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No.248【ファンドレイジングスーパースター列伝】山崎勲(高知) [2018年09月05日(Wed)]

山崎勲

山崎 勲(やまざき いさお 1928年7月28日 - )は、元競輪選手。現在は社会福祉法人顧問。現在の高知県香美市(旧土佐山田町)出身。選手現役時は日本競輪選手会高知支部所属。選手登録番号5160で日本競輪学校創設前の期前選手。
長男の山崎正一も元競輪選手(42期)。
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(Wikipediaより)

今回は、元競輪選手だった、山崎勲さんをご紹介します。

Wikipediaによれば「選手としてのピークを過ぎた直後、次男の病気(後述)がきっかけで福祉活動の必要性を実感したことから、自ら福祉施設の建設と運営に乗り出すことを決め、それからは自分の賞金を福祉活動の資金とするために走り続け、1986年4月29日の高松競輪B級一般戦8着をもって引退するまで、36年間もの競輪選手としての通算で3195戦674勝を挙げる立派な成績を残した」といい人です。

山崎さんが関わって立ち上げたのが「重度心身障害児施設 土佐希望の家」です。現在は、「土佐希望の家 医療福祉センター」という名称です。
https://tosakibou.jp/


このホームページより、沿革を引用します。
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土佐希望の家は、元競輪選手の山崎勲氏が、昭和41年6月、私費で土佐山田町に重症心身障害児の施設「希望の家」を開設して重症心身障害児に対する福祉への取組を始めたことからスタートをしています。
  昭和45年6月には、南国市に定員50名の重症心身障害児施設「土佐希望の家」が開設され、以後、順次定員を増やし、平成2年5月には定員50名の第二・希望の家が設置されました。

  土佐希望の家は、これまで、重症心身障害児に対する福祉や医療、生活の充実に向けて取り組むとともに、在宅の重症心身障害児や保護者の方々を支援するため、通園事業等にも取り組んできました。

 平成18年4月には、老朽化した第一・希望の家を第二・希望の家に統合・改築し、定員134名の「土佐希望の家」となっています。

 平成22年4月には、入所施設の定員を140名に変更しました。在宅支援への取組では、重症心身障害児(者)通園事業をA型(定員15名)からB型(定員5名)に変更するとともに、新たに生活介護事業(定員20名)と、相談支援事業を開始しました。
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Wikipediaに詳しい情報も掲載されていましたので、引用いたします。
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福祉活動
1963年に生まれた次男が脳性麻痺を患っていたため、治療のため各地の医療機関を巡り続ける中で、自分と次男のような同じ境遇の人々が安心して生活できる環境を整えたいと思ったことから、自身の呼びかけにより1965年に現在の全国重症心身障害児(者)を守る会高知支部を結成し、地元に障害児を集団で生活させるための施設を建設することを決め、自ら「希望の家」と名づけた施設を開設し、自分の次男を含めた数人を入居させ、経費は自ら競輪で獲得した賞金をも補う形で運営を行っていた。

しかし施設の開設後しばらくして次男は早世してしまうが、このことで山崎はさらに整った設備が必要であることを感じたため、大規模な障害児施設の建設を決心し、実現のために奔走し続けた。

その直後、NHKのドキュメンタリー番組『ある人生』で山崎の活動が放送されたことから、番組を見た全国の視聴者や競輪ファンだけでなく、選手仲間を始めとした競輪関係者からも援助の申し出が相次ぐことになり、また山崎自身も日本自転車振興会(当時)にかけあって施設に対する競輪公益の補助を認めてもらったことから、施設の建設に向けて大きく前進することができた。

こうして土地の購入資金は寄付金と自らの賞金で賄い、建設資金は日本自転車振興会を大半とし自治体などからを含む各種補助金の給付を受け、施設の運営は自ら立ち上げに関わった福祉団体に委任する形で、1970年に重度障害児施設『土佐・希望の家』を南国市に開設させた。

この競輪選手でありながら世間に対し障害児福祉へのあり方を示した活動や実績が認められ、山崎は1971年に第5回吉川英治文化賞を受賞する。さらに同年末にはNHKの第22回紅白歌合戦に審査員として出演し、山崎の存在は競輪選手が競輪の枠を超えて世間に認知された初めてのケースとなった。

その後は障害児施設の運営が安定したことから、障害児向けの通院施設などの実現に重きを置くことになり、1983年に『土佐・希望の家』施設運営団体の理事長に就任した後の1986年に競輪選手を引退してからは、福祉活動に専念して他の福祉施設の開設や運営にも関わった。なお2002年に理事長を退任し、2009年現在は顧問となっている。

高知競輪場では山崎の引退直後から、その多大な功績を讃えるため、年に一度『山崎勲杯』を開催している。
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本当に素晴らしい方ですね。


Wikipedia:山崎勲

ファンドレイジングスーパースター列伝.png
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