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No.258【ファンドレイジングスーパースター列伝】佐々城豊寿(日本) [2018年09月15日(Sat)]

佐々城豊寿

佐々城豊寿 ささき-とよじゅ

1853−1901 明治時代の婦人運動家。
嘉永(かえい)6年3月29日生まれ。相馬黒光(こっこう)の叔母。明治19年矢島楫子(かじこ)の東京婦人矯風会の結成に協力,22年婦人白標倶楽部(クラブ)を設立。晩年は内村鑑三に師事した。明治34年6月15日死去。49歳。陸奥(むつ)仙台出身。英語塾(現フェリス女学院)卒。旧姓は星。本名は「とよし」。
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コトバンク 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus


あまり知られていない偉人の一人ですが、東京婦人矯風会の設立にかかわった人です。
東京婦人矯風会とは、このような団体です。
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世界女性キリスト者禁酒同盟の特派員レビットの来日に刺激を受け1886年、東京日本橋教会において潮田千勢子や佐々城豊寿ら56名の会員をもって「東京婦人矯風会」が発足し、初代会頭に矢嶋楫子が選ばれました(当時53歳)。「禁酒会」ではなく「矯風会」としたのは、禁酒ばかりではなく、風を「矯める」(正しくないものを直す)会ということをわかりやすく表現するためでした。
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公益財団法人日本キリスト教婦人矯風会
1886年:矯風会の設立
http://kyofukai.jp/aboutus/walkin



佐々城豊寿がどのようなファンドレイザーだったのか、こちらの記事でいくつか事例が紹介されていました。

女性の役割の再構築を目指してできること(8)
高沢 英子
4)明治中期の女権運動とその明暗
  ―「日本キリスト教婦人矯風会」の活動―

少し長くなりますが、引用します。
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 新島襄の同志社建設募金運動にも協力、これは矢島楫子の甥に当たる徳富蘇峰からの要請だったという。蘇峰は叔母の楫子と豊寿との確執は知っていたと思われるが、終始豊寿に協力し、友人として快く相談に応じていたらしい。
 募金にあたって豊寿は広告文を考え、蘇峰の添削を経て次のような主意書を印刷配布する。(宇津氏の論考に引用記載されている広告文で、彼女の教育に関する熱意を吐露している文なので、以下仮名遣いなど少し現代風に改めて書き写させていただく)。
 「このとき(新島襄の学校開設募金運動)に当たりていやしくも吾々同胞の姉妹たるもの雲煙過眼徒ら之を看過せば あに吾々姉妹が世に処するの一大義務に欠く所なからんや 教育は文明の神髄なり 一国教育の事業は独り男子専有の事業にあらざるなり」
 こうして豊寿は日本初の市民相手の音楽会開催に奔走、木挽町厚生館で開かれた「音楽慈善会」は成功を収め、3日間で純益103円22銭を新島宛に寄贈することが出来た。新島襄からは社会事業に経験の乏しい婦人の手になる義捐金ということで、特に感謝の電報が届いたとのことである


明治34(1901)年、再び東京に戻り、かつて彼女が中心となって作った女子授産場(慈愛館)の拡張のために奔走、義捐金を募り、上野音楽学校でのチャリティ音楽会を成功させるなどの活動のさなか夫を喪い、自身も1ヵ月後に世を去った。49歳であった。
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慈善音楽会、チャリティ音楽会でのファンドレイジングだったんですね。
もう少し詳しい情報を調べてみましたが、残念ながら見つけることができませんでした。


Wikipedia:佐々城豊寿

ファンドレイジングスーパースター列伝.png
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