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No.280【ファンドレイジングスーパースター列伝】白瀬 矗(日本) [2018年10月07日(Sun)]

白瀬 矗

274px-Nobu_Shirase.jpg

白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日[1](1861年7月20日) - 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。
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(Wikipediaより)

また、すごいファンドレイザーを発見してしまいました。
今までにないケースです。
あの南極探検隊の白瀬 矗中尉も資金調達に奔走していました。
しかも、南極探検隊として南極に行っている時点でまったくお金が足らず、日本に戻ってきてから、その借金を返すための資金調達をしていました。

白瀬の南極探検隊とは、どのようなものだったのでしょうか?

Wikipediaから、引用します。
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1910年12月、日本の陸軍軍人で南極探検家の白瀬矗は開南丸で東京から出航し1911年2月26日に氷海へと到達、ロス海へ船を進める。しかしすでに南極では夏が終わろうとしていたためコールマン島(英語版)から引き返し、越冬のためオーストラリアのシドニーへ寄港する。

11月16日にシドニーを出航し、二度目の試みでエドワード7世半島を経由して南極到達に成功する。「開南丸」はクジラ湾のロス棚氷でロアール・アムンセンを中心とする南極探検隊の南極点到達からの帰還を待つ「フラム号」と遭遇する[1]。開南丸から7名から成る突進隊が棚氷へと上陸し、南緯80度5分・西経165度37分まで探検した後、一帯を大和雪原と命名して帰国の途につく。突進隊帰還までの間、開南丸はエドワード7世半島付近を探索、大隈湾や開南湾を命名する。アレクサンドラ王妃山脈(英語版) (アレクサンドラ王妃に由来) 付近を探索した後、開南丸は日本へ向けて出航、1912年6月20日に芝浦に帰還した。
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Wikipedia:日本の南極観測


南極探検隊のファンドレイジングについて、みていきましょう。
Wikiから引用します。
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明治43年(1910年)、白瀬は南極探検の費用補助を帝国議会に建議(「南極探検ニ要スル経費下付請願」)した。衆議院は満場一致で可決したものの、政府はその成功を危ぶみ3万円の援助を決定するも補助金を支出せず、渡航費用14万円は国民の義援金に依った。

同年7月5日、神田で南極探検発表演説会を開催、当日中に南極探検後援会が組織され、幹事に三宅雪嶺・押川方義・桜井熊太郎・村上濁浪(本名・俊蔵 。雑誌『成功』を刊行する「成功雑誌社」主幹[15])・田中舎身・佐々木照山、会長には大隈重信が就任した。

氷に阻まれて船が立往生する危険が増したため、5月1日にシドニーへ入港した。ここで、資金調達のために多田と野村が帰国したが、後援会内部では村上濁浪が会費を使い込んだという疑惑が起きて内紛が発生。

帰国後、後援会が資金を遊興飲食費に当てていたことがわかり、白瀬は4万円(現在の1億5千万円[23])の借金を背負い、隊員の給料すら支払えなかった。自宅、家財道具、軍服と軍刀を売却して[23]、転居につぐ転居を重ね[24]、実写フィルムを抱えて娘と共に、日本はもちろん台湾、満州、朝鮮半島を講演して回り、20年をかけて渡航の借金の弁済に努めた[23][25]。
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冒険家のファンドレイジングも、本当に大変なものですね。

こちらの記事に、さらに詳しい数字が載っていました。

白瀬南極探検隊記念館
白瀬 矗 について
http://shirase-kinenkan.jp/shirasenobu.html

◎探検のその後
探険の総費用は120,000円から125,000円余りと推定。一般から集めた募金の総額は71,800円に過ぎず、40,000円近く(現在の1億円ほど)の借金をすべて白瀬が背負うことになります。
白瀬は極地で撮影したフィルムをたずさえ、日本本土をはじめ遠く樺太(今のサハリン)、朝鮮半島、旧満州、中国上海、台湾まで足を運びました。南極探検を終えたあとの白瀬の後半生は、借金返済のための苦難に満ちた果てしなき旅の連続だったのです。借金を返し終えたのは昭和10年、白瀬は74歳になっていました。
昭和21(1946)年9月4日、午前9時、白瀬矗は間借り先の愛知県西加茂郡挙母町(現豊田市)鈴木鮮魚店の2階で、腸閉塞のため死去します。(満85歳)
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実際のファンドレイジングの大変さについては、こちらのサイトにかなり詳細に掲載されています。少し長めの原稿ですが、お時間があればぜひご一読を。

異聞・奇譚「南極探検」
− 甲斐出身・村松 進 隊員 −
http://mineralhunters.web.fc2.com/nankyokutanken_muramatsu.html




Wikipedia:白瀬 矗

By published by 潮出版社 - The Japanese book 『明治の夢工房』, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2647218
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