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Vol.422【ファンドレイジングスーパースター列伝】北川波津(日本) [2019年06月03日(Mon)]

北川波津

常陸国水戸に生れる。水戸藩士尾崎氏に学問を学び、25歳で結婚したが離婚。 1896(M29)6月15日に襲来した津波により、三陸海岸では一瞬のうちに死者2万7,122人、被害家屋9千戸という大被害をこうむった。いわゆる三陸大津波である。 波津子は、その罹災児26名を引き取って育児に専念する。のち東京孤児院を発足させたが、東京育成園と改称。43年の間、園の慈母として終始した。
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http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kitagawa_ha.html


みとの水脈(1) 北川波津(東京育成園創立者)
https://www.city.mito.lg.jp/001666/002531/p005780.html

こちらのページにもう少し詳しい情報が掲載されていました。
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三陸津波の孤児たちを育てている孤児教育院の窮状を知ると、明治30年再び上京し、運営に参加しました。ところが、孤児教育院の創立者が運営を放棄したことから、院の運営のすべてが波津に委ねられます。
明治32年5月、「孤児教育院」を「東京孤児院」(後に「東京育成園」)と改称し、波津自身が中心となりましたが、その運営は借金もあり苦難をきわめました。波津が子どものころに覚えた機織りの腕をいかして運営資金を捻出する一方で、東京孤児院支援の賛助会員を一般に広げ、また、故郷水戸の親族からの援助もあり(水戸の金工・初代北川北仙は兄)、なんとか運営が安定していったのでした。
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明治時代、女性のファンドレイザーもたくさん活躍していたようです。
北川波津や東京育成園の詳しい情報が掲載されている記事を見つけました。

2014年の東京都社会福祉協議会の広報誌「法人協」です。
その中に「社会福祉法人のルーツを探る(東京育成園)」という記事がありました。
https://www.tcsw.tvac.or.jp/bukai/documents/no.22.pdf

・受入れする子どもも相当数増えていきましたが、一方で運営資金の確保は困難を極めます。賛助員の組織化や地方を回り幻燈により園の事業を紹介するなどして寄付を募って何とか経営基盤を安定させることに努めてきたのです。

・明治43年には2,680人にも及ぶ市民の方々の協力により現在の所在地である世田谷区駒沢に土地2,390坪を購入し、大正2年には明治天皇御大喪々場幄舎の下賜を受け、新園舎を落成させることができました。

・松島は園内に印刷所を設立、収益の拡大を図ります。これは不安定な寄付への大幅な依存からの脱却を図ることを主眼としたものでしたが、同時に、義務教育終了後の自立に向け子どもたちの職業訓練を図るという意図もあったようです。

・加えて、創設者の北川時代に集めた約3千人の賛助員の振込をただ待つのではなく、職員が受領証をもって集金に出向くなどして賛助会費の確保にも努めたのです。



東京育成園
http://www.to-iku.or.jp/index.htm
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