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Vol.406【ファンドレイジングスーパースター列伝】慶應義塾大学(日本) [2019年04月24日(Wed)]

慶應義塾大学

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慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく、英語: Keio University)は、東京都港区三田二丁目15番45号に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は慶應(けいおう)、慶大(けいだい)。
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(Wikipediaより)

慶応大学の寄付活動について、参考になるページを発見しました。

「社中協力」募金活動のあゆみ
http://kikin.keio.ac.jp/philosophy/ayumi/

「慶應義塾の今日に至りし由縁は、時運の然らしむるものとは雖ども、之を要するに社中の協力と云はざるを得ず。其協力とは何ぞや。相助(あいたすく)ることなり。創立以来の沿革を見るに、社中恰(あたか)も骨肉の兄弟の如くにして、互に義塾の名を保護し、或は労力を以て助るあり、或は金を以て助るあり、或は時間を以て助け、或は注意を以て助け、命令する者なくして全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別の気風あればこそ今日までを維持したることなれ」(『福澤文集二編』)

ここでいう社中とは、慶應義塾を構成している教職員、学生、卒業生、在学生保護者など、義塾関係者すべてを包含した結社と考えられています。
福澤先生が述べているように、慶應義塾が日本を代表する学問・教育の府となり得たのは、義塾を構成する人々がそれぞれの立場で義塾を支える「社中協力」の精神があればこそでした。

「金を以て助るあり」とされている、慶應義塾のこれまでの主な募金活動をご紹介します。
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このページにある最初のエピソードがいいですね。
『明治11、2年頃、義塾は財政的な行き詰まりから存廃の岐路に立たされました。この窮状を打開するため、同13年(1880年)に「慶應義塾維持法案」を制定、年間の経常収支において1万円あれば事足りた時代に4万4,365円の維持資金の申し込みを得て、義塾存廃の危機を自らの力で見事に克服しました。それは私学が卒業生及び世の篤志家に訴えて改善充実の寄付を求めた最初の試みでした。』

これは、日本初の大学ファンドレイジングのエピソードですね。


こちらが現在の慶応大学の寄付のページです。
http://kikin.keio.ac.jp/


三田評論オンラインの記事でも、いろんな寄付の事例が紹介されています。

【福澤諭吉をめぐる人々】鎌田栄吉
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/around-yukichi-fukuzawa/201708-1.html
福澤亡き後の慶應義塾にとって、まずは、財政基盤を整えることが喫緊の課題であった。福澤が私財を投じ、教員の給与を減らし、卒業生から臨時にお金を集めてなんとか繋いできた訳であるが、その経営にも限界がきていた。そこで提案されたのが、年会費で寄付を募る維持会の発足であった。鎌田は、有力な資産家から多額の資金を得る従来の形のみならず、英国の郵便制度からヒントを得て、一口50銭という少額で、寄付を集めることにこだわった。福澤亡き後、慶應義塾をより多くの塾員で支えることこそ大切であると考えていたのである。


【福澤諭吉をめぐる人々】
森村兄弟(森村市太郎・森村豊/森村明六・森村開作)
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/around-yukichi-fukuzawa/201806-1.html
悲嘆に暮れた市太郎は、「もしできる身分になったら国家のために金を投じたい」と言っていた豊の精神を引き継いで、社会貢献事業を行うための団体を立ち上げる。団体は「豊」と明六の「明」をとって森村豊明会と名付けられ、女子教育の振興や国際社会で活躍できる人材の育成を目標に、日本女子大学や早稲田大学など、教育機関への援助を行った。早稲田大学野球部が明治38年に学生野球初の海外遠征(アメリカ遠征)をした際にも寄付をしている。明治43年には市太郎自ら学校経営に乗り出し、高輪の自邸の庭に幼稚園と小学校を開校している。
また、義塾関連の事業への支援も惜しまなかった。福澤が北里柴三郎を助けたときには、伝染病研究所や土筆ヶ丘養生園の設立に際して大きな貢献をしている。大正4(1915)年に建設された義塾大講堂の建設費7万円のうち5万円を寄付したのも、豊明会である。


【福澤諭吉をめぐる人々】
中村道太
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/around-yukichi-fukuzawa/201701-1.html
その後、景気回復により上昇した正金銀行株を300円で三井に売却し、それを元手に同郷の杉本正徳らとともに小真木銀山(秋田県)の再開発を手がけ、成功した。得た金で丸屋銀行の整理を行い、慶應義塾の煉瓦講堂新築(19年着工、20年竣工、23年大学部創設時に校舎として使用)と東京専門学校(現早稲田大学)に各1万円を寄付した。この頃には福澤の信頼を得て福澤家の資産管理を任されるまでになった。学校経営以外にも『時事新報』の発行など携わる事業が増えていった福澤にとって、事業を維持するために資金面で欠かせない人材だったといえる。


【新 慶應義塾豆百科】
三田の福澤像
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/new-encyclopedia/201702-1.html
福澤先生歿後50年を経て、先生の面影を知る者が少なくなったことで、三田山上に像を据えようという運動がおこり、資金を募集したところ、たちまち寄付が集まったという。


【福澤諭吉をめぐる人々】
小川武平
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/around-yukichi-fukuzawa/201810-3_2.html
長沼の事件がひとまず落ち着いたことで、村民は福澤の尽力に報いようと、男は縄を(な)い、女は糸を繰り木綿を織って稼いだ227円を福澤のもとに届けた。福澤は、その志を喜んだが、これを受け取らず、かえってこれに3円足して230円として、「沼は5カ年貸下げの許可を得たものの、今後機会があれば、その所有権を回収せねばならぬ。そのためには金も要るであろうから、これは貯蓄しておくのが宜しかろう」と言って、村に返した。さらに福澤は、事件の起こった原因は村民の無学にあるから、小学校を設立し、教育を授けることが急用であると、建設資金として500円を長沼村に寄付した。こうして、県下2番目の小学校(長沼小学校)が設立された。


【福澤諭吉をめぐる人々】
日原昌造
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/around-yukichi-fukuzawa/201808-1_2.html
結局、草稿を執筆し、『時事新報』で『修身要領』解説記事を担当することになる。翌年、福澤は皇室から5万円の恩賜金を受け、そのまま慶應義塾の基本金に寄付した。これを日原は『時事新報』紙上において、塾員全体の気持ちとして、皇室の恩徳と福澤の高義は明治の美談として後世に語り継ぐべきと讃えた。ところが、冬になると、突然福澤が慶應義塾の廃塾を言い出したため、困った小幡らは日原に福澤の説得を依頼し、翻意させるという一幕もあった。



Wikipedia:慶應義塾大学

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