答えは、幕末。尊王か佐幕か、攘夷か開国か、と揺れた時代にあって、身分にとらわれず、多くの結社が行われたからです。
たとえば、新選組は、剣の技術が低下した武士に代わり、京都の治安を守るために活動した、いわば治安NPOです。いまで言えば、さしずめNPO法人日本ガーディアンエンジェルスのようなものでしょうか。
その実力が、幕府の京都守護職に認められ、資金の提供を受けたあたりは、まさに行政とNPOの協働だったと言えます。
明治時代に入り、四民平等となるのに伴って、俸禄を食めなくなったサムライが、慣れない商売を始めて、その高飛車な態度が不評を買ったことを「武士の商法」と言いますが、ろくにNPOを知らない行政職員が、NPOの支援を行うのは、まさに「武士の商法」です。
そこで、市民活動サポートセンターなどを、専門性のあるNPOに指定管理や業務委託で任せるのは、当然のことと言えます。もっとも、安い値段で仕事を出すあたりは、やはり身分の違いなのでしょうか。5人の職員を束ねるセンター長には、5人の部下を率いる課長と同様の待遇は必要なように思うのですが。
ところで、NPOにとって最も大切なものは、言うまでもなく「ミッション」(使命)です。なぜなら、自分たちの活動が社会にとって必要な理由そのものだからです。
一方で、地方自治体は、国の地方自治法によって、各地方での独占的な地位が認められ、住民から税金を徴収する権限が与えられています。これは、江戸幕府によって、各地方に藩が封じられ、領地領民を支配することが認められたのと同じ仕組みです。やはり、自治体は「殿様」商売なのです。
しかし、特に2000年の分権改革以降、地方自治体は住民の意思でつくるもの、住民がコントロールするものになっているはずです。また、合併は、ゼロから自治体をつくるわけではありませんが、住民の意思で決めることと言えます。
そう考えると、首長の人気取りとか、住民のガス抜きとか揶揄される自治基本条例も、自治を、国から与えられたものではなく、住民がつくるものに変える意味では、やはり重要なのです。いわば、地方自治体に「ミッション」を与えるものなのです。
考えてみれば、条例は、住民の代表である議会が話し合って定める規範です。税条例などは、「わが自治体は、住民の意思に基づいて、これだけの税を徴収します」と宣言するものなのです。
そういう意味では、議員には、住民意思の形成や行政のチェックという「ミッション」があるわけで、そこを常に意識してもらわなくてはなりません。
同様に行政職員にも、定年まで食いっぱぐれることのない、安定した仕事ということではなく、職員としての「ミッション」を意識してもらう必要があります。
たとえば、私は、任期付職員を務める千葉県四街道市で、市民参加条例の運用を担当していますが、市民意思の結晶である条例を、市民に信託されて運用するのが私の職員としての「ミッション」です。
ときどき、国や県から急いで計画をつくるように言われたとか、県内の他自治体はすでに計画を策定しているといった理由で、市民参加の手続きを省略してほしいと言ってくる職員もいますが、そうはいかないのです。市民に成り代わって、市民が市政に参加する場を保障するのが、私の職員としての「ミッション」だからです。
幕藩体制さながらの国と地方の関係、武士の意識が抜けきれない行政職員や議員、支配されるのに慣れてしまった住民。住民本位の自治を実現するには、そんな長い歴史の呪縛から解き放たれる、発想の転換が必要です。
史実ではありませんが、野武士集団に荒らされる村の危機を救った、黒澤明監督の『七人の侍』のように、サムライの職能を活かして、行政職員や議員も自治体の仕事を行う必要があります。そして、映画では、本当の勝者は、七人の侍を雇った農民たちであったように、住民は職員や議員に「ミッション」を与える必要があります。
また、住民自らNPOを結社して、現代の新選組たらんとすることも必要でしょう。
『水戸黄門』の勧善懲悪話ではありませんが、このように歴史になぞらえてみると、地方自治やNPOも、何だか身近なものに感じられるようになりませんか?
※ 写真は、今年のNHK大河ドラマ『風林火山』の舞台、山梨県甲府市です。今年、研修講師の仕事で、7回訪れました。
一見、記事に出てくる新選組とは無関係なようですが、戊辰戦争のとき、新選組を主力とする甲陽鎮撫隊が、新政府軍を迎え撃つべく、江戸を発して向かったのは、甲府城でした。