Vol.350【ファンドレイジングスーパースター列伝】昭憲皇太后(日本) [2018年12月16日(Sun)]
昭憲皇太后
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 1914年(大正3年)4月9日)は、明治天皇の皇后。旧名・一条美子(いちじょう はるこ)。病弱で実子はなかったが、嫡妻として、明治天皇の側室(柳原愛子)が生んだ嘉仁親王(大正天皇)を養子とした。 欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力した。史上初めて洋装をした皇后。1914年(大正3年)で崩御(64歳)。 ーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) Wikipediaによれば、維新期の皇后として「社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現学習院女子高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。慈善事業の発展に熱心で、東京慈恵医院や博愛社(現在の日本赤十字社)の発展に貢献した」方でした。 なかでも、『昭憲皇太后基金』の取り組みは、世界的な活動として面白いですね。 ーーーーーーーーーー 1912年(明治45年)、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にて第9回赤十字国際会議が開催された際、国際赤十字に対して皇后が10万円(現在の貨幣価値に換算すれば3億5000万円ともいわれる)を下賜した。赤十字国際委員会はこの資金を基にして昭憲皇太后基金 (Empress Shōken Fund) を創設した。この基金は現在も運用されており、皇后の命日に利子を配分している。 ーーーーーーーーーーー 他にも、Webサイトからいくつか引用します。 1887年(明治20年)同年5月、有志共立東京病院(現在の東京慈恵病院)に約2万円(1200万円相当)を下賜。病院に「慈恵」という名を与える。(Wikipediaより) 昭憲皇太后さまの博愛と仁慈のご事蹟は、まさに先覚者的な役割を果たされたと申すべきでありましょう。日本赤十字社や慈恵会については、創立の当初からお力をそそがれ、また福田会育児院、岡山孤児院などの養護事業にも、やさしい御手をさしのべられました。 (明治神宮HPより) http://www.meijijingu.or.jp/about/4.html 前述のメッシーナ地震に際しては、両陛下はイタリア政府に金1万円を寄贈されたが、民間でも「伊国震災義捐(ぎえん)金」が集められ、寄付金の総額は7万1,700円に達した。皇室の率先垂範が「社会福祉の精神を日本の社会に根付かせた」一例である。 (MAG2NEWS:敵兵にも義足を送った、明治天皇の皇后「昭憲皇太后」の慈悲心) https://www.mag2.com/p/news/238686/3 最後に、昭憲皇太后基金についてもう少し詳しく見ていきます。 日本赤十字社のHPに詳しく掲載されていました。 昭憲皇太后基金〜100周年を迎える国際協力基金〜 http://www.jrc.or.jp/activity/international/news/120416_000935.html (2012年) 『基金は、原資を取り崩すことなく、現在も皇室をはじめとする日本からの寄付金によって成り立っています。2012(平成24)年に創設100周年を迎えるにあたり、天皇皇后両陛下からはご下賜金を賜り、明治神宮と明治神宮崇敬会からも1000万円が寄付されました。日赤も毎年、個人・団体から受けたご寄託から500万円を拠出しています。 昨年12月31日時点での基金の総額は、約8億7980万円(10,016,382スイスフラン)。 1921(大正10)年の第1回配分から今回までの同基金による配分額は、合計で約11億240万円(12,456,186スイスフラン)になります。』 100年以上の歴史を持つ「昭憲皇太后基金」の配分決定〜約1,055万円を5カ国に〜 http://www.jrc.or.jp/press/130411_000440.html (2013年) こちらに、その当時の経緯が詳しく掲載されています。 昭憲皇太后基金の創立とその背景について http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f48-13.pdf 本当に、明治時代にはいろんな取り組みがあります。 Wikipedia:昭憲皇太后 By 宮内省 - http://venusclancolumn.up.n.seesaa.net/venusclancolumn/image/20150723221739433.jpg?d=a0, パブリック・ドメイン, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3342727 |