介護で紡いだ仲間達[2012年11月22日(Thu)]
私は、ボランティアアドバイザーとして北海道ボランティア・市民活動センターで活動しているほか、「札幌認知症の人と家族の会」という団体に所属しています。
今日は、その団体について紹介したいと思います。
北海道に認知症の「家族の会」がはじめてできたのは昭和59年3月のことです。
前年に北海道社会福祉協議会が主催した「社会福祉講座」で、「ぼけ老人にも人間らしい日々を」と題した認知症についての講演がありました。
その時講師から、「介護者にはお互いに励まし合い、情報の交換や疲れた心を癒すために横のつながりが必要である」との話があり、家族の会結成を勧められたことが契機となりました。
「家族の会」のはじまりは昭和55年に京都に全国の介護者たちが集まったことでした。
当時の老人福祉は「ねたきりのお年より」が中心だった時代です。
当事者にとっては社会的支援が無いのに等しい中、お互いを思いやり、励まして支え合う介護者同士の「集い」が原点となり「家族の会」が作られました。
名称も痴呆という言葉に抵抗し、あえて「ぼけ」という言葉を使っていました。
京都で始まった「家族の会」の活動に賛同し、北海道にも「家族の会」を設立することとなりました。
活動を進める中で、自身の介護経験から悩みを共有し、必要な情報を発信していくために電話相談も開始しました。
この頃から、「家族の会」の活動が当事者の立場で行うボランティア活動となることを意識しはじめたのかもしれません。
経験は宝、北海道内の家族の会は札幌を出発点に介護でつむいだ絆となって、今では道内47カ所にあります。
今日も全道のどこかで、地域の人へのボランティア活動に取り組んでいる仲間がいることでしょう。
今後はもっと若い世代にも関心を持ってほしいと思っています。
(ふくふく)
今日は、その団体について紹介したいと思います。
北海道に認知症の「家族の会」がはじめてできたのは昭和59年3月のことです。
前年に北海道社会福祉協議会が主催した「社会福祉講座」で、「ぼけ老人にも人間らしい日々を」と題した認知症についての講演がありました。
その時講師から、「介護者にはお互いに励まし合い、情報の交換や疲れた心を癒すために横のつながりが必要である」との話があり、家族の会結成を勧められたことが契機となりました。
「家族の会」のはじまりは昭和55年に京都に全国の介護者たちが集まったことでした。
当時の老人福祉は「ねたきりのお年より」が中心だった時代です。
当事者にとっては社会的支援が無いのに等しい中、お互いを思いやり、励まして支え合う介護者同士の「集い」が原点となり「家族の会」が作られました。
名称も痴呆という言葉に抵抗し、あえて「ぼけ」という言葉を使っていました。
京都で始まった「家族の会」の活動に賛同し、北海道にも「家族の会」を設立することとなりました。
活動を進める中で、自身の介護経験から悩みを共有し、必要な情報を発信していくために電話相談も開始しました。
この頃から、「家族の会」の活動が当事者の立場で行うボランティア活動となることを意識しはじめたのかもしれません。
経験は宝、北海道内の家族の会は札幌を出発点に介護でつむいだ絆となって、今では道内47カ所にあります。
今日も全道のどこかで、地域の人へのボランティア活動に取り組んでいる仲間がいることでしょう。
今後はもっと若い世代にも関心を持ってほしいと思っています。
(ふくふく)