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Vol.351【ファンドレイジングスーパースター列伝】叡尊(日本) [2018年12月17日(Mon)]

叡尊

叡尊(えいそん、えいぞん、建仁元年〈1201年〉 - 正応3年8月25日〈1290年9月29日〉)は、鎌倉時代中期の日本の人物で、真言律宗の僧。字は思円(しえん)。謚号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)。興福寺の学僧・慶玄の子で、大和国添上郡箕田里(現・奈良県大和郡山市内)の生まれ。廃れかけていた戒律を復興し、衰退していた勝宝山西大寺(南都西大寺)を再興したことで知られる。
ーーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

247px-Kosho_Bosatsu_ie_Eison_(Saidaiji).jpg

社会事業に積極的に取り組んだ、偉大な僧をまた発見してしまいました。
鎌倉時代の僧です。

Wikipediaからの記述から、いくつか事例を拾ってみました。

◎文永3年(1266年) - 河内真福寺で非人救済を行う。

◎文永6年(1269年) - 般若寺の落慶供養を行い、周辺で非人・癩者を救済する。

◎殺生禁断、一部の仏教宗派が救済対象としなかった女性や貧者、ハンセン病患者などへの慈善、宇治橋の修繕といった社会事業にも尽くした。



他のサイトでも、叡尊の偉業を確認しました。

西大寺HP
宗祖:興正菩薩叡尊上人
http://saidaiji.or.jp/history/p2.html

第二に、当時非人と呼ばれ社会的に疎外された階層の人々を中心に救済の手を差しのべてゆく救貧施療の活動でした。特に後者から叡尊上人は日本の仏教福祉史上の最高峰と評価されることも少なくありません。

その根本理念である「興法利生」とは、「興隆仏法(仏教を盛んにすること)」「利益衆生(民衆を救済すること)」の略語で、それぞれ叡尊上人の具体的活動である戒律復興と非人救済に結実しています。

殺生禁断とした場所1356所、寺院新建100余所、修造590余所、西大寺に寄附した末寺1500余寺とあり、その活躍はまことに驚異的なものでありました。
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京都国立博物館HP
馬町十三重石塔 (うままちじゅうさんじゅうせきとう)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kenchiku/uma.html

叡尊の宗教家としての多彩な活動は、布教と事業という2つの面を持っています。布教は、人々に善(よ)い行いをするように勧(すす)め、その教えが人々の信望を集めました。対象は、特に中世社会の中心的階層となっていた富裕な農民、つまり荘官とか名主という役についていた人々です。彼らが善い行いをすることにより、領主として得た富が、土地の寄進やお金の寄付、施しものとして社会に還元されることになりました。非人や癩者に直接施しをする慈善事業も行われましたが、寺を創る、お堂や仏像を造るという事業によって、生活のための仕事を与えることもできたと思われます。社会事業であり、救済事業でもあったわけです。
ーーーーーーーーーーーーーー


他にも、約700の寺院の再建や建設にかかわったそうですが、それらも勧進で資金を集めたそうです。


そして、極めつけは、西大寺にある国宝「興正菩薩・叡尊坐像」です。
上述していますが、西大寺のHPに、この座像の画像が掲載されています。
http://saidaiji.or.jp/history/p2.html

弘安3年(1280年)、弟子らが仏師善春に80歳を迎えた叡尊の姿を写した木製寿像を造らせたものです(2016年に国宝指定)。
この座像は、約1700人の弟子が寄付をして作られたそうです。
まさに寄付の省庁ですね。




Wikipedia:叡尊

By Kamakura-period artist - Treasures of Buddhist Art from the Saidaiji Temple, Nara 奈良西大寺展 1991, catalogue no. 4, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44816101
Vol.350【ファンドレイジングスーパースター列伝】昭憲皇太后(日本) [2018年12月16日(Sun)]

昭憲皇太后

昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 1914年(大正3年)4月9日)は、明治天皇の皇后。旧名・一条美子(いちじょう はるこ)。病弱で実子はなかったが、嫡妻として、明治天皇の側室(柳原愛子)が生んだ嘉仁親王(大正天皇)を養子とした。
欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力した。史上初めて洋装をした皇后。1914年(大正3年)で崩御(64歳)。
ーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

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Wikipediaによれば、維新期の皇后として「社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現学習院女子高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。慈善事業の発展に熱心で、東京慈恵医院や博愛社(現在の日本赤十字社)の発展に貢献した」方でした。


なかでも、『昭憲皇太后基金』の取り組みは、世界的な活動として面白いですね。
ーーーーーーーーーー
1912年(明治45年)、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にて第9回赤十字国際会議が開催された際、国際赤十字に対して皇后が10万円(現在の貨幣価値に換算すれば3億5000万円ともいわれる)を下賜した。赤十字国際委員会はこの資金を基にして昭憲皇太后基金 (Empress Shōken Fund) を創設した。この基金は現在も運用されており、皇后の命日に利子を配分している。
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他にも、Webサイトからいくつか引用します。


1887年(明治20年)同年5月、有志共立東京病院(現在の東京慈恵病院)に約2万円(1200万円相当)を下賜。病院に「慈恵」という名を与える。(Wikipediaより)

昭憲皇太后さまの博愛と仁慈のご事蹟は、まさに先覚者的な役割を果たされたと申すべきでありましょう。日本赤十字社や慈恵会については、創立の当初からお力をそそがれ、また福田会育児院、岡山孤児院などの養護事業にも、やさしい御手をさしのべられました。
(明治神宮HPより)
http://www.meijijingu.or.jp/about/4.html

前述のメッシーナ地震に際しては、両陛下はイタリア政府に金1万円を寄贈されたが、民間でも「伊国震災義捐(ぎえん)金」が集められ、寄付金の総額は7万1,700円に達した。皇室の率先垂範が「社会福祉の精神を日本の社会に根付かせた」一例である。
(MAG2NEWS:敵兵にも義足を送った、明治天皇の皇后「昭憲皇太后」の慈悲心)
https://www.mag2.com/p/news/238686/3



最後に、昭憲皇太后基金についてもう少し詳しく見ていきます。

日本赤十字社のHPに詳しく掲載されていました。
昭憲皇太后基金〜100周年を迎える国際協力基金〜
http://www.jrc.or.jp/activity/international/news/120416_000935.html
(2012年)

『基金は、原資を取り崩すことなく、現在も皇室をはじめとする日本からの寄付金によって成り立っています。2012(平成24)年に創設100周年を迎えるにあたり、天皇皇后両陛下からはご下賜金を賜り、明治神宮と明治神宮崇敬会からも1000万円が寄付されました。日赤も毎年、個人・団体から受けたご寄託から500万円を拠出しています。
昨年12月31日時点での基金の総額は、約8億7980万円(10,016,382スイスフラン)。
1921(大正10)年の第1回配分から今回までの同基金による配分額は、合計で約11億240万円(12,456,186スイスフラン)になります。』

100年以上の歴史を持つ「昭憲皇太后基金」の配分決定〜約1,055万円を5カ国に〜
http://www.jrc.or.jp/press/130411_000440.html
(2013年)


こちらに、その当時の経緯が詳しく掲載されています。

昭憲皇太后基金の創立とその背景について
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f48-13.pdf


本当に、明治時代にはいろんな取り組みがあります。


Wikipedia:昭憲皇太后

By 宮内省 - http://venusclancolumn.up.n.seesaa.net/venusclancolumn/image/20150723221739433.jpg?d=a0, パブリック・ドメイン, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3342727
Vol.349【ファンドレイジングスーパースター列伝】佐藤助九郎(日本) [2018年12月15日(Sat)]

佐藤助九郎

佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1847年(弘化4年)- 1904年(明治37年))は、富山県砺波郡柳瀬(現砺波市)生まれの実業家。総合建設会社(ゼネコン)の佐藤工業株式会社創業者。

1500年代の佐藤家の祖佐藤助左衛門から数えて9代目佐藤助九郎の子で、名は10代目貞次であるが、佐藤工業の創業者、初代助九郎と称している。
ーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

佐藤助九郎.jpg
佐藤工業HPより
https://www.satokogyo.co.jp/company/history.html

こちらも、素晴らしい偉人です。
明治期の実業家は、本当に素晴らしい人が多いです。
以下、Wikipediaからの引用です。

ーーーーーーーーーー
私費を投じて幾多の難民救済事業を志し、又各地の工事現場で利益を上げては、その何割かをその地方の神社仏閣の復旧再建に当てるなど、社会事業家として徳の高い人であった。報恩の気持から社会公益のために尽くしたものには、橋梁・道路等も数多い。

明治7年(1874年)以降、私費を投じて架設した橋は、福岡橋(1874年)、河童橋(明治11年・1878年)、手取橋、新川橋(明治18年・1885年)、立山橋(明治26年・1893年)、栗生橋(明治29年・1896年)、笹津橋(明治19年・1886年県から請負→明治21年・1888年濁流で破壊→明治25年・1892年自費で再建)。私費橋の多くは有料化し報恩感謝の念を忘れないようにした。これらの多くの橋は、生活物資の供給に大きな役割を果たした。橋番は工事による身体障害者を充てたりしていた。

明治32年(1899年)に富山市の大火で本派本願寺富山別院が焼失した際、2ヵ月後に「蓮如上人400回忌法要」という大行事を控えていた本願寺の為に、助九郎が再建を引き受け、佐藤組単独により昼夜突貫で再建した。(この工事は予め請負契約がきちんとしてあり、完成した請負代金を一旦受領した上で、直ちにそれを寄付した。助九郎は「篤志の人」であり、その上、請負は請負、寄付は寄付として勘定のけじめをしっかり付けていた。)
ーーーーーーーーーーーーーー

いやー、すごい人です。


Wikipedia:佐藤助九郎
NPOが押さえておきたい省庁情報(2018/12/10-14) [2018年12月14日(Fri)]

社会的価値を出していくNPO・公益活動を行っていくために、国の動きをしっかり押さえておくことが重要です。しかしながら、現在、社会課題が複雑化し、もともと関係する省庁以外でも実はその課題に関する取り組みを行っているケースが増えてきています。

そこで、省庁のWebサイトの更新情報からNPO・公益活動に関係する情報を1週間分まとめて抜き出しました。ぜひ、これからの活動にご活用ください。


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NPOが押さえておきたい省庁情報(2018/12/10-14)

各省庁の情報は以下の「続きを読む・・・」をご覧ください。
続きを読む・・・
【開催報告】カナダ発祥のソーシャル・ムーブメント「WE Day」を学ぶ!(日本財団CANPAN・NPOフォーラム)2018年12月11日(火)夜・東京【寄付月間公式認定企画】 [2018年12月14日(Fri)]

みなさん、「WE Day」をご存じでしょうか?
カナダ発祥のソーシャルムーブメントである「WE Day」を偶然知り、強い衝撃を受けて、このセミナーを企画しました。




この「WE Day」は、カナダに本部があるWE(旧名称:フリー・ザ・チルドレン)によって主催されています。このWEの姉妹団体である認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンのWebサイトでは、次のように紹介されています。

『WE Dayは、より良い社会や世界をめざし、国内外の社会課題に向き合い、何らかのソーシャルアクション(社会貢献活動)にとりくんだ子ども・ 若者を祝い、更なるチェンジメーカーになるためにエンパワーメントする世界的ライブイベントです。
このイベントは2007年からフリー・ザ・チルドレン(現WE)によってカナダ、アメリカ、イギリスなどの各地で行われており、世界をより良い場所にするための社会貢献活動で招待券を手に入れた10代の子どもや若者とその先生方がこれまでに何十万人と集ってきました。
WE Dayにはたくさんのパフォーマーや演説者が招かれ、前向きなメッセージで参加者を激励します。WeDayはその年やり遂げたことを祝い、また次の一年間の活動のスタートの日です。ただのイベントではなく、WE Dayは世界をかえる行動をおこすために私たち若い世代が一同に集まり共有する時間、ムーブメントなのです!』


ちなみに、WE Dayは、2007年以来、カナダ、米国、英国で開催され、参加した子どもたちによって、1,000以上の慈善団体に4500万ドルの資金調達を行いました。また、子どもたちは、地域や世界的な課題に対して、1,460万時間をボランティアし、地元のフードバンクで560万ポンドの食糧を収集しました。
さらに、WE Dayに参加した子どもたちの98パーセントが世界を変えるために自分でも何かできると感じており、80パーセントがその後何らかのボランティア活動に参加、79パーセントが成人後に選挙で投票しているという結果も出ています。

正直、このムーブメントを知った時の衝撃はとてつもないものでした。
何がそこまで、カナダの中高生を熱狂させるのか?
しかも社会課題をテーマにしたイベントで!

このカナダのトロントで始まった世界的ライブイベント「WE Day」が、なんと「WE DayX in Japan」として、日本に上陸するそうです!


そこで、今回は、このWE Dayについて、日本で一番詳しい、フリー・ザ・チルドレン・ジャパン代表理事の中島早苗さんを講師にお招きして、WE Dayのムーブメントについてご紹介いただきました。あわせて、12歳でフリー・ザ・チルドレン(現・WE)を設立し、児童労働の問題に立ち向かったクレイグ・キールバーガーの軌跡についてもご紹介いただきました。

後半のパネルディスカッションでは、小学生や高校生にもパネリストとして登壇していただき、子どもたちの視点で社会貢献活動、WE Dayについて、語ってもらいました。

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日本財団CANPAN・NPOフォーラム
カナダ発祥のソーシャル・ムーブメント「WE Day」を学ぶ!
〜世界を変える、子ども・若者のためのイノベーションプラットフォーム〜
【寄付月間2018公式認定企画】


日 時:2018年12月11日(火)19:00〜21:00
場 所:日本財団ビル2階第1-3会議室
対 象:WE Dayが気になった方ならどなたでも
参加者:50名
主 催:日本財団CANPANプロジェクト
共 催:認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン


<スケジュール>
19:00 オープニング
 本日の趣旨説明
 参加者同士で自己紹介

19:15 基調講演
 「世界を変える、10代のためのイノベーションプラットフォーム WE Dayとは!?」
 講師:中島早苗さん(認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン代表理事)
  ✓創設者は12歳!子どもによる国際協力団体フリー・ザ・チルドレンの歩み
  ✓子どもや若者によるソーシャルアクション
  ✓現在4か国で開催されているWE Dayについて

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現地のWE Dayの様子については、フリー・ザ・チルドレン・ジャパンの元インターンで、実際にアメリカのWE Dayに参加したことのある、戸前順子さん、瀬川愛葵さんにもお話しいただきました。



19:45 話題提供
 「海外の音楽×参加型ソーシャルムーブメント」
 提供者:山田泰久(日本財団CANPAN)
 ✓ロスキレ・フェスティバル(デンマーク)
  http://blog.canpan.info/cpforum/archive/1595
  1971年より始まる。
  昨年は183組のアーティスト、13万人の観衆、3万人のボランティア。
  毎年、6月末から1週間開催される。
  3年毎に社会課題に関するメインテーマが決められており、昨年は「平等」。
  これまでに500億円以上の寄付を集めている。

 ✓グローバル・シチズン・フェスティバル(アメリカ)
  http://blog.canpan.info/cpforum/archive/1613
  2012年より、貧困撲滅を目指して立ち上げられたムーブメント「グローバル・シチズン」
  Take Actionを合言葉に、アドボカシー、ロビー活動を行っている。
  貧困撲滅に対する各国政府のコミットメントを引き出す。
  参加者は、社会課題に対してSNSで投稿したり、メールで友達に知らせる。
  各アクションごとにポイントが設定されている。
  アクションをして、21ポイントになると無料でコンサートに参加できる。
 
 ✓メタリカ(アメリカ)
  http://blog.canpan.info/cpforum/archive/1596
  アメリカの偉大なヘビーメタルバンド。
  古くからフードバンクの支援活動を行っている。
  ここ4,5年で、SNSを活用して啓発にも力を入れている。
  ファンが参加できる、チャリティ基金である「All Within My Hands Foundation」設立。
  ファンがフードバンクなどでボランティア活動をすると無料でコンサートに招待


19:55 シェアタイム
 参加者同士でこれまでの感想をシェア


20:05 パネルトーク
 「イベントだけではない、ソーシャルムーブメントとしての『WE Day』の本質」
 パネリスト:中島早苗さん(フリー・ザ・チルドレン・ジャパン 代表理事)
       瀬川愛葵さん(社会人)
       梶原拓朗さん(高校3年生)
       中村伊希さん(高校1年生)
       坂口くり果さん(小学校6年生)
 モデレーター:山田泰久(日本財団CANPAN)
  ✓中高生から見たWE Day、大人から見たWE Day
  ✓日本でのWe Day開催に向けて

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20:30 質疑応答

20:45 交流タイム

20:55 クロージング

21:00 終了


<参考サイト>
WE Day 特設ページ
http://www.ftcj.com/get-involved/weday

認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン
 Webサイト http://www.ftcj.com/index.html
 Facebook https://www.facebook.com/freethechildrenjapan1999
 Twitter  https://twitter.com/FTCJ


<プロフィール>
◎中島早苗さん
 認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン 代表理事
学生時代に環境保護団体に所属し活動を始めたことから社会問題に取組むようになる。アパレル会社勤務を経て1997年に渡米しNGOでのインターン中にFree The Childrenを知り理念に共感し、日本に紹介しようと帰国後の1999年に日本支部を設立。以後、活動に従事。訳書に「キッズパワーが世界を変える」、著書に「フィリピンの少女ピア」、「チャレンジ!キッズスピーチ」(共に大月書店刊)。2007年国際ソロプチミストより「青少年指導者育成賞」受賞。

◎認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンの紹介
1995年に当時12歳のカナダのクレイグ・キールバーガー少年によって貧困や搾取から子どもを解放することを目的に設立された「Free The Children(2016年8月にWE Charityに改名)」を母体に1999年から日本で活動を始めたNPO。「子どもや若者は助けられるだけの存在ではなく、自身が変化を起こす担い手である」という理念のもと、開発途上国での国際協力と並行して、日本の子どもや若者が国内外の問題に取組み、変化を起こす活動家になるようサポートしている。FTCJ独自ではフィリピン、インド、モンゴルを、WE Charityを通じインド、中国農村部、ケニア、シエラレオネ、タンザニア、エチオピア、ハイチ、エクアドル、ニカラグアの9ヶ国を対象に国際協力活動を行っており、今までに1000以上の学校を建て20万人以上の子どもが教育を受けられるようなった。
一人の少年から始まった活動は、今では世界45か国に広がり370万人もの子どもが活動に参加し、日本では1500人以上の子どもや若者がメンバーとなって活動している。現在日本の中学高校の英語、社会、家庭科などの教科書に団体のことが掲載され紹介されている。創設者クレイグとフリー・ザ・チルドレンは、過去に3度ノーベル平和賞にノミネートされ、日本では尾崎行雄記念財団から咢堂賞を受賞するなどし、その活動は国内外にて評価されている。

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<寄付月間について>
寄付の受け手側が寄付者に感謝し、また寄付者への報告内容を改善するきっかけとなり、そして多くの人が寄付の大切さと役割について考えることや、寄付に関心をよせ、行動をするきっかけともなる月間です。
NPO法人、公益法人、大学、企業、行政などで寄付に係る主な関係者が幅広く集い、寄付月間の発足を決定いたしました。
http://giving12.jp/


Vol.348【ファンドレイジングスーパースター列伝】フーゴ・ラッサール(日本) [2018年12月14日(Fri)]

フーゴ・ラッサール

フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサール(Hugo Makibi Enomiya-Lassalle, 1898年11月11日 - 1990年7月7日)は、ドイツ生まれのイエズス会員で、カトリック教会の司祭、宣教師。
1948年(昭和23年)に日本に帰化しており、日本名は愛宮真備(えのみや まきび)。

キリスト教の聖職者として初めて、坐禅を宗教生活のなかに実践的に導入した。1945年(昭和20年)8月6日に広島市の幟町天主公教会(幟町教会)で原子爆弾の投下に会い直接被爆したことで、犠牲者への慰霊のためだけではなく、世界平和を目指した祈念の場の必要性を痛感し、ヒロシマの地に世界平和記念聖堂を建設することに尽力した。それら広島の文化福祉の発展に広く貢献した功績が認められて、1968年(昭和43年)4月広島市の名誉市民として顕彰されている。
帰化名にもよく現れているように日本文化に対する造詣が深く、特に日本人の霊性への関心から禅宗に深い興味を抱き、自ら参禅しただけでなく他のキリスト教関係者にも積極的に坐禅を勧めた。日本国外ではむしろ、その理論と実践において「カトリック禅」ともいえる新境地を開拓したことで知られる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより、一部抜粋)

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約1年間、ファンディングスーパースター列伝を更新していますが、まだまだ知らない偉人がいっぱいです。そのうちの一人が、今回ご紹介する、フーゴ・ラッサールです。

フーゴ・ラッサールの足跡を少しまとめてみました。

ラッサールは1929年(昭和4年)に上智大学に派遣されることになった。

社会事業を行なうことを好み、関東大震災の被災者が多く住んでいて、1931年(昭和6年)当時東京市最大の困窮地帯であった荒川区三河島に、学生たちと活動するための拠点となる「上智セツルメント」を設立した。

1936年(昭和11年)事務所兼住居として新たに司祭館を建設し、そこに移り住むんだ。
1945年(昭和20年)に被爆した際は、その司祭館で被爆し、室内は損壊したものの躯体は爆風にも耐え、ラッサールたち5名の命を救うことになった。

1946年(昭和21年)3月、ラッサールはイエズス会の総会に出席するためにローマに旅立つ。ヨーロッパ、北米および南米をめぐって世界にヒロシマの惨状を報告しながら、世界平和記念聖堂建設に向けた協力を仰いだ。


ここで、フーゴ・ラッサールのファンドレイザーとしての活躍が始まります。
「世界平和記念聖堂」という一大プロジェクトが始まりました。

1947年(昭和22年)、第二次世界大戦の敗戦後に新たに平和国家として再出発した日本全体のものともするために、平和記念広島カトリック聖堂の建設計画自体を朝日新聞社の後援を得て、1948年(昭和23年)3月28日の復活祭の日を期して朝日新聞紙上に発表した。

1950年(昭和25年)工事と期を同じくするようにして始まった朝鮮戦争の影響で建設資材が数倍にも高騰するなど、当初から建設は困難を極めた。建設工事が中断するたびに、ラッサールは建設資金の手当に奔走しなければならなかったのである。

1951年(昭和26年)1月には「世界平和記念聖堂後援会」の名称を「広島平和記念聖堂建設後援会」と変えた上で、新たに名誉総裁に高松宮宣仁親王を戴き、総裁には吉田茂内閣総理大臣を迎えて、広島県出身の池田勇人大蔵大臣が実質的な取りまとめ役である会長発起人となって、国内での募金活動を支えることになった。


「世界平和記念聖堂」のWikipediaから、引用です。
ーーーーーーーーーーーーーー
1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)にかけて、ラッサール神父が世界中から募った義援金はパイプオルガンなどの寄贈品などを含めて6000万円相当にのぼったが、1億円の目標総額に不足する4000万円分を補うために、1950年(昭和25年)1月に「世界平和記念聖堂建設後援会」が発足[13]。翌1951年(昭和26年)には、新たに広島県出身の池田勇人大蔵大臣が代表発起人として後援会の名称を「広島平和記念聖堂建設後援会」と変え、名誉総裁に高松宮宣仁親王を戴き、総裁には吉田茂内閣総理大臣を迎えて国内の募金活動を支えた[12][注 6]。「世界平和記念聖堂」という正式名称の代わりに、あえて「広島」の名を冠したのは募金活動を進めやすくするためだったという。

募金総額は寄贈品を含めて9800万円にのぼり、その内訳は日本国外からの援助が約4000万円、パイプオルガンなどの寄贈品の形で約2000万円、日本国内からは第一次の募金が約1450万円、第二次分が約2350万円、合計約9800万円であった。実際にかかった工事費は約1億1500万円とされているが、不足分がどのように手当されたのかは明確でない。

いささか取って付けたような花弁状の複雑な八角形の形体の「ちょっと変わった丸屋根」のドームは、アメリカはニューヨークの実業家トーマス・A・ブラッドレーの寄贈によるものである。ブラッドレーの5万ドルにものぼる多額の寄付は、当時の換算レートで1800万円にもなり、初発計画時には聖堂建設費をほぼ満たす額であった。
しかし折からのインフレで建設資材が高騰し、ブラッドレーに追加の援助を求めたところ、聖堂をまるごと寄贈した形になるのではなく、自分の金が他人の寄付金の中に埋没してしまう事態に不快感を示し、それならばと、伝統的な大聖堂建築にとって最も重要な部分である内陣とその上部のドームにブラッドレーからの寄付金を充当するということで、追加資金援助の話がまとまったのである。

これはブラッドレーの売名行為から出たものではなく、ブラッドレー父子の1962年(昭和37年)の広島訪問の際までこの篤志は秘匿されていたことも、付記しておかなければならない。
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(Wikipediaより)


もう一つ、ファンドレイジング的に、面白いエピソードがありました。
結婚式
カトリック教会では、本来は信徒以外の結婚式は原則として受付けていないが、この聖堂では一般の結婚式も受け付けており、非常に人気がある。結婚式は、教会の典礼上結婚式ができない期間を除き、一日3組まで行われる。元々、1983年(昭和58年)の大規模な改修にあたり、その費用捻出のために始められたが、その後もこの聖堂の定期的な補修が必要なことから続けられている。
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384px-Hiroshima_World_Peace_Memorial_Cathedral.jpg



Wikipedia:フーゴ・ラッサール

By Grentidez - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15268515


Wikipedia:世界平和記念聖堂

By Wiiii - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6374749
Vol.347【ファンドレイジングスーパースター列伝】高木仁三郎(日本) [2018年12月13日(Thu)]

高木仁三郎

高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者、専門は核化学。理学博士(東京大学)。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。

政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立して代表を務めた。原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて警告を発した。特に、地震の際の原発の危険性を予見し地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動を象徴する人物でもあった。原子力発電に対する不安、関心が高まった1980年代末にはマスメディアでの発言も多かった。
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(Wikipediaより)


一度お会いしたかった群馬のソーシャルセクター界の偉人でした。

NPO関係でいえば、認定NPO法人高木仁三郎市民科学基金が有名だと思います。
この基金の立上げも、死してファンドレイザーとなるその姿勢に感動しました。


【認定NPO法人高木仁三郎市民科学基金】
http://www.takagifund.org/index.html

高木仁三郎.JPG

高木仁三郎市民科学基金(高木基金)は、2000年10月に62歳でこの世を去った市民科学者、高木仁三郎の遺志によって設立されました。高木仁三郎は、自らの遺産を元に基金を設立し、彼の生き方に共鳴する多くの人々に寄付を募り会員になってもらい、次の時代の「市民科学者」をめざす個人やグループに資金面での奨励・育成を行ってほしいとの遺言(「高木基金の構想と我が意向」)を残しました。

高木基金の沿革
2000年12月10日に日比谷公会堂で開催された「高木仁三郎さんを偲ぶ会―平和で持続的な未来に向かって―」において、「高木基金設立の呼びかけ」が行われ、この日をもって高木基金は発足しました。2001年9月にはNPO法人として法人格を取得しました。

高木基金は2001年10月に第1回の助成募集を発表して以来、2011年3月までに、のべ177件、総額9,353万円の日本国内およびアジアの個人・グループによる市民科学をめざす調 査研究・研修への助成を実施しています。
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http://www.takagifund.org/about/index.html



高木仁三郎自らの思いがこちらです。

高木仁三郎の遺言 「高木基金の構想と我が意向(抄)」
http://www.takagifund.org/about/kousou.html

『私の構想はこれらと違う。私には「生前の偉業」と呼ぶほどのものはないが、死後も世間を騒がす程度に長期的視野に立った事業、特にNPO の発展への具体的、実践的、現実主義的意図に関しては、「えらい先生方」にはない行動力があるつもりで、それが今日の私を私たらしめてきたものである。その線を、死に際しても貫くことで、私らしい生涯を貫徹できるのではないかと思う。後で仕事を担う人にはご苦労な話であるが、私の最後のわがままとして許されたい。 』


Webサイトに掲載されていた、古い情報ですが、2008年度までに、設立時からの収入累計は約1億7500万円となっているそうです。昨年度は会費を含めて、約2000万円の寄付があったそうです。

死して有効な基金を残すファンドレイザー。
高木仁三郎の生きざまを見ました。

【高木仁三郎の部屋】
http://www.cnic.jp/takagi/




Wikipedia:高木仁三郎
No.346【ファンドレイジングスーパースター列伝】水木しげるロード(日本) [2018年12月12日(Wed)]

水木しげるロード

「銅で出来ているものは、だいたいが寄付で出来ている」という説を唱えていますが、水木しげるロードの妖怪も、やはりそうでした。

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水木しげるロード(みずきしげるロード)は、日本の鳥取県境港市にある商店街の名称。観光対応型商店街[1] であり、漫画家・水木しげるが描く妖怪の世界観をテーマとした観光名所として日本では[注 1] 広く知られている。正規の日本の妖怪像として文化的価値も認知されている。

境港駅から本町アーケードまでの全長約800メートルの間に、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像など多数のオブジェが設置されており[1]、商店街は、同じ主題、共通のイメージコンセプトをもって思い思いの販売・サービスを展開する各種店舗・施設の集合体に成長している[2]。
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(Wikipediaより)


境港市は、同市出身の漫画家・水木しげるの代表作である『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』に登場する妖怪をモチーフにした銅像を設置する「水木しげるロード」の整備を決め、1993年(平成5年)、銅像23体が設置されました。

その後も、1997年(平成9年)には80体、2005年(平成17年)には96体、2006年(平成18年)に120体、2010年(平成22年)には139体、2012年(平成24年)には153体、2018年(平成30年)には177体となったそうです。


立上げ当初は、境港市が費用を負担していましたが、2004年から広く寄付を募って、銅像が設置されたそうです。

Wikipediaからの抜粋です。
何回か公募があったそうです。

2003年(平成15年)
境港市観光協会、境港商店街連合会、水木しげるロード振興会、水木プロダクションの民間4団体は、「妖怪ブロンズ像設置委員会」を立ち上げた。

2004年(平成16年)
妖怪ブロンズ像設置委員会が、水木しげるロードへの銅像100体設置を目標に掲げ、像に名前を刻む代わりに設置費(1体につき、最低100万円)を出してくれるスポンサー(寄贈者)を全国に向けて公募する。この戦略は功を奏して全国の熱烈な水木ファンから申し込みが殺到し、募集開始から2か月足らずで目標達成の目星が付く。


2016年(平成28年)
11月1日:新たに設置するブロンズ像18体のスポンサー公募が始まる。
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こちらが、公募していた時の情報です。

width=16【お知らせ】妖怪ブロンズ像設置 スポンサーを募集
ブロンズ像100体設置を目指します!
http://www.sakaiminato.net/site2/page/mizuki/news/news2004/bronz/

妖怪ブロンズ像設置について(お願い)
http://www.sakaiminato.net/user/filer_public/52/4b/524b39b6-f325-46d9-b396-fcb5a7acd6b4/p05146.pdf

3月11日 ブロンズ像寄付金公募終了のお知らせ
http://www.sakaiminato.net/site2/page/mizuki/news/2006/bronzlast/



一緒に水木しげるロードのWebサイトもご覧ください。
http://www.sakaiminato.net/mizuki/


Wikipedia:水木しげるロード
No.345【ファンドレイジングスーパースター列伝】連邦美術計画(アメリカ) [2018年12月11日(Tue)]

220px-Rachel_Silverthorne_Mural_in_Muncy,_Pennsylvania.jpg連邦美術計画

厳密には、ファンドレイジングでないかもしれませんが、なかなか面白いなと思い、とりあげました。


連邦美術計画(れんぽうびじゅつけいかく、Federal Art Project 、フェデラル・アート・プロジェクトとも訳される。略称FAP)はアメリカ合衆国の連邦政府公共事業促進局が1930年代に打ち出した芸術家支援計画のひとつ。
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(Wikipediaより)

220px-Rachel_Silverthorne_Mural_in_Muncy,_Pennsylvania.jpg
ペンシルベニア州ライカミング郡の郵便局外壁の壁画

世界恐慌に端を発した大不況時代、第二期ニューディール政策の一環として、失業者救済の事業が芸術家支援計画「フェデラル・ワン」で、この計画のうち、ヴィジュアル・アート(美術、視覚芸術)分野の計画が「連邦美術計画」です。
そして、その当時、芸術活動や団体への寄付に対する控除制度が設けられたそうです。

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連邦美術計画の最初の目標は仕事のない美術家を政府が雇い、美術作品を連邦政府以外に属する建物(郡役所、郵便局、図書館など)に供給し、市民に美術に接する機会をより多く与えることだった。

連邦美術計画によって5000人〜1万人が雇用され、20万点もの作品が制作され、さまざまなポスター・壁画・絵画・彫刻が作成された。それらの作品は公共機関や学校や病院などに飾られ、2000以上のビルの壁面を覆い、国内で最も目立つパブリック・アートがいくつも誕生した。
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(Wikipediaより)

この計画のおかげにより、戦後、新築ビルに建築費の1パーセントをパブリック・アートに使うよう義務付ける条例などができたそうです。

このムーブメントは、アメリカにとどまらず、ヨーロッパにも同じムーブメントが生まれます。

『1パーセントフォーアート』

1パーセントフォーアートとは、公共建築の建設費の1パーセントを、その建築物に関連・付随する芸術・アートのために支出しようという考えのこと。欧米では戦後早い時期に、公共建築の建設費の1%をその建物に関連する芸術に割り当てる法律が成立した。この建設費を環境芸術に割り当てる歩合国や自治体によって様々である。

フランスでは、1%芸術法(1 pourcent artistique=アンプールサン アーティスティック)と呼ばれている。現代美術を大衆層に近づけることを目的に1935年に法案が準備されたが、同法案が正式に文部省より発令されたのは1951年になってからの事である。大学を含む学校建築物のモニュメンタルな装飾事業を義務付けた法令の基礎がここに定められた。
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(Wikipediaより)


【1% For Art】
公共建築物を建てた際、その費用の1%を建物に関連するパブリックアートに割く「1%フォー・アート」は現在、欧米だけでなくアジアでは韓国や台湾でも採用されています。どのような経緯を辿って導入したのか、幾つかの国の事例を紹介します
http://www.1percent-for-art.com/public-art-(world).html


ファンドレイジングの事例として、どうぞ。



Wikipedia:連邦美術計画


Wikipedia:1パーセントフォーアート

By Painting John W. Beauchamp (1906 - ?) - http://www.pavalleys.com/content/property/01903/PDF.pdf, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1972229
NPO関係者が読むべきCANPANブログおススメ記事2018/11/30-2018/12/6 [2018年12月10日(Mon)]

2018年11月30日から2018年12月6日までのCANPANブログの中から、NPOの組織マネジメントに参考になるような記事をご紹介いたします。

参考ブログ.jpg



ブログ「川北秀人 on 人・組織・地球」


遠軽町・北見市・美幌町で「地域の未来に備える」勉強会でした! [2018年12月02日(Sun)]
http://blog.canpan.info/dede/archive/1305
・同地における小規模多機能自治の必要性と、進め方のポイントについてお話しさせていただきました。
・高齢化率を見れば、全国平均の15年から30年先を行く同地において、小規模多機能自治は、地域の持続可能性を保つ・高めるために不可欠であり、「やるか・やらないか」ではなく、「どのように始め、拡げ、育て続けるか」が問われています
・そのことに気付き始めてくださっている地域と、「よそに比べれば、自分たちは大丈夫」と、根拠もなく信じ込んでいる地域とでは、どちらが「ヤバい」かは、言うまでもなく分かりますよね。
★当日の資料やアドバイスが盛りだくさんの記事になっております。ぜひ、ご覧ください。

ブログ「NPO会計・リクツとコツ〜目指せ、NPO会計キュレーター」

元気に前に進むためのUPUPセミナー[2018年11月30日(Fri)]
http://blog.canpan.info/sally_nakao/archive/3038
・コンサル系な先輩たちと、こんなイベントを実施します。
・私としては、「女性起業家」「女性リーダー」と言われるとこそばゆいけれどそういう役割を引き受けた人が集まって、仲間になっていけるといいなと思っています
・営利セクター・非営利セクター問わず、というかそこの垣根ない形でやります
★記事をご覧になって、ピンときた方は、ぜひご参加ください。


ブログ「志的ブログ by NPOのための弁護士ネットワーク」

寄付月間2018 遺贈寄付の実務相談[2018年12月04日(Tue)]
http://blog.canpan.info/npolawnet/archive/58
・NPOのための弁護士ネットワークは、寄付月間2018の公認企画として、遺贈寄付に関する無料相談を10団体限定で実施します
・遺贈寄付を受け入れるNPO、NGOを対象に、遺贈寄付の受け入れに向けた具体的な手順、寄付ポリシーや内部規程の策定、書類の準備、広報ツールのチェックなど、遺贈寄付の導入支援のためのアドバイスを無料で実施します
・遺贈寄付に取り組みたいがどのような準備をしておけばよいのか分からない、遺贈寄付を広報する手段や内容をチェックしてほしい、遺贈寄付の受け入れに関するリスクや注意点を確認したい、という団体は、この機会にぜひご応募ください。
★NPOのための弁護士ネットワークの寄付月間の取り組みです。10団体限定となっておりますので、ぜひこの機会にご相談ください。
http://blog.canpan.info/npolawnet/archive/58
Posted by 藤川 幸子 at 14:55 | 参考ブログ | この記事のURL | コメント(0)
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