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大学生のような社会人の社会的責任

これまで、大学生の私が大学生に向けて書いてきたこのブログ。
なぜ自分はここにいるのか?自分自身に問うこと。
自分の目標や信じるものが変わるのは当然で、
だからこそ、常に問い続けることが大切だと。

それは、社会人になってからもやはり同じことです。
これからは、社会人になった私が同世代の方に向けて
書いていこうかと思います。
相変わらず偉そうです。
これからも、たぶん。


「食べる」ことを考える [2009年10月17日(Sat)]
昨日、(もはや習慣の)雑誌を立ち読みしてたら、
私の最も尊敬する人、辰巳芳子さんのインタビュー記事を偶然見かけました。
(週刊東洋経済にて。)
辰巳さんの意見は、なんだかいつも凛としていて、
読むたびにハッとさせられます。

昨日の記事の中には、
「最近の若い人たちは良い恋をしてないんじゃないかしら?」と書いてありました。
なぜかというと、若い人たちはコンビニやインスタント食品など、
日々の食べる習慣があまりにも貧弱で、
身体がきちんと出来ていないから、ということでした。
これは、女子大生から妊婦さんまでの、
食生活に関するアンケートの結果を見て言われたことでした。

食べることは、生きることの基本です。
勉強も、仕事も、恋愛だって、そのエネルギー源は食べることです。
大学1年生のとき、ある授業で、
「私たちの身体は、私たちが食べたもので出来ている」という話を聞いた時、
しばらくはピンと来ませんでした。
食べたものが、内蔵や髪の毛を作っている、という訳ではないからです。
そうではなく、食べたものの栄養素、野菜や肉の生命自体が、
私たちのエネルギーとなり、血肉となり、細胞となり、私という人間を人間たらしめているのだ、
そう気付いたとき、初めてその言葉の意味が理解出来たように思います。
理解するのに時間がかかったのは、それまで、私自身が「食べる」ということについて、
全く無関心だったからなのでしょう。

私たちは何を食べるのか?もう少し広く考えてみましょう。
宮沢賢治が「きれいにすきとおった風」、「桃色のうつくしい朝の日光」までも食べ物として描いたのを見た時、
私は、衝撃と言うか、面食らったと言うか、羨ましくなったというか、
上手く言い表せない不思議な透明な気持ちになりました。
さらに、賢治は自身の作品を「あなたのほんとうのたべもの」になることを願う、とも書いています。
私たちの暮らす風土、私たちの感性を育むもの、
それら全てを「たべもの」と考えると、また新しい視点で
私たちの「たべもの」は豊かなのか、見えてくるのではないでしょうか。

私たちをつくるもの(身体だけでなく、知能、感性、生命そのもの)は、
私たちが食べるものなのです。
何をいただくのか、ということについて、
どれだけ考えても、考えすぎるということはないはずです。
(ただし、宮沢賢治の厳格すぎる食生活には、
私は正直素直に賛成出来ないのですが・・・。
生命を危険にさらさない程度に、考えましょうね。)
好きなことやって暮らしたい! [2009年09月28日(Mon)]
って叫びたーい!
さぁ、皆さんも。
「好きなことやって、暮らしたーい!」
突然すみません。今そんな気分だったので(笑)

きっと誰でも思うことですよね。
でも、「好きなことやって暮らす」っていうのは、
好きなことを仕事にする、ということとはまたちょっと違うんです。
好きなこと、やりたいことを生活の中心に置いて、暮らしを営む、ってことです。

多くの社会人の暮らしの中心には「仕事」があるんじゃないでしょうか?
仕事に使う時間・体力・知能の量を考えてみると、
自分の人生の多くが、仕事に費やされていると思います。
じゃあ何のために仕事をするかというと、
これまた多くの人は「食べていくため」、つまり生活をするため、だと思います。

じゃあ、例えば「仕事」を「好きなこと」をやる時間に変えてみます。
すると、当然収入はなくなります。
収入がなくなると、食べれなくなる。
でも、食べ物を自分で作る、つまり、ちょっと農業をやれば、
基本的な「食べる」ことについては解決できます。
あとはちょっとの金銭収入があれば、まぁなんとかなりそう。

そうやって、「好きなことやって暮らせる」ライフスタイルって、
どんなものなんだろう、ということが、最近の私の大きな関心事です。
出来そうな気がするんですよね。
一人で田んぼを管理するのは大変なので、
近所の人や誰かと一緒に米を作って、
あとは家の近くに畑を作って、実のなる木をいくつか植えておけば、食べていける。
自給自足、とはまた違う。
何でも自分でやるんじゃない。
みんなと関わり合いながら、支え合いながら暮らしを営む。
もちろん、たまにお金を稼ぐことも必要かも。
でもそれは生活の中心ではない。

そんな生活。
もっともっと、具体的に現実的に、もうしばらく考えてみます。
さながら経済学生 [2009年09月12日(Sat)]
すっかり更新が空いてしまいました。
ダメだな〜と思いつつ、たぶん治らないと思いますが。

さて、最近はもっぱら経済学の勉強に熱中してます。
最近2ヶ月で読んだ本は、(読み返したものも含め)
『経済原論』宇野弘蔵
『ミクロ経済学』ジョセフ・スティグリッツ
『経済学の歴史』根井雅弘
『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか?』ダグラス・ラミス
『経済学の知のあり方を問う』上野格ほか
『スモールイズビューティフル』シューマッハー
『経済学のことば』根井雅弘
『だまされないために、私は経済学を学んだ』村上龍

大学2年生で初めてミクロ、マクロ経済学を学んでから、
私は完全に経済学不信になりました。
現象を説明しているはずの経済学に、
全く現実味が持てなかったからです。
環境経済学の講義に出てみてから、
さらに幻滅しました。
あくまで、経済学の枠の中で環境を考慮することの限界を知るだけの学問であり、そこに解決策は見当たらなかったからです。
しかし、卒業間際の大学4年生で、
いわゆるマルクス経済学に触れ、経済学の面白みに初めて出会いました。

経済学というと、お金や商品についての話、とイメージする人も多いと思います。
確かに、税金を増やすと何がどうなる、とか、
利益や効用の最大化を目的とする、といった話もたくさんありますが、
経済学が、学問として明らかにしたい目的は
「均衡点を探す」ということに終始すると思うのです。
こちらが立てば、あちらが立たない(トレードオフ)、という問題をグラフにして、
こちらもあちらも立つ均衡点を説明しようとする、
そういう学問だと、私は思います。

しかし、最近は社会における経済のウエートが大きいためか、
経済学はあくまで、社会科学の中の一分野にすぎないということを忘れているかのようです。
アダム・スミス(あるいはそれ以前)からの経済思想をひも解いていくと、偉大な経済学者のほとんどは、哲学や歴史、政治などにも明るく、ゼネラリストであったことがうかがえます。
(むしろアダム・スミスは道徳哲学の有名な先生なのです。)
しかし、理論や法則を覚えれば経済学を理解したつもりになっている人が多いのでしょうか、
経済学の本当のエッセンスは彼らの「哲学」や
「社会を見る目」にあるように思います。

その面白さに気付いてから、
なのでむしろ大学を卒業してから、
私は経済学に夢中になっているわけです。

秋の夜長に、読みたい本はまだまだ山積みなのです。
生産的であること [2009年07月04日(Sat)]
更新がすっかり空いてしまいました。
たまに覗いてくださってる方、どうもすみません。
この約一ヶ月の間に、私の「気」は底辺まで落ちて、
今はどんどん上がってきているところです。
簡単に言うと、迷いがとりあえずは吹っ切れて、
進むべき目的が見つかり、今はそれに向かっている、ということです。

さて、久々の今日は「生産的であること」について。
この前、とあるワークショップに参加した時に出てきた言葉です。

「豊かであるということは、生産的であることだ。」

分業が進み、経済が発展するにつれ、
ほとんどの人はもっぱら消費をする「消費者」となりました。
かつては、それぞれの家に衣食住の「生産」がありました。
しかし、今は「食」さえも消費をするだけの人が多くなっています。

「生産する」ことは、様々な技術や知恵、アイデアが必要です。
「こうすればもっと使いやすくなるかも」とか、
「この素材を組み合わせるとどうだろう」とか。
そういったアイデアが、私たちの暮らしをもっと豊かにすると思うのです。
そして、自分を顧みていると「生産的である」時間の、なんと少ないことでしょう。

仕事も「生産」のひとつと言えるかもしれません。
ただし、やらされている仕事ならば、生産的とは言えないでしょう。
どうせやるべき仕事なら、常に「プラスα」の付加価値を考える、
ということが、生産的な仕事と言えるかもしれません。
「人とはいつも笑顔で接しよう」とか、些細なことでいいんです。

「生産的であること」を、もう少し広げて言うと
「自分が人に提供できるものを持つこと」とも言えるでしょう。
提供するのは、目に見える「モノ」だけでなく、自分の「時間」だっていいんです。
料理を作る、相談に乗る、絵を描く、一緒に遊ぶ、服を繕う。
私たちが「生産できること」は、身近にたくさんあります。
生産的になることを意識すると、暮らしも、そしてなんだか、
心も豊かになるような気がするのです。
笑顔は不可欠ね [2009年06月02日(Tue)]
大学生のとき、とあるゼミで「憲法9条」についての議論をしていました。
現行の9条を守り、戦争をしない国としての日本を作っていかなければならない、という思いを持った人たちが集まっていました。
そこで先生は、息巻いてこう言いました。
「私たちは、徹底的に武装しなければならない。
戦争を起こさないための、理論武装をしなければならない。」
そこで私はこう言いました。
「先生、私の好きな歌に、こういう歌詞があります。
『理論武装に笑顔は不可欠ね』。」
すると先生は、はっはっはと笑って、
「たとえ戦争が起きても、最後まで生き残っているのはあなたかもしれませんね。」と言いました。


この前、実家から帰るバスセンターでバスを待っていたところ、ひどく泥酔して大声でわめくおじさんが近づいてきました。
話しかけられたのですが、関わるまいと思って無視したところ、「おめぇ、聞こえてんのか?人が話してる時にケータイ見るなんて、親にどういう育てられ方したんだ!!」と怒鳴られました。
元来、気が強い私はイライラして、「なんだ、このオヤジ」と思いながら睨みつけました。
他の周囲の人たちも、そのおじさんには目を合わせないようにし、おじさんは一人で「ふざけんなコノヤロー!」などと殺気立ったようにわめきながら、千鳥足でふらふらしていました。
そして再び私の方へ来て、「なぁ、聞こえてるならなんとか言えや!」と言われたので、先ほどの態度から一転し、私は笑顔で、「すみません、急に話しかけられてびっくりしたんです。」と答えました。
するとおじさんは、「あぁそうか、悪かったな!ごめんごめん。」と急に穏やかになり、「俺はこう見えても忙しいんだ。」と言いながら、どこかへ去っていきました。

そのとき思ったんです。
どんな人にも、笑顔で接すれば、事態は悪くはならないのか、と。
腹の底ではイライラが沸き上がっていても、それをこらえて笑顔を作れば、イライラをぶつけるよりもずっと良い方向へ行くんだ。
ひとつ学んだ瞬間でした。


思えば、人との諍いや衝突は、お互いの憎しみや怒りがぶつかりあって起こる。
それを回避するためには、それをぶつけないようにすればいい。
代わりに、無理矢理でも笑顔を作ってみる。
それだけで、結果は大きく違ってくる。

「いつも静かに笑っている、そういう人に、私はなりたい」

有名な、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」です。
たとえ怒りや憎しみをぶつけられても、こちらが静かに笑って返せば、何事もなく終わるかもしれません。
腹の底はどうだろうと、いつでも笑顔でいれるような精神力を鍛えたいものです。
社会科観察 [2009年05月17日(Sun)]
『若者はなぜ3年で辞めるのか』という有名な本がありますが、
これを読んだあとに自分の会社を観察すると、
面白いほど著者の言っていることが当てはまります。
わたしは金融機関だから特にそうなのでしょう。
当然会社によっては違うところもたくさんあるでしょう。

そして今日、大手電機メーカーに勤めた後、
地域活性化のためにゼロからNPO活動をスタートさせた
おじちゃんと話をする中で、その方がいた会社でも
やはり同じような現状だった、という話を聞きました。

就職活動前の大学生は、この本を読めば
「会社って、そういうところなんだ」と少しは分かると思います。
そして、自分がなんとなく行きたいと思っている会社は
本に書いてあるタイプの会社なのだろうか?と考え、
「だったら嫌だなぁ、そうじゃない会社に入りたい」と思うのでしょうか。
「自分が入りたいと思う会社は、そんな会社じゃないはずだ」と感じるでしょうか。
そして同時に「自分はどういう人生を歩みたいのだろうか」と考えてしまうことでしょう。

当然例外もあります、それを断った上で言いますが、
会社の先輩、上司を見ていけば、
この会社で、自分が何歳頃にはどのくらいの給料をもらって、
どんな役職について、どんな仕事をしているのか、というのが
だいたい分かるんです。ええ本当に。
自分の将来像が、人生が、目の前に広がっているんです。
出世を諦め、自分のやりたい事をやりながら、会社にとどまり続けている人もいます。
年の取り方は、人それぞれではありますが、
年功序列の下では、給与の面で言えば、大きな差はないんです。
「ずっと勤め続ければ」、能力がどうであろうと、そこそこの給与はもらえるようになるわけです。

大学生や就職したばかりの社会人は、
まだ目が澄んでいるうちに、そういう「リアル」を観察し、
社会がどのように変わっているのかを観察し、
そして、どのような生き方があるのかを学び、
リアルと自分の人生を突き合わせて、今後どう生きていけば良いのかを考えておかなくてはなりません。

先のおじちゃん曰く、
「仕事が面白くなってくる時が30代だろう。
しかし、面白くなって会社を辞めるタイミングを失って、
やがて会社に埋もれていき、
そこそこ金ももらえると思ったとたん、リストラに遭うだろう。
線路が突然切れて、落ちる時が来る。
しかしそれは、誰もが予測できたことだ。」

改めて、背筋ののびる思いをした今日なのでした。
点と点と線 [2009年05月09日(Sat)]
長い黄金週間から、現実へ戻ってきました。

皆さまは、いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は丸々一週間、関東にいました。
古巣?つくばへ行ったり、懐かしい人と会ったり。
そこで、改めて自分の現在位置や、
思いを確認することが出来たように思います。

バンドを続けている同い年の友人が、
GWの最終日、ライブツアーのファイナルを迎え、
なじみのライブハウスで、なじみの観客を前に歌う姿は、
とても誇らしげで、本当に楽しそうでした。
そんな彼女たちを見て、大学卒業とともにバンドを辞めた私は、
とても複雑な気持ちになりました。
何よりもやっぱり、羨ましい、という気持ち。

打ち上げでも、「なぜバンドを辞めたのか?」と聞かれ、
本音は、やりたくてしょうがない気持ちでいっぱいだったのですが、
まぁ、半分強がりながら
「バンドは一生やるつもりだから、今はとりあえず辞めてるだけ」と答えて思い出しました。
あ、そうだった。
自分はそう思って、大学とともにいったんバンドも卒業したんだ、と。
1年前の自分の決心を、いつの間にか忘れかけていたことに気付きました。

なんて言って、実は少し前に同じようなことをここで偉そうに言ってたんですね
その友人も、「このツアーを通じて、やりたいことを一生続けるために今何をやるのか、ということが大切なんだと気付いた」と言ってくれました。

そのライブの前に、つくばの後輩に教えてもらった動画、
Appleの創始者スティーブ・ジョブズの『伝説のスピーチ』にものすごく感動しました。
印象深いのは、「点を繋げる」ということの中での一節。

『大学時代に先を見て、点を繋げるということは不可能でした。
出来るのは、過去を振り返って「点を繋げる」ことだけなんです。
だから将来、その点が繋がることを信じなくてはならない。』

いやぁ、しびれますねぇ〜。

なんとなく、さっき言ったことと似てると思うんです。
(違う?単なるこじつけ?)
今はバンドをやってないので、
大学時代のバンド活動は点でしかない。
でも、それを繋げていけば、線になる。
ずっと一筋に続けて線にしていくのも良いけれど、
私は寄り道が好きなので、
点は点のままにして、また別の点を作る。
そして、何年か、何十年かして、その点と点が繋がる時が来る。
ていうか、意地でも繋げてやる(笑)

そう決めて社会人になったんだ、ということを改めて思い出し、初心に戻ったゴールデンウィークなのでした。
自分の存在をどうやって確かめるか [2009年04月30日(Thu)]
自分の存在が曖昧に感じることが、よくあります。
自分が今どこにいるのか分からず、
地に足がつかないような、ふわふわした感じで、
自分はなぜ生まれてきたのか、何のために生きているのか、
生きて、どこへ行くのか、このまま生きていていいのか、
自分は何をしたいのか、自分の存在意義は何なのか、
分からない。

自分は、「今」、「ここ」に「生きている」という実感が欲しい、と願う人は多いでしょう。
そこで、「今」「ここ」に「生きている」という証拠を、
「私という存在」の証拠を求めようとする。

その証拠を、「私にしかないもの」のような、
自分自身の中へ求める、「絶対的存在感」を欲する。
非凡な才能を持った人は、他の人にはない才能があるわけですが、
平凡な私たちは、そういう才能などをすぐに手に入れることは不可能です。
なので、例えば「トラウマ」とか「心の傷」のような、
自分にしかないエピソード、みたいなものへ向いていく。
「私、他の人とは違うの」と言えるものがあることで、自分の存在を確かめる。

一方、自分のことを見ていてくれる存在、友達とか恋人とかによって、自分の存在を確かめる。
自分を必要としてくれる人がいることによって、自分の存在感を感じれる。
こういった「相対的存在感」は、昔から変わらないものだと思います。
他人がいることで、自分を認識する、みたいなやつです。

哲学的な話は苦手なので、深くは議論しませんが、
二項対立的に、こんな考え方が出来るのかな、とふと思いました。
で、何を言いたいのかと言うと、
どんな方法で自分の存在を確かめたところで、
結局は曖昧なんです。
絶対的な存在感を求めたところで、自分自身が不安定になれば、存在感も不安定になってくる。
相対的な存在感なんて、いつ崩れるか分からない。

結局、自分の存在意義はよく分からない。

そんなもんだと思います。
でも、楽しく生きていくために、自分の存在感なんてたいして必要でもないと思うんです。
楽しかったら、それでいい。
楽しい時は、「今」「ここ」に「生きている」と(意識的には思ってないと思いますが、)感じれると思うんです。
楽しいことを増やせば、自分の存在を感じれることが増えるってことです。
自分自身の存在感があれば、有意義に暮らせる、なんて言うと新興宗教みたいですが、
それよりも私は、楽しいことが多ければ、充実した暮らしになると思うんです。
だったらそれで良いと思うんです。
ま、私の考えですけどね。
福岡にNPOバンク誕生! [2009年04月19日(Sun)]
割と、ここでは素性をひた隠しにしてきた(そうでもない?)私ですが、
これで何人かの方には顔が割れてしまうかもしれません。

まぁ、いいか。

というわけで、先日「もやいバンク福岡」の設立総会があり、
めでたく福岡にNPOバンクが誕生しました。
私はバンクの設立準備会から関わっており、
平均年齢高めなバンク内では最年少。
もやいバンクは全国でも珍しいくらいに理事の人数が多く、
会社の社長、大学の先生、税理士、建築家、音楽家、などなど、
実に幅広い人材が揃っているので、
いろいろと面白い事が出来そうな予感です。
設立総会から一夜明け、早くも企画をあれこれ考えているところです。

あ、「NPOバンク」についての説明がまず必要でしたね。
NPOバンクとは、市民の出資金を集め、それを原資にNPO活動や市民活動に低金利で融資をする仕組みの事です。
バンク、という名の通り、銀行に似た仕組みです。
ただ、大きく違うのは、あくまで「出資」なので元本保証がなく、配当金もありません。
リスクがある、ということです。
しかしながら、現在国内には10ほどのNPOバンクがありますが、貸し倒れは1件(確か・・・)だけ。
なぜなら、NPOバンクは地域に密着しているため、出資者と融資先が顔の見える関係であることが多く、審査の際にも、まず融資先との信頼関係を築くことを大切にするからです。

ミスチルの桜井和寿さんなどがやっている「ap bank」をご存知の方は多いと思いますが、ap bankは桜井さん、小林武史さん、坂本龍一さんの出資金によって運営されているため、原資は「市民の出資」ではないのですが、それ以外はNPOバンクと同じです。
もっと詳しく知りたい方は全国NPOバンク連絡会のリンクより、いろんなバンクのHPを見てみてください。
(連絡会の「NPOバンクとは」では、ちょっと物足りないかもしれないので。)

というわけで、もやいバンクは、ひとまずは出資金1000万円を目標に募集を開始します。
「夏のボーナスまで待っててください・・・」とお願いしている私が言うのもアレですけど。。。
「若さ」に焦る必要はない [2009年04月11日(Sat)]
ホントに、ふと思ったことなんですが、
今の日本の「文化」、カルチャーは誰が作っているのか?
文学、演劇、音楽、ファッション、食、暮らし、
「文化」と言ってもいろいろありますが、
批判を恐れずに、なんとなく「文化」をひとくくりにした時、
やっぱり「若さ」が、メインストリームにある気がするのです。
マスメディアなんかでは、とにかく「若さ」は大きな価値になっていると思うんです。

「若さ」には何かを大きく変えうる力、斬新さとか、伝統にとらわれないとか、そしてなによりパワーそのものが、年寄りに比べたら、当然あります。
何でも出来る体力があります。
でも、やっぱり「深み」には欠ける。

私が好きではないのが、最近のJ-POP。
歌詞が軽薄で、言葉に「深み」が足りないように思うのです。
同世代の共感は呼ぶかもしれませんが、なんだか「気持ち」ばかりを歌っていて、
匂いとか、景色とか、微妙な心の動きを表現した言葉とか、
あるいは、間を取るための意味の無い言葉遊びをするくらいの、
そんな歌詞が無さ過ぎるんじゃないかな、と思ってるんです。

その「深み」の源は、「余裕」なんでしょうか。
「若さ」は短い命です。
そして、若いうちはなんだか焦燥感に駆られます。
なので、「若さ」に価値を置くと、時間との闘いでどんどん窮屈になってしまう。
さらに焦ってしまい、自分自身を追いつめる結果になる。
つい1、2年前までは私も焦っていました。
若いからこそ、やれる事があるんだ!!と鼻息荒く、やりたいことを片っ端からやろうとしていました。

いやいや、もっと楽でいいじゃない。
若いからって、何でもやる必要はない。
一生かけてやりたい事をやって行くために、今は何をすればいいかが分かっていれば十分。
今、23歳という年齢はまだ若いうちだと思いますが、私はそう思えるようになりました。

なんか、最初の「文化」の話とはずいぶん違うところに着地しましたが、
別にいいんです。
それも「余裕」のひとつです。
不時着しても、余裕を見せるのが大人なんです。きっと。
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