Vol.349【ファンドレイジングスーパースター列伝】佐藤助九郎(日本) [2018年12月15日(Sat)]
佐藤助九郎
佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1847年(弘化4年)- 1904年(明治37年))は、富山県砺波郡柳瀬(現砺波市)生まれの実業家。総合建設会社(ゼネコン)の佐藤工業株式会社創業者。 1500年代の佐藤家の祖佐藤助左衛門から数えて9代目佐藤助九郎の子で、名は10代目貞次であるが、佐藤工業の創業者、初代助九郎と称している。 ーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 佐藤工業HPより https://www.satokogyo.co.jp/company/history.html こちらも、素晴らしい偉人です。 明治期の実業家は、本当に素晴らしい人が多いです。 以下、Wikipediaからの引用です。 ーーーーーーーーーー 私費を投じて幾多の難民救済事業を志し、又各地の工事現場で利益を上げては、その何割かをその地方の神社仏閣の復旧再建に当てるなど、社会事業家として徳の高い人であった。報恩の気持から社会公益のために尽くしたものには、橋梁・道路等も数多い。 明治7年(1874年)以降、私費を投じて架設した橋は、福岡橋(1874年)、河童橋(明治11年・1878年)、手取橋、新川橋(明治18年・1885年)、立山橋(明治26年・1893年)、栗生橋(明治29年・1896年)、笹津橋(明治19年・1886年県から請負→明治21年・1888年濁流で破壊→明治25年・1892年自費で再建)。私費橋の多くは有料化し報恩感謝の念を忘れないようにした。これらの多くの橋は、生活物資の供給に大きな役割を果たした。橋番は工事による身体障害者を充てたりしていた。 明治32年(1899年)に富山市の大火で本派本願寺富山別院が焼失した際、2ヵ月後に「蓮如上人400回忌法要」という大行事を控えていた本願寺の為に、助九郎が再建を引き受け、佐藤組単独により昼夜突貫で再建した。(この工事は予め請負契約がきちんとしてあり、完成した請負代金を一旦受領した上で、直ちにそれを寄付した。助九郎は「篤志の人」であり、その上、請負は請負、寄付は寄付として勘定のけじめをしっかり付けていた。) ーーーーーーーーーーーーーー いやー、すごい人です。 Wikipedia:佐藤助九郎 |