日本NPO学会の公開シンポジウム「NPO再考−10年を振り返る」は、会員以外でも参加できるということで、出かけてみました。
パネリストには、前東京大学総長で内閣府の国民生活審議会会長も務める佐々木毅さん、民間外交の草分けである(財)日本国際交流センターの山本正さん、(特活)フローレンスで病児保育を手がける若手社会起業家の駒崎弘樹さん、NPO議員連盟の会長を務めてきた衆議院議員の加藤紘一さん。『NPOが自立する日〜行政の下請け化に未来はない』の著者である田中弥生さんの司会で進みました。
一人ひとりの1回の発言が長かったため、必ずしも議論がかみ合っていたとはいえませんが、キーワードは「市民社会(Civil Society)」であったと理解しました。
例えば、佐々木さんは、官と民の議論が政府と市場の議論に矮小化され、「市民社会」のことが十分に議論されてきていないことを指摘しました。また、加藤議員は、小泉政権下で広がった市場原理主義は、「市民社会」の担い手であるNPOが企業の支援を得る面では逆風になった旨の発言をしました。
駒崎さんは、病児保育という社会的な課題にビジネスとしてうまく対処したという意味で、「市民社会」と市場をうまくつないだ事業家です。
そして、山本さんは、この10年でNPO法人は3万を超えるまでになったものの、阪神大震災などを経てNPO法をつくった頃に比べると、日本の「市民社会」の発展という意味では、思いが冷めた時代ではなかったかと述べました。
「市民社会」は、政府が担う公的な領域でも、市場が担う私的な領域でもなく、共的あるいは公共的な領域を担うものとして観念されます。
構成員が多いために一人ひとりの意思が反映されにくい政府、個々人の満足が最大に尊重されるゆえに他者とのつながりが分断される市場。その間にあって、個人同士が関わり合って、共同の課題に対処していくのが市民社会です。
市民社会が、政府と市場に引き裂かれるなどして、十分に機能できないとどうなるでしょうか。政府による戦争や市場による格差が世界中で猛威をふるうような状況にあっても、市民は対抗する手段を持ち得なくなります。
NPOは市民社会の担い手とされます。ワイドショーの視聴者(や制作者)のように、社会の矛盾を誰かのせいにして済ませるのでなく、自分のこととして行動する方法を提示するのはNPOの使命といえます。
(特活)せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫さんは、なぜNPOをやるのかについて、わかりやすい説明をします。
NPOで活動する他人を見て、「特別な人」「好きでやっている人」とレッテルを貼るのは、そのNPOが取り組んでいる課題を自分に関わりがあることと認めないで済ませる方便だといいます。自分の課題だと認めてしまうと、自分が何もしていないことが居たたまれなくなるからです。
ワーキングプアや限界集落の問題、テロを生み出す貧困や不当な戦争の問題など、市場や政府によってもたらされる課題に対して、知らん顔を決め込んでしまうことは楽です。しかし、社会の矛盾に対して何もしないことは、加害者の一員になっているのと同じことです。
NPOには、いち早く社会の矛盾に気がついた人たちが、どうすればよいのかをより多くの市民に示すことで、政府や市場の猛威に対して市民社会を機能させる役割があるといえます。
これまでの10年、NPOは、介護保険や地域づくりなどの新たなサービス提供者として、その存在を広く知られるようになってきました。また、私自身がそうであったように、職業の選択肢の1つにもなってきました。
NPOが、社会にあって、特に、経済生活の営みにあって、かなり当たり前の存在になってきたことは確かでしょう。
これからの10年は、財政危機や倫理低下といった制度疲労が明らかな政府・役所、グローバリゼーションのなかで格差拡大と人間のモノ化を進める市場・企業に代わって、NPOや社会起業による市民社会が人間や自然の尊厳を守ることが必要であろうと思います。
そのカギとなるのは、自分のこととして課題に関わる市民を増やすことです。現在、自治体職員を兼務していて目にするのは、タテ割りの仕事の仕方にとらわれるあまり、「これは○○課の仕事だ」といって、できるだけ課題に関わるのを避けようとする公務員の姿です。
歴史を振り返ると、どんなシステムも制度疲労を起こして必ず破綻します。かつてのサムライのように、公務員が天下泰平の夢をむさぼったまま課題に対処する能力を失ったとき、自発的に課題に関わりを持つ市民によるNPOが、いっそう存在感を増すことになるでしょう。
ネット検索、署名、投稿・・・
まずはパソコンの前でも、自分にできることを!!