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大学生のような社会人の社会的責任

これまで、大学生の私が大学生に向けて書いてきたこのブログ。
なぜ自分はここにいるのか?自分自身に問うこと。
自分の目標や信じるものが変わるのは当然で、
だからこそ、常に問い続けることが大切だと。

それは、社会人になってからもやはり同じことです。
これからは、社会人になった私が同世代の方に向けて
書いていこうかと思います。
相変わらず偉そうです。
これからも、たぶん。


生産的であること [2009年07月04日(土)]
更新がすっかり空いてしまいました。
たまに覗いてくださってる方、どうもすみません。
この約一ヶ月の間に、私の「気」は底辺まで落ちて、
今はどんどん上がってきているところです。
簡単に言うと、迷いがとりあえずは吹っ切れて、
進むべき目的が見つかり、今はそれに向かっている、ということです。

さて、久々の今日は「生産的であること」について。
この前、とあるワークショップに参加した時に出てきた言葉です。

「豊かであるということは、生産的であることだ。」

分業が進み、経済が発展するにつれ、
ほとんどの人はもっぱら消費をする「消費者」となりました。
かつては、それぞれの家に衣食住の「生産」がありました。
しかし、今は「食」さえも消費をするだけの人が多くなっています。

「生産する」ことは、様々な技術や知恵、アイデアが必要です。
「こうすればもっと使いやすくなるかも」とか、
「この素材を組み合わせるとどうだろう」とか。
そういったアイデアが、私たちの暮らしをもっと豊かにすると思うのです。
そして、自分を顧みていると「生産的である」時間の、なんと少ないことでしょう。

仕事も「生産」のひとつと言えるかもしれません。
ただし、やらされている仕事ならば、生産的とは言えないでしょう。
どうせやるべき仕事なら、常に「プラスα」の付加価値を考える、
ということが、生産的な仕事と言えるかもしれません。
「人とはいつも笑顔で接しよう」とか、些細なことでいいんです。

「生産的であること」を、もう少し広げて言うと
「自分が人に提供できるものを持つこと」とも言えるでしょう。
提供するのは、目に見える「モノ」だけでなく、自分の「時間」だっていいんです。
料理を作る、相談に乗る、絵を描く、一緒に遊ぶ、服を繕う。
私たちが「生産できること」は、身近にたくさんあります。
生産的になることを意識すると、暮らしも、そしてなんだか、
心も豊かになるような気がするのです。
笑顔は不可欠ね [2009年06月02日(火)]
大学生のとき、とあるゼミで「憲法9条」についての議論をしていました。
現行の9条を守り、戦争をしない国としての日本を作っていかなければならない、という思いを持った人たちが集まっていました。
そこで先生は、息巻いてこう言いました。
「私たちは、徹底的に武装しなければならない。
戦争を起こさないための、理論武装をしなければならない。」
そこで私はこう言いました。
「先生、私の好きな歌に、こういう歌詞があります。
『理論武装に笑顔は不可欠ね』。」
すると先生は、はっはっはと笑って、
「たとえ戦争が起きても、最後まで生き残っているのはあなたかもしれませんね。」と言いました。


この前、実家から帰るバスセンターでバスを待っていたところ、ひどく泥酔して大声でわめくおじさんが近づいてきました。
話しかけられたのですが、関わるまいと思って無視したところ、「おめぇ、聞こえてんのか?人が話してる時にケータイ見るなんて、親にどういう育てられ方したんだ!!」と怒鳴られました。
元来、気が強い私はイライラして、「なんだ、このオヤジ」と思いながら睨みつけました。
他の周囲の人たちも、そのおじさんには目を合わせないようにし、おじさんは一人で「ふざけんなコノヤロー!」などと殺気立ったようにわめきながら、千鳥足でふらふらしていました。
そして再び私の方へ来て、「なぁ、聞こえてるならなんとか言えや!」と言われたので、先ほどの態度から一転し、私は笑顔で、「すみません、急に話しかけられてびっくりしたんです。」と答えました。
するとおじさんは、「あぁそうか、悪かったな!ごめんごめん。」と急に穏やかになり、「俺はこう見えても忙しいんだ。」と言いながら、どこかへ去っていきました。

そのとき思ったんです。
どんな人にも、笑顔で接すれば、事態は悪くはならないのか、と。
腹の底ではイライラが沸き上がっていても、それをこらえて笑顔を作れば、イライラをぶつけるよりもずっと良い方向へ行くんだ。
ひとつ学んだ瞬間でした。


思えば、人との諍いや衝突は、お互いの憎しみや怒りがぶつかりあって起こる。
それを回避するためには、それをぶつけないようにすればいい。
代わりに、無理矢理でも笑顔を作ってみる。
それだけで、結果は大きく違ってくる。

「いつも静かに笑っている、そういう人に、私はなりたい」

有名な、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」です。
たとえ怒りや憎しみをぶつけられても、こちらが静かに笑って返せば、何事もなく終わるかもしれません。
腹の底はどうだろうと、いつでも笑顔でいれるような精神力を鍛えたいものです。
社会科観察 [2009年05月17日(日)]
『若者はなぜ3年で辞めるのか』という有名な本がありますが、
これを読んだあとに自分の会社を観察すると、
面白いほど著者の言っていることが当てはまります。
わたしは金融機関だから特にそうなのでしょう。
当然会社によっては違うところもたくさんあるでしょう。

そして今日、大手電機メーカーに勤めた後、
地域活性化のためにゼロからNPO活動をスタートさせた
おじちゃんと話をする中で、その方がいた会社でも
やはり同じような現状だった、という話を聞きました。

就職活動前の大学生は、この本を読めば
「会社って、そういうところなんだ」と少しは分かると思います。
そして、自分がなんとなく行きたいと思っている会社は
本に書いてあるタイプの会社なのだろうか?と考え、
「だったら嫌だなぁ、そうじゃない会社に入りたい」と思うのでしょうか。
「自分が入りたいと思う会社は、そんな会社じゃないはずだ」と感じるでしょうか。
そして同時に「自分はどういう人生を歩みたいのだろうか」と考えてしまうことでしょう。

当然例外もあります、それを断った上で言いますが、
会社の先輩、上司を見ていけば、
この会社で、自分が何歳頃にはどのくらいの給料をもらって、
どんな役職について、どんな仕事をしているのか、というのが
だいたい分かるんです。ええ本当に。
自分の将来像が、人生が、目の前に広がっているんです。
出世を諦め、自分のやりたい事をやりながら、会社にとどまり続けている人もいます。
年の取り方は、人それぞれではありますが、
年功序列の下では、給与の面で言えば、大きな差はないんです。
「ずっと勤め続ければ」、能力がどうであろうと、そこそこの給与はもらえるようになるわけです。

大学生や就職したばかりの社会人は、
まだ目が澄んでいるうちに、そういう「リアル」を観察し、
社会がどのように変わっているのかを観察し、
そして、どのような生き方があるのかを学び、
リアルと自分の人生を突き合わせて、今後どう生きていけば良いのかを考えておかなくてはなりません。

先のおじちゃん曰く、
「仕事が面白くなってくる時が30代だろう。
しかし、面白くなって会社を辞めるタイミングを失って、
やがて会社に埋もれていき、
そこそこ金ももらえると思ったとたん、リストラに遭うだろう。
線路が突然切れて、落ちる時が来る。
しかしそれは、誰もが予測できたことだ。」

改めて、背筋ののびる思いをした今日なのでした。
点と点と線 [2009年05月09日(土)]
長い黄金週間から、現実へ戻ってきました。

皆さまは、いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は丸々一週間、関東にいました。
古巣?つくばへ行ったり、懐かしい人と会ったり。
そこで、改めて自分の現在位置や、
思いを確認することが出来たように思います。

バンドを続けている同い年の友人が、
GWの最終日、ライブツアーのファイナルを迎え、
なじみのライブハウスで、なじみの観客を前に歌う姿は、
とても誇らしげで、本当に楽しそうでした。
そんな彼女たちを見て、大学卒業とともにバンドを辞めた私は、
とても複雑な気持ちになりました。
何よりもやっぱり、羨ましい、という気持ち。

打ち上げでも、「なぜバンドを辞めたのか?」と聞かれ、
本音は、やりたくてしょうがない気持ちでいっぱいだったのですが、
まぁ、半分強がりながら
「バンドは一生やるつもりだから、今はとりあえず辞めてるだけ」と答えて思い出しました。
あ、そうだった。
自分はそう思って、大学とともにいったんバンドも卒業したんだ、と。
1年前の自分の決心を、いつの間にか忘れかけていたことに気付きました。

なんて言って、実は少し前に同じようなことをここで偉そうに言ってたんですね
その友人も、「このツアーを通じて、やりたいことを一生続けるために今何をやるのか、ということが大切なんだと気付いた」と言ってくれました。

そのライブの前に、つくばの後輩に教えてもらった動画、
Appleの創始者スティーブ・ジョブズの『伝説のスピーチ』にものすごく感動しました。
印象深いのは、「点を繋げる」ということの中での一節。

『大学時代に先を見て、点を繋げるということは不可能でした。
出来るのは、過去を振り返って「点を繋げる」ことだけなんです。
だから将来、その点が繋がることを信じなくてはならない。』

いやぁ、しびれますねぇ〜。

なんとなく、さっき言ったことと似てると思うんです。
(違う?単なるこじつけ?)
今はバンドをやってないので、
大学時代のバンド活動は点でしかない。
でも、それを繋げていけば、線になる。
ずっと一筋に続けて線にしていくのも良いけれど、
私は寄り道が好きなので、
点は点のままにして、また別の点を作る。
そして、何年か、何十年かして、その点と点が繋がる時が来る。
ていうか、意地でも繋げてやる(笑)

そう決めて社会人になったんだ、ということを改めて思い出し、初心に戻ったゴールデンウィークなのでした。
自分の存在をどうやって確かめるか [2009年04月30日(木)]
自分の存在が曖昧に感じることが、よくあります。
自分が今どこにいるのか分からず、
地に足がつかないような、ふわふわした感じで、
自分はなぜ生まれてきたのか、何のために生きているのか、
生きて、どこへ行くのか、このまま生きていていいのか、
自分は何をしたいのか、自分の存在意義は何なのか、
分からない。

自分は、「今」、「ここ」に「生きている」という実感が欲しい、と願う人は多いでしょう。
そこで、「今」「ここ」に「生きている」という証拠を、
「私という存在」の証拠を求めようとする。

その証拠を、「私にしかないもの」のような、
自分自身の中へ求める、「絶対的存在感」を欲する。
非凡な才能を持った人は、他の人にはない才能があるわけですが、
平凡な私たちは、そういう才能などをすぐに手に入れることは不可能です。
なので、例えば「トラウマ」とか「心の傷」のような、
自分にしかないエピソード、みたいなものへ向いていく。
「私、他の人とは違うの」と言えるものがあることで、自分の存在を確かめる。

一方、自分のことを見ていてくれる存在、友達とか恋人とかによって、自分の存在を確かめる。
自分を必要としてくれる人がいることによって、自分の存在感を感じれる。
こういった「相対的存在感」は、昔から変わらないものだと思います。
他人がいることで、自分を認識する、みたいなやつです。

哲学的な話は苦手なので、深くは議論しませんが、
二項対立的に、こんな考え方が出来るのかな、とふと思いました。
で、何を言いたいのかと言うと、
どんな方法で自分の存在を確かめたところで、
結局は曖昧なんです。
絶対的な存在感を求めたところで、自分自身が不安定になれば、存在感も不安定になってくる。
相対的な存在感なんて、いつ崩れるか分からない。

結局、自分の存在意義はよく分からない。

そんなもんだと思います。
でも、楽しく生きていくために、自分の存在感なんてたいして必要でもないと思うんです。
楽しかったら、それでいい。
楽しい時は、「今」「ここ」に「生きている」と(意識的には思ってないと思いますが、)感じれると思うんです。
楽しいことを増やせば、自分の存在を感じれることが増えるってことです。
自分自身の存在感があれば、有意義に暮らせる、なんて言うと新興宗教みたいですが、
それよりも私は、楽しいことが多ければ、充実した暮らしになると思うんです。
だったらそれで良いと思うんです。
ま、私の考えですけどね。
福岡にNPOバンク誕生! [2009年04月19日(日)]
割と、ここでは素性をひた隠しにしてきた(そうでもない?)私ですが、
これで何人かの方には顔が割れてしまうかもしれません。

まぁ、いいか。

というわけで、先日「もやいバンク福岡」の設立総会があり、
めでたく福岡にNPOバンクが誕生しました。
私はバンクの設立準備会から関わっており、
平均年齢高めなバンク内では最年少。
もやいバンクは全国でも珍しいくらいに理事の人数が多く、
会社の社長、大学の先生、税理士、建築家、音楽家、などなど、
実に幅広い人材が揃っているので、
いろいろと面白い事が出来そうな予感です。
設立総会から一夜明け、早くも企画をあれこれ考えているところです。

あ、「NPOバンク」についての説明がまず必要でしたね。
NPOバンクとは、市民の出資金を集め、それを原資にNPO活動や市民活動に低金利で融資をする仕組みの事です。
バンク、という名の通り、銀行に似た仕組みです。
ただ、大きく違うのは、あくまで「出資」なので元本保証がなく、配当金もありません。
リスクがある、ということです。
しかしながら、現在国内には10ほどのNPOバンクがありますが、貸し倒れは1件(確か・・・)だけ。
なぜなら、NPOバンクは地域に密着しているため、出資者と融資先が顔の見える関係であることが多く、審査の際にも、まず融資先との信頼関係を築くことを大切にするからです。

ミスチルの桜井和寿さんなどがやっている「ap bank」をご存知の方は多いと思いますが、ap bankは桜井さん、小林武史さん、坂本龍一さんの出資金によって運営されているため、原資は「市民の出資」ではないのですが、それ以外はNPOバンクと同じです。
もっと詳しく知りたい方は全国NPOバンク連絡会のリンクより、いろんなバンクのHPを見てみてください。
(連絡会の「NPOバンクとは」では、ちょっと物足りないかもしれないので。)

というわけで、もやいバンクは、ひとまずは出資金1000万円を目標に募集を開始します。
「夏のボーナスまで待っててください・・・」とお願いしている私が言うのもアレですけど。。。
「若さ」に焦る必要はない [2009年04月11日(土)]
ホントに、ふと思ったことなんですが、
今の日本の「文化」、カルチャーは誰が作っているのか?
文学、演劇、音楽、ファッション、食、暮らし、
「文化」と言ってもいろいろありますが、
批判を恐れずに、なんとなく「文化」をひとくくりにした時、
やっぱり「若さ」が、メインストリームにある気がするのです。
マスメディアなんかでは、とにかく「若さ」は大きな価値になっていると思うんです。

「若さ」には何かを大きく変えうる力、斬新さとか、伝統にとらわれないとか、そしてなによりパワーそのものが、年寄りに比べたら、当然あります。
何でも出来る体力があります。
でも、やっぱり「深み」には欠ける。

私が好きではないのが、最近のJ-POP。
歌詞が軽薄で、言葉に「深み」が足りないように思うのです。
同世代の共感は呼ぶかもしれませんが、なんだか「気持ち」ばかりを歌っていて、
匂いとか、景色とか、微妙な心の動きを表現した言葉とか、
あるいは、間を取るための意味の無い言葉遊びをするくらいの、
そんな歌詞が無さ過ぎるんじゃないかな、と思ってるんです。

その「深み」の源は、「余裕」なんでしょうか。
「若さ」は短い命です。
そして、若いうちはなんだか焦燥感に駆られます。
なので、「若さ」に価値を置くと、時間との闘いでどんどん窮屈になってしまう。
さらに焦ってしまい、自分自身を追いつめる結果になる。
つい1、2年前までは私も焦っていました。
若いからこそ、やれる事があるんだ!!と鼻息荒く、やりたいことを片っ端からやろうとしていました。

いやいや、もっと楽でいいじゃない。
若いからって、何でもやる必要はない。
一生かけてやりたい事をやって行くために、今は何をすればいいかが分かっていれば十分。
今、23歳という年齢はまだ若いうちだと思いますが、私はそう思えるようになりました。

なんか、最初の「文化」の話とはずいぶん違うところに着地しましたが、
別にいいんです。
それも「余裕」のひとつです。
不時着しても、余裕を見せるのが大人なんです。きっと。
飲んで語る [2009年04月05日(日)]
浮き足立つ4月、桜も見頃で、心がざわざわしますね。
飲み会も増え、懐は寂しくなるのですが・・・。

お酒は好きな人嫌いな人、いると思いますが、私は大好きで、「誰かと飲む」ということが好きなんです。
私の場合、「飲もうか」ということは、「語ろうか」と言うこと。
最近どうよ?まぁ、酒でも飲みながら。
ちょっと悩み事があってさ、今度飲もうか。
そんな感じでお酒を飲むのが、私は大好きなんです。

飲み会となると、人も多いし、いろんな「目的」がもともとあるわけで、その時はまた違うのですが、そんな飲み会の席でも、つい話が盛り上がって、深い話になってしまう、というのが結構好きなんです。
特に、いつも会える人ではない、偶然その宴席で一緒になり、今度はいつ会えるか分からないような人と、そんな形で盛り上がるのは、最高に嬉しいことです。

要は、その人の価値観に触れるような話が出来ることが、すごく好きなんです。
社会について、経済について、家族について、自分の将来について、音楽について、どんな話題でも自分なりの考えを述べると言うことは、自分の価値観を相手の前にさらすことです。
時には、対立する意見もあります。
理解出来ない時もあります。
でも、せっかく相手が提示してくれた意見、その人の考えは、私は自分なりに理解しようと努力します。
ある話題について、なにか答えを見つけることが目的ではありません。
ましてや、自分の意見を押し通し、相手を打ち負かすことでもありません。
自分と相手の意見を聞いて、なるほどと思ったり、面白いと感じたりする。
どうしても自分が納得出来ないことは、なぜ納得出来ないかを考える。そうすることで、自分の意見がより明確になる。
そうやって「面白い」と思うことが、私の「飲んで語る」ことの目的なのです。
お酒を飲むことは、その「手段」にすぎないのです。

大学時代は、そうやって友人と飲む中で学んだことや、自分を知るきっかけになったことが、本当に沢山ありました。
また、私は学外でのバンドのライブや、いろんな活動団体に顔を出したりもしてたので、そこで年上の方々や、いろんな考えを持つ方々と飲んだことで、多くの刺激を受けました。
この「飲む」時間が、一番貴重な、大切な時間でした。
そんな刺激的な「飲み」のためには、時間もお金も惜しまない。
これは私の大学時代のモットーでもありました。

これは、社会人になっても、きっと一生変わらないでしょうね。
エッセイ『明日のあなたへ』 [2009年03月25日(水)]
だいぶ更新が開いてしまいました。
最近は遂に、社会人らしく仕事が忙しく、
家に帰ったらすぐに寝る、みたいな日が続いてしまいました。
もう夜ご飯すら食べない日もあるので、少し痩せるかな〜なんてね、夢だけは見てます。

さて今日は、私の大好きな小説家の一人、三浦綾子の作品を紹介します。
この前の三連休は東京、つくばへ遊びに行ったのですが、その行き帰りの新幹線の中で1冊読み終えてしまいました。
それが今日紹介する『明日のあなたへ』。
これは小説ではなく、三浦綾子のエッセイ集です。
ある人へ送った手紙や、届いた手紙、知人から受けた相談のやりとりなど、幅広い内容です。
そしてテーマは、表紙にも書いてあるのですが、「愛するとは許すこと」。
人を愛するということ、人の罪と許し、生きる姿勢、
とにかく、感動と励ましをもらえるような、本です。
実際に、私は新幹線の中で読みながら何度か泣きました。

戦時中、三浦氏が教師をしていた頃の話は、当時の大変な状況もあり、特に胸を打つものが多いのですが、
なによりも「人を愛する」とはどういうことか、「愛」とは何か、ということを、ぼんやりとでも気付けるようになる、そんな本です。
その中で、特に感動したのが、

「お母さんも美しいなみだでお祝いしてくれました」

これは、ダウン症の子が成人式を迎えた時のことを自分で手紙に書いて、三浦氏に送ったものの中の一節です。
一見、なんてことのない言葉に見えるかもしれませんが、
読むほどに温かくなる、と言うか、こんな表現は、出来そうでなかなか出来ないものだな、と思います。

「愛」ということについて、考えるようになったのは、三浦綾子がきっかけでした。
『塩狩峠』、『母』、『銃口』などの小説作品はもちろんなのですが、
この三浦夫妻そのものが「愛」というか、二人について書いてあるエッセイや、
夫の三浦光世が妻について書いた『綾子へ』という作品などを読んでいると、本当に愛があふれているんです。
お互いのことを想い、尊敬し、いたわり合っている。
これは是非、恋愛に悩む若い人は読むべきだと想います。
「愛してる」という言葉ばかりが氾濫していますが、なんとまぁ「愛」の少ない現代社会でしょう。

私はまずは、家族から始めてみることをお勧めします。
家族愛です。
両親に感謝の意を伝え、いたわりの言葉をかけ、時に一緒の時間を過ごす。
それだけで、ずいぶんと変わるものです。

もっと、みんな、愛し合えばいいのに!!って思っている私でした。
愛はそこに残る [2009年03月10日(火)]
今日はいつもと少し違う話を。

私は、人と深く関わる事が好きです。
「深さ」がどういうものなのか、人によって様々です。
人生観とか価値観といった話を語り合う人から、言語を超えた関わり(言葉を話さなくても通じていると感じる状態)まで、様々な人によって、様々な「深い」関わり方がありました。
表面的な話だけでなく、その人の「人間くささ」が垣間見える、そういうのが好きなんです。

で、私はそういう関わりのあった人たちに、心から愛を感じていました。
なんというか、「愛」です。
伝わりづらいと思いますが、それしか言いようが無いんです。
「私たち、友達だよね」とか言わなくても、「お互い分かり合えている」と感じれる。
お互いの事を「理解」することなんて出来ません。
でも「言わなくても分かるだろう」という、感じ。

時には、単なる私の「片思い」なのかもしれません。
でも、その「思い」、その「愛」は、そこにとどまり続けていると思うのです。
愛は、残るものだ、と思うんです。
例えば昔付き合って別れてしまった人でも、心からの「愛」があったならば、それはそこに残り続けている。

そこに残り続ける、「そこ」って、どこ?
さぁて、どこでしょうか。
二人の間?あの日の思い出?あの時の場所?
まぁ、漠然と、「そこ」です。
それもまた言葉にはしにくいのですが、漠然と、「愛」は「そこ」に残る。
思い出すと、温かくなるような、胸がきゅっと詰まるような、懐かしいような、切ないような、なんだかよく分からない感情がこみ上げる。
恋に似ているけど、恋じゃない。
そういう思い出。

ここで言っている「愛」は、「尊敬」に近いかもしれません。
うん、尊敬、心からの。
もちろん、その人のすべてを尊敬する、なんてことはまずありません。
ある才能や、思想に、尊敬している。
「こいつすっげーなー」と思える。
幸いな事に、大学時代は特に、私はそういう友達に恵まれてきたと思います。
この関係は卒業しても、大切に、続けていきたい、と思っています。

「また会おうね」なんて、言わない。
また会える、と思っているから。

3月、別れの季節ですねー。
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