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No.205【ファンドレイジングスーパースター列伝】津田梅子(日本) [2018年07月24日(Tue)]

津田梅子

Tsuda_Umeko.gif

津田 梅子(つだ うめこ、元治元年12月3日(1864年12月31日) - 昭和4年(1929年)8月16日)は、日本の教育者。日本における女子教育の先駆者と評価される。

初名はうめ(「むめ」と書いた)で、明治35年(1902年)に漢字表記に改めて「梅子」とした。
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(Wikipediaより)

津田塾大学を創設した津田梅子の経歴を見ていると、大きく2回、ファンドレイジングのポイントがありました。

一つは、2回目の米国留学をした、明治22年(1889年)頃の出来ことです。
こちらも、Wikipediaからの引用です。
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梅子に留学を勧めたアリス・ベーコンは日本習俗に関心を持ち、日本女性に関する研究をしていた。ベーコンがアメリカへ帰国し、研究を出版(『日本の女性』)する際には手助けをしている。これは梅子が日本の女性教育に関心を持つきっかけになったとも言われており、留学を一年延長すると、梅子は日本女性留学のための奨学金設立を発起し、公演や募金活動などを行う。
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この奨学金は、「日本婦人米国奨学金」(ジャパニーズ・スカラシップ)ということで、8000ドルの基金を寄付で集めたそうです。

こちらの記事に、津田梅子の半生が詳しく紹介されていました。
『津田梅子』大庭みな子 - Augustrait - Gooブログ
https://blog.goo.ne.jp/augustrait/e/dec457d750f57b08ca18798139b4b9e4


そして、もう一つのファンドレイザーとしての実績は、津田塾大学です。

こちらは、津田塾大学のWebサイトに掲載されている、「津田塾の歴史」から引用します。
http://www.tsuda.ac.jp/about/history/index.html

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女性の高等教育をめざす私塾「女子英学塾」として、1900年に産声を上げた津田塾大学。創立者津田梅子は、女性の地位向上こそ日本の発展につながると信じ、女性の高等教育に生涯を捧げました。

女子高等教育機関の創設
1900年(明治33)、梅子は先駆的な私立女子高等教育機関の一つである「女子英学塾」を創設します。梅子は「男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成」をめざしました。日本政府からアメリカに派遣され、勉強の機会を与えられた梅子の胸中には「学んだ知識を社会に還元したい」という強い願いが刻まれていたのです。梅子が開校式で語った建学の精神は、今も変わることなく、津田塾大学の教育理念として受け継がれています。
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こちらの記事に、その時の状況が少し紹介されていました。

『あさが来た』広岡浅子だけじゃない
名門女子大を作った“豪傑”たちをご存じですか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48197?page=2

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「梅子が女子英学塾を開校する際の資金は、留学していた時の友人や支持者たちが作った『フィラデルフィア委員会』を通じて、主にアメリカの友人や有志の方々の寄付によって支援されていました。」(津田塾大学・津田梅子資料室)

35歳で英学塾を立ち上げた時、梅子は英語教師として華族女学校で働いており、女性としては高額の給料をもらっていた。とはいっても、日本の財閥や企業から大々的な資金援助なしで一から学校を立ち上げるのは容易ではないはず。実際、梅子が持っていた資金はわずか800円。現在の金額にすると400万円ほどしかなかった。

そこで、前出の委員会に協力を依頼し、創立に漕ぎつけることになる。委員会からの寄付は累計で数百万円にも及び、当時、一つの学校がこれほどの金額を外国人の寄付だけで集めるのは前代未聞のことだった。
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この辺はもう少し詳しいことを調べたいところですが、津田塾大学のWebサイトにも詳しい情報が掲載されていないので、残念です。


Wikipedia:津田梅子

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1353330
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