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Vol.417【ファンドレイジングスーパースター列伝】加藤時次郎(日本) [2019年05月21日(Tue)]

加藤時次郎

加藤 時次郎(かとう ときじろう、安政5年1月1日(1858年2月14日)- 昭和5年(1930年)5月30日)は、明治から昭和にかけての医師・社会運動家。豊前国田川郡香春(現在の福岡県香春町)の人。初め、吉松姓を名乗っていたが、幼少時代に加治と改姓、大正9年(1920年)に加治に復姓しており、本項目に用いられている加藤姓であったのは加藤家に婿養子に入った明治16年(1883年)から37年間の期間である(ただし、縁組自体は明治26年(1893年)の離婚によって破綻している)。
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(Wikipediaより)

また、すごい、フィランソロピストでファンドレイザーに出会ってしまいました。

『加藤は当時の医師会主導で決定された高額な診療報酬に基づく医療ではなく、もっと安価で低所得者でも医療が受けられる仕組を民間でも作るべきだと考え、かつて旅行先で議論を行い、立場は違うものの社会改良の必要性については意見が一致した王子製紙の元専務鈴木梅四郎を訪ねて相談を持ちかけた。鈴木も加藤の計画によって安価でかつ採算性の取れる医療が可能であると考えて協力を約束、明治44年(1911年)社団法人実費診療所を開設して、鈴木が理事長、加藤が医務長となり、第一号医院を加藤病院内に開設した。
加藤は大正3年(1914年)に『生活の力』(後に『平民』)を創刊、翌年には自己の病院を改組して平民病院を開設して実費診療所の理念拡大に努めるとともに、「平民食堂」「平民法律所」など中低所得者に対する社会事業に尽くした。また、晩年は普選運動や産児制限運動でも活躍した。』

Wikipediaに掲載されているのは、上記だけですが、さらにいろんな活動をされていました。

第5回
―弱者救済に生涯を捧げ法華経信仰による社会改革を目指した医師―
加治時次郎さん
http://www.t3.rim.or.jp/~nichiren/hoke/hoke05.html

帰国後、直ちに診療所を開設。特にドイツから取り寄せた皮フ病のぬり薬が飛ぶように売れた。そこで日本橋木挽町に本院、大阪・名古屋・横浜に5ヵ所の支院を設けることとなる。これらの病院は都市に住む低賃金労働者の救済を目的として開かれ、平民病院といった。平民とは、地位や身分にこだわらずすべての人を平等に扱い、簡素な生活をという考えのもとに社会主義によってたてられた理念をあらわしている。

時次郎は法華信仰に入ってから弱者救済に当たる僧侶、留学の青年僧を支援し、自らも法華経の布教に全精力を注いだ。ハンセン病収容施設の建築・維持に身命を賭した綱脇龍妙に多額の浄財を寄付したり勧募の旅に歩くための宿を提供。
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加藤時次郎
ダルマ舎平山昇
http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2008/05/post_3265.html

1918年には、芝区烏森町の「平民倶楽部」の地下に相互扶助の事業として「平民食堂」を開設。1919年には、「平民パン工場」と「平民パン食堂」を開設した。なんらかのかたちで加藤時次郎の事業を利用する人々は、累計20万人いたという。

加藤時次郎の研究家である成田龍一氏は、「加藤は都市民衆の相互扶助を基礎におき、独力で公に頼ることなく事業を次々に拡大し、意識的空間を切り拓き、共同社会実現の布石を敷いた」(※p210)と、加藤時次郎を大正デモクラシーの一翼に加えている。
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Wikipedia:加藤 時次郎
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