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Vol.399【ファンドレイジングスーパースター列伝】北里柴三郎(日本) [2019年04月09日(Tue)]

北里柴三郎

北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日)は、日本の医学者・細菌学者である。貴族院議員・従二位・勲一等・男爵・医学博士。

私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、土筆ヶ岡養生園(現在の北里大学北里研究所病院)創立者兼運営者、第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)[1]、私立北里研究所(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長並びに北里大学学祖、慶応義塾大学医学科(現在の慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、日本医師会創立者兼初代会長。

「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。門下生らはドンネル先生[注 1]との愛称で畏れられて、親しまれていた。
ーーーーーーーーーーー
(Wikipediaより)

314px-Kitasato_Shibasaburo.jpg


新千円札の肖像に選ばれた北里柴三郎も、偉大なファンドレイザーでした。
海外留学から帰国し、日本国内で活動するための拠点を国の支援ではなく、民間の支援を得て活動をしていたんですね。


◎伝染病研究所

[慶應義塾豆百科] No.50 福澤先生と北里柴三郎
https://www.keio.ac.jp/ja/about/history/encyclopedia/50.html

こちらの記事からの引用です。
ーーーーー
明治18年ドイツに留学、コッホに師事して細菌学を学び、破傷風菌の純粋培養と血清療法を発見するなど、数多くのすぐれた研究成果を挙げ、明治25年に帰朝した。

北里は1日も早く伝染病研究所を設立することの急務を説いたが、そこには多くの困難があった。北里の終始変わらぬ庇護者であった長与はこうした北里の窮状を福澤先生に打ち明けその援助を求めたのである。先生にとって長与は緒方塾以来の親友であり、かつ北里の業績にもかねてから注目していただけに、早速同年10月4日付の時事新報に「医術の新発見」と題する社説を掲げて彼の業績を紹介するとともに、知友の実業家森村市左衛門と協力して芝公園の御成門脇に研究所を建て、北里の使用に供したのであった。
ーーーーーー

こうして、1892年(明治25年)に民間の力で、私立の伝染病研究所が開設されました。
この時、実業家の森村市左衛門は当時のお金で1,000円を研究所の機材整備や運営費のために寄付をしたそうです。


◎土筆ヶ岡養生園

明治26年(1893年)、北里柴三郎により、わが国最初の結核専門病院「土筆ヶ岡養生園」(つくしがおかようじょうえん)が設立されました。この土筆ヶ岡養生園は、現在の北里研究所病院の元になったものです。

こちらの設立資金については、北里柴三郎のご子孫の方の講演内容がWebで掲載されていたので引用します。
<お茶の水学術サロン 第11回 2006年10月6日>
北里柴三郎の人と業績
明治製菓株式会社 最高顧問 北里 一郎
http://www.lwwc.ocha.ac.jp/no.11ochasalone.pdf
ーーーー
1893 年福澤先生は柴三郎のために、森村市左衛門氏の出資も仰ぎ、当時罹病患者が多く、死亡率の高かった結核の専門病院を設立し、自ら「土筆ヶ岡養生園」と名付けられました(現北里研究所病院の前身)。そして、福澤先生の示唆に従った病院収入の蓄財が、後の北里研究所独立に繋がったのであります。
ーーーー
先の伝染病研究所と同じく、福沢諭吉・森村市左衛門の支援を得て、北里柴三郎が設立されたものです。


◎北里研究所
大正3年(1914年)に北里研究所が創立されました。
これには、先の伝染病研究所が国の機関になり、最終的に東大の一機関になったという経緯があり、北里柴三郎や仲間たちが伝染病研究所を辞職して自ら研究所を立ち上げるという経緯があります。
詳しくはWikipediaをご覧いただくとして、北里研究所の設立には、土筆ヶ岡養生園の経営で蓄えていた資金を活用して、設立しました。まさに、寄付の事業から収益を生み出し、新たな事業を行うファンドレイザーでした。

この研究所の設立秘話のようなお話が、テルモのWebサイトにありました。
熱い内容です。

医療の挑戦者たち(26)人に報いる。恩に報いる。(北里柴三郎/福澤諭吉)
https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/26.html



他に、Wikipediaで、北里柴三郎のファンドレイザーとしての一面が紹介されていました。
『来日したハンナ・リデルは、1895年熊本に回春病院というハンセン病病院を設立した。その後敷地内にハンセン病研究所を企画した。1917年にリデルの頼みに応じ、北里研究所の内田三千太郎を研究所長に割愛した。回春病院の経営にも支援し、1918年(大正7年)の回春病院の募金活動趣意書に発起人として北里の名を連ねている。』

No.250【ファンドレイジングスーパースター列伝】ハンナ・リデル(熊本)
http://blog.canpan.info/cpforum/archive/1539


Wikipedia:北里柴三郎

By http://www.adthree.com/exanim/50nen/fac/kitazato.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1293507
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