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No.116【ファンドレイジングスーパースター列伝】今井保太郎(日本) [2018年04月26日(Thu)]

今井保太郎

もし、『日本の公益信託王』という称号があれば、この人ほどふさわしい方はいらっしゃないだろう。
開発途上国の支援から難病治療、自然保護のなど、計13件の公益信託を設立、投じた私財の総額は4億3,600万円!!

1923年(大正11年)に公益信託に関する法律(信託法)が施行されてから半世紀、この眠っていた法律を使って、1977年に日本で最初の公益信託「今井記念海外協力基金」を設立したのが、今井保太郎でした。

今井記念海外協力基金のサイトで、基金設定者である今井保太郎のことが詳しく紹介されていますので、一部引用します。
http://www.imai-kikin.com/about.html
ーーーーーーーーーーーー
故今井保太郎氏(いまいやすたろう、1909年7月〜2002年3月)は、東京・日本橋の老舗呉服問屋に生まれ、少年期まで不自由のない生活を送られました。しかし、1923年の関東大震災で家財を失われたため、家計を支えるため中学校を中退し、14歳のときから繊維問屋に丁稚奉公されました。十数年にわたって人一倍の奉公をされ、その後寝具の卸売り業者として独立し、そして経営者として財をなされました。

故今井氏の生活信条は倹約を基礎とされたもので、鉛筆1本、紙1枚、公・私生活において無駄使いをされませんでした。戦後にたまたま購入した竹藪の土地が、高度経済成長期に高騰して高額で売れたのですが、「このような不労所得は私するべきではない。社会に還元するべき」と考えられました。

そして公益信託に関する法律(信託法)が大正11年(1923年)に施行して以来、誰も活用しなかった「公益信託制度」を利用し、1977年に2億円を投 じられ日本で最初の公益信託「今井記念海外協力基金」を設立されました。この基金は日本で最初の公益信託であるというのみならず、一個人が開発途上国の人たちを対象として公益信託を設定した最初の基金であるという点で、日本の国際協力史上きわめて意義深いものです。
ーーーーーーーーーーー

そしてて、こちらが、今井保太郎が創設した13の公益信託の一覧です。
http://www.imai-kikin.com/imamade.html


日本において、公益信託の活用を切り開いたパイオニアであり、それを通じて、広い意味でファンドレイジングの仕組みを生み出した偉人です。
No.115【ファンドレイジングスーパースター列伝】熊本地震の復興支援(日本) [2018年04月25日(Wed)]

熊本地震の復興支援

2016年4月14日夜と、16日未明に発生した熊本地震。
あれからちょうど2年ですね。

あらためて、熊本地震の復興支援の取り組みをご紹介します。

“東北から熊本へ”の想いが生んだ九州・熊本地震への応援!
寄付金付き 「キットカット いきなり団子味」 4月2日(月)より販売開始
熊本の農業を応援する支援金として、日本財団を通じて1袋当たり10円を寄付
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000075.000004158.html
d4158-75-181246-0.jpg


ガリガリ君 九州みかん 新発売!
今年もガリガリ君は熊本地震復興支援を応援します!
九州のみかん果汁を使用した、くまモンとのコラボ商品
パッケージが新しくなって再登場!
2018年3月20日(火)より全国発売
https://www.akagi.com/news/2018/180308.html


2018年もくまモンと10円のチカラで全国から熊本を応援!
期間限定商品「くまモンうまい棒」今年も元気に販売開始
パッケージは「うまい棒」のキャラクター「うまえもん」「うまみちゃん」と「くまモン」が一緒に登場。中身のかぼちゃコーンポタージュ味は原材料に熊本県産「万次郎かぼちゃ」を使用。復興支援を盛り上げます
発売日:2018年5月中旬予定 全国で発売開始
http://www.yaokin.com/news/20180406/


熊本城組み建て募金
ダンボールの会社が考えた被災地支援のしくみ。
その名も「組み建て募金」。
ダンボール熊本城を組み建てるには、およそ30分ほど。
組み建てたみんなの時間を少しずつ集めて
熊本城復旧のチカラに変える。
あなたの時間を、復興のチカラに。
売上は熊本城復活のため全額を寄付します。
http://www.kumitate-bokin.jp/


熊本復興支援チャリティトークライブの
2016年4月、くりぃむしちゅーの故郷・熊本が、大きな地震に見舞われました。
東日本大震災の例を見ても、被災地が復興するには、長い年月が必要で、その復興を支えるために、長いスパンでの継続的な支援が必要です。そこで、熊本への支援と、熊本地震を風化させないためにも、2016年6月より毎月1回のペースで、チャリティトークライブを行っております。
https://naturaleight.co.jp/creamlive/
※2018年5月から10月までの予定が掲載されています。


Yahoo!ショッピング
熊本・大分復興支援
うまかもん満載! みずみずしい果物や魚介、焼酎など、熊本・大分の特産品をたっぷり紹介します。
https://topics.shopping.yahoo.co.jp/fair/sale/general/kumamoto/


100%熊本百貨店(熊本復興応援)
熊本県外からご注文のお買い上げ金額の10%が被災地の支援に使われます。
http://www.tsuruya-dept.co.jp/shop/pages/kumamoto.aspx
※熊本の鶴屋百貨店が運営するショッピングサイト


「かせするもん。」では、熊本地震からの復興に向けて、
ふるさと熊本の魅力をこれからも伝え続けます。
今の熊本をぜひ感じてください
https://kasesuru.jp/


いろいろな応援の仕組みがあるので、みなさんもぜひ。

他にも何かあればぜひ情報をお寄せください。

※記事公開の都合により、No.の順番が違っています。
No.114【ファンドレイジングスーパースター列伝】東京マラソン(日本) [2018年04月24日(Tue)]

東京マラソン

2007年に始まった東京マラソン。
東京マラソンといえば、フルマラソンのチャリティマラソンとして有名ですね。
2011年大会からチャリティ参加枠が実現し、2011年にはチャリティ枠707名が参加し、約7,300万円の寄付金が集まったそうです。
http://www.marathon.tokyo/charity/

2018年3月29日に発表されたプレスリリースからの引用です。
ーーーーーーーーーーーーーーー
東京マラソン 2019 チャリティ寄付先事業の拡充について
2011 大会から導入したチャリティ制度により、チャリティランナーの申込みは、累計20億円以上の寄付を頂き、各寄付先事業にて活用されています。
そして、次回の東京マラソン 2019[2019 年 3 月 3 日(日)開催予定]から、寄付先事業数を拡充し、寄付者の選択の幅を増やし、募集を行います。
また、2018 大会で試行的に実施した「アクティブチャリティ」は、2019 大会で本格的に導入します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.marathon.tokyo/charity/pdf/180329_charity.pdf


東京マラソン2017のチャリティ実績が掲載されていました。
http://www.runwithheart.jp/result/


チャリティーランナー3000人で、寄付総額3億1,301万5,238円(累計 16億7,821万6,879円)です。すごいファンドレイジングですね。

2011年の700人7000万円の実績から、この数字!


東京マラソン2017チャリティ事業年次報告書
http://www.runwithheart.jp/pdf/corp_2017_report.pdf
No.113【ファンドレイジングスーパースター列伝】グンゼラブアース倶楽部(日本) [2018年04月23日(Mon)]

グンゼラブアース倶楽部


前回に続いて、今回も企業のCSR活動から、職域募金の仕組みです。
今回は、下着メーカーのグンゼの「グンゼラブアース倶楽部」です。

ーーーーーーーーーーーーー
グンゼラブアース倶楽部は、グンゼ創立110周年記念の社会貢献事業として2006年に発足しました。会員から募った寄付金と会社のマッチングシステムによるNPO団体等への寄付や、協働事業を通じて社会に貢献しています。

グンゼラブアース倶楽部寄付のしくみ
<A会員>
毎月の給料と賞与から、100円を1口とし、1〜99口までの範囲で任意の口数を年間14回拠出。
<B会員>
別途定める銀行口座へ寄付。
<会社>
会員寄付へのマッチングギフト
ーーーーーーーーーーー
http://www.gunze.co.jp/csr/report/for_society/


さらに、このグンゼラブアース倶楽部単独で報告書を作成しているのがいいですね。
ーーーーーーーーーーーー
グンゼラブアース倶楽部では、年一度、その年の活動内容をまとめた会報を発行しております。詳しい活動内容は下記よりをご覧いただけます。
http://www.gunze.co.jp/csr/report/for_society/pdf/love_earth2017.pdf


グンゼの取り組みをもう一つご紹介します。
「株主優待制度による寄付」
ーーーーーーーーーーー
ご優待額1,000円を1口として、公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを目的に下記団体を通じて被災者へ寄付していただくことができます。
ーーーーーーーーーーーー
株主優待 http://www.gunze.co.jp/ir/shareholders/privilege/
株主優待制度による寄付のご報告 http://www.gunze.co.jp/ir/shareholders/privilege/contribute/

No.112【ファンドレイジングスーパースター列伝】アサヒビールワンビールクラブ(日本) [2018年04月22日(Sun)]

アサヒビールワンビールクラブ

今回は、アサヒビールグループの社会貢献活動のファンドレイジングである「アサヒワンビールクラブ」をご紹介します。
いわゆる職域募金の事例です。

ーーーーーーーーー
アサヒワンビールクラブは2002年4月に導入された社員による新しい募金制度です。「ビール一杯分の社会貢献を」を合言葉に社員の自発的な意思により毎月1口200円から積み立てて、さまざまな社会貢献活動をされている団体へ寄付をしています。
ーーーーーーーーーー
http://www.asahigroup-holdings.com/csr/philanthropy/social/social_beer.html


昨年2017年4月に、アサヒワンビールクラブに関するプレスリリースが出ていますので、そこからいくつかご紹介していきます。
http://www.asahigroup-holdings.com/news/2017/0421.html

・「ビール一杯分の社会貢献を」を合言葉に社員の自発的な意思により毎月1口(200円)から最高10口(2,000円)までの希望口数を積み立て

・年4回さまざまな社会貢献活動をされている団体へ10万円を寄付しています。

・2002年にアサヒビールの活動として始まった活動は、今ではアサヒグループ全体での活動に広がり、2016年末には会員数が1,000名を超える活動に拡大

・寄付金額も累計で約5,300万円(476団体、災害支援・助成含む 2016年末現在)

・「アサヒワンビールクラブ」の寄付先はすべて、積み立てをしている社員(アサヒワンビールクラブ会員)の推薦です。

・寄付先選定は、まず会員による寄付先の申請後、@外部団体による調査、A世話人(会員の有志代表)の審査、B会員による投票、という3段階のステップを経て決定しております。

・本取組み以外にも、会社主催や社員独自で行っているボランティア活動等に対し貯めたポイントを事業場ごとに金額に換算し、当該地域の社会貢献活動をされている団体へ寄付する「アサヒエコマイレージ」制度(2016年度は88団体に約900万円寄付)

No.111【ファンドレイジングスーパースター列伝】しみん基金・KOBE(日本) [2018年04月21日(Sat)]

NPO法人しみん基金・KOBE

名前はよく知っているけど、これまでちゃんと調べてなく、詳しいことは知らなかったシリーズです。

市民・団体・企業等から資金を集めて、市民活動団体との資源循環を生み出すコミュニティ・ファンドである「しみん基金・KOBE」です。
http://www.stylebuilt.co.jp/kikin/index.php

1995年1月の阪神・淡路大震災の復興支援の流れで、2000年にNPO法人として設立されました。
2017年度までの実績として、184団体に合計64,571,800円の助成金を交付しています。

1999年に第1回こうべあいウォークというチャリティーウォークを開催して、募金活動を行いました。その後も毎年欠かさず1月17日直近の日曜日に有志で続け、開催しているそうです。

今年の「こうべあい・ウォーク2018」は、阪神淡路大震災から23年というときを迎える長田の街を、まちづくり専門家のガイドや商店街や自治会の人たちのお話を聞きしながら、みんなで歩き巡り、街の復興のプロセスや現状の課題を知ることを通じて、震災から学んだこと・感じたことを振り返ることを目的としたチャリティ・ウォークイベントとして、開催されました。

こういう、市民が参加できる仕組みと一緒に立ち上がっているというのが、いいですね。


さて、しみん基金・KOBEのサイトより、設立経緯の引用です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
設立の経緯
1995年1月の阪神・淡路大震災後には復興支援のために全国から多くのボランティアが駆け付け、また被災者のために1,800億円にものぼる義援金が寄せられました。一方、多くのボランティア団体が誕生し、公的資金である阪神・淡路大震災復興基金をはじめ、民間からも震災バブルとさえ言われるようになるほどの多額の活動資金が投入されました。

しかし、震災後3年目の1998年頃から資金パイプは次第に細くなってきました。民間基金では、大口の「阪神・淡路コミュニティ基金」(代表・今田忠氏、現在市民社会研究所代表)が1999年3月で閉鎖されることが決まっていました。しかしながら、多くのボランティア団体では、資金がないからといって活動を取り止めにすることはできない状況でした。そこで、せっかく芽生えてきた市民活動を育てるためには、行政だけに頼ることなく、「市民の手で市民のためにつくる基金」を設立しようという構想が、被災地NGO恊働センターの村井雅清氏(現しみん基金KOBE副理事長)と阪神高齢者障害者支援ネットワークの故・黒田裕子氏(前しみん基金KOBE理事長)等が中心となって呼びかけられはじめました。(「KOBE・市民コミュニティ基金」設立をたくらむ「悪巧みの会」、1998年8月頃)

そして、1998年11月に設立準備委員会が発足し、それ以降10回の協議を重ねる中で、名称を「しみん基金・KOBE」とし、基本財産3,000万円、運営財産5,000万円の目標で募金活動を行うことになりました。幸いなことに、「阪神・淡路コミュニティ基金」の閉鎖前に、被災地NGO恊働センターに市民活動団体へ資金的支援をするしくみをつくることを前提に3000万円の助成が行われ、基本財産に目処が立ちました。

また、企業との連携を模索していましたところ、「市民活動支援特別委員会」を設置してNPO活動支援への取り組みを始めていた神戸青年会議所に参画していただくことになり、ビジネスに巧みな人材の協力が得られ事務処理も飛躍的にスピードアップされました。さらに神戸市からは、旧中央区老人憩いの家の一角を事務所として無償で提供いただくことになりました。

その後、1999年7月に「特定非営利活動法人しみん基金・KOBE」の設立総会が開催され、官・民・学・企の連携を図りながら一人ひとりの市民がお金を出し合って市民活動を支え育て合っていくための日本で初めてのNPOによる基金が立ち上がりました。そして、2000年1月にNPO法人格の認証を受け法人登記も完了させ、正式に発足いたしました。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.stylebuilt.co.jp/kikin/about/details.html


地域のコミュニティ・ファンドの動きも、ファンドレイジングとして注目ですね。
No.110【ファンドレイジングスーパースター列伝】ピンクリボン運動(アメリカ・日本) [2018年04月20日(Fri)]

ピンクリボン

乳がんの正しい知識を広め、早期検診を推進するピンクリボン運動。
いろいろな団体・組織が、様々な取り組みを行っていますね。
ファンドレイジングとしても、実績を積んでいます。

あらためて、ピンクリボンについて調べてみましたが、特定の団体がとりまとめている活動ではないんですね。ちょっとビックリです。

乳がんをテーマに、ピンクリボンをシンボルに活動していれば、誰でも参加できる運動になっています。

詳ししく見ていきましょう。
まずは、Wikipediaからです。
ーーーーーーーー
ピンクリボン(Pink ribbon)とは、乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進すること、などを目的として行われる世界規模の啓発キャンペーン、もしくはそのシンボル。日本人女性のうち、乳がんを発症する割合は約12人に1人と言われており、また、乳がんで死亡する女性の数は年間約1万人弱とされ、そのキャンペーンは年を増すごとに拡大している。
ーーーーーーーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3


日本でのピンクリボン運動も、いくつかの流派があるようです。
2000年頃から日本でも実施されてきたようです。

ピンクリボンバッジキャンペーン(2000年より)
(認定NPO法人乳房健康研究会)
https://breastcare.jp/index.html

NPO法人J.POSH(2002年設立)
(Japan Pink-ribbon of Smile and Happiness、日本笑顔と幸せのピンクリボン)
http://www.j-posh.com/

ピンクリボンフェスティバル
(日本対がん協会、朝日新聞社等 2003年より)
http://www.pinkribbonfestival.jp/


もう一つ、化粧品のエスティ ローダー グループの取り組みをご紹介します。
ピンクリボン運動の発祥には諸説あるそうですが、そのうちの一つがエスティ ローダー グループのシニア コーポレート ヴァイス プレジデント、故 エヴリン ローダーによってはじめられたものです。
同社のサイトに掲載されていましたので、引用です。
ーーーーーーーーーーー
エスティ ローダー グループのシニア コーポレート ヴァイス プレジデント、故 エヴリン ローダーによって、25年前に立ち上げられたピンクリボン キャンペーン。その象徴に選ばれたのは、女性ひとりひとりに乳房を思いやる心を伝えるピンクのリボン。「ピンクリボン キャンペーン」が、ここにはじまりました。
今では世界70カ国以上で展開されています。

エスティ ローダー グループが世界中で、研究、教育、医療サービスのために現在まで7,000万ドル以上の寄付金を集め、そのうち、5,600万ドルが「米国乳がん研究基金(BCRF)」を通じて、225の医療プロジェクトに活用されています。「米国乳がん研究基金(BCRF)」を通じて世界中の225の医療研究プロジェクト5,600 万ドルにのぼる資金提供を行ってきました。この社会貢献活動は、乳がんに対する意識を高め、乳がんにより命を落とす女性が一人もいなくなること、また治療中や治療後も患者たちが健やかで美しく過ごせるよう、さまざまなメッセージを発信し、支援製品などによる基金を通じて、乳がん研究や患者団体のサポートをしています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://www.estee.co.jp/pinkribbon/


乳がんに関するファンドレイジングの象徴としての「ピンクリボン」。
なるほどでした。
No.109【ファンドレイジングスーパースター列伝】富籤(とみくじ)(日本) [2018年04月19日(Thu)]

富籤

前回の宝くじつながりで、今回は「富くじ」です。
富くじも、資金調達の手法の一つですね。

Wikipediaによれば、世界最初の富くじは、中国で漢の張良が万里の長城建設のための債を集めるために行ったものと書かれています。
あの万里の長城が富くじで出来ているとは!


それでは、日本の富くじの概要を見ていきましょう。
ーーーーーーーーーー
富札を売り出し、木札を錐で突いて当たりを決め、当たった者に褒美金すなわち当額を給する。富札の売上額から褒美金と興行費用とを差し引いた残高が興行主の収入となる仕組みである。

江戸時代中期の享保年間以後、富籤興行を許されたのは主に寺社である。富籤の販売収入の他にも、当金額の多い者から冥加(みょうが)として若干を奉納させた。

近代になると、金銭が絡む富籤は賭博として取り締まられた。第二次世界大戦中の1945年7月には、政府が戦費調達と戦勝祈願を兼ねて「勝札」を売り出したものの直後に敗戦となり、「負札」と揶揄された[1]。戦後は地方自治体の資金調達など公共目的の宝くじが販売されている。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%B1%A4


富くじの歴史は、宝くじオフィシャルサイトにわかりやすい解説がありました。

ーーーーーーーーーー
日本の“くじ”は箕面山瀧安寺から
世界の“くじ”の歴史をたどると、約2,000年も昔、ローマ時代にまでさかのぼります。しかし、今日のような“近代的富くじ”となると、時代はずっと後になり、15世紀半ばのオランダで、町の建設や要塞構築などの資金調達のため、富くじを発行した記録が残されています。
一方、日本の富くじの起源は、江戸時代初期の寛永元年(1624年)頃※。摂津国(せっつのくに)(現在の大阪府)の箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)で、正月の元旦から7日までに参詣した善男善女が、自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れ、7日の日に寺僧がキリで3回突き、3人の“当せん者”を選びだし、福運の“お守り”を授けたのが起こりとされています。
※さらにさかのぼって天正3年(1575年)ともいわれています。
http://www.takarakuji-official.jp/about/history/001.html

天下御免の富くじ
箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)の富会(とみえ)は、ただ、当せん者にお守りを授けるだけでしたが、その後は次第に金銭と結びつき、富くじとして町にはんらんするようになりました。そのため徳川幕府は、元禄5年(1692年)禁令を出したほどです。しかし幕府は、その後も寺社にだけは、修復費用調達の一方法として、富くじの発売を許したので、これを天下御免の富くじ“御免富(ごめんとみ)”と呼びました。特に、“江戸の三富”として有名だったのは、谷中の長耀山感応寺(ちょうようざんかんのうじ)、目黒の泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)、それに湯島天神の富くじでした。
幕府公認の御免富も、その後天保13年(1842年)の天保の改革によって禁止されてしまい、明治になってからも、明治元年(1868年)の太政官布告によって、きびしく禁じられました。天保の禁令以来、103年もの長い間、日本では富くじは発売されませんでした。
http://www.takarakuji-official.jp/about/history/002.html
ーーーーーーーーーーーー


Wikipedia:富籤
No.108【ファンドレイジングスーパースター列伝】宝くじ(日本) [2018年04月18日(Wed)]

宝くじ

みんな知っている宝くじ。
でも、どんな仕組みで行われているのか?
その収益がどういう風に活用されているのか?
などなど、よく知られていない部分もあります。

宝くじのWebサイトから、いくつか抜粋していきましょう。
【宝くじオフィシャルサイト】
http://www.takarakuji-official.jp/


まずは、宝くじの仕組みからです。
ーーーーーーーーーーーーーー
庶民の夢として愛され、親しまれ、多くのファンをもつ宝くじの発売元は、地方自治体です。一般の個人や会社などが発売することは、刑法第187条で禁止されています。
宝くじを発売できるのは、宝くじの法律「当せん金付証票法」(昭和23年施行)に定められた全国都道府県と20指定都市、つまり地方自治体です。この地方自治体が、総務大臣の許可を得て発売元となり、発売等の事務を銀行等に委託しています。
発売等の事務を受託した銀行等では、発売元(地方自治体)の定めた発売計画に従って、宝くじ券の図柄選定、印刷、売り場への配送、広報宣伝、売りさばき、抽せん、当せん番号の発表、当せん金の支払いなどを行います。
そして、収益金は抽せん会終了後、時効当せん金は時効成立後、それぞれ発売元である全国都道府県及び20指定都市へ納められ、はじめて1回分の受託業務を終了します。
ーーーーーーーーーーーーーー
http://www.takarakuji-official.jp/about/structure.html


では、その宝くじの収益金がどのように使われているのか、抜粋です。

まず、平成28年度の売上は「8,452億円」です。

その売り上げの39.6%(3,348億円)が、宝くじの発売元の全国都道府県及び20指定都市の公共事業に活用されています。収益金の主な使途として、高齢化少子化対策、防災対策、公園整備、教育及び社会福祉施設の建設改修などが挙げられます。


さらに、1.3%(107億円)が社会貢献広報費として活用されています。
これは、宝くじの社会貢献性として、一般財団法人日本宝くじ協会による公益法人助成を通じた広域的な広報や、一般財団法人自治総合センターによる市町村向け助成を通じた住民に身近な広報を実施しています。

ここでは、「広報」という表現をしていますが、いわゆる助成金として、公益団体に配分されています。また、宝くじのの発売元以外の市町村の公共事業に対して助成金として活用されています。
助成事業として実施されることにより、宝くじの収益金が広く活用されていることをアピールするということで「広報」なんですね。

詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。
http://www.takarakuji-official.jp/about/proceeds/


現代の宝くじの歴史も抜粋します。
ーーーーーーーーーーーーーー
昭和20年7月、政府は浮動購買力を吸収して軍事費の調達をはかるため、1枚10円で1等10万円が当たる富くじ「勝札(かちふだ)」を発売しました。しかし、抽せん日を待たず終戦となったため、皮肉にも“負札(まけふだ)”と呼ばれるようになってしまいました(8月25日に抽せんを実施)。同年10月、政府は、戦後の激しいインフレ防止のため浮動購買力吸収の必要性が大きくなったので、「宝くじ」という名前で政府第1回宝籤を発売することになりました。
さらに戦災によって荒廃した地方自治体の復興資金調達をはかるため、各都道府県が独自で宝くじを発売できることとなり、昭和21年12月に地方宝くじ第1号「福井県復興宝籤」(別名「ふくふく籤」)が登場しました。政府宝くじは昭和29年に廃止され、その後は地方自治体が独自または共同で発売する自治宝くじだけが残りました。なお自治宝くじは政府宝くじが発売されていた昭和28年度までは、それと区別する意味で“地方宝くじ”と呼ばれていました。
ーーーーーーーーーーーーーー
http://www.takarakuji-official.jp/about/history/003.html


宝くじを通じてのファンドレイジング!

No.107【ファンドレイジングスーパースター列伝】寄附金付お年玉付郵便はがき(日本) [2018年04月17日(Tue)]

寄附金付お年玉付郵便はがき

これは、期間限定ですが、手軽な寄付の仕組みですね。

年賀寄附金とは
日本郵便株式会社では国民の福祉の増進を図ることを目的として昭和24年(1949年)12月に初めて「寄附金付お年玉付郵便はがき」を、そして平成3年 (1991年)からは「寄附金付お年玉付郵便切手」を発行してまいりました。この事業は「お年玉付郵便葉書等に関する法律」に基づいて行われています。

日本郵便株式会社はこれらお預かりしました寄附金を法律に定められています10の分野の事業(下記3.項、助成対象事業を参照)を行う団体に配分しています。お預かりしました寄附金は皆様の善意の浄財であり、その配分は総務大臣の認可を受けて日本郵便株式会社が責任をもって遂行しており、寄附者の方々のご意志の的確な反映により、社会の発展に大きく貢献することを目的としています。
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日本郵便Webサイトより
https://www.post.japanpost.jp/kifu/nenga/about.html


年賀寄附金は年間約5億円程度の規模だそうです。こちらに、1950(昭和25)年度からの助成金総額が掲載されています。
一番助成金額が大きかった年は、1999(平成11)年度で約1億8千万円でした。
https://www.post.japanpost.jp/kifu/data/haibun.html

185px-Japanese_New_year_post_card_in_1949.jpg
(最初に発行されたお年玉付郵便はがき、右側が寄附金付きである)

Wikipediaによると、こんなエピソードが掲載されていました。
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起源
お年玉くじの付いた年賀専用はがきのアイデアは一民間人が考案したもので、当時の郵政大臣などに何度も直談判して採用してもらったものだという。

1949年、当時京都在住で大阪にて洋品雑貨の会社を営む林正治[注 9](1909年 - 1990年3月20日)が、「終戦直後で通信手段が十分でなかったこの時代にせめて年賀状が復活すれば、差出人・受取人ともに消息が分かり合えるであろう」と考えついたのがきっかけである。この年賀状にお年玉くじを付ければ皆が買ってくれる、更に寄付金も付ければ社会福祉にも役立つと考え大阪の郵便局で郵政大臣への紹介状を書いてもらい、上京して郵政大臣などと面会した。

林は自前で見本となるはがきや宣伝用ポスターを作成し、更には具体的に景品まで考えてプレゼンを行ったという。だが前例のないものであり、戦後の混乱期でもあったので「時期尚早」とあっさり却下された。それでも林は諦めず粘り強く交渉を続けた結果、同年暮れに正式に採用された。この頃の賞品は特等・ミシン、1等・純毛洋服地、2等・学童用グラブだったという。

お年玉付郵便はがきは現在まで続く大ロングセラーとなったことで大いに感謝された林は、その後郵政審議会の専門委員を務めた。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%B9%B4%E7%8E%89%E4%BB%98%E9%83%B5%E4%BE%BF%E3%81%AF%E3%81%8C%E3%81%8D


年賀状の歴史について、こんな資料も発見しました。
日本郵政株式会社:『年賀状の歴史と話題』 (郵政研究所附属資料館(逓信総合博物館)平成8年11月)
http://www.post.japanpost.jp/kifu/data/h0811_nenga.pdf


By Japan Post - 小冊子「郵便切手の歩み」日本国郵政省1998年より転載, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6308985
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