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No.321【ファンドレイジングスーパースター列伝】PGA TOUR Wives Association(アメリカ) [2018年11月17日(Sat)]

PGA TOUR Wives Association

今回もゴルフネタですが、アメリカのプロゴルフツアーであるPGA TOURのゴルファーの奥さま達によるチャリティ団体がPGA TOUR Wives Associationです。
前回ご紹介したPGA TOURのチャリティのページで見つけました。
https://pgatourwives.org/


1988年の設立以来、すでに5000万ドルを超える寄付を集めているそうです。
選手だけでなく、家族も積極的にチャリティ活動をしているなんて、ステキですね!


PGA.JPG


どのような団体なのか、引用しながらご紹介します。

こちらが、PGA TOURのチャリティのページに掲載されていた紹介文です。
ーーーーーーーーーーー
PGA TOUR Wives Associationの使命は、子供とその家族を支援することです。これは、PGA TOURトーナメントをサポートするコミュニティのメンバーによってさまざまな方法で行われます。PGAツアー妻協会は、年間を通じて地域社会に影響を与えるアウトリーチ、ボランティア・サービス・プロジェクト、および資金調達活動に積極的に従事しています。PGA TOUR Wives Associationはフロリダ州の非営利団体IRS指定の501c(3)法人で、慈善活動の手段を通じて貧しい子供やその家族に支援を提供し、支援しています。メンバーは、個別に、またグループとして、子供たちとその家族を支援することに専念しています。
http://together.pgatour.com/tour-wives/





資金調達のチャリティイベントとしては、こういうものを開催しています。
ーーーーーーーー
同協会は、貧しい子供たちやその家族を全国的に支援するという使命を支持する上で重要な、毎年募金イベントを開催しています。私たちの最も人気のある募金活動は毎年PGA TOUR Wives Golf Classicです。これは9ホールのトーナメントで、メンバーは親善試合で競い合い、PGAツアーの夫や重要な人達はキャディーとして働きます。初日のPGA TOUR Wives Golf Classicは1987年に開催され、引き続き慈善的資金の重要な源泉となっています。
ーーーーーーーー
No.320【ファンドレイジングスーパースター列伝】PGA TOUR(アメリカ) [2018年11月16日(Fri)]

PGA TOUR

PGA TOURは、アメリカ合衆国及び北米における男子プロゴルフツアーを運営する団体、およびこの団体が運営するツアートーナメントの名称です。

前回の記事に続いてのゴルフネタですが、このPGA TOUR、実はとってもソーシャルな組織でした。

<PGA TOURについて>
PGA Tourとはゴルフ界最高の選手をとおして、ファン、パートナー企業、世界のコミュニティにインスピレーションと感動を与える事を目的として運営されている団体。PGA TOURはPGA TOUR、PGA TOUR Champions、Web.com Tour、PGA TOUR Latinoamérica、Mackenzie Tour-PGA TOUR Canada、 PGA TOUR Series-China において130 試合以上の大会を開催している。PGA TOURは世界最高の選手を27カ国(88名の選手は米国外出身)から迎えており、世界226の国と地域において23ヶ国語で放送され、視聴可能世帯数は約1億世帯にのぼる。全試合が非営利目的で開催されているため、チャリティへの貢献を最重要視している。2017年、全ツアーのチャリティ総額は180万ドルを記録し、これまでのチャリティ総額は26.5億ドル。PGA TOURの本部はフロリダ州、ポンテ・ヴェド ラビーチで PGA TOURのサイトは https://www.pgatour.com/

※すいません、どこからの引用なのか失念してしまいました。


PGA TOURは、単なるゴルフトーナメントの運営者の認識しかありませんでした。
本当にビックリです。

こちらのサイトに、PGA TOURのチャリティ活動がまとめられています。
http://together.pgatour.com/

このサイトがまたすごいんです。
選手別、トーナメント別に、どのようなチャリティに取り組んでいるのか、データベースで検索することができます。また、社会課題から検索することもできます。

それだけ、ゴルフ選手も、トーナメントも、そしてトーナメントのスポンサー企業も、チャリティに本気なんですね。


最後に、PGA TOURによるチャリティ活動の取り組みをまとめたページから引用します。
ーーーーーーーー
プレイヤー、慈善団体、スポンサー、パートナー、ボランティア、そして他者を助けることによって社会的投資を行うことを約束しているファンを集めたコミュニティを構築するためPGA TOURイニシアチブへようこそ。

PGA TOURトーナメントが開催され、プレイヤーが住んでいる地域社会にプラスのインパクトを与えることは、常にTOURの慈善活動の重要な要素でした。このサイトを通じて、他の人と一緒にアイデア、ストーリー、サポートを共有しながら、私たち一人ひとりができることの範囲を広げることができます。

PGAツアー、チャンピオンズツアー、Web.comツアーの選手、パートナー、スポンサー、ボランティア、ファンは、毎年何千万もの地元の慈善団体に数百万ドルを寄付するためにゴルフトーナメントを立ち上げます。提起された資金の大半は、トーナメントが開催されている地域社会に向けられています。これは、PGAツアーの特定の受益者が1人もいないことを意味します。その代わりに、約3000の慈善団体と世界中の無数の個人がTOURの返還という目標に触れています。

今私達はあなたに関わるように求めています。若者と違いを生むTOUR選手についての話を読んだり、地域社会で必要な人を助けるトーナメントのビデオを見たりして、参加することができます。あなたは、トーナメントでボランティア活動をするか、またはあなたがサポートしている慈善団体に寄付をして参加することを選択できます。
http://together.pgatour.com/the-program.html
No.319【ファンドレイジングスーパースター列伝】PGAツアーのプロゴルファー(世界) [2018年11月15日(Thu)]

PGAツアーのプロゴルファー

たまたまネットで検索していて見つけたサイトがこちらです。
『在米ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔』
https://www.drsgate.com/company/c00074/index.php

この連載記事がすごいんです。
2018年11月1日時点で、16本の記事が掲載されています。
プロゴルファーの社会貢献活動をがっつり紹介しています。
まさに、プロゴルフ界のファンドレイジングスーパースター列伝です。


サイトからの引用です。
『プロゴルファー・松山英樹選手がPGAツアーの総合ランキング2位(2017年6月現在)になったというニュースで盛り上がっているアメリカ・プロゴルフ界。
全米オープンゴルフの賞金総額は1,200万ドル、優勝賞金は216万ドル(2億4000万円)という夢の世界だ。そんな華々しい舞台で転戦する選手たちに、実は社会貢献活動にも精力的に取り組んでいる人が多いということをご存知だろうか? 世界有数のトップゴルファーたちが、なぜ社会貢献活動に力を入れるのか? 「Number」「ALBA」などスポーツメディアに寄稿する在米ゴルフジャーナリストの舩越園子氏がその理由を解き明かしていく。』


この文章を読むだけでも、ワクワクしてきます。

最初の方の記事から、少しだけ引用して、ご紹介します。


『全英オープン覇者、ジョーダン・スピースの強さの秘密』
https://www.drsgate.com/company/c00074/02.php?
妹エリーのためにゴルフをする。妹エリーのために勝利を目指す。妹の存在こそが「自分のゴルフの原点だ」と言い切るスピースは、2013年のジョンディア・クラシックを制し、米ツアー初優勝を挙げた直後から、その優勝賞金を活かす形でジョーダン・スピース財団を設立した。
 知的障害者、身体障害者、経済的事情で教育が受けられない子供たちのために活動していくことが彼の財団の目標だ。

『マスターズ2勝のバッバ・ワトソンが一人の人間として抱く夢』
https://www.drsgate.com/company/c00074/03.php?
ワトソンは米フロリダ州のバグダッドという小さな田舎町で生まれ育った。父親がグリーンベレーと呼ばれる陸軍特殊部隊の将校だったこともあり、ワトソンは幼いころから愛国心に溢れていた。そのスピリッツが、国への愛のみならず、人間愛にも発展していったのだろう。彼は昔から社会貢献やチャリティにとても積極的だった。

『アーニー・エルスの山谷の越え方』
https://www.drsgate.com/company/c00074/04.php?
エルスが心配していたのは家族のことばかりではなかった。ジュピターにはエルスが創設した自閉症の子供たちのための教育施設『エルス・センター・オブ・エクセレンス』があり、ハリケーンに襲われたら、その施設や子供たちに何が起こるかわからない。だから彼は欧州行きを中止したのだ。

『ゴルフより大切なものを知って強くなったプロゴルファー』
https://www.drsgate.com/company/c00074/05.php?
翌年、リーシュマン夫妻は敗血症を多くの人々に知ってもらうための財団を設立。チャリティ・トーナメントも創設した。
「米国では年間25万人が敗血症で亡くなっている。でも早く治療すれば治るんだ」


もう、記事を読むだけで、本当に感動します。
ゴルフ好きはもちろんのこと、そうでない方もぜひ、お読みください。
No.318【ファンドレイジングスーパースター列伝】沖縄平和賞(日本) [2018年11月14日(Wed)]

沖縄平和賞

以前、知っているNGOが受賞していたので、賞のこと自体は知っていましたが、とってもファンドレイジング的な賞ということを最近知りました。
九州・沖縄サミット首脳会合で発信した平和を希求する「沖縄の心」を伝えていくためにできたそうです。

ーーーーーーーーー
沖縄県では、広く世界に目を向けた幅広い視点に立って国際平和の創造に貢献するため、沖縄平和賞を創設しました。
「沖縄平和賞」は、沖縄の持つ特性を生かして、沖縄の視点から新たな国際平和の創造を目指し、沖縄と地理的・歴史的に関わりの深いアジア太平洋地域の平和の構築・維持に貢献した個人・団体を顕彰するものです。
ーーーーーーーーー
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/11116.html


沖縄平和賞は、2年に1回開催され、受賞者には賞金1,000万円が授与されます。
2002年に創設され、今年2018年は第9回目となります。

こちらに、受賞者の一覧がありますが、そうそうたる国際NGOの名前が並んでいます。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/12019.html



この沖縄平和賞を支える仕組みが「沖縄平和賞支援募金」です。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/12311.html

『沖縄平和賞委員会では、独自の財源確保、沖縄平和賞の周知、募金をとおして沖縄平和賞の運営に参加している意識を醸成し、県民参加型の顕彰制度として継続的に実施するという趣旨から、県内外の個人・法人等を対象に平成15年6月から募金を開始させていただいております。これまでに多くの皆様からのご協力がありました。この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
皆様からの募金は、「沖縄平和賞支援募金」として、今後の沖縄平和賞の賞金や授賞式又は関連事業の財源として活用させていただきます。
今後とも、その趣旨にご賛同いただき、引き続き格段のご協力・ご支援をお願い申し上げます。』

この文章を見るだけでも、素晴らしい取り組みですね。

毎年、400〜500万円規模の募金を集めています。
平成15年(2005年)からの累計で3,165件、50,847,379円の寄付になっています。

こういう表彰制度を寄付で集めるという取り組みもなかなか面白いですね〜。
No.317【ファンドレイジングスーパースター列伝】サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂(フランス) [2018年11月13日(Tue)]

サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂

サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂 (Chapelle de Saint-Vigor-de-Mieux)は、フランスバス=ノルマンディー地域圏ファレーズ市の近郊、サン=マルタン=ド=ミュー村のはずれにある礼拝堂。別名"リンゴの礼拝堂"。

16世紀にイギリス貴族によって建設され、1828年、司祭がここから去ったあと、1985年に地方自治体の手で部分的な修復が行われたものの、礼拝堂として使われることはなかった。

それを見かけた日本人芸術家田窪恭治は1989年、一家5人でファレーズ市に移住、1999年までの10年間をかけて修復を行った[1]。

礼拝堂の左右にりんごのフレスコ画が施されているのが特徴で、これが"リンゴの礼拝堂"の名の由来である。礼拝堂の入り口の扉に工事に関わった職人や募金者の名前が刻まれている。
ーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)


メセナ活動を紹介した「芸術文化の投資効果 メセナと創造経済」(加藤種男・著)で見つけた事例です。

日本人の芸術家が、家族と一緒にフランスに移り住み、田舎の礼拝堂を修復したというプロジェクトでした。

このプロジェクトの応援者として、寄付を集めたのが、その当時、資生堂社長だった福原義春さん(現名誉会長)でした。日仏で企業や個人に寄付を呼びかけ、総額2億円もの寄付を集めたそうです。

その辺の状況は、田窪 恭治さんの著書に詳しく載っているそうです。

林檎の礼拝堂 La chapelle des pommiers
田窪 恭治 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4087811654


他に、ネットでいくつか参考になる記事を見つけたので、引用します。

公益社団法人 企業市民協議会(CBCC) 
https://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/CLIP/clip0019/cli040.html

日仏の市民が購入した色ガラスの瓦が礼拝堂の屋根をモザイク模様に彩り、ノルマンディー地方の自然に題材をとった絵が内壁を飾る。完成した礼拝堂で、ミサはもちろん、音楽会や展覧会などコミュニティの催しもできるのでは、と夢はふくらむ――フランス・ノルマンディー地方にある風化した16世紀の礼拝堂を、日本の現代アーティスト、田窪恭冶氏が芸術作品としてよみがえらせようとしている。現地の職人や住民は、田窪氏とともに地道な作業に取り組みながら、国際的メセナ活動に参加することの喜びをかみしめ、日本の支援者に思いを馳せているという。


世界現代美術作家情報
田窪恭治
http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress/aaa/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E4%BD%9C%E5%AE%B6/%E7%94%B0%E7%AA%AA%E6%81%AD%E6%B2%BB/

1999年まで十年余りを要することになったこの仕事は、礼拝堂の所有者である村のひとびととの契約締結、そして資金調達のための支援体制づくりから着手された。村との契約は1988年の年末、即ち礼拝堂との出会いから一年後のことであった。そこには、礼拝堂は村が所有し、作品も礼拝堂が保持すること、作品制作は作家の自由であり、プロジェクト実現のための資金は作家が調達すること、プロジェクトに関する著作権は作家が有することなどが記されている。それは、発案から完成までを作家ひとりがコントロールする近代的な美術作品のあり方とは異なるものであった。資金調達については、礼拝堂の友の会が結成され、そこが窓口となって、企業と個人からの寄付を受け入れた。特に、日本で設立された企業メセナ協議会が中心となり、様々な企業から幅広く寄付を募る方法が進められたことは、80年代までの企業と芸術の関係とは異なる点として特筆される。


メセナ活動やアート振興のファンドレイジングスーパースターの事例ですね。



Wikipedia:サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂
No.316【ファンドレイジングスーパースター列伝】福澤諭吉と義捐金(日本) [2018年11月12日(Mon)]

福澤諭吉と義捐金

福澤研究センター通信第14号2011年3月31日の巻頭に、面白い記事がありました。

ーーーーーーー
福沢諭吉と災害救援 *
福沢諭吉は、災害救援においてメディアが果たしうる役割に最初に着目した人の一人であった。自ら経営していた新聞『時事新報』において、たびたび義捐金募集を行い、大きな成果を収めた。そもそも紙上で義捐金活動を行った最初は明治18(1885)年のノルマントン号事件の時で、これは多少政治的な運動であったが、 3 年後に起こった磐梯山の大噴火にあたっては、『時事新報』がいち早く呼びかけて東京の15新聞社が連名で義捐金を募集し、『時事新報』が最大の応
募額を集めた。さらに 3 年後の明治24年10月28日には、濃尾地震が起こった。『時事新報』は同月30日に早くも「大地震に付義捐金募集広告」を掲載して義捐金募集を開始、その広告は福沢自らが筆を執った原稿が残されている(写真右)。
福沢は災害救援とは日本人が「国民」であることを確認する機会ととらえた。義捐金は救援の実を挙げられるほどの額にはならないと見通しながら、その行為は被災民の情を慰め、不平等条約をかかえる日本人の「徳義心」を世界に示すとし、一方で復興の実は政府の果断なる政策によるべきであると説いた。そして福沢は、連日義捐金応募者の姓名を、額で差をつけず到着順に全て紹介することに、紙幅を大きく割いた。写真左は明治29年 6 月15日に発生した三陸大津波に際しての義捐金応募者一覧に見える福沢の名である。福沢は50円の高額を寄付しながら 1 円の義捐者と同列に掲載されている。それぞれが応分の協力をする、いわば「社中」としての日本国を演出した福沢の工夫であった。(都倉)
ーーーーーーーーーーー

20181027.JPG

http://www.fmc.keio.ac.jp/common/pdf/tsushin14.pdf


義援金について、福澤諭吉の思いれを感じることが出来ます。
その当時の社会状況をあわせて、義援金の意味合いが今とは少し違いますね。



次の記事等からも、福澤諭吉の義捐金に対する思想を抜き出してみます。

オリジナル連載 (2011年7月15日掲載)
時事新報史<番外編>
『時事新報』と義捐金(1)
ノルマントン号事件と磐梯山噴火
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/26.html

このときの『時事』は、義援金募集の拡大に積極的であった。応募の手続きを整備し、ノルマントンの際は断続的だった応募者リストの紙面掲載を連日に、またその掲載位置は紙面最末尾ではなく、比較的目につく場所に移された。応募額の順調な伸びに福沢諭吉も満足を覚えたらしく、アメリカに留学していた娘婿の福沢桃介に宛てた手紙で次のように記した。

『時事新報は何故か、なかなか勢力ありて世の信用も厚し。既に先日磐梯山罹災につき、義捐の金を集めたるに、諸新聞は新報の半高に及ぶものさえなし。この一事をもっても推して知るべし。』
(明治21年8月27日付書簡、『書簡集』第6巻)


オリジナル連載 (2011年8月25日掲載)
時事新報史<番外編>
『時事新報』と義捐金(2)
濃尾地震救援キャンペーン
都倉武之(慶應義塾大学専任講師)
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/27.html

『時事』は、この根本問題を政府が直視しない限り、何度衆議院を解散しても国会の空転は解決されないと政府に警告し、『時事』の年来の主張である「官民調和」の重要性を主張するのである。『時事』のいう「官民調和」は、民を官に妥協させようとしたもののように誤解され、当時も現在もしばしば批判されるが、変化を求めるターゲットは紛れもなく官にも向いているのである。

福沢率いる『時事』は、このように被災地の復旧支援を第一に、粘り強く現状と向き合い続ける姿勢を貫き、息長く報道を続け、社説で被災地支援を主張し続けた。その取り組みと相まって、上記の通り、募金額が伸びたのである。


ほかにも、金銭の義援のみならず、古着古道具の救援品を送ることもできるといった具体的な支援策の提案(社説「古着古道具の義捐」)、被災者が心の平穏を取り戻すために、僧侶が早く現地に入るべきで、寺院は救援活動の拠点になるべきという主張(社説「震災善後の法」)、義援金は実用よりも日本人同士が心を寄せ合って感情を慰めるという情の面に大きな意味があるから、公平性に固執していたずらに遅延しては意味がないとして、迅速な分配を求める主張(社説「義捐金及び物品の分配」)など、当時の他紙に比すれば極めて具体的、建設的である点が注目される。

このように『時事』が被災地救援に心を砕いた理由には、福沢諭吉の感性という源があるようである。被災地の惨状を訴えるために上京して福沢を訪ねた大垣出身の治水事業家金森吉次郎は次のような回想を残している。

『三田のお宅へ始めて参りまして震災の話をしている中に、驚いたことには〔福沢〕先生が泣いていられる。私の話を聞きながら両眼にいっぱい涙を浮かべ、それがあふれてポロポロと頬を伝い落ちるのをこぶしで横なでにぬぐいながら、熱心に耳を傾けていられました。そして「今度のような震災は千古未曾有の出来事であるから、政府も全力を挙げてこれが救済のことを計らねばならない」といわれ、種々のお話があり、「時事新報のごときは紙面をことごとく解放して十分に罹災者のために力を添えよう」という…。』
(『福沢諭吉伝』4巻)



2012年5月19日(土)
慶應義塾大学大学院アートマネジメント分野講師 鈴木隆敏氏
「『時事新報』に集った福澤諭吉の門下生たち
〜武藤山治と門野幾之進を中心に〜」 (於大阪武藤記念ホール)
http://www.kokuminkaikan.jp/chair/detail20120519.html

3.「大災害非常時における『時事新報』社説の今日性」
いずれもマグニチュード8を超えた明治24年死者7232人の「濃尾大地震」と死者22000人の明治29年「三陸大津波」発生に対しては、現代の東日本大震災の報道と比べて全く変わらず、むしろより的確であり、政府などに対する主張は今のメディアよりシビアに訴えてい る。福澤は両地震で「大災害の被災者を即刻救うのは日本国中同胞の至情、義務である。新聞社などの義捐金募集だけでは足りないので、富豪大家の大奮発を望み、中央政府が国庫金を早急に 支出して救助に尽力すべきである。死傷者の手当てには軍医や看病卒を派遣するべきだ」と、連日のように『時事新報』紙上で編集、論説記者陣を総動員して被災者支援、被災地復旧の義捐金募集キャンペーンなどを行った。復興についても、そのままでは被害者はいかにも気の毒不憫で あり、出来る限り以前の姿へ戻すべく、復興資金として、上場会社が資本金の百分の一の株券を拠出するべきと提案した。又スピードが大切で、議会を通さず、臨時出費でお金を作れと訴えた。現在福澤が存命していたならば、東日本大震災の復興の遅れをどのように論評するであろうか?



福沢諭吉における世論と争論 −明治 23 年の『時事新報』の検討から−
都倉武之
http://www.mediacom.keio.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2015/04/2015Tokura.pdf

次に,この年に行われた時事新報紙面を利用した義捐金募集が 3 つあることに着目したい。紙面を活用した義捐金募集は,福沢においては国家と個人の関係を国民が自覚するという教育的機会として重視され,様々な試みを経て,発展を続けたことを別稿において明らかにしたが (67),この年の 3 回の募集はこれに先立つノルマントン号事件(明治 19 年),磐梯山噴火(明治 21 年),またこれ以後の濃尾地震(明治 24 年),日清戦争軍資醵集(明治 27 年),三陸大津波(明治 29 年)の中で見渡すとき,尋常ではないペースといわなければならない。
 その最初は,8 月 11 日に開始された「虎列剌予防の義捐金募集」である。紙面の本文冒頭に掲載された広告には「大日本私立衛生会に託して府下貧困者施療予防の資に供せんとす」とあり,同日の社説では,磐梯山の時のように全くの慈善ではなく,今回は「自分の身に及ぶ可き病毒を其未だ来らざるに防ぎ止ること」が目的であるとして募金への参加を呼びかけている (68)。なお,この募金は博覧会投票の結果発表の翌日から開始され,博覧会投票の次の企画,という位置づけであったと考えられる (69)。
この募金は,余り注目された形跡がないが,ほどなく 9 月 16 日,オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が紀州沖で沈没した大事故が発生。同月 20 日の一報と並んで,「土耳其軍艦沈没の悲惨」との大見出しで新たな義捐金募集が開始された。趣意書には「広く義捐金を募集して憐む可き罹災者の心情を慰め日本人の慈愛義侠を海外に表明せんとす」とあり,募集広告は翌日には一面の第一段を全て埋めて掲載されるなど,以後力を入れた広告が展開されている。この事故に対する社説も盛んに掲載された (70)。
 トルコ義捐金の総計は 10 月 11 日に 4248 円 97 銭 6 厘と発表され,これを為替証書の形
で軍艦比叡に同乗する特派員野田正太郎に手渡したことが伝えられている (71)。
さらに,トルコ義捐金の締め切り直前の 10 月 5 日より,「三船乗組遭難者弔慰金」募集を開始する。これは 9 月 17 日に遭難した,日本の汽船武蔵丸,帆船頼信丸,布引丸の 3隻の死者の追悼と遺族の救援のための義捐金募集であった。こちらは 11 月 27 日に,合計439 円 47 銭が贈られたと報告されている。帝国議会召集の 2 日後,開院式の 2 日前のことである。
ーーーーーーー


こちらの論文も、とても参考になりますので、ぜひご一読ください。

災害復旧支援と福沢諭吉──『時事新報』のキャンペーンを中心に──
都倉武之
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalps/48/2/48_152/_pdf


これ以外にも、日清戦争や、三陸大津波の際にも、福沢諭吉が積極的に義援金を集めていたそうです。

No.315【ファンドレイジングスーパースター列伝】時事新報(日本) [2018年11月11日(Sun)]

時事新報

時事新報(じじしんぽう)は、かつて存在した日本の日刊新聞である。1882年(明治15年)3月1日、福澤諭吉の手により創刊。その後、慶應義塾大学およびその出身者が全面協力して運営した。戦前の五大新聞の一つ。創刊に当たって「我日本国の独立を重んじて、畢生の目的、唯国権の一点に在る」と宣言した。1936年(昭和11年)に廃刊になり『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)に合併された。
ーーーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

福澤諭吉が、時事新報で積極的に義援金を集めていたそうです。

とある記事で、『古来日本人は多くの自然災害に直面してきたが、明治期の『時事新報』の歴史にも、震災や津波などの大災害は、たびたび顔を出している。その時の『時事』の振る舞いを知ることは、今日のこの震災を考える一つの観点として意義あることと思う。ここで紹介したいのは、今日ではごく当たり前に行われているメディアによる義援金募集の定着に、『時事新報』が少なからぬ役割を果たしたということである。』というの文章を発見しました。

それが、こちらの記事です。
時事新報の義援金について、参考になることを抜粋しました。


オリジナル連載 (2011年7月15日掲載)
時事新報史<番外編>
『時事新報』と義捐金(1)
ノルマントン号事件と磐梯山噴火
都倉武之(慶應義塾大学専任講師)
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/26.html

これに続いて新聞史上に現れるのが、ノルマントン号事件における義援金募集である。
このとき東京では、5つの新聞社が連名で、被害者遺族のための義援金募集を行った。5紙とは『東京日日新聞』(以下『東日』)『毎日新聞』(現在の同名紙とは別)『朝野新聞』『郵便報知新聞』『時事』である。

非常に大きな反響を巻き起こしたらしく、申し込みが殺到、当初被害者を慰める目的であった義援金は、難破船の引き揚げ、欧米各紙への意見広告などへと熱を帯びて拡大していった(*註1)。義援金応募額と住所、氏名をリストとして紙面に掲げることが領収書の代わりとされ、当時の紙面には紙面の末尾にたびたび応募者リストが掲載されている。

義援金募集の結果は『時事』が他紙を圧倒する結果となった。集計総額1万8000円弱のうち、『時事』が集めたのが6200円ほどで1位、2位の『東日』は3800円ほどであった。つまりこの募集は、図らずも『時事』が社会に高く信用されていることを示したということが出来るだろう。つまりお金を預ける新聞として、あるいは名前を載せてもらう新聞として、多くの人は『時事』を選んだということである。

義援金募集の機会は、その2年後に再び訪れる。明治21年7月の磐梯山噴火がそれだ。
このとき、再び新聞各紙の連名による義援金募集が企画されたのである。噴火から6日目に各紙一斉に掲載された「義捐金取次広告」には、なんと東京の15の新聞社が名前を連ねた。

広告の掲載経緯は不明であるが、『時事』自身は、東京に噴火の報が伝わって以降、義援金を委託する者が多くあったので、各新聞社と協議し、義援金取り次ぎを決めたと報じており、『時事』が先導したニュアンスだ。そしてこの動きに全国各地の新聞社も続々と追随していった。

この磐梯山の事例は、少々極端な書き方をすれば、「直接自分とは無縁の地、無縁の他者」に対して、日本人がこぞって心を寄せる意思の表明であった。これは、同じ日本に住み、同じ価値観を共有している他者の窮地に情を寄せるという、近代的な国家意識を前提としていたということができる。

『時事』は社説で、今回の災害は「もとよりノルマントン号の類にあらざれば、我輩は必ずその慈善義捐の国中広くして大ならんことを期するものなり」(同7月22日付社説)と主張したが、結果は締め切りの段階で15社合計6400円余り。『時事』はやはり1位であったが2500円ほどに過ぎなかった。福島県庁の資料によると全国各地から寄せられた義援金の最終合計は2万3000円に達し、『時事』の最終額も5400円まで増加したようである。




オリジナル連載 (2011年8月25日掲載)
時事新報史<番外編>
『時事新報』と義捐金(2)
濃尾地震救援キャンペーン
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/27.html

濃尾地震は明治24年10月28日午前6時半過ぎ、岐阜・愛知を中心に発生した大地震である。

その中で目を引くのが『時事』である。同紙はこの日、さっそく「大地震に付き義捐金募集広告」と大見出しを掲げて義援金の募集を始めたのである。すでにノルマントン号事件、磐梯山噴火、そして明治23年にはいわゆる「エルトゥールル号事件」(註1)の救援のための義援金募集と経験を重ねてノウハウを確立した『時事』は、他社と調整の上で連名の広告を掲げるのではなく、いちはやく独自に募集を開始したわけである。

『時事』が義援金を募集するらしい、と農商務大臣陸奥宗光主催の会議で話題となり、その場に居合わせた人たちがポケットマネーを続々と出し合ったという。その顔ぶれは陸奥を筆頭に、当時官吏だった原敬、実業界の重鎮大倉喜八郎、渋沢栄一、益田孝、森村市太郎ら、31名が並んでいる。「災害といえば、『時事』の義援金募集」と人々が想起し、素直にお金を出そうと思う信用を、『時事』が築くことに成功していたことを示しているだろう。

結果を先に言ってしまえば、『時事』の募集は11月末に締め切られ、1か月で総額2万6719円58銭7厘となった。集計額を報じた新聞記事によれば全国の集計額は11万5500円ほどで、『時事』は群を抜いた一位、その次は『大阪朝日新聞』の1万9000円弱、『朝野新聞』が1万2000円あまりであった。磐梯山の時に比較すると格段の盛り上がりを見せた金額といえるだろう。災害が起これば、まずメディアを通じて義援金を寄せる、これが日本人の常識として定着しつつあったことがよくわかる。
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この2つの記事は、非常に参考になります。


No.314【ファンドレイジングスーパースター列伝】ノルマントン号事件(日本) [2018年11月10日(Sat)]

ノルマントン号事件

ノルマントン号事件(ノルマントンごうじけん、英語: Normanton Incident)とは、1886年(明治19年)10月24日にイギリス船籍の貨物船、マダムソン・ベル汽船会社所有のノルマントン号(Normanton、より英語に忠実な表記は「ノーマントン」)が、紀州沖で座礁沈没した事から始まった紛争事件である。日本人乗客を見殺しにした疑いで船長の責任が問われたものの不問となり、船長らの人種差別的行為と不平等条約による領事裁判権に対する国民的反発が沸き起こった。
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(Wikipediaより)

このノルマントン号事件が、ファンドレイジングにどのように関係するのでしょうか!?

もう少し、Wikipediaから引用していきます。

〇1886年(明治19年)10月24日午後8時ごろ、横浜港から日本人乗客25名と雑貨をのせて神戸港に向かったイギリス貨物船ノルマントン号240トンが、航行途中、暴風雨によって三重県四日市より和歌山県樫野崎までの沖合で難破、座礁沈没した。
〇その際、ジョン・ウイリアム・ドレーク船長以下イギリス人やドイツ人からなる乗組員26名は全員救命ボートで脱出し、漂流していたところを沿岸漁村の人びとに救助されて手厚く保護された。
〇ところが日本人乗客25名は、一人も避難できた者がおらず、船中に取り残されてことごとく溺死した。
〇10月28日、松本鼎和歌山県知事からの電報で遭難事件のあらましを知った第1次伊藤内閣の外務大臣井上馨は、日本人乗客が全員死亡したことに不審をもち、その場の実況調査を命令した。
国内世論は、ドレーク船長以下船員の日本人乗客にとった非人道的行為とその行為に根ざす人種差別に沸騰した。
〇11月1日、神戸駐在在日英国領事のジェームズ・ツループは、領事裁判権にもとづき神戸領事館内管船法衙において海難審判をおこない、11月5日、ツループは、ドレークの「船員は日本人に早くボートに乗り移るようすすめたが、日本人は英語がわからず、そのすすめに応じずに船内に籠もって出ようとしなかったのでしかたなく日本人を置いてボートに移った(ノルマントン号は貨物船なので、日本語が話せる乗客向けのスタッフはいない)」という陳述を認めて、船長以下全員に無罪判決を下した。
〇全国各地から遺族への義捐金が寄せられ、新聞各紙はいっそう硬化して、連日、悲しみの論説と弾劾の記事を掲げた。
〇告訴は翌14日におこなわれた。これに対し、イギリス側は神戸で予審をおこない、ついで横浜に場をうつした。12月8日、横浜領事裁判所判事のニコラス・ハンネンはドレークに有罪判決を下し、禁固刑3か月に処したが、死者への賠償金は支払われなかった。
〇一時は義援金による難破船引き揚げや欧米各紙への意見広告までが叫ばれたが、遺族に分配されることになった。
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この義援金については、福沢諭吉の『時事新報』が深く関わっています。

オリジナル連載 (2011年7月15日掲載)
時事新報史<番外編>
『時事新報』と義捐金(1)
ノルマントン号事件と磐梯山噴火
都倉武之(慶應義塾大学専任講師)
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/26.html

これに続いて新聞史上に現れるのが、ノルマントン号事件における義援金募集である。この事件は、明治19年10月24日に紀州沖で発生した英国汽船の沈没事故で、船長以下西洋人乗組員は全員難を逃れたにもかかわらず、日本人乗客全員が死亡、しかも不平等条約によって日本側が船員を裁くことが出来ず、英国領事館は船長以下に責任がないとの判断を下したため、日本世論が激昂し日英間の外交問題に発展したのである。このとき東京では、5つの新聞社が連名で、被害者遺族のための義援金募集を行った。5紙とは『東京日日新聞』(以下『東日』)『毎日新聞』(現在の同名紙とは別)『朝野新聞』『郵便報知新聞』『時事』である。


この時の義援金募集がそもそもどのような経緯で始まったかを詳しく知ることは出来ないが、非常に大きな反響を巻き起こしたらしく、申し込みが殺到、当初被害者を慰める目的であった義援金は、難破船の引き揚げ、欧米各紙への意見広告などへと熱を帯びて拡大していった(*註1)。義援金応募額と住所、氏名をリストとして紙面に掲げることが領収書の代わりとされ、当時の紙面には紙面の末尾にたびたび応募者リストが掲載されている。『時事』は、この事件を早くから大きく報じた新聞の一つであったが、世論が極端に高揚していく中、英国領事館による再審理で一転船長の責任が公正に裁かれる兆しが見え始めると、論調を急速にクールダウンさせた。本連載でもたびたび解説するように、これは日英関係の深刻な悪化が日本に良い結果を生まないという判断から、排外的色彩を帯びつつあった世論を戒め、外交関係修復を図る当局を後押ししようという、『時事』特有の官民調和的態度である。

そのような『時事』の論調の推移にかかわらず、義援金募集の結果は『時事』が他紙を圧倒する結果となった。集計総額1万8000円弱のうち、『時事』が集めたのが6200円ほどで1位、2位の『東日』は3800円ほどであった。つまりこの募集は、図らずも『時事』が社会に高く信用されていることを示したということが出来るだろう。つまりお金を預ける新聞として、あるいは名前を載せてもらう新聞として、多くの人は『時事』を選んだということである。
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26-1b.jpg
ノルマントン号事件の義援金募集広告(『時事』明治19年11月13日付)
(上記サイトより引用)



Wikipedia:ノルマントン号事件
No.313【ファンドレイジングスーパースター列伝】山田宗有(寅次郎)(日本) [2018年11月09日(Fri)]

山田宗有(寅次郎)

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山田 宗有(やまだ そうゆう、本名:山田寅次郎、慶応2年(1866年)8月23日[1] - 昭和32年(1957年)2月13日)は、実業家、茶人。茶道宗徧流の第8世家元であるが、家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍した。明治25年(1892年)にエルトゥールル号遭難事件の義捐金を届けにトルコに渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られる。

宗有(寅次郎)は、幕末の慶応2年(1866年)に沼田藩用人・中村雄左衛門(莞爾)の次男として沼田藩の江戸上屋敷で生まれた[2]。中村家は曽祖父の代から家老職を務めていた。8歳まで沼田で生活し、維新後に上京した[3]。明治14年(1881年)に宗徧流家元山田家に養子入りした。
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(Wikipediaより)


では、山田宗有(寅次郎)の取り組みを見ていきましょう。
こちらもWikipediaからの引用です。

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明治23年(1890年)、訪日から帰国途上のオスマン帝国軍艦エルトゥールル号の遭難事件が日本中に大きな衝撃を呼ぶと、寅次郎は民間から義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付することを思い立った。彼は親交のあった日本新聞社の陸羯南に働きかけて募金運動を起こした[7]。日本中で演説会をして回って、2年をかけて5000円(現在の価値で1億円相当とされる)の寄付を集めた。当初はトルコへ送金するつもりであったが、その方法について外務大臣の青木周蔵と面談したところ、持参を勧められたという[8]。

明治25年(1892年)4月、寅次郎は義捐金を携えてオスマン帝国の首都イスタンブールに到着し、早速オスマン帝国外相を訪ねて義捐金を届けた。これにより彼が遠い日本から民間人でありながら義捐金を持って自らやって来たことが知れわたると、彼はイスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。この時に彼が皇帝に献上した生家の中村家伝来の甲冑や大刀は、現在もトプカプ宮殿博物館に保存、展示されている。
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Wikipediaのエルトゥールル号遭難事件の記事もぜひご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


義援金については、こちらの論文が詳しく書かれています。
当時の募金活動の状況もよくわかります。

1890年におけるオスマン朝に対する日本の義捐金募集活動 : 「エルトゥールル号事件」の義捐金と日本社会
三沢, 伸生(東洋大学社会学部紀要)
http://jairo.nii.ac.jp/0236/00001906



Wikipedia:山田宗有

By 不明 - 『東洋製紙株式会社沿革史』(東洋製紙, 1925), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38161823
No.312【ファンドレイジングスーパースター列伝】ベルマーク運動(日本) [2018年11月08日(Thu)]

ベルマーク運動


ベルマーク運動(ベルマークうんどう)は、学校をはじめとする教育施設や公民館をはじめとする生涯学習施設の教育環境整備への助成と、交通などの面でハンデキャップのある山間・離島(いわゆるへき地)の学校や特別支援学校、院内学級や被災校、発展途上国の教育に対する援助を組み合わせて行われる運動である。朝日新聞社創立80周年記念事業として1960年(昭和35年)に始まった。ベルの形は「国内外のお友達に“愛の鐘”を鳴り響かせよう」との意味合いがある。
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(Wikipediaより)


先日、ベルマークについて、Webで話題になっていましたが、あらためて調べてみました。
以下もWikipediaからの引用です。

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商品の包装紙やパッケージにつけられた「ベルマーク」を切取り、学校・団体ごとに集めて財団に送ることにより、1点あたり1円がそれぞれの団体のベルマーク預金になり、貯まった預金で自分の学校・団体の設備品などを購入できる。貯まったポイントで商品と交換すると勘違いされることがあるが、あくまでも預金で購入するシステムである。さらに、この設備購入代金の1割がPTAからの寄付金となり、へき地学校などの援助に役立てられる。ベルマーク運動の変わらない仕組みである。

ベルマーク運動への参加登録は、幼稚園、学校や公民館などに限られ、個人や企業での参加登録はできない。学校・団体ごとにマークを集めてベルマーク教育助成財団に送付すると、1点1円換算で預金化され、それぞれの口座に貯まる。貯まった預金を利用して協力会社(≠協賛会社)から自分の学校などの設備や教材を購入することができる。協力会社は楽器や自転車のメーカー・事務機器メーカー・書籍取次店・スポーツ用品メーカーなどで、参加学校・団体には年に2回、各社の主な取扱商品を掲載した「お買いものガイド」が送られる。以前は、消耗品が購入できないという規則があったが、今は協力会社が扱っている商品であれば何でも購入できる。

購入代金の10%が、協力会社からPTAなどに戻され、ベルマーク財団に寄付されるのもベルマーク運動の特徴である。これが「援助資金」としてプールされ、へき地学校や特別支援学校など、援助を必要としている子どもたちのために使われている。
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こちらが沿革です。

1957年 - 福島県の山村での赴任経験を持つ小学校教諭の渡辺ユキが、都市部と同等の義務教育を求めて、朝日新聞社に「へき地の子供たちの教育設備を充実してほしい」と支援を依頼。

1959年
2月12日 - 教育設備拡充協力会(後に教育設備助成会と改称)設立の第一回準備会。
4月16日 - 第二回準備会。

1960年(昭和35年)10月24日 - 教育設備助成会が設立される。

1997年6月 - ベルマーク教育助成財団(略称・ベルマーク財団)に改称。
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ベルマーク教育助成財団
http://www.bellmark.or.jp/

こちらのサイトも見ていきましょう。

http://www.bellmark.or.jp/info/activity_status.htm
(1)集まったベルマーク1点につき、1.27円(消費税こみ)の「市場調査費」が協賛会社から支払われます
(2)このうち1円分が、PTAなど参加団体の預金口座に入り、自分たちの学校の設備が購入できる「教育設備助成費」になります
(3)残りの0・27円(消費税こみ)分は、集票活動したPTAなど参加団体から財団に寄付され、「運営費」になります
※PTAのベルマーク預金が、運営費に使われることはありません

2016年度の実績
集票点数      472,014,682点
市場調査費 合計   599,458,304円
参加団体口座へ   472,014,682円(教育設備助成費)
財団へ       127,443,622円(運営費=PTAからの寄付)

(2)ベルマークの集票点数
16年度の集票は4億7201万点でした。消費増税による消費の落ち込みなどの影響もあり、前年度を1.6%下回りました。

(3)教育設備品購入額
 ベルマーク預金を使ってのお買いもの総額は、5億64万円で、前年度を2.6%下回りました。サッカーボールなどのボール類、一輪車、CDラジカセ、デジカメ、黒板消しクリーナーといった定番の人気商品のほか、岩壁を模した板を上るクライミングウオールやAEDのような新しい設備も購入されました。運動が始まった1960年からの累計は、260億7606万円です。


最近は、ウェブベルマークというのも、あります。
https://www.webbellmark.jp/


Wikipedia:ベルマーク運動
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