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Vol.354【ファンドレイジングスーパースター列伝】了翁道覚(日本) [2018年12月20日(Thu)]

了翁道覚


了翁道覚(りょうおうどうかく、寛永7年3月18日(1630年4月29日) - 宝永4年5月22日(1707年6月21日))は、江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。初め名を祖休といい、後に道覚とあらためた。号も初めは了然といい、後に了翁にあらためた。
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(Wikipediaより)

「江戸時代前期の寄付王」と呼びたくなるような僧侶に出会ってしまいました。

了翁道覚は、夢でその製造方法を学んだ、「錦袋円(きんたいえん)」という霊薬を開発製造しました。この薬の効能は素晴らしいもので、傷病に苦しむ多くの人を救ったとされるそうです。

Wikipediaによれば、この錦袋円は、江戸上野の不忍池のほとり(今の池之端仲町)に構えられた店舗でも売られ、これが評判を呼んで、江戸土産にまでなり、寛文10年(1670年)には金3,000両を蓄えるまでに至ったそうです。

これらのお金をもとに様々な寄付(寄進)をしていました。
以下も、Wikipediaに記載されている、それらの活動を抜粋しました。

・伊勢の安養寺の門前に施薬館を建てたほか、京都の泉涌寺の門前にも施薬所を設置して、5万5千袋余に及ぶ錦袋円を処方した。

・寛文12年(1672年)には棄児十数人の養育をはじめている。また、同年、上野寛永寺のなかに勧学寮を建立し、教学の専任となった。並立した文庫6棟には和漢の書籍を収蔵し、僧侶ばかりではなく、一般にも公開した。これは、日本初の一般公開図書館であったばかりでなく、閲覧者のなかで貧困の者や遠来の者には飯粥や宿を与えるという画期的な教育文化施設であった。

・天和2年(1682年)には、天和の大火いわゆる「八百屋お七の火事」により、買い集めていた書籍14,000巻を失ったが、それでもなお被災者に青銅1,100余枚の私財を分け与え、棄て児数十名を養い、1,000両で薬店を再建し、1,200両で勧学寮を完工させ、台風で倒壊した日蓮宗の法恩寺を再建するなど自ら救済活動に奔走した。

・天和3年(1683年)、前年の火災の被災民のため約1,300両もの義捐金を供出したほか、餅を配ったり、迷子の親を探したり、焼死者を埋葬したりと献身的な活動をつづけた。この年はまた関西では飢饉が起こっているが、ここでも銭1,100余貫、黄金1,000両を施して救済に手をさしのべた。当時の江戸の人々はこうした了翁を「如来様」と呼んで敬慕したという。

・貞享2年(1685年)、仁和寺の寛隆法親王の縁で高野山金剛峯寺の塔頭光台院に経蔵を設立し、鉄眼一切経(鉄眼道光の大蔵経)を納めたほか、この年より元禄7年(1694年)まで天台・真言・禅の3宗21カ寺に経蔵を寄進している。21カ寺の経蔵を建立して大蔵経を安置し、その他群書や漢籍など58,005巻を集蔵すべき光石院文庫も建て、これらの維持費も寄進した。

・了翁は、これらの活動のほか、宇治大火でも救済活動をおこない、省行堂の建立や観音小像の施与、さらに親友鉄牛道機禅師の干拓事業を援助したり、宇治五ヶ庄の灌漑工事を起こすなど産業発展にも貢献した。また、江戸をはじめ全国に約30もの公開または半公開の図書館を建立して世人に読書研究を勧めたほか、講座を開き、貧しい読書人には給食を施した。特に公開図書館を一個人の力で数多く開設したことでは世界でも他に例がないといわれる。
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了翁道覚の活動は、日本の図書館の先駆けですね。

すごい人がいました。


Wikipedia:了翁道覚
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