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余はいかにして ファシリテーターとなりしか(1) [2008年04月08日(火)]
 昨年は、何度か若者向けにファシリテーション研修をする機会に恵まれました。いずれもNPO法人が主催するもので、NPO・NGO活動に関心をもつ若者向けの研修でした。「近頃の若いヤツは……」は、いつの時代も大人の口癖ですが、市民による公共的な活動に関心をもつ若者は、いつの時代にも健在です。
 ちなみに、かくいう私も、15年前はそんな若者だったかも……、しれません。
 昨年の夏、まつど市民活動サポートセンターの指定管理者である、NPO法人コミュニティ・コーディネーターズ・タンクCoCoTが事務局を務める、「‘NPOでつけるコミュニケーション力’ファシリテーター体験セミナー」では、高校生から若手社会人までを相手に、講師を務めました。
 また、(特活)NPOサポートセンターが主催して、大学生・大学院生のNPO・NGOへのインターンを受け入れる、「NPOインターンシッププログラム2007」では、中間研修「コミュニケーション力を高めよう!」の講師を務めました。

 私が大学3年生だった1995年の夏には、まだNPO法はなく、インターンやアルバイト先としてNPO・NGOを選ぶ学生に出会うこともなかったので、NPO・NGOをインターン先として選ぶ学生たちと触れ合う機会を得たのには、隔世の感を覚えました。
 しかも、「NPOインターンシッププログラム2007」のインターン生に質問したところ、まずは企業に就職したいと思っている学生がほとんどであったため、それでもあえてインターン先としてNPO・NGOを選んだところに、かえって関心の高さを感じました。

 そんなインターン生に触発されて、企業への就職を振り出しに、NPO法人への転職、個人事務所での独立開業とたどり、大学講師や市役所職員を兼務する、私のような働き方もあることを紹介しました。
 そこでは、「私の『自分らしい働き方』戦略 3ヶ条」として、次のようなことを紹介しました。
1.まだ十分に専門性が確立していない分野で、先行して専門性を確立する
2.他にない特徴の組み合わせをして差別化を図る
  ファシリテーター + 市民自治の研究者 + 30代
  (インターネットのおかげで、情報発信が容易である。
   専門誌等のメディアで取り上げてもらい箔をつける)
3.専門性の確立が自信になり、コミュニケーションにも余裕が生まれる
 実際のところ、ファシリテーションスキルの演習より、この3ヶ条への「食いつき」が一番よかったです(笑)。

 ところで、最近、自治体職員向けに研修をしていると、よく若手から、「なぜ、いまのような仕事をしているのか」と質問されます。「いまのような」というのは、市民参加や協働のファシリテーターであったり、NPOに関わる活動や仕事であったり、という意味です。
 なかには、かつて勤めていた、米系経営コンサルティング会社のアンダーセンコンサルティング(現:アクセンチュア)のことを多少知っている人もおり、なぜ高給を捨てて、NPOに転職したり、独立開業したりしたのか、と尋ねられることもあります。

 アンダーセンを辞めたことについていえば、基本的に私は、「組織嫌い」だということに尽きます。自分の意に沿わぬ仕事を、組織に命じられてやるのが、たまらなくイヤだったのです。特に、アンダーセンは、にわか成金を自慢のネタにするような上司や先輩が多く、あまり尊敬できなかったのでなおさらです。
 それに、高給といっても、「虎の威を借る狐」ではありませんが、しょせん会社の名前で稼いでいるだけで、自分の力ではありません。もちろん、組織で力を発揮するのも能力のひとつなので、それで高給を稼ぐことを否定するつもりはありませんが、私は、自分の名前で稼ぐ実感がもてる方にやりがいを感じます。

 アンダーセンを辞めて、なぜNPO法人東京ランポ(現:NPO法人ローカルアクションシンクポッツ・まち未来)に転職したのか、というのもよく聞かれる質問です。
 私は、慶應義塾大学在学時、「文化地理研究会」というサークルに所属していました。そこで、Jリーグホームタウンや大道芸の調査などを通して、まちおこしや地域づくりに携わる市民や自治体職員の熱意に触れる機会に恵まれました。
 それが、いざ転職を決意したとき、「まちづくり」に関わる仕事をしたいと思った底流になったといえます。しかも、大学院に進んだり都市開発の企業に転職したりする道も考えられましたが、NPO法が成立したばかりというタイミングが、NPOへの転職を選ばせました。

 さらにさかのぼると、NPOにつらなる底流はまだあります。アジア太平洋資料センター(PARC)が行っている「自由学校」です。高校1年生の頃、故郷の福岡にいた私は、市民団体が受け皿となって福岡でも開校した「自由学校」に、最年少で通っていました。
 「アジアのなかの福岡」を行政も企業も市民団体も掲げるようになった1990年代初頭。まだアジアには、いまの経済発展著しいイメージはありませんでしたが、貧しいけれどもたくましいアジアを学びたくて、門を叩きました。そこで、講師を務める、NPO・NGOの人たちと出会うようになり、いまにつながる感覚を養ったのだと思います。

 その「自由学校」で、初めて「ワークショップ」というものに触れました。ファシリテーター兼講師は、当時、砂糖きびプランテーションのために「飢餓の島」となった、フィリピン・ネグロス島でフェア・トレード活動を展開していた、日本ネグロスキャンペーン委員会の堀田正彦さん(現:オルタ・トレード・ジャパン代表取締役)でした。
 このときやった、「バナナと私」を考えるワークショップが、いまの私のファシリテーター経験の原点になっています。

 こんな様々な底流が、自分らしさを求める働き方・生き方のなかでいつしか本流となり、ファシリテーターの仕事やライフワークとしての旅につながって、いまの私があるといえます。
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