安心・信頼をキーワードにブランド日本を切る?
[2009年05月30日(Sat)]
今日はブランドのシリーズ3回目。
ブランドありき(ブランド戦略は企業戦略として不可欠との前提)でブランド問題は語られやすいが、本当だろうか?日本は、グッチ、エルメスなどの高級ブランド愛好国だが、それをもって、日本市場でのブランド戦略の有効性、必要性が支持されるのだろうか?
そういう問題意識からブランド問題を考えてみようと議論をはじめた。
まず、なぜ、日本人は高級ブランドが世界でも突出して好きなんでしょうか?と問う。ウォーミングアップだ。「手軽にステイタスをあげるために・・・」と答える塾生。私は「ステイタス?皆さんは自分のステイタスをあげるとき、どういう小道具を使うんですか?」と突っ込む。そういうやりとりの中から、かつて男性を評定する基準だった三高(身長の高さ、学歴の高さ、所得の高さ)もブランド?なんて話に展開。大名塾の面白さは、この種の予想外の展開にある(笑)。
ウォーミングアップを終え、MLで事前に課題としてだしていた、安心と信頼をどう使い分けていますか(いないのか)についてたずねる。安心は「ある状況」、信頼は「こちらからの働きかけがあってそれに対する相手の対応に関する認識」といった鋭い指摘が最初からでてくる。
ここで、山岸俊男氏の定義に準拠した安心、信頼を紹介する。社会において、相手が自分を騙したり卑しめる不確実性の中でわたしたちは生きている。何かをする、何かを身につける、何かを持つとき、その「何か」によって人は人を評価し行動する(誉める、仲間にいれる、悪口をいう、けなす、いじめる等々)。何かと他者に対する評価・行動の間に不確実性がない社会は「安心」社会である。
他方、その「何か」と他者に対する評価・行動との間に不確実性があるとき、人には何らかの情報処理や学習、決断が求められる。こういう社会を「信頼」社会といっておく。他者の評価・行動に対するある期待は裏切られるかもしれない。裏切られるかもしれないが(不確実性があるが)、ある期待を相手に抱くのは、相手を「信頼」するからである。
安心社会では人間に対する観察眼や目利きのセンスは必要とされない。あるもの、ある行為に対する評価・行動が決まっているからである。あるいは、個々人の裁量を超えた共通の価値観・世界・モラル・ルールが形成されやすいからである。何をしたらいいか、いけないかが与件として決まっている(決まりやすい)社会が安心社会である。
日本は、社会心理学の実験が明らかにしてくれたように、安心社会に分類される(たとえば米国と比較するとき)。ブランドにひきつけていうなら、あるブランドに対する評価(それを身につけたら、他人からどう思われるか)が社会的に共有されやすい社会である。個々人の情報処理能力、学習能力、判断力を経ずに、ブランドの価値が与件的に決まってしまう。
海外の有名ブランドだから、ハリウッドスター御用達だから、大企業の商品だから、有名デザイナーがつくったものだから・・・・・・・こういう理由で(理由だけで)、いとも簡単に、ブランドが形成される社会だとしたら・・・・・。こういう社会とそうではない社会ではブランドそのものの成り立ちが違うだろうから、企業のブランド戦略はそのことを考慮すべきではないか・・・・・議論はそういうに方向に進み、そもそも誰を相手にするか(安心希求型か信頼希求型か)によってブランド戦略の必要性も展開の仕方も違ってくる可能性が浮き彫りになった。
では、セレクトショップの誕生・成長拡大は、日本が安心社会から信頼社会へ移行しつつある(信頼希求型消費者が拡大している)ことの証なのか?残された課題となった。
ブランドありき(ブランド戦略は企業戦略として不可欠との前提)でブランド問題は語られやすいが、本当だろうか?日本は、グッチ、エルメスなどの高級ブランド愛好国だが、それをもって、日本市場でのブランド戦略の有効性、必要性が支持されるのだろうか?
そういう問題意識からブランド問題を考えてみようと議論をはじめた。
まず、なぜ、日本人は高級ブランドが世界でも突出して好きなんでしょうか?と問う。ウォーミングアップだ。「手軽にステイタスをあげるために・・・」と答える塾生。私は「ステイタス?皆さんは自分のステイタスをあげるとき、どういう小道具を使うんですか?」と突っ込む。そういうやりとりの中から、かつて男性を評定する基準だった三高(身長の高さ、学歴の高さ、所得の高さ)もブランド?なんて話に展開。大名塾の面白さは、この種の予想外の展開にある(笑)。
ウォーミングアップを終え、MLで事前に課題としてだしていた、安心と信頼をどう使い分けていますか(いないのか)についてたずねる。安心は「ある状況」、信頼は「こちらからの働きかけがあってそれに対する相手の対応に関する認識」といった鋭い指摘が最初からでてくる。
ここで、山岸俊男氏の定義に準拠した安心、信頼を紹介する。社会において、相手が自分を騙したり卑しめる不確実性の中でわたしたちは生きている。何かをする、何かを身につける、何かを持つとき、その「何か」によって人は人を評価し行動する(誉める、仲間にいれる、悪口をいう、けなす、いじめる等々)。何かと他者に対する評価・行動の間に不確実性がない社会は「安心」社会である。
他方、その「何か」と他者に対する評価・行動との間に不確実性があるとき、人には何らかの情報処理や学習、決断が求められる。こういう社会を「信頼」社会といっておく。他者の評価・行動に対するある期待は裏切られるかもしれない。裏切られるかもしれないが(不確実性があるが)、ある期待を相手に抱くのは、相手を「信頼」するからである。
安心社会では人間に対する観察眼や目利きのセンスは必要とされない。あるもの、ある行為に対する評価・行動が決まっているからである。あるいは、個々人の裁量を超えた共通の価値観・世界・モラル・ルールが形成されやすいからである。何をしたらいいか、いけないかが与件として決まっている(決まりやすい)社会が安心社会である。
日本は、社会心理学の実験が明らかにしてくれたように、安心社会に分類される(たとえば米国と比較するとき)。ブランドにひきつけていうなら、あるブランドに対する評価(それを身につけたら、他人からどう思われるか)が社会的に共有されやすい社会である。個々人の情報処理能力、学習能力、判断力を経ずに、ブランドの価値が与件的に決まってしまう。
海外の有名ブランドだから、ハリウッドスター御用達だから、大企業の商品だから、有名デザイナーがつくったものだから・・・・・・・こういう理由で(理由だけで)、いとも簡単に、ブランドが形成される社会だとしたら・・・・・。こういう社会とそうではない社会ではブランドそのものの成り立ちが違うだろうから、企業のブランド戦略はそのことを考慮すべきではないか・・・・・議論はそういうに方向に進み、そもそも誰を相手にするか(安心希求型か信頼希求型か)によってブランド戦略の必要性も展開の仕方も違ってくる可能性が浮き彫りになった。
では、セレクトショップの誕生・成長拡大は、日本が安心社会から信頼社会へ移行しつつある(信頼希求型消費者が拡大している)ことの証なのか?残された課題となった。



