日本財団公益コミュニティサイト CANPAN CANPANブログ:公益法人,NPO,CSR,社会貢献活動のための無料ブログ

2008年04月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
石丸美和
大名塾のルール (06/27)
cf05台
Going Your Way (07/07)
 kaori です。
ボトルネックはどこ? (05/09)
kaoriです。
ボトルネックはどこ? (05/09)
田村です
ボトルネックはどこ? (05/09)
田村です
ボトルネックはどこ? (05/09)
ハタノ
大名塾って。 (04/23)
ひょーこです。
大名塾とのつきあい方 (04/14)
最新トラックバック
アブダクション2 [2008年04月10日(木)]
アブダクションの続きです。

作家、橋本治。古典を現代風に翻訳した作品を多く輩出しています。彼こそがアブダクションを実践されています。

「情報編集力をつける国語」(藤原和博、重松清、橋本治。ちくま文庫)の第3章は橋本氏によるものです。そこで橋本氏は、徒然草を例に得意の推論を披露します。

徒然草で一番有名なのは書き出しの、「つれづれなるままに日くらし硯に向かいて、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」である。これが橋本流の訳になると、「退屈でしょうがないから、一日中硯に向かって、心に浮かんでくるどうでもいいことをタラタラと書きつけていると、へんてこりんな感じがホントにアブナイんだよなア」となる。

兼好法師の置かれた状況やキャリアに照らすとき、かつこの600年、700年で人間はそう変わっていないとのスタンスにたつとき、橋本氏は、「隠者の文学」といわれる徒然草の書き出し部分を書いたのは、兼好法師が、通説の「枯れたおじさんあるいはおじいさん」ではなく、「若い頃」だったと推論します。枯れた人だったら、「暇を持てあまして危ない方向にいってしまう」なんて考えには陥らないだろうと推察されるからです。だから、橋本氏は上記のように若者言葉風に訳されたのです。

橋本流現代訳は私にとって非常に腑に落ちます。昔、徒然草は隠遁の文学、無常観の文学だから作者はかなりの年長者であろうと教えられましたが、おじさんやおじいさんだと想定すると、橋本氏が主張されるように、誰もが知っている(聞いたことがある)有名な文章は「意味はわかる、でも正確には訳しにくい」文章になってしまうのです。

橋本氏が導かれた仮説こそがアブダクションという推論から導かれたものだといえましょう。

どうでしょうか?橋本氏は兼好法師になりきって「こうだったろう」「こうだったに違いない」と推論されたのです。ええー乱暴だ!と思うかどうかで、アブダクションに対するご自身の納得感も違ってきましょうか。
アブダクション [2008年04月10日(木)]
前回の大名塾では、推論には演繹法、帰納法、仮説形成(アブダクション)の3つがあることを紹介しました。ただ、最後のアブダクションは非常にわかりにくいものだと思います。先日、ひょーこさんに告白されました(?)、「もう少し具体的なレベルの話に結びつけてもらわないとわかりにくい」と(笑)。

私は、私の役割は一般論、抽象論レベルの議論に重きを置くことで、経験豊かな塾生は自らの経験や知識とそれら一般的、抽象的な議論を結びつけ自分なりの視点やルール、ロジックを組み立ててくれればいいと思っています。

いまでも基本的にはそう思っていますが、ひょーこさんの告白にもあるように、少し修正を加える必要も認識しています(私は人の指摘や批判にホントに素直なんですね(笑))。

特に、前回紹介した「アブダクション」はきっと多くの方にとって、わかりにくかったでしょうから、ひょーこさんと同じ感想をもたれた方も多かったのではないでしょうか。

人間の推論を司るものを「知性」といっておきます。「知性」に占める演繹法的なロジックの比重は大きいでしょうか、小さいでしょうか。数学の証明問題が得意な人が学年が上がるに連れて減っていくことが示唆するように、また自分たちの「推論」体験に照らしても、「小さい」はずです。

人間の「知性」には直感や構想、意図、価値観が含まれます。知性と感性を分ける分類なら、ここにあげたものは感性にグルーピングされましょう。ここでは推論を司るものを「知性」と呼びましょうとしたので直感や意図など感性も知性に含めておきます。

アブダクションは、正確ではないですが、ひらめき的な推論だと考えてもらって間違いないでしょう。そこには直感や構想、意図、価値観などが働いています。

図形問題を解くとき、どこに、どういう接線を描くかですべては決します。この接線(仮説)を描くひらめき的な推論がアブダクションです。

松岡正剛氏も3つの推論を併記され各推論を解説されますが、アブダクションに関する解説は「なんとなーくわかるけど・・・・・んんん・・・・」的な隔靴掻痒を読者に感じさせます。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1182.html

アブダクションの例として、どのような例をお示しすれば、もう少し腑に落ちていただけるだろうかと、この数日、考えていました。そして先ほど、シャワーを浴びながら思いつきました。

1つは、どうやって私たちは言葉を獲得したのかに関する推論です。人間の脳はこの30万年ほど大きさ、重さは変わっていません(化石による推論あるいは証明)。200万年かけて脳の大きさは二倍になったといいます。エネルギー効率からいうと羽や牙や爪が発達する方向で進化した方が生存率も高まるはずなのに、防御性向上に直接結びつかない脳の発達がわれわれの先祖においてなぜもたらされたのか。この問題に関する学説(仮説)の1つは、言葉(広義の)の獲得が生存率の向上に寄与し、その方向で脳が発達したとする推論です。まさにこれこそがアブダクションです。

人間とはこういうもの(言語を獲得し操る機構に関する)だから、きっとこうだったんだろうという推論で、人間理解に関する最先端の科学はリードされつつあります。従来の科学のイメージからすると「科学的ではない」ので、権威や専門分野での研究実績がない人が披露しても誰も聞いてくれないかもしれない推論です。

こういう風にアブダクションを説明して私なりに合点がいったのは、アブダクションが有効なのは人間の普遍的な何かに基づく推論が求められる分野だということです。

少し別の例を示しましょう・・・・・・・(続く)