2018(平成30)年10月1日(月)
○大田文化の森運営協議会・地域活動学習会「大田区の地域のしくみと活動を知る」講師(大田文化の森にて)
3日(水)
○平成30年度和光市協働事業選考委員会1次選考出席(和光市役所にて)
○おおた区民活動団体連絡会・第16回茶論「大田文化の森運営協議会のしくみと活用法」主催(大田文化の森にて)
4日(木)
○平成30年度習志野市民カレッジステップアップ編「卒業生の実践から学ぶ市民活動・地域活動」「市民活動の意義・持続可能な活動のあり方」講師(サンロード津田沼にて)
6日(土)
○大田区立入新井第四小学校運動会参加(入新井第四小学校にて)
8日(月・体育の日)
○第35回大田区区民スポーツまつりボランティア参加、大田区青少年委員として大田区スポーツ推進委員とともに体力測定を実施(大森第三中学校にて)
9日(火)
○大田文化の森運営協議会・平成30年度第14回運営会議出席(大田文化の森にて)
○大田区青少年委員会・平成30年度10月運営委員会出席(大田区立消費者生活センターにて)
10日(水)
○大田区・平成30年度区民活動コーディネーター養成講座・第3回「行列のできるチラシと企画の作り方」(講師:NPO法人男女共同参画おおた理事長 坂田静香)ナビゲーター(大田区立消費者生活センターにて)
12日(金)
〇大田区立中学校PTA連合協議会・教育長を囲む教育懇談会出席(大田区立消費者生活センターにて)
14日(日)
○袖ケ浦市根形地区座談会ファシリテーター(根形公民館にて)
○大田区立中学校PTA連合協議会バレーボール大会・大森地区大会応援(貝塚中学校にて)
15日(月)
○平成30年度大田区主催NPO・区民活動フォーラム第1回実行委員会進行(大田区立消費者生活センターにて)
18日(木)
○第3回郡山市市民活動ガイドブック編集ワークショップファシリテーター(郡山市ニコニコこども館にて)
19日(金)
○平成30年度福島市女性が輝くまちづくり推進事業・ウィメンズ・イノベーション・カレッジ イン ふくしま・第4回講座「提案書の作成」ファシリテーター講師(福島市男女共同参画センター「ウィズ・もとまち」にて)
20日(土)
〇平成30年度袖ケ浦市まちづくり講座(ステップアップ講座)第2回「地域のコラボを生み出す会議ファシリテーション」ナビゲーター&講師(袖ケ浦市保健センターにて)
○袖ケ浦市平岡地区座談会ファシリテーター(平岡公民館にて)
21日(日)
○新井宿六丁目町会防災訓練参加、防火管理者としてマンション消防訓練を兼ねて居住者を引率(入新井第四小学校にて)
22日(月)
○印西市高齢者福祉課・地域づくりに活かすファシリテーション研修第1日講師(印西市役所にて)
23日(火)
○印西市高齢者福祉課・地域づくりに活かすファシリテーション研修第2日講師(印西市役所にて)
24日(水)
○大田区・平成30年度区民活動コーディネーター養成講座・第4回「地域の人材・団体をコーディネートした事例に学ぶ」ナビゲーター(大田区立消費者生活センターにて)
26日(金)
○大田区立大森第三中学校学芸発表会第1日参加(大森第三中学校にて)
27日(土)
○大田区立大森第三中学校学芸発表会第2日(合唱コンクール)参加(大森第三中学校にて)
○平成30年度第3回大田区立大森第三中学校地域教育連絡協議会出席(大森第三中学校にて)
28日(日)
○八戸市地域コミュニティ人材育成アカデミー第3期・第2回「魅力ある町内会活動のつくり方〜地域コミュニティ活性化のヒント〜」講師(八戸市役所にて)
30日(火)
○袖ケ浦市ファシリテーション研修講師(袖ケ浦市役所にて)
31日(水)
○おおた区民活動団体連絡会世話人会出席(micsおおたにて)
★フェイスブックより★
10月17日(水)今朝は、鍛冶橋バスターミナルからの高速バスでスタート。
予約時のちょっとしたミスのせいか(?)、最後尾席を広々とあてがっていただき、おかげで急ぎのデスクワークもはかどりました。
行き先は、裏磐梯。明日・明後日の郡山&福島への出張2連チャンの前乗りです。
先々月に磐梯熱海&猪苗代、先月に会津若松&喜多方と訪ねましたが、磐梯山を裏から見るのは初めて。
五色沼近くの宿で荷を降ろし、五色沼探訪へ出発。最初は熊出没情報にビビりつつも、紅葉本格化前の平日にしては意外と途切れない人並みのおかげで、安心して巡れました。松の香りと沼の青さに癒されました。
でも、今日一番のヒットは、磐梯山噴火記念館かも。
五色沼をはじめ、裏磐梯の景観は、1888(明治21)年の磐梯山の水蒸気爆発による山体崩壊によってできたもの。土砂が川の流れを堰き止め、沼や湖をつくったことを学びました(幕末の人たちが見た磐梯山とは、形が異なることに驚き)。
今夜は上弦の月。夕方、宿に戻る際、すっぽりと真ん中が抜けた、裏から見る磐梯山のシルエットに、寂しさと美しさを覚えつつ、明日からもがんばろう!と思わせる、月と山並みの共演でした。
(昼食の山塩ラーメンも、お手頃な宿の夕食本格コースも美味しかったです。)
10月20日(土)今日は、午前と夜間に袖ケ浦市でお仕事。午後がすっぽり空いてしまい、さてどうしよう、ということで、初の久留里線へ。
千葉県は、小湊鐵道、いすみ鉄道、銚子電鉄、流鉄(流山電鉄)など、ローカル線の宝庫ですが、久留里線はれっきとしたJR! でも、SuicaやPASMOは使えません。
車窓から、のんびりとした秋の田園風景を楽しみながら、降りたのは久留里駅。久留里線沿線随一の市街地があります。
それもそのはず、戦国時代には真里谷(まりやつ)武田氏、里見氏などが拠り、江戸時代には黒田氏(筑前黒田氏とは別。館林藩家老から大名になった)をはじめとする譜代大名が治めた久留里城の城下町だからです。
観光の中心も久留里城。本丸には天守閣、二の丸には久留里城址資料館があります。天守閣からは、山城らしいよい眺め。里の風景を一望できました。シニア夫婦やファミリーの観光客が意外と多かったのに驚き。
資料館では、明治150年に合わせた記念展が行われていました。戊辰戦争の上総における展開、また、「旧藩社会」をキーワードに、旧藩主や旧藩士が明治維新をどう受容していったか、を中心とした興味深い展示でした。『西郷どん』などでは描かれない、小藩から見た明治維新がよく伝わってきました。
滞在時間が約3時間ということで、あまり経済的な貢献はできませんでしたが、市街地には思った以上にお店(酒蔵も!)があり、もう少しゆっくり散策したかったです。
上総掘りのメッカということで、あちこちに「生きた水」と称される自噴井戸があるのも印象的でした。
10月28日(日)八戸の日曜日といえば、館鼻岸壁朝市。日の出から9時頃までやっています。100円バス「いさば号」に乗って出発。3度目の八戸にして、初めて来ました。
安くて美味しいものがいっぱい! 数あるお店から、サバめしコロッケ、くじら汁、甘酒をいただき、切り口が珍しく、酸味のきいたリンゴ「紅の夢」をお土産に買いました。
ホテル、朝食付きにするんじゃなかった、と後悔。仕事前に、よい観光ができました。
* * *
午前中に講演を終え、午後は八戸の歴史散策へ。
日曜日の今日、メインストリートの十三日町は、歩行者天国でハロウィンイベント中。
「はっち」「マチニワ」などのスタイリッシュな公共施設を配置し、まちなかに賑わい空間を演出する手法は、人口20万人台の地方都市の顔づくりとして、学ぶところが大いにあります。
でも、今日の私は、ハロウィンにも動じることなく、玄人好みの歴史攻めを敢行。
昨日、新幹線から在来線への乗換の待ち時間に収集したガイドマップで、メインストリートに「安藤昌益資料館」があることを発見。
高校日本史で、江戸中期にルソーばりの平等を説いた思想家として記憶していた安藤昌益。代表作『自然真営道』を書き上げたのが、八戸の町医者時代に、飢饉で餓死する農民の惨状を目の当たりにした経験が元にあるとは知りませんでした(現代の地域づくりに取り組む私としても、共感するところがあります)。
この資料館は、酒造会社の一角に開設され運営されている民間施設。丁寧なガイドもしていただき、郷土の歴史を誇りにする八戸人の心意気を感じました。
昼食に、煮干し出汁の八戸ラーメンをいただいた後、中心街を離れ、新幹線駅の八戸駅へ向かうバスを途中下車して、根城(ねじょう)へ。
根城は、南北朝時代に、南朝方の武将として活躍した南部師行(もろゆき)が拠点とした中世の城。もとは、甲斐の身延を出自とする一族です(山梨県南部町は、現在も「南部の火祭り」で有名です)。
結局、北朝方に付いた同族の三戸南部氏が、江戸時代の盛岡や八戸を領する南部氏宗家に連なる地位を確立しますが、八戸市にとっての始祖はやはり根城南部氏。ボランティアガイドさんのお話でよく理解できました。
というわけで、今回は、南部氏の歴史をたどるのが「出張プラス旅」のテーマ。次は、盛岡へと向かいました。
10月29日(月)昨夕、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道に乗って、八戸から盛岡へ南下。実は、盛岡は初めて。東北6県の県庁所在地で唯一訪れたことがなかったため、今回の八戸出張の機会に立ち寄りました。
盛岡といえば、偉人を多く輩出したまち。明治憲法下で本格的な政党内閣を実現した平民宰相・原敬、国際連盟事務次長を務め太平洋の架け橋となった新渡戸稲造、三国同盟や日米開戦に反対し最後の海軍大臣として終戦に努めた米内光政。
いずれも盛岡藩士の家に生まれ、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟側に立って敗戦した苦難をバネにした、信念の人たちです。銅像やゆかりの場所がまちのあちらこちらで見られました。
また、早逝の文学者である石川啄木と宮沢賢治が青春時代を過ごした地でもあります。二人の足跡は、旧第九十銀行本店本館を活用した「もりおか啄木・賢治青春館」で学ぶことができました。
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
(石川啄木)
あのイーハトーヴォのすきとおった風・・・(略)・・・
うつくしい森で飾られたモリーオ市・・・(略)
(宮沢賢治『ポラーノの広場』)
二人とも、盛岡を終生愛し、創作活動にも影響のあったことが、よくわかりました。
観光マップのキャッチフレーズは「歩いてたのしむまち」。途中、鮭が遡上する川を渡ったり、おしゃれなショップを備えた酒造会社があったり、町家の並ぶ通りがあったり、石を割って成長している桜があったりと、本当に歩いて楽しいまちでした。
ただ、日本海側の雨雲と太平洋側の晴れがせめぎ合い、今日の盛岡は晴れたり降ったり。
少年剣士だった頃に愛読したマンガ『六三四の剣』の舞台が岩手・盛岡とあって、作中によく登場した岩手山を眺めることを楽しみにしていましたが、ついぞ雲に隠れてわずかに稜線が見えるのみでした。
モリオカ三大麺のうち、冷麺とじゃじゃ麺はクリアしましたが、わんこそばはお預け(六三四ばりに「めん、めん、めーん!」とは決められず)。また来なきゃ、です。
(昨晩の夕食のホヤ刺しは、塩加減がちょうどよく、絶品でした! 地酒もうまい! 「めん、めん、ほやー!」か?)