばかりに注目していたら、「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか」の本で、蝶々の足先の「跗節」という植物に含まれる化合物を認識することができる化学感覚子があることを知った。
また、「チョウ」と「ガ」の関連から、セセリチョウ科のイチモンジセセリが移動することで話題になったという。その幼虫がイネの葉を食べる害虫であり、初夏のころからすがたを見せ、はじめはそれほど多くいないが、世代を交替して、夏の終わりから秋にかけて急に数が増え、北海道まで移動することがある。今から20年前ごろまでは、おびただしい数のイチモンジセセリが大阪市内でも飛んでいたという。

 調べていくほどに、興味のある話題が次々と出てきた。今年の秋には、万博記念公園か、五月山でアサギマダラの写真をぜひ撮りたいと思っている。


(平成28年8月15日)







第222話 謎の蝶・アサギマダラの写真を貰う[2016年07月19日(Tue)]
 今年の6月1日に私市から「府民の森・ほしだ園地」へ「¥ハイキング仲間11人と出かけた。国道18号沿いの天野川の磐船峡(写真1)を歩いた。

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 七夕伝説発祥の川・天の川の案内板があり、その解説には「天の川は、交野の歴史文化を育んだ由緒ある川、生駒山系の豊かな山地自然が生んだまさに『交野の母なる川』です」と紹介されていた。

アサギマダラの写真などを貰う

 私市駅から2時間弱で「星のブランコ」に着いた。「星のブランコ」は、その橋のたもとの解説図(写真2)を引用すると、深い谷間に架かる対候性鋼板(歩道幅員1.4m、歩道部は木板米松使用)を使った40m+200m+40mの吊り橋の人道橋(写真3)である。

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写真3 星のブランコ・人道橋の吊り橋

 その橋のたもとで昼食をとった。
 一休みしたとき、Mさんから「今年の5月末に、国東半島から20分ほどの姫島へ出かけたとき、アサギマダラが20匹ほど飛んでいて写真を撮ってきた」と5枚と「姫っ子新聞(写真4)」、「姫島きつね新聞」を貰った。

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写真4 姫っ子新聞

「姫っ子新聞」には「姫島はカレイが有名です。5月にはカレイ祭りが行われます……」と紹介されていて、Mさんは姫島のカレイ祭りに出かけたのだろうか。「姫っ子新聞」の3枚の写真の下段にはアサギマダラが乱舞している様子を載せていた。

 国東半島の思い出

 国東半島へは2013年8月に大分県豊後高田市で開催された平成26年度全国高等学校総合体育大会カヌー競技に、孫の応援で行ったときの合間に国東半島を一周している。

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地図1 国東半島付近(平凡社の日本地図から引用)

 その当時、国東半島の海岸の先に姫島があることなど全く知らなかったが、平凡社の世界大百科事典・日本地図や姫島観光案内図、国東半島一周の海岸で撮った写真5を見ると、姫島だろうと思われる。

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 地図2 姫島観光案内図(ネットから引用)

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 写真5 国東半島の海岸から前方の島を見る

 
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写真6 切り立った山道の国東半島

 3年前に一周したときの印象では、地図で見てもそんない大きな半島でもなく、ずんぐりした丸型で山地が多く、海沿いの道を走っているが、海からはずっと高い切り立った写真6のような道路を走っていた

 国東半島の海岸へ出る途中には、かんかん照りの日差しの中に黄色いひまわりの花が更に暑さを増幅しているように思えた。

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写真7 ひまわりの花が満開

 国東半島の北の付け根の豊後高田市から時計回りに走ったが、途中高規格の空港道路が出てきて大分空港が入って行った。国東半島が結構厳しい山地なので、空港は沖へ埋め立てて空港を造成したようだ。

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写真8 国東半島に埋め立てられた大分空港

アサギマダラの思い出


 3年前の平成25年8月29日、ハイキング仲間とバス旅行で伊吹山山頂のお花畑を散策していたとき、アサギマダラと初対面したことを思い出す。

 東遊歩道から西遊歩道まで約1時間を散策していた。山頂では初秋の様相でサラシナショウマ(写真9)の白く長い穂のような花が咲いていた。

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写真9 初秋の伊吹山に咲くサラシナショウマ

 駐車場近くで、「アサギマダラだ!」と、私の前方にカメラを構えた多くの人がいたが、私が撮ろうとしたときにはヒラヒラと別の場所へ飛んでいき、撮ることができなかった。蝶々にしては大きく、黒と白のまだらの翅だったことを思い出す。飛び去ったところに咲いていたのは紫色の花で、調べてみるとイブキトリカブト(写真10)だと分かった。

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写真10 西遊歩道に咲いていたイブキトリカブト

 この記事を書くにあたって、伊吹山のアサギマダラを検索してみると、多くの写真が公開されていた。

貰ったアサギマダラの写真

 いろいろと思い出すことが多くて前置きが長くなってしまったが、貰ったアサギマダラ写真を披露しよう。

 写真11の裏面には2016.5.28の穂づけに「姫島灯台 南方島←→日本遠距離飛来 春秋に立ち寄りスギナビソウの蜜」と書いていた。

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写真11 姫島灯台の周りを飛ぶアサギマダラ

写真12は、4匹ほど固まって何かを舐めているのだろうか。Mさんは「翅の色が実際と違っている」と注釈していた。

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写真12 4匹集まったアサギマダラ

 実際の翅の色は、スナビキソウの花の蜜を吸っている写真13の黒色の翅をしている。

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写真13 スナビキソウの花の蜜を吸っているアサギマダラ

スナビキソウ(ネットから引用)


 ネットで「スナビキソウ 姫島」を検索すると、「305■スナビキソウはアサギマダラを惹きつける不思議な花/ムラサキ科スナビキソウ属/小さい旅、スナビキソウはアサギマダラを惹きつける不思議な花/ムラサキ科スナビキソウ属」で詳しく書いていた。
 それによると、「スナビキソウはムラサキ科スナビキソウ属の植物。海岸に生える草である。地下茎が砂の中に長い地下茎を引いて増えるので「砂引草」の名前がついた。花期は5〜8月。花は5裂し、茎の先にかたまって、集散花序という形で咲く。花は白く、中心部は黄色い。ムラサキ科の花に共通の独特な印象がある。分布は北海道、本州、四国、九州。コルク質の実が海水に浮かんで遠方に広がる。したがって、漂流物が打ち寄せる砂浜に見られることが多いという。以前は観察できた海岸でも、環境変化で消滅したところが少なくない。花には香りがあり、強く昆虫を惹きつける。特にアサギマダラという蝶が集まることに関しては、大分県姫島が有名である」と書いて、そのままを引用した。

 このデータのHPは、鰍rRS研究所で、その講師には「栗田昌弘」と写真入りで出ていた。

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写真14 「謎の蝶 アサギマダラはなぜ海を渡るのか?」の本の表紙

 次回は栗田昌弘氏の著書「謎の蝶 アサギマダラはなぜ海を渡るのか?」を引用しながら、謎の蝶を紹介してみたい。

 上記の本の「はじめに」には、「重さは0.5グラムにも満たないほどの軽い蝶で、普通にふわふわと飛んでいるだけに見えますが、何と春と秋には1000kmから2000kmもの旅をします。定期的に国境と海を渡ることが標識調査で証明された蝶は世界に一種しかありません」という。

 秋には池田市の五月山にも飛来するというから、五月山へ出かけ、貰った姫島の写真を役立てたいと思っている。

(平成28年7月19日)


第221話 2016年春の「みどり生き生きみのお生き生き」体験フェア[2016年05月03日(Tue)]
 2016年春の「みどり生き生きみのお生き生き」体験フェアは、「昭和の日」の4月29日に千里中央せんちゅうパル北広場で開催された。10時過ぎには曇っていたが、昼前には陽が照りだし、少し強い風が時々吹いてきたがまずまずの天気に恵まれた。
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 箕面だんだんクラブのブース
 1)展示パネル


 昨年と同じ場所に竹細工や竹炭の配布場所などが設けられた。(写真1)

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写真1 箕面だんだんクラブのブース

 活動状況などの展示パネルには、27年度の上半期と下半期の主な活動を写真で紹介した。また、体験学習の森に生えているキノコの写真やムカゴやアケビ、マタタビの実といった植物、モリアオガエルやクワガタが生息している写真、さらに竹炭作りでは竹の間伐から炭材作り、炭焼きの様子を紹介した。

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写真2 体験学習の森の動植物の紹介

 2)竹細工のおもちゃ

 このイベントには毎回竹トンボや野菜鉄砲、竹ぽっくりなどを作っていて子供たちに楽しんでもらっている。

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写真3 野菜鉄砲で遊ぶ子供たち 

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  写真4 竹ぽっくり

 3)竹細工の作品

 竹炭の炭材作りでは竹林間伐した中で竹細工に適した竹を選び出して花瓶や徳利に加工、細工して展示している。現場での竹細工用の加工道具も持ち込んだ。

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 写真5 竹細工を現地で加工

 出来上がった竹細工(写真6)の中で手水鉢の水を引くために展示の竹を加工してほしいという年配の女性が来られた。

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写真6 竹細工の展示品

 どんなふうに使うのかと手水鉢に使う竹をネットで検索してみた。

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写真7 手水鉢に引き込むための竹(ウィキペディアから引用)

 展示品を利用して要望に沿うように加工してあげたので喜んで募金にも協力してもらった。

 4)竹炭コーナー

「竹炭の吸着力は備長炭より大きい」ので、脱臭剤としての利用に優れている。
竹炭コーナーには、竹炭を細かく砕いて水洗いしたものをネットに入れたもの、小さな布袋に詰めたものを靴などに入れる脱臭剤としての効果をアピールした。小さい布袋を作るより赤ちゃんの靴下を使う方が良いとも説明した。
 また、竹炭片にかわいいい人形や花の絵を描いたものなども展示した。幼い子供たちにはこのかわいい顔に人気があり、そのお母さんが募金に協力してくれた。

 Nさんは竹炭の粒を入れた小さな布袋を家で作ってきていた。脱臭効果が少なくなれば、水洗いして乾燥すれば何回も使えることも付け加えていた。

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写真8 脱臭効果のある竹炭の展示コーナー

 なお、上記の「竹炭の吸着力は備長炭より大きい」は、岸本定吉 監修 池嶋庸元 著「竹炭・竹酢液のつくり方と使い方」(社団法人農山漁村文化教会)の「竹炭は材料の竹と基本的には同じ組織・構造をうけついでいる。竹を炭にやくと、体積は約3分の1に収縮するが、この孔の横断面は、微細なパイプを束ねたような構造になっている。
 孔の内部表面積は、測定する方法によって多少の差は認められるが、通常、木炭の内部表面積の測定に用いられてきた方法で実測すると、竹炭1グラム(おとなの手の指先ぐらいのかけら)あたり300平方メートル以上もあって、これはタタミ200畳分以上の広さに相当する。
 ちょうど、小ぶりのバナナ1本分の丸炭(筒状炭・約34グラム)でも、その表面積は東京ドーム(1万3〇〇平方メートル)がすっぽり収まってしまうくらいで、竹炭のすぐれた吸着力は、この内部表面積の広さによるものである」から引用したものである。

 募金を熊本地震に

 箕面だんだんクラブでは、このイベントに毎回参加していて、体験学習の森の炭窯でやいた竹炭などを配布し義援金は、東北大震災と森林保全の活動資金として主催の「NPO法人みのお山麓保全委員会」に渡してきたが、今年は4月14日夜発生した熊本地震への募金にした。(写真9)

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 写真9 熊本地震への募金箱

 隣のブースには「熊本物産展in千里中央」で熊本県阿蘇郡西原村で作られたゆず胡椒、ドレシング、いちごの加工品など販売されていて売り上げは販売元の被災地へ全額寄付されるという。

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写真10 西原村の熊本おうえん物産展

 西原村(熊本県の地図)は、14日の夜最初の震度7の地震の震源地益城町の隣だから被害も相当だっただろう。

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「のぞきからくり」や生演奏を楽しむ

 毎回「平成のぞきからくり」が拍子木で音頭を取りながら、のぞき窓から「役行者」や「八百屋お七」などの演目を見せてくれた。
映画やテレビに押されてすたれていた大衆娯楽がイベントや縁日で復活していた。

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写真11 平成のぞきからくり

 たまたま覗いてみると、「八百屋お七」を上演前だった。上演に先立つ前には、パソコン操作で演目を選び出しているところだった。
 この「のぞきからくり」は、江戸末期に発生し、太平洋戦争まで親しまれてきたものである。
復活したこの「平成のぞきからくり」にはパソコンを取り入れていて操作の面では今風に工夫されていることが知った。

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写真12 のどきからくりの画面


 生演奏では、箕面の森の音楽会のメンバーがオカリナやフルート演奏に加えて、7人の演奏もあった。「となりのトトロ」などの親しみやすい曲が流れてきて子供も大人も楽しめた「昭和の日」になったのではないだろうか。

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 写真13 箕面の森の音楽会の生演奏

(平成28年5月3日)


第220話 今年の桜は例年になく見事だった![2016年04月19日(Tue)]
 今年の大阪の桜の開花宣言は3月24日だったろうか、4月2日には、ちょうど満開になっていて「公園をきれいにする会」の仲間で花見をおこなった。(写真1)

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写真1 公園での花見〈2016年4月2日〉

 その日はだんだんクラブの4月の最初の活動日とも重なっていたので、花見の宴の前に「体験学習の森」の桜の開花状況はどうかと写真を撮りに行ってきた。

 活動日には西田橋際と勝尾寺への三叉路の路側温度を確認しているが、勝尾寺三叉路では17℃と西田橋より2℃低い値を示していたが、この温度差が写真2でみるように、満開までに1週間ほどの差が出ているのだろうか。

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写真2 体験学習の森への入口の開花状況

4月7日は春の嵐

 4月になってすぐ大阪では桜が満開になったが、「7日には低気圧発達しながら日本海を東北東に進み、この低気圧や前線に向かって南から暖かく湿った空気が流れ天気が荒れる」との予報が出ていた。この春の嵐で今年の桜も見納めになるだろうと思い、4日に千里北公園を散策しながらカメラに収めた。
 満開の桜にウグイスの鳴き声があちこちから聞こえてくるのだが、声はすれども姿はカメラではとらえられなかった。(写真3)

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写真3 千里北公園の桜並木(2016年4月4日)

 千里北公園から下って行った北千里駅近くの川沿いの桜並木でも見事に咲いていた。(写真4)

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写真4 北千里駅近くの桜並木(2016年4月4日)

 7日の春の嵐で体験学習の森の桜も9日の活動日には、ヤマザクラは早く咲くので観られないかもしれないと思っていたら、Fさんが6日に出かけて行って撮った写真をメールでくれた。「今年の桜の咲き方は、例年にない咲きかたです。山の下から上まで満開です。エドヒガンも満開です。送りました1枚は、エドヒガンです。桃も咲いていました。桜と一緒に咲くのは珍しいです」とコメントが添えられていた。

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写真5 体験学習の森の満開の桜(201年4月6日)

エドヒガンザクラを撮りに行く

 ここ数年は石庭で作業をすることはなくなってしまった。切り込んだ谷沿いの西側沿いの狭い道を上り下りしなければならないこと、間伐など当面作業する箇所が少ないことなどで、最近は豚汁広場に近いクワガタ山でもやし林を整備してクヌギなどの広葉樹の植林を重点的に実施している。
 この森で唯一のエドヒガンザクラが自生していて、4月の満開の時期を狙って登っていくのがせいぜいである。

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図1 石庭道と写真撮影位置図

 4月6日にFさんから送信してもらったエドヒガンの写真で十分であったが、9日の活動日でもまだ散っていないだろうと思い、また、石庭道の現況を記録に残しておく目的を兼ねて腰痛と膝痛を抱えたよたよたしながら一人で登って行った。
 石庭道写真@は、七曲がりを登って東の茨木方向の山並みに満開のヤマザクラを撮っている。

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石庭道写真@:七曲がり付近から東を望む


 石庭道写真Aは、図1の石庭道をどんどん登っていく道で、左側は急斜面になっていて、ところどころに鹿などのけもの道が見られる。砕けた礫が散乱していて歩きにくい山道である。右側は切り込んだ谷になっている。

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石庭道写真A:急傾斜の山肌と急斜面の谷間の狭い道

 所々に大きな岩が露出しているところがあり、それらが砕けた山道をどんどん登っていく。

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石庭道写真B:砕けた岩石の急峻な狭い道

 石庭道写真Cまで来ると、右手の切り立った谷がなくなり、ところどころに背の高い木が生えていた。

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石庭道写真C:谷がなくなった付近

 石庭道Dは大きな岩が点在していたことから石庭の名付けたと思われる比較的勾配の緩い広がりを持った場所になっている。
 大きな岩は枯草で覆われていてわかりにくい。(石庭道D)

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石庭道D:大きな岩が点在している石庭

 9年前の2007年7月に撮った同じ場所の写真と比べてみると、下草も茂っていてずいぶん荒れた場所になっている。

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写真6 9年前に撮った石庭(200年7月8日撮影)

石庭に咲いているヤマザクラとエドヒガン

 石庭に登って行くのはエドヒガンザクラだけが眼中にあって注目していなかったが、手前にヤマザクラが見事に咲いていた(写真7)。

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写真7 石庭に咲いているヤマザクラ

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写真8 満開のヤマザクラ

 写真6でみる石庭の左手の急斜面を登って満開のヤマザクラの奥にエドヒガンが満開に咲いていた。近寄れない離れた崖の縁にさいているのでズームで撮った。

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写真9 満開のエドヒガンザクラ

 ヤマザクラをネットで検索すると「ソメイヨシノに代表される里の桜とは異なり山野に咲く。ソメイヨシノの親とされ、淡いピンク色の花が特徴。長寿で巨木になる。国の天然記念物に指定されている盛岡市の石割桜、福島県の滝桜、山梨県の山高神代桜、岐阜県の淡墨(うすずみ)桜、臥龍(がりゅう)桜などがある」(朝日新聞掲載「キーワード」の解説から)

サクラの見分け方


 この森で唯一のエドヒガンザクラは、近寄りがたい崖にあり、ズームで撮っても「蕚筒(ガクトウ(花を支える部分))まで撮ったことがない。また、ヤマザクラとエドヒガンザクラの区別も知らないので「サクラの絵本(農文協:勝木俊雄編2015年12月25日第1刷)」に見分け方から引用してみた。

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図2−サクラの見分け方

 図‐2の説明文によると「花の色や大きさ、蕚筒や、蕚裂片(ガクレツヘン)の形、花序(カジョ:花のつき方)、若葉の色に注目することで、どの種かみわけることができる」と解説している。
 また、日本の10種の野生種として、ヤマザクラ、オオシマザクラ、大ヤマザクラ、カスミザクラ、エドヒガン、タカネザクラ、チョウジザクラ、マメザクラ、ミヤマザクラ、カンヒザクラの詳細な写真と説明文が載っている。

「箕面市体験学習の森」には、ヤマザクラ、エドヒガン、カスミザクラが生えているので、上記の本から引用してみた。

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図3 ヤマザクラの見分け方

 ヤマザクラ(山桜)は「染井吉野が広まる以前は、もっとも身近なサクラで、花は白く、葉が開くとともに咲く。オオヤマザクラより花柄(カヘイ)が長く、蕚筒や若葉は赤茶色」と説明している

 エドヒガン(江戸彼岸)は「春の彼岸のころに咲くので『彼岸桜』トモ、古くから神社や寺の境内に植えられ、老木や大木が多い。花のあと葉が開く。蕚筒のぷっくりした膨らみとくびれが特徴」と説明している。

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図4−エドヒガンの見分け方

 体験学習の森のカスミザクラ(霞桜)は今月23日の活動日には咲いていることを期待して見分け方を引用してみた。
「ヤマザクラに似ているが、花柄や葉柄(ヨウヘイ)に毛が生えていることが多い。そのため『毛山桜』ともよばれる。開花はヤマザクラよりもおそい。蕚筒や若葉は緑色」と説明している。

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図5−カスミザクラの見分け方

たてかわ桜はエドヒガン系


 上記で引用した「サクラの絵本」を参考にして今まで撮っていたサクラの写真で確かめてみることにした。
 京都の真如堂へ行ったときに撮った「たてかわ桜」はエドヒガン系で接近して撮っていたのを思い出した。

 「たてかわ桜」の解説板(写真10)から一部を引用してみると「この桜は普通の桜と違い、松の皮に似て縦に表皮が走ることから『たてかわ桜』の名があります。元は、直径1メートル余の巨木でしたが、1958年の伊勢湾台風で折れ、接ぎ木によって息を吹き返しました。今では毎春やや小振りで白い清楚な花を咲かせるようになっています……」と解説していて、「エドヒガン系」と書いていた。

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写真10 「たてかわ桜」の解説板

 真如堂の広い園内に咲いていたエドヒガン系の「たてかわ桜」を撮ってきた。

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写真11 真如堂とたてかわ桜(2010年3月28日撮影)

 写真12は「たてかわ桜」の花を接近して撮っている。上記の解説で花の色から「エドヒガン」と判断できるのではないかと思う。

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写真11 エドヒガン系のたてかわ桜

妙見山のエドヒガン群落


 毎年春と秋に妙見山のクッキング・センターでバーベキューに出かけている。4月の中旬の妙見山は桜が見ごろである。
 ヤマザクラだけでなく、エドヒガンザクラの群落があり、オオシマザクラも咲いている。
 「エドヒガンザクラの群落は猪名川上流域に限られていて、その群落の貴重さは兵庫県レッドブックのBランクに指定されていて絶滅が危惧されている」と「黒川字奥瀧谷・エドヒガン群落」の解説板が設置されている。

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写真12 妙見山のエドヒガン群落(2015年4月16日撮影)


 妙見山には4月20日にハイキング仲間とクッキング・センターでバーベキューを楽しむことにしている。
 ケーブルカーの頂上駅からクッキング・センターの道沿いには、エドヒガンの他にオオシマザクラ、カスミザクラも近づいて見られるので蕚筒や花序などを観察していきたいと思っている。

(平成28年4月19日)

第219話 サクラの苗木を植える[2016年03月29日(Tue)]

 3月の最終土曜日26日の活動日、彼岸が過ぎたというのに肌寒く10時前の勝尾寺への三叉路の路側温度は6℃を示していた。昼前には春の日差しが照りだして過ごしやすい作業日になった。23人が参加して搬入してきた炭材用竹の整理などを行うとともに、山麓保全委員会からもらったサクラの苗木8本を植樹した。

 昼食後、「だんだんクラブ」の総会が行われ、27年度の活動報告、会計報告とともに28年度の世話人が選出された。
 今年90歳になるFさん、膝を痛めている83歳のIさんは、ともに吹田市内から来ていて27年度で退会するという。
 加藤代表の送迎の心遣いで参加してくれた。今後、退会しても月に1度くらいは、「送迎するので顔を出してほしい」と代表のやさしい言葉にかけられた。

 サクラの苗木の植樹場所選定

 だんだんクラブの活動拠点の体験学習の森には、だんだんクラブの活動範囲は、市有林「体験学習の森」で25万平方メートルと広い中で、ヤマザクラやウワズミザクラ、カスミザクラの大木が結構生えているが、エドヒガンはたった1本しか自生していないだけに今回エドヒガンの3本の植樹はありがたい。

 貰った苗木はエドヒガン3本、ヤマザクラ5本は、植物観察などに詳しいNさんに周辺を見極めて場所の選定してもらった。たった8本でも、周辺の木々とのバランスを考慮すると、地図1のように散らばった場所になった。

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地図1 体験学習の森の活動図と桜の苗木植樹場所


 ウィキペディアによると「エドヒガン桜は、ヤマザクラと共に樹齢2000年を超えるといわれる神代桜や樹齢1500年を超える薄墨桜、樹齢1000年と言われる樽見の大桜、その他にも樹齢300年を越える石割桜などが有名である」と言われているので、活動拠点の豚汁広場の近くに2本を植えることにした。

豚汁広場に植樹したエドヒガンザクラ・1

 地図1でエドヒガン1・2の内、豚汁広場上側(写真1)の真ん中の二股の枝の木はモモの木で、エドヒガンの長寿に比すればいずれ伐採されるだろう。その左側の支柱に金網をまいた場所にエドヒガンを植えた。

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写真1 桃の木の前に植えたエドヒガンザクラ

 写真1の左端のヘキサチューブの木は、最近植樹した河津サクラである。
この周辺には、20年近く経ったクヌギが大きくなりすぎて、最近根元から伐採したばかりである。炭窯近くにはヤマザクラの木が生えている。

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写真2 炭窯の北側のヤマザクラ〈20016年3月26日撮影〉

 写真2の少し登った北側にはウワズミザクラが植わっている。

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写真3 ウワズミザクラ〈2010年5月1日撮影〉

豚汁広場に植樹したエドヒガンザクラ・2

 地図1の豚汁広場のやや下に植樹した場所はカスミザクラが植わっていて、クリーンセンターへの進入路のソメイヨシノが咲いた3週間後くらいに満開になる。

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写真4 豚汁広場のカスミザクラ(2010年5月1日撮影)

 豚汁広場の南寄りで渓流沿いの山道にはカスミザクラの並木になっている。その空きスペースに今回のエドヒガンの苗木を植えた。

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写真5 カスミザクラの間に植樹したエドヒガン


残り6本のサクラの植樹

 豚汁広場のエドヒガンの植樹は豚汁広場でスムーズに植樹できたが、残りは「七曲り」や「小鳥の水場」など、以前から生えているヤマザクラとのバランスを考慮した場所になった。

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写真6 「七曲り」の斜面にエドヒガンを植樹

 また、「小鳥の水場」の上の斜面に植樹したヤマザクラ7は別班でネズミモチを伐採した横に植えた(写真7)。

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写真7 ネズミモチを伐採した横に植樹

 ヤマザクラ8は次週4月の活動に、写真8の中央のシロダモの木を伐採した横に植えることにしている。

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写真8 シロダモを伐採した後に植えるヤマザクラ

体験学習の森のサクラ

 上記に書いたように、体験学習の森には、ヤマザクラを中心に、ウワズミザクラ、カスミザクラが植わっている。

 この森の唯一エドヒガンザクラは、地図1の石庭の上の等高線が密になっていて近寄れない崖に生えている。豚汁広場の標高340mから石庭標高460mなので120mの標高差ではあるが、石庭道は落石が多く、山道の整備もままならないので近づきがたい場所である。

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写真9 大きな石が点在する石庭

 エドヒガンの満開と活動日とのタイミングが合わないのでシャッターチャンスは少ない。

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写真10 満開のエドヒガン(2009年4月12日撮影)

春本番の4月中旬には、石庭道の東側の斜面にはヤマザクラが満開になる(写真11)。

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写真11 4月中旬にはヤマザクラが満開

 だんだんクラブの前身の「もりもりクラブ」時代に豚汁広場に植樹したクヌギは、およそ20年が経ち大きくなってきて世代交代に入り、昨年から豚汁広場付近のこのクヌギを伐採し始めた。
 今回その空きスペースにエドヒガンを植えることができた。

 やがて植樹したサクラの苗木が成長したころ、今まで育ってきたヤマザクラ、ウワズミザクラ、カスミザクラに加えて、河津ザクラや長寿のエドヒガンが豚汁広場周辺は今までにましてサクラの花が彩りを添えるだろう。
 そして、私たちの時代から数十年後、いや数百年経ったころの豚汁広場は、現在のクヌギに替わって何種類ものサクラの咲き競い、名所になるのではないかと期待している

(平成28年3月29日)


第218話 新聞記事などに見るウグイスの話題[2016年03月23日(Wed)]
 箕面市街地での今年のウグイスの初鳴きは3月4日だった。
 我が家は大阪大学・千里学舎の北側にあり、周辺は箕面市と吹田市、茨木市の境界はこんもりとした林になっている。その林に生息しているのだろう。ウグイスは毎年3月初めからで「ホーホケキョ」と聞かせてくれる。今朝も近くで「ホケキョ、ケキョ」と聞こえていた。

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写真1 箕面・吹田・茨木の市境界の公園

 この時期には箕面市体験学習の森でもウグイスの鳴く声を聞けるが、だんだんクラブの活動日は月に3回(炭焼きのある日は日曜日の窯止めのため5日になる)なので初鳴きは観測できないでいる。

ウグイスの初鳴日(しょめいび)


 気象庁では「生物季節観測の情報」を出している。その概要を見ると、「全国の気象官署で統一した基準によりうめ・さくらの開花した日、かえで・いちょうが紅(黄)葉した日などの植物(植物季節観測の多くは標本木で実施)や、うぐいす・あぶらぜみの鳴き声を初めて聞いた日、つばめ・ほたるを初めて見た日などの動物季節観測を行っている。植物ではうめ、あじさい、いちょう、かえで、である。

 うぐいすの初鳴日とは、春にうぐいすが「ホーホケキョ」とさえずるのを初めて聞いた日を言う。気象庁のネットには神戸が2016年で3月10日(平年は3月12日)、京都では平年が3月1日だが、2016年は未だ記載されていない。

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写真2 西宮市東山台にて(後輩のMさんから提供)

 因みに、3月5日の朝日新聞に「消えたトノサマガエル 生物の観測、都市化で休止相次ぐ」で、この生物季節観測の情報からトノサマガエルが消えたことが掲載されていた。

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図 生物季節観測の対象動植物(朝日新聞から引用)


 トノサマガエルについて、平成26年7月22日に公開した「第198話 体験学習の森の生き物たち・続き」の中で、勝尾寺川支流の昭和60年治水事業の砂防堰堤で見つけたトノサマガエルの写真を掲載したが、産経新聞夕刊2014年7月8日の第一面で「トノサマガエル もはや希少種!?」の記事には、平成24年度には環境省のレッドリストに「準絶滅危慎種」として新たに記載されたという。

 上記朝日新聞の続きには「東京・大手町の東京管区気象台では2011年、6種の観測をやめ、ウグイス、ツバメ、シオカラトンボ、アブラゼミ、ヒグラシの5種類に絞った。ただ『春告鳥(はるつげどり)』とも呼ばれるウグイスの鳴き声は2000年を最後に確認できないという。地方都市でも変化が見られ、広島地方気象台は2013年以降、ヒバリの初鳴の記録がない。甲府地方気象台のヒグラシの初鳴は2013年が最後だ」と書いていた。

「ホーホケキョ」競争なければ消える?


 昨年5月11日付朝日新聞夕刊に「『ホーホケキョ』というさえずりは、競争のない環境いると数十世代で『ホーホピッ』など単純な節回しに変化してしまうとする研究結果を、国立科学博物館の浜尾章二・脊椎動物研究グループ長が米科学誌に発表した」の記事が掲載されていた。それによると「このさえずりは、オスが繁殖期に発する。緒張りを確保してメスを引きつける役割があり、複雑なほうが有利に働くことが知られている。この実験はハワイ・オアブ島と日本のウグイスのさえずりを分析したもので、オアブ島のウグイスは、通年同じ場所にとどまり暮らしているのに対し、日本のウグイスが季節ごとに移動して春先に繁殖地で縄張り争いをして、競争社会にさらされている。日本でも小笠原初島では単純なさえずりになる傾向がある。ハワイで野生化しているウグイスは、日本から約80年前に複数回持ち込まれたという記録が残る。
 研究グループは2010年春、ハワイのオアブ島にいるウグイス24羽のさえずりを録音すし、競争のない環像にいると数十世代で『ホーホピッ』など単純な節回しに変化してしまうとする研究結果」である。

 浜尾グループ長は「環境に応じて、さえずりがこれほど短期間で大きく変化してしまうとは驚きだ」という。

 日本は四季の変化がはっきりとしているし、列島が南北に長いのでいろんな個性を持ったウグイスが競争社会の中で生存していることで味わいのある鳴き声を味わえるのは幸せである。

勝尾寺川支流のドロノキ周辺

 だんだんクラブの活動拠点の豚汁広場の東の茨木市との境界沿いに勝尾寺川支流が流れている。周辺の景色に彩りを添えているだけでなく、鳥たちが集まってくる場所でもある。
昨年2月初旬に、この渓流にジョウビダキがやってきて撮ったのが写真3である。 

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写真3 勝尾寺川支流にやってきたジョウビダキ


 この渓流の流れの中にドロノキの大木が生えている。そのドロノキは2月ころには写真4のように葉っぱを落としている。

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写真4 勝尾寺川支流のドロノキ(2016年2月6日撮影)

 このドロノキの周辺はブッシュになっていて、だんだんクラブの具体的な活動の中に「鴬、冬鳥等のために谷川に沿っての藪は残す」ことにしていて、昨年2月初旬の写真5のジョウビダキはブッシュの中に出たり入ったりしていた。

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写真5 ブッシュは小鳥の隠れ処

 数年前にこの渓流でやぶの中をパッパッパと活発に動きながら葉にいる昆虫を捕えているウグイスを撮ったことがあるが、残念ながらそのファイルを見つけることができなかった。代わりにMさんの西宮市東山台のブッシュの中のウグイスを写真6で使わせてもらった。

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写真6 ブッシュの中のウグイス(東山台のMさん提供)

 このドロノキも3カ月もすると、葉っぱが生い茂って渓流沿いは、日陰ができ渓流に沿う涼風で手ごろな休憩場所になっている。

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写真7 葉っぱが生い茂ったドロノキ(2015年5月2日撮影)

 2月の第4週の活動日に、Tさんは野鳥観察ブックを持ってきていて、「ドロノキの近くでじっくり座って観察していると、小鳥がやってきて良い写真が撮れるよ」とアドバイスしてくれた。このドロノキには小鳥が集まってくる場所でもある。

鶯(ウグイス)と鷽(ウソ)

 2016年1月30日の天声人語に「鷽も嘆く悪辣詐欺」で学門の旧字体學の下の「子」を「鳥」に替えた「鷽」の字を「ウソ」と読むとは知らなかったし、鳥そのものも知らなかった。
漢字の「鶯」は、「栄」「営」「蛍」の旧字体の「榮」「營」「螢」に対し、「鷽」は「学」の旧字体「學」の旁(つくり)の「子」を鳥偏にした鳥の名前・ウソになっている。鳥偏旁をネットで調べると、170字ほどもあった。

 天声人語の冒頭部分は、「紛らわしいけれど、なりすましたり騙(だま)したりしているのではない。『鷽(うそ)』はしばしば『鶯(うぐいす)』と読み間違えられる。菅原道真に ゆかりの鳥で、今月は各地の天神様で『鷽替(うそか)え神事』があった。鳥の名にちなみ、去年あった凶事を『うそ』にして幸運を招くいわれである▼去年に 買った鷽の木彫りを神社に納めて、新しいものに買い替える。ありがたいことに、去年ついたうそも全部帳消しにしてくれるそうだ」と書いていた。
「鷽は、學の冠を被る鳥で、神社は学問の神様・菅原道真たとえられることも」とは、ネットの検索で見つけたコメントである。

「里山の自然」の写真集CDを送ってくれたMさんの「周辺の野鳥」にウグイスの次にウソの写真があった。

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写真8 身近に見かける「鷽」(東山台のMさん提供)

 日本の野鳥図鑑(松田道生=監修:ナツメ社)の「ウソ」によると、「ウソのような名前の由来は鳴き声にあります。『口をすぼめて息や声を出す』意味の『嘯(うそぶ)く』にちなんでいます。この鳥の鳴き声は、聞くとわかりますが、口笛のようにやわらかな音質です。その声は四季を通じて聞くことができます。
 イカル同様、数つがいが隣り合って繁殖し、一年を通じて群れでいるため、やはり群れの意思伝達のためによく鳴くようです。すぐ近くで見ることもできますが、そんなときは警戒して鳴き声が強くなります。冬は、葉を落とした木に止まり、小さな嘴(くちばし)で芽をついばむようすを観察できます」と解説している。

切手に見る「ウソ」と「うぐいす」


 切手の中にネット(緑水庵)鳥の普通切手があったので、引用させてもらった。

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 写真9 鳥の普通切手(ネット緑水庵から引用)


 郵便局で130円の「ウソ」の切手を問い合わせたが、現在は浮世絵の切しかないという返事だった。
 かつて、切手の収集をしていたことがあって調べてみたが、主に記念切手の収集だったので持ち合わせていなかった。たまたま10円切手のうぐいすが見つかった。1964年2月10日発行である。

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写真10 うぐいすの切手

 130円の「ウソ」の切手はネットから引用させてもらった。

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写真11 130円の「ウソ」の切手


鳥や昆虫が激減している!


 上記の初鳴日の中で、「東京管区気象台ではウグイスの鳴き声は2000年を最後に確認できない」というし、「広島地方気象台は2013年以降、ヒバリの初鳴の記録がない。また、甲府地方気象台のヒグラシの初鳴は2013年が最後だ」という。

 そんな折、3月17日付朝日新聞朝刊に「稲作用農薬 トンボ幼虫減った」の見出しで、「稲作では、作物の根から吸い上げられ、食害した虫を殺す『浸透移行性殺虫剤』という農薬が広く使われている。毒性は低いとされているが、トンボなどの減少傾向との関係が指摘されるネオニコチノイド系農薬も含まれる。殺虫成分の水中濃度は分解して急速に減少したが、土壌中には長く残っていた。水底にすむヤゴが影響を受けた可能性がある」と指摘していた。

戦後食糧難で夏休みは田舎で過ごしていたころ、水田の周りに赤旗が立てられ「パラチオン農薬散布で近寄ると危険だ」と言われた時代を思い出したが、最近の米作りでは、農薬散布による危険区域の表示は見られなくなった。

 近年秋の田んぼに見られた赤トンボが激減していると言われて久しい。田んぼの草取りの風景が見られなくなった代わりに、秋の田んぼの周りで赤とんぼが飛んでいる田園風景もなくなりつつある。
 その原因に上記記事によると、浸透性殺虫剤が考えられるという。
昆虫を食する鳥たちは、食べ物の昆虫が減っていくため生存の危機に陥りかねない。ひいては人間にも食物連鎖の影響が及んでくることも考えなければならないだろう。

(平成28年3月23日)


第217話 棟梁との話から「木目・笹杢、鳥の減少」[2016年02月25日(Thu)]
 2月13日の活動日は天気が荒れる予報だったが、10時半頃外を見ると陽が照っていたので急いで「体験学習の森」へバイクで走った。
 勝尾寺との三叉路の路側温度は14℃で比較的暖かい日であった。先週6日の同じ場所での10時過ぎの気温が5℃だから、春に向かって季節が進んでいるのを実感しながら登って行った。

 森への入口でIさんと出会った。「膝が痛くなってきて作業ができなくなったので、今退会の挨拶をしてきた」と話してくれた。Iさんは魚釣りが得意でダム湖に鯉がいたころ、昼休みに鯉を釣り上げて下流に放流してくれたことがある。鯉は雑食なのでこのダム湖で産卵するモリアオガエルの餌食から救ってくれたりしただけに残念である。
 そういえば、90歳に近いFさんも先週に「車の運転ができなくなってきたので退会する」と挨拶されていた。
 
 豚汁広場近くでは、炭材作りの作業場所の整備やクワガタ山の植樹した後の手入れなどの作業をしていた。

代表的な木材の木目


 昼食時に、私の横に座った棟梁に、ブログに年輪のことを書いたと話したら「笹杢(ささもく)は知らないだろう」と解説してくれた。
 木目の紋様で、特に装飾性の高い美しいものを杢 (もく) と呼んでいる。
 笹杢ことに関連して、前回のブログで使用した「木を使う・木に親しむ(MORIMORIネットワーク編・日本の林業A)」には、代表的な日本の木材として12種類の木目の写真と解説が掲載されていたので、上記の本を引用して紹介することにした(図−1)。

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 図‐1 代表的な日本の木材の木目

 木目は木の種類によって色艶や、強度、かたさ、湿気に対する強さなど異なる。図−1のクリは、とても重くてかたく、強度もあり、湿気に強いので建築材として使われている。かつて鉄道の枕木はクリ材が使われていた。現在ではコンクリート枕木に代わっている。

 スギは就職した昭和34頃の建設現場では足場には杉丸太が使われていたが、そのころから鋼管パイプが使われ始め、今では建設現場での杉丸太は見られなくなった。
しかし木造建築では、柱や梁などの構造材(建築物の骨組みに使われる木材)や、たるやげたなどの生活用品に使われ、現在でも、もっとも多く使われている。
 スギは、この体験学習の森でも戦後に植林されたものが豚汁広場のすぐ北に残っている(写真1)。

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写真1 体験学習の森の中の杉

 ヒノキ林も体験学習の森でも戦後植林されてきた。写真2は今から8年前の3月に撮ったものである。

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写真2 体験学習の森のヒノキ林

 豚汁広場の標高が340mで、ヒノキ林は標高500m近くあり、急な坂を登っていくのでその体力もなくなり、今では私は行くことはない。このヒノキ林は数年前に失業対策だとか言っていたが、先週6日の活動日にヒノキ林で作業したSさんの話では切り倒したまま放置された状態になっているという。

 戦後の復興で木材の需要の高まりでスギやヒノキが植林されたが、産業構造の変革もあって戦後に植林された樹が放置されているケースが多く、この森のヒノキ林は搬出手段もないので致し方ないのかもしれない。

 ヒノキは白っぽく、なめらかでつやのある美しい木目が特徴で、丈夫、真っ直ぐで加工しやすく、製材後のくるいが少ない、湿気に強くて腐りにくい、さわやかな良い香りがするなど、多くの長所があるので、古くから建築物に使われてきている。

杢(モク)

 ネットで「天然林の造形美 杢の種類」には、解説とともに杢の写真が載っているので引用してみた。ブナ科の虎斑やメープル等に現れる鳥眼杢、トチ、シカモア等の縮み杢の他、縞杢、葡萄杢、牡丹杢、鶉杢、如鱗杢などがある。 何れも、製材したときに稀に現れるもので、希少価値が高い。

 笹杢は笹の葉が折り重なったような先の尖ったギザギザ模様の杢。杉の老木などにまれに現れ、和室の天井版や障子の腰板などに珍重される」と解説している。 

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図−2 杢の種類

 「天然林の造形美 杢の種類」には18種類の「杢」が木目とともに解説されているが、図−2に9種類を引用してみた。

鳥がいなくなっている

 86歳の棟梁と食事をしながら「笹杢」の話が終わったら「何か気がつかないか」という。
「この時期になればウグイスの啼き声が聞こえるはずなのに、鳥がいなくなったからだ」と話してきた。「ウグイスは未だ早いのではないか」と答えたが、棟梁は小鳥が減ったことを再三訴えてきている。

 時々棟梁の書いたエッセイを読む機会がある。昨年の春分の日に書いた「蓑虫に事よせて」を、抜き書きしてみると
 「今から20年ほど前に蓑虫の話を書いたことがる。平成3年か、4年ごろだろうか、蓑虫が居なくなったことに気が付いた。これは野鳥たちにとって大変なことになるのではないかと思った。ウグイスやメジロなどは、春一番のたんぱく質が必要な食べ物だからである。『梅に鶯』というのは、鶯は梅の花を愛でに来ているのではなく、梅の花が咲くころになれば陽気に誘われて蓑虫が巣から出てくるので、そのタイミングにウグイスが食べに来るのである。梅だけでなく、桃や桜、アンズなどの木に蓑虫の巣がたくさんぶら下がっていたが、今ではまったく見られなくなってしまった。今では毛虫や昆虫など小鳥の餌になる虫類は農薬などの所為で居なくなってきている。野山に棲んでいる小鳥たちは、雛を育てるのに生の虫や昆虫が必要で、野鳥が減ってきているのは、そうした背景が原因であると私は思っている……」と書いていた。

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写真3 大阪市内屋上庭園のミノムシ

 写真3はテレビで大阪市内の屋上庭園に珍しくミノムシが居ると放映されてその写真を送ってもらったものである。

 ミノムシが居なくなったとの指摘を受けて、ハイキング仲間と京都鴨川の河川敷の木々を調べ、上流の下賀茂神社の糺の森で作業を聞いてみたが、まったく見つからなかった。

 2013年2月8日のブログ・第174話「雀と蓑虫」の中で、ウィキペディア「ミノムシ」のつづきに、「オオミノガを初めとして日本ではミノムシは広く見られる一般的な昆虫であったが、1990年代後半からオオミノガは激減している。原因は、オオミノガにだけ寄生する外来種のヤドリバエ亜科のオオミノガヤドリバエである。蓑当りの寄生率は5割〜9割に達する。寄生率は九州に近くなるほど高いため、中国大陸から侵入したと考えられている……外来種のヤドリバエによる寄生により生息個体が激減しており、各自治体のレッドリストで絶滅危惧種に選定されるようになってきている」と書いていた。

 2月の活動日の6日と、13日にはスギ林を登って小鳥の水場から関電鉄塔道の1周を回るコースで観察しているとき、勝尾寺川支流のこんもりした森から鳥の鳴き声が聞こえるし、草むらから飛び立つ小鳥も見かける。デジカメで狙いを定めても撮れたためしはない。

昨年2月7日には豚汁広場の少し下ったドロノキ近くの渓流にそうした中でジョウビダキが来ていてデジカメで撮れた写真1を思い出したので、2月に入って2階の活動日に観察してみたが、今年は厳しい寒さが続いたためか、見つけられなかった。

 棟梁は岡山県の山村で育ち、山や川で思う存分自然に親しんでいるので、鳥が昔に比べて減ったという比較ができるが、都会育ちの私にはその比較は難しい。

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写真4 渓流にやってきたジョウビダキ〈2015年2月7日撮影〉

高齢化で姿消す野鳥


 帰宅してパソコンの鳥のファイルのなかに、2009年4月20日の毎日新聞の記事に「高齢化で姿消す野鳥」を見つけたので全文を引用してみた。
記事によると、「『林業停滞で荒れ放題<森林>』に、国内の森林面積は1970年代から変わらないのに、鳥類の生息域が大幅に減少していることが、森林総合研究所の山浦悠一・特別研究員(森林保全生態学)らの調査で分かった。林業の停滞で明るく若い森が減って、それを好む鳥が減ったのが原因とみられる。森林の変化が生態に影響を及ぼすことを示しており、森林対策の充実が急がれそうだ。今月の英専門誌に発表した。【江口一】

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 研究チームは、環境省が1978年と1997〜2002年に実施した鳥類の分布調査を基に、この間の森林の状態と、夏季に日本で過ごす渡り鳥(夏鳥)や年間を通して国内で暮らす留鳥の計103種の生息域の変化を分析した。若い森を好む鳥類には夏鳥のカッコウや留鳥のモズ、ムクドリなどがいる。冬鳥はまだ調べていない。
 その結果、樹齢8年未満の若い森林に暮らす留鳥の生息域は11%、夏鳥は27%それぞれ縮小したことが分かった。一方で、樹齢8年以上の成熟した森にすむ留鳥の生息域は9%増えた。夏鳥では17%減だが、若い森より減少率は小さかった。
 この間、国内の森林面積は約2500万ヘクタールで推移しているが、木材の量である「森林蓄積」は、1970年代の約20億立方メートルから2000年には約40億立方メートルと倍増、成熟した森林が増えていた。若い森が少ないと、日光が地表まで届かないため、草などが生えず、昆虫も減る。昆虫を餌としている鳥にも影響を与えたとみられる。
 さらに、夏鳥の越冬地である東南アジアでも1,990〜2000年で森林全体の11%に当たる約2800万ヘクタールが開発などで失われており、夏鳥減少の一因と言われている。
 山浦さんは『森林は人が手入れするかどうかで様相が異なる。その結果、成熟した森と若い森ではすむ鳥も違う。生物多様性を維持するには、国内外で樹齢や樹種などが多様な森にすることが重要だ』と話す」と、林業の停滞で手入れが行き届かず、荒れ放題になった森林が餌になる昆虫の減少につながり、鳥に影響していると指摘してされていることに納得ができた。

 鳥が減っているという指摘で思い出したのは、2007年に現在の炭窯が稼働したころは、その炭焼きの日の18時の閉門前に80℃から120℃に維持できるように空気量を極端に減らし、翌朝クリーンセンターが開門になる7時ころから空気量の調節に出かけていた。

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図‐3 炭焼きの時間経過と温度変化図

 そんな早朝に自然観察員がこの森で鳥の観察に来ていた。自然観察員は「鳥の数が減ってきている」と話していた。

 常に自然観察を心がけている棟梁が「蓑虫が居なくなった」などの具体的な事例が積み重なって全体的な傾向を見つけることも必要だが、上記の新聞記事「国内の森林面積の経年変化と林業停滞で荒れ放題」の中で、「林業の停滞で明るく若い森が減って、それを好む鳥が減ったのが原因とみられる」という指摘は長期的なスパンでの研究所成果である。

 箕面だんだんクラブの活動の具体例として、「植生の自然推移を中断し、明るい森を作るために、間伐、除伐をする」があるので、こうした研究成果を大いに活かした森林保全の
活動を心がけていきたい。

我が家の近くには大阪大学千里学舎の森に棲むウグイスが毎年春先に聞くことができる。体験学習の森でも活動日にウグイスの啼き声を聞くことができる。
 今週末の活動日27には、ウグイスやジョウビダキなどの小鳥を観察することができるだろうか。次回はウグイスの話題を取り上げてみたいと思っている。

(平成28年2月25日)
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