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【開催案内】寄付月間公式認定企画*第8回 CSR Meetup テーマ「CSR × 寄付」2015年12月4日(金)東京・夜 (11/10) 松尾
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No.090【ファンドレイジングスーパースター列伝】三井慈善病院/賛助婦人会(日本) [2018年03月31日(Sat)]

三井慈善病院


現在の三井記念病院の前身が「三井慈善病院」です。
(1919年(大正8年)4月に、「財団法人泉橋慈善病院」に改称)

『三井記念病院100年のあゆみ』から抜粋です。
ーーーー
三井家は、明治38年(1905)9月の日露戦争終結に伴い、ポーツマス条約が調印された1年後の明治39年(1906)9月に、戦勝を記念する意味も込めて「汎ク貧困ナル病者ノ為メ施療ヲ為スヲ目的」として、東京市内に施療病院を開設するため100万円を寄付し、これを維持基本金(基金)として、財団法人組織の慈善病院を設立することを決めた。


明治42年(1909)、理事会が経営にあたり、患者の診療は東京帝国大学医科大学に委託して、無料診療を行う民間唯一の病院として3月22日から内科、外科、4月13日から眼科、5月14日から耳鼻咽喉科、6月7日から皮膚病科の一般患者の診療を開始した。開院当初は役員17名、職員44名だった。


開院以来、貧困者への施療を目的として費用を徴収しなかったことに加え、東京帝国大学医科大学の高度な医療が受けられることもあり、早朝から受診希望者が殺到した。この中には貧困者を装った受診希望者も多く見られた。なお、三井関係者の受診は禁じられていた。

ーーーーーーーーーーーーーーー
https://www.mitsuihosp.or.jp/media/03.pdf
(全体については、こちら)
https://www.mitsuihosp.or.jp/about/history/


三井慈善病院(途中で泉橋慈善病院に改称)の活動で面白いのは、『泉橋慈善病院賛助婦人会』が作られたことです。


こちらも、同じく『三井記念病院100年のあゆみ』から抜粋です。
https://www.mitsuihosp.or.jp/media/03.pdf
★30ページから

泉橋慈善病院賛助婦人会
大正8年(1919)、慈善病院設立の趣旨を翼賛し、その事業を幇助する目的で、これに賛成する婦人を会員とする「泉橋慈善病院賛助婦人会」の設立が計画され、翌大正9年(1920)4月7日に発会式が開催された。事務所は院内に置かれ、会員は約100名に達し、その拠出金によって入院患者救療費の寄付並びに入院患者に日用品を提供した。
賛助婦人会の会長は井上馨夫人・末子、副会長には澁沢榮一夫人・榮子、三井八郎右衞たかみね も と こ たかきみ門(高棟)夫人・苞子が就任した。


賛助婦人会は具体的な活動目標について、1入院患者の慰問などを少なくとも年間1,000件以上行う、2昭和2年(1927)以後に入院した妊婦の産後退院者を収容し、若干の日時を静養させるため褥婦室を設ける、3病院勤務員、特に看護婦の慰安奨励のための施設なども講じる、としている。また、規約では総会を4月に開催し、2、9、11月に常会を開き、1病院当事者から病院の現況を聴取し、入院患者を慰問する、2講師を聘して慈善救済に関する講話を聞く、3当会の目的を遂行するために必要な方法について協議する、としている。
運営費は「会員は5カ年を1期とし会費として当該期間毎年壱口金拾貮円を醵出することを得」(規約第十条)とした。また、「男子にして本会の趣旨を賛成する者は之を賛成員と称す。其会費は第十条の規定による」としていた。
賛助婦人会の収入と支出を見ると、大正9年(1920)の収入4,792円、支出1,591円に対して、昭和13年(1938)には収入5,992円、支出4,179円となっており、支出が3倍近く増加している。この支出の増加は、賛助婦人会の積極的活動に伴うものといえる。即ち、扱件数が当初の1,000件から4,000件にまで増加したほか、患者慰問、患者家族訪問件数もともに1,000件を超えるまでに増加したのである。なお、賛助婦人会には、毎年4,000円から7,000円の寄付基金が寄せられていた
ーーーーーーーー


そして、泉橋慈善病院賛助婦人会の活動として有名なのは、「病人相談所の開設」です。
これが、日本の病院で初めてソーシャルワークを導入した事例として、福祉を勉強している方には基本知識のようです。

今週の助成金情報(2018年4月1日) [2018年03月30日(Fri)]

2018年3月24日から2018年4月1日のCANPAN助成制度データベース更新した助成金情報です。

【CANPAN助成制度データベース】
http://fields.canpan.info/grant/

今週は計10個の助成プログラムを掲載しています。
掲載した助成プログラムには、環境・子ども・福祉・起業家支援・国際協力・地域など他分野掲載していますので、ぜひご活用ください。
続きを読む・・・
Posted by 藤川 幸子 at 12:34 | 助成金情報 | この記事のURL | コメント(0)
NPO関係者が読むべきCANPANブログおススメ記事2018/3/23-2018/3/29 [2018年03月30日(Fri)]

2018年3月23日から2018年3月29日までのCANPANブログの中から、NPOの組織マネジメントに参考になるような記事をご紹介いたします。

参考ブログ.jpg



ブログ「川北秀人 on 人・組織・地球」

「地域における自主防災活動のための書式集(案)」にご意見ください! [2018年03月28日(Wed)]
http://blog.canpan.info/dede/archive/1263
・着想からもう7年近くが過ぎますが、「地域における自主防災活動のための書式集(案)」をつくってみました。
・みなさまのご意見をいただいて、精度を高めたいと考え、敢えて案の段階で公開させていただく次第です。
・みなさまのご意見をもとに修正を施したうえで、追ってしかるべき書式やソフトに整えたいと思います。
★いつ起こるかわからない自然災害の防災活動にみなさまの皆様のノウハウをぜひお教えください。


ブログ「NPO会計・リクツとコツ〜目指せ、NPO会計キュレーター」

一宮市NPOアドバイザー~学生が普通にカウンターにいるという世界[2018年03月24日(Sat)]
http://blog.canpan.info/sally_nakao/archive/2923
・相談としては決算。そんなに切羽詰まった感はなし。
・こちらのセンターでは学生のボランティアさんを受け入れており、今日は中学生ボランティアがカウンターに。
・利用者の年配の方(きっと本人にとってはおじいちゃん・おばあちゃん世代)から声を掛けられていた。そのあと、高校生くらいのボランティア希望者が現れた。
★つながり、きっかけがつくられていく素敵な環境ですね。


ブログ「NPO法人おかえりブログ」

2009記事目! [2018年03月28日(Wed)]
http://blog.canpan.info/okaeri/archive/2036
・「おかえりテラス」では、お花たちが咲き始めました
・先ほど、このブログの編集画面を開くと、記事数が2009記事になっていてビックリ
・2010年、「おかえり」設立時より日々の様子を書き綴ってきましたが、2000記事を越したのかぁ...と思うと感慨深い。
★いつもブログ更新ありがとうございます!日々の活動がよくわかるブログです。2000記事越え、おめでとうございます*


ブログ「志的ブログ by NPOのための弁護士ネットワーク」

理事長交代のご報告と4月の志的勉強会のご案内[2018年03月28日(Wed)]
http://blog.canpan.info/npolawnet/archive/56
・私は今月のN弁の定時総会・全体会議で理事長を退任し、芝池俊輝弁護士(ことのは総合法律事務所)が後任の理事長に選任されました。
・4月の発表者は新しく理事長になった芝池弁護士です。
・昨年の勉強会に続いて、NPOのスタッフのメンタルヘルスの問題を取り上げます。
★新体制でのご報告がございました。4月志的勉強会にもぜひご参加ください。
Posted by 藤川 幸子 at 12:23 | 参考ブログ | この記事のURL | コメント(0)
No.089【ファンドレイジングスーパースター列伝】大山捨松(日本) [2018年03月30日(Fri)]

大山捨松

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大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。大山巌の妻。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。
ーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

また一人、素晴らしい人を知ってしまいました。
日本で初めてのバザーを企画・開催した人です。

明治初期、11歳でアメリカに留学し、11年後、日本に戻ってきて、その当時、参議陸軍卿・伯爵となっていた大山巌と結婚。明治16年(1883年)、完成したばかりの鹿鳴館で、結構披露宴を開催。その後、語学堪能で社交ダンスも踊れる大山 捨松は、「鹿鳴館の花」と呼ばれるほどになったそうです。

そして、彼女が、日本で初めてのバザーを鹿鳴館で企画・開催しました。
詳しいことが、Wikipediaにあったので、引用です。
ーーーーーー
その中で、一人水を得た魚のように生き生きとしていたのが捨松だった。英・仏・独語を駆使して、時には冗談を織り交ぜながら諸外国の外交官たちと談笑する。12歳の時から身につけていた社交ダンスのステップは堂に入ったものだった。当時の日本人女性には珍しい長身と、センスのいいドレスの着こなしも光っていた。そんな伯爵夫人のことを、人はやがて「鹿鳴館の花」と呼んで感嘆するようになった。

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『於鹿鳴館貴婦人慈善會之圖』(当時の錦絵新聞より)
夜会や舞踏会だけではない。ある時有志共立東京病院を見学した捨松は、そこに看護婦の姿がなく、病人の世話をしているのは雑用係の男性が数名であることに衝撃を受ける。そこで院長の高木兼寛に自らの経験を語り、患者のためにも、そして女性のための職場を開拓するためにも、日本に看護婦養成学校が必要なことを説き、高木にその開設を提言した。高木も看護婦の必要性は早くから認めていた[注釈 14]が、如何せん財政難で実施が難しい状況だった。

それならば、と捨松は明治17年(1884年)6月12日から3日間にわたって日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」を開いた。捨松は品揃えから告知、そして販売にいたるまで、率先して並みいる政府高官の妻たちの陣頭指揮をとった。 3日間で予想を大幅に上回る収益をあげ、その全額(当時の金額で8,000円)を共立病院へ寄付して高木兼寛を感激させている。この資金をもとに、2年後には日本初の看護婦学校・有志共立病院看護婦教育所が設立された。

日清・日露の両戦争では、大山巌が参謀総長や満州軍総司令官として、国運を賭けた大勝負の戦略上の責任者という重責を担っていた。捨松はその妻として、銃後で寄付金集めや婦人会活動に時間を割くかたわら、看護婦の資格を生かして日本赤十字社で戦傷者の看護もこなし、政府高官夫人たちを動員して包帯作りを行うなどの活動も行った。また積極的にアメリカの新聞に投稿を行い、日本の置かれた立場や苦しい財政事情などを訴えた。日本軍の総司令官の妻がヴァッサー大卒というもの珍しさも手伝って、アメリカ人は捨松のこうした投稿を好意的に受け止め、これがアメリカ世論を親日的に導くことにも役立った。アメリカで集まった義援金はアリス・ベーコンによって直ちに捨松のもとに送金され、さまざまな慈善活動に活用された。

近代日本におけるチャリティー企画やボランティア活動の草分けは、この大山捨松である[要出典]。
ーーーーーーーーーーーーーーー

大山 捨松がこれらの活動を力を入れたのは、アメリカでの留学経験がありました。
アメリカでのチャリティー活動や、看護学校で学んでいたことがこれらの活動のきっかけにもなっているそうです。


NPO法人国際留学生協会に、その経緯が詳しく書かれていましたので、ぜひご覧ください。
http://ifsa.jp/index.php?oyamasutematsu


高木兼寛の記事でご紹介した「高木兼寛の医学(松田誠)」に、鹿鳴館での慈善バザーのことがわかりやすくまとめられていますので、ぜひご覧ください。
http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/3461/3/TK_igaku_813.pdf




Wikipedia:大山 捨松

By 不明 - Japanese book Meiji Daijin no Fujin (明治大臣の夫人)この画像は国立国会図書館のウェブサイトから入手できます。これはライセンスタグではありません!別途、通常のライセンスタグが必要です。詳しくはライセンシングをご覧ください。English | 日本語 | +/−, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2595624

By 不明 - http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/bakumei/12/bakumatsu042hs.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2958149

【開催案内】BUSINESS to NPO World 2018 <春>NPO支援のITソリューション展(主催:NPOサポートセンター)2018年4月24日(火) [2018年03月29日(Thu)]

NPO向けサービスが集結する展示会「 BUSINESS to NPO World 」は、2015年の初開催以来、様々なサービス、NPOプラン、 支援メニューを数多く紹介してきました。

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2018年<春>は、ITソリューションをテーマに、資金調達、広報、事業戦略、組織運営等の20社以上のサービスが出展します!

他にも、注目NPOによるITサービス活用事例の紹介や、出展サービスによるプレゼンテーション、セミナーやワークショップが開催されます。

サービス提供者との新しい出会い、比較、検討、 名刺交換、成功事例の情報収集が1日でできるイベントです。まとめて知ることができる半年に1度のイベントにぜひお越しください!


BUSINESS to NPO World 2018 <春>
NPO支援のITソリューション展


日 時 : 2018年4月24日(火) 13時00分-19時00分(12:30開場)
会 場 : 日本財団ビル
    東京都港区赤坂1丁目2番2号
    銀座線「虎ノ門駅」3番出口徒歩5分
    銀座線・南北線「溜池山王駅」9番出口徒歩5分
    丸ノ内線・千代田線「国会議事堂前駅」3番出口徒歩6分
定 員 : 300名
    ※参加申込み多数の場合は、事前に申し込みを
    されていない方の入場を制限させていただきます。
参加費:無料 ※入退場自由
主 催:NPOサポートセンター
共 催:日本財団CANPANプロジェクト

◇お申込み ◇
https://npo-sc.smktg.jp/public/application/add/61

◇内容:
・13:00-15:00「NPOによるICTサービス活用事例プレゼンテーション」
・15:00-16:00「出展者によるサービス紹介オープニングセッション」
・16:00-19:00「ブース出展」、「サービス紹介セミナー/ワークショップ」

■2018年<春>出展サービスを一挙ご紹介
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

・支援者とのコミュニケーションを一元管理「 GOEN DRM 」

・ダッシュボード、見える化サービス「 MotionBoard Cloud 」

・帳票開発、出力サービス「 SVF Cloud 」

・Salesforce向け入力ツール「 VyNDEX 」

・業務効率の向上に役立つクラウドサービス「サイボウズNPOプログラム」

・kintoneを使ったジョイゾーのシステム開発「システム39」

・非営利組織専門のIT基盤整備相談、導入支援サービス「カルミナ」

・誰でもかんたんにホームページ作成「クローバ PAGE 」

・NPO、非営利団体を支えるクラウド「 Salseforce 」

・様々なクラウドサービスと連携できる帳票サービス「 docutize 」

・クラウド型 販売管理システム「 soarize 」

・かんたん使いやすいNPO法人専用会計ソフト「会計王NPO法人スタイル」

・完全無料銀行アグリゲーションソフト「 Moneylink 」

・NPO法人のためのIT支援事務所 ht「 kintone NPO スターターキット」

・決済代行サービス「 ROBOT PAYMENT」

・驚くほどカンタン、無料ホームページ作成「ペライチ」

・CANPAN決済サービス、CANPAN FIELDS「日本財団CANPANプロジェクト」

・NPOのIT業務、バックオフィスサポートサービス「 B-SAPO 」

・デジタルファンドレイジング、WEBマーケティング戦略相談「 NPOサポートセンター 」


さらに注目の出展企業情報を随時更新いたします!

≫≫最新情報はこちらから
http://b2n2018spr.npo-sc.org


■ BUSINESS to NPO World 2018 <春>とは
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・NPOの活用成功事例を「サービス提供者」から直接聞ける
・NPO向けサービスの選び方を「コンサルタント」に相談できる
・NPOプラン窓口担当者と意見交換を直接できる
・2018年の最新NPO向けサービスを知り、比較、検討できる
・世の中を、NPOと良くしたい想いをもつ出展者に出会える


----------------------------------------
■同時開催 : エントリー受付中(3/31締切)
NPOによるICTサービス活用自慢大会 : 大賞30万円
http://npo-sc.org/main/event/nptechjp_jiman_competition/
----------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━
<本イベントについてのお問合せ>
特定非営利活動法人 NPOサポートセンター
(担当:小堀、笠原、中司)
〒105-0014
東京都港区芝4-7-1 西山ビル4階
TEL:03-6453-7498
E-mail:ict@npo-sc.org
◆申込みフォーム:
https://npo-sc.smktg.jp/public/application/add/61
━━━━━━━━━━━━━━━━

※なお、今後ご案内が不要な場合には、 お手数ですが本メールに、お名前と メール不要とお書き添えの上、 ご返信いただけたら幸いです。
Posted by 藤川 幸子 at 15:06 | NPO支援 | この記事のURL | コメント(0)
No.088【ファンドレイジングスーパースター列伝】高木兼寛(日本) [2018年03月29日(Thu)]

高木兼寛


高木 兼寛(たかき かねひろ[注 1]、嘉永2年9月15日(1849年10月30日) - 大正9年(1920年)4月13日)は日本の海軍軍人、最終階級は海軍軍医総監(少将相当)。医学博士。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。当時日本の食文化では馴染みの薄かったカレーを脚気の予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。
ーーーーーーー
(Wikipediaより)


東京慈恵会医科大学のもとになったのが、有志共立東京病院。
有志共立東京病院は、日本初の民間による施療(注:施療とは、「無料で医療を施す」という意味である。)病院で、高木兼寛は、この病院の開設者です。
高木兼寛が海軍軍医総監であったこともあり、同病院の設立に際し、皇族をはじめ、各界の有力者たちの協力が得られ、大変豪華な設備の病院であったといわれています。


以下は、Wikipediaからの引用です。
ーーーーーーーー
明治15年(1882年)には芝の天光院に、貧しい患者のための施療病院として有志共立東京病院を設立、院長には当時の上官である海軍医務局長・戸塚文海を迎え自らは副院長となった。そして徳川家の財産管理をしていた元海軍卿・勝海舟の資金融資などを受け、払い下げられた愛宕山下の東京府立病院を改修し有栖川宮威仁親王を総長に迎えて明治17年(1884年)移転、明治20年(1887年)には総裁に迎えた昭憲皇太后から「慈恵」の名を賜り、東京慈恵医院と改称して高木が院長に就任した。

一方、ナイチンゲール看護学校を擁する聖トーマス病院で学んだ経験から、医療における看護の重要性を認識し、その担い手となる看護婦の育成教育にも力を尽くした。陸軍卿・大山巌の夫人・捨松ら「婦人慈善会」(鹿鳴館のバザーで知られる)の後援もあって、明治18年(1885年)日本初の看護学校である有志共立東京病院看護婦教育所を設立し米国宣教師リードらによる看護教育を開始。明治21年(1888年)には昭憲皇太后臨席のもと第1回卒業生5名を送り出した。

この3つはそれぞれ後に東京慈恵会医科大学、東京慈恵会医科大学附属病院、慈恵看護専門学校となり現在に至っている。
ーーーーーーーーーー


東京慈恵会医科大学学術リポジトリに掲載されている、こちらの論文にその当時のことが詳しく紹介されています。ぜひ、こちらもご覧ください。
高木兼寛の医学(松田誠)
http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/3474/3/TK_igaku_893.pdf


Wikipedia:高木 兼寛

By Bigslope (take a picture) - From the information sign in Baken Park memorial to the birth of Dr Kanehiro Takaki., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2919739
No.087【ファンドレイジングスーパースター列伝】高松凌雲(日本) [2018年03月28日(Wed)]

高松凌雲

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高松凌雲
高松 凌雲(たかまつ りょううん、天保7年12月25日(1837年1月31日)- 大正5年(1916年)10月12日)は、幕末 - 明治期の医師。現在の福岡県小郡市出身。名は権平。荘三郎。箱館戦争においては箱館病院を開院。その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設。日本における赤十字運動の先駆者とされる。
ーーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)


箱館戦争時の医療活動も、とても素晴らしいのですが、同愛社の活動は本当にすごいです。
まずは、Wikipediaからの引用です。

ーーーーーーーーーー
フランス留学
慶応3年(1867年)、日本はパリ万国博覧会に参加することになる。パリ万博を終えると、留学生としてパリに残るよう言い渡される。資金は幕府負担である。

留学先は、オテル・デュウ(HOTEL-DIEU:神の家)という病院を兼ねた医学学校であった。「神の家」では麻酔を用いた開腹手術なども行われていた。しかし技術の差以上に凌雲に衝撃を与えたのは、「神の家」に併設された貧民病院であったという。ここでは、貧しい人たちに無料で診察・治療していた。無料の貧民病院とは言え、設備は十分に揃えられ、診察も「神の家」に所属している医師や看護婦が一般患者と同様に行っていた。しかもこの病院は貴族、富豪、政治家などの寄付によって成り立っており、国からの援助を受けない民間病院であった。


箱館戦争後
箱館戦争後、凌雲は東京に戻って鶯渓病院を開院した。新政府での役職の誘いが多数来たが、それら全てを断り、町医者として「神の家」の精神を実行する道を選んだ。この病院は成功し、また貧窮の家庭には治療費を無料にしてはいたものの、一方で彼一人で対応できることにも限界があった。凌雲は、他の医師の協力も得て組織的に無料診察を行う必要性を痛感するようになった。
明治11年(1878年)12月、医師会の席上、医師会長であった凌雲は、貧民を無料で診察する組織「同愛会」の設立を提案する。この提案は支持を集め、翌・明治12年(1879年)、民間救護団体の前身と言われる同愛社が創設された。この同愛社によって診察を受けた貧民は、70万人とも100万人とも言われる。
ーーーーーーーーーーーー

この同愛社のファンドレイジングについて、見ていきましょう。


第 113 回 日本医史学会総会 一般演題 203
高松凌雲(1836–1916)が創立した「同愛社」について
小林  晶(福岡整形外科外科病院)
http://jsmh.umin.jp/journal/58-2/58-2_203.pdf

「同愛社」の規則の要約は次の通りである.構成医師を社員とし社員 1 名は毎月 15 名の施療患者を受け入れる.但し,流行病の場合は制限を設けない.施療を希望する者は区役所,町内世話人から施療券を交付してもらい持参する.施療患者の薬価は 1 日 7 銭とする.社には基本財産や財政的支援はないので,社員は 1 カ月 1 円の拠出をした.

受診者は徐々に増加し,創立から 3 年間で 2,251 名,薬価は 5,186 円である.そのため経済的負担が増大し財政的配慮が必要になってきた.そこで明治 15 年社員を救療社員と慈善社員に分類し,後者を資金調達に専任させている.また,新聞,その他で存在意義を広報し,月例会を組織して著名人を招待し啓蒙活動を行い,慈善社員就任を請願している.

皇室や行政機関からの下賜金や,著名人,富豪などからの寄付も増大している.財政的な余裕ができれば貯蓄し,新しい慈善病院の設立を企図した.この目的を再三に亘って政府に上申しているが,返答は得られなかった.しかし,明治 17 年には救療社員 17 名,慈善社員 282 名に増加している.

昭和 2 年創立五十周年を迎え報告書が出版された.それによると延べ患者数 1,362,463 名,資産 23,936円,救護所数は 64 箇所に達し郊外にまでおよんでいる.資産の増加は慈恵社員の努力以外に行政機関からの下賜金も含まれている.この時期の救護社員は60名,慈恵社員は540名で寄付も多くなっている.
ーーーーーーーーーーー

ファンドレイジングと事業活動の広がり、この両輪を回しながらの運営だったことがうかがえます。
同愛社の立ち上げ時の状況はこちらの記事で紹介されていました。

財界さっぽろ
北海道開拓の先覚者達(62)〜高松凌雲(2)〜
http://www.zaikaisapporo.co.jp/blog/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%96%8B%E6%8B%93%E3%81%AE%E5%85%88%E8%A6%9A%E8%80%85%E9%81%94%EF%BC%8861%EF%BC%89%EF%BD%9E%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%87%8C%E9%9B%B2%EF%BC%882%EF%BC%89%EF%BD%9E

1882(明治15)年3月、総会が開催され、榎本武揚ら70人が参加した。その中には榎本軍副総裁の松本太郎の顔もあった。治療をおこなう救療社員と、金銭的援助をおこなう慈恵社員に分け、渋沢栄一、松平太郎、榎本などが喜んで幹事の役を引き受けた。慈恵社員には徳川昭武、大隈重信、勝海舟、伊達宗成、陸奥宗光、安田善次郎、宮中女官ら各界の有力者が率先して参加し、高松らの活動を資金面から支援した。1883(明治16)年には明治天皇から金1000円(現在の価値で2000万円)が下賜され、これを「同愛社」活動の基金とした。
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あと、認定NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さんの著書『「社会を変える」お金の使い方 ― 投票としての寄付、投資としての寄付』でも、高松凌雲が紹介されていました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4862760821

他にも、いくたのファンドレイジング・スーパースターが紹介されているので、ぜひおすすめします。


Wikipedia:高松凌雲

By 不明 - 同愛社編『同愛社五十年史』、1929年, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27194349
No.086【ファンドレイジングスーパースター列伝】大日本仏教慈善会財団(日本) [2018年03月27日(Tue)]

大日本仏教慈善会財団

明治時代の社会事業、慈善活動といえば、キリスト教の系譜が多いですが、仏教界でも1901年に大日本仏教慈善会財団という財団が設立されています。

以下の論文に記載がありましたので、抜粋します。

龍谷パドマ4
仏教社会福祉の源流
ー「仏教社会福祉」ユニット編ー
龍谷大学 人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センター

仏教社会福祉の源流(中垣 昌美)
明治34(1901)年には大日本仏教慈善会財団を結成し、全国レベルで大々的に募金活動を展開すると共に、児童養育・保育、貧民救済、医療保護、職業斡旋、看護婦養成等多角的な事業を運営していきます。
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http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/old/atlas/04/04_padma_exhibition.pdf



大日本仏教慈善会財団については、現在、浄土真宗本願寺派の社会部社会事業担当の各組織に再編されているようです。
http://social.hongwanji.or.jp/index.html


この辺、もう少し調べたいのですが、ネットではほとんど情報がなく。
知っている方、ぜひ教えてください。
今週の助成金情報(2018年3月23日) [2018年03月26日(Mon)]

2018年3月19日から2018年3月23日のCANPAN助成制度データベース更新した助成金情報です。

【CANPAN助成制度データベース】
http://fields.canpan.info/grant/

今週は計6個の助成プログラムを掲載しています。
掲載した助成プログラムには、環境・復興支援・地域・福祉・国際交流など他分野掲載していますので、ぜひご活用ください。
続きを読む・・・
Posted by 藤川 幸子 at 11:26 | 助成金情報 | この記事のURL | コメント(0)
No.085【ファンドレイジングスーパースター列伝】懐徳堂(日本) [2018年03月26日(Mon)]

懐徳堂

懐徳堂(かいとくどう)は、江戸時代中期に大坂の商人たちが設立した学問所。明治初年の閉校、大正時代の再建、太平洋戦争による罹災焼失を経て、現在は大阪大学が継承しているとされる。財団法人懐徳堂記念会については懐徳堂記念会の項を参照。

江戸時代の懐徳堂(1724年〜1869年)
享保9年(1724年)、大坂の豪商たち(三星屋武右衛門・富永芳春(道明寺屋吉左右衞門)・舟橋屋四郎右衛門・備前屋吉兵衛・鴻池又四郎)が出資し、三宅石庵を学主に迎えて船場の尼崎町一丁目(現在の大阪市中央区今橋三丁目)に懐徳堂を設立した。三星屋らは懐徳堂の「五同志」と称される。享保11年(1726年)、将軍徳川吉宗から公認されて官許学問所となり、学校敷地を拝領した。官許は得たものの、その後の運営の財政面は町人によって賄われ、懐徳堂が「町人の学校」と呼ばれる所以となっている[1]。明治政府によって旧幕府から受けていた諸役免除などの特権を廃止され、明治2年(1869年)に懐徳堂はいったん廃校となる。
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(Wikipediaより)


昨日に続いて、大阪の私塾シリーズです。
江戸時代の大阪、橋に続いて、私塾も熱いですね!

いわゆる篤志家や豪商が最初のシードマネーを提供して、その後は町民が支えるという仕組み。
これは、日本の寄付文化のフレームワークの一つです。


さらに、閉校になった懐徳堂を復興しようとして、「懐徳堂記念会」という財団法人が生まれています。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/kaitokudo/index.html

このサイトからの引用です。
財団ができた時には、約2000人の賛同者がいたそうです。
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 懐徳堂記念会は、懐徳堂の学術文化活動を継承し、顕彰するために設立された団体です。明治2年(1869)に閉校した旧懐徳堂を復興しようという気運が高まった明治43年(1910)、西村天囚らの呼びかけで設立されました。
翌年には、中之島公会堂において、懐徳堂の儒者たちを顕彰する記念式典を挙行し、懐徳堂貴重書の復刻刊行を行うなど、懐徳堂の復興と顕彰に努めました。
  会の発起人には、高崎親章(大阪府知事)、土居通夫(大阪商業会議所会頭)、植村俊平(大阪市長)、小山健三(第三十四銀行頭取)、島村久(鴻池銀行理事)、鴻池善右衛門(鴻池銀行社主)、藤田平太郎(藤田組主)、住友吉左衛門(住友銀行社主)、鈴木馬左也(住友総理事)、上野理一(朝日新聞社主)、本山彦一(毎日新聞社主)、今井貫一(大阪府立図書館長)など、大阪の政治・経済・文化を代表する人物が名を連ね、全国から特別会員622名、普通会員1370名が加入しました。
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Wikipedia:懐徳堂
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